2015年10月26日月曜日

泣きたくなるほど美しい・・・桂離宮


 「泣きたくなるほど美しい印象だ・・・」

 ドイツの建築家のブルーノ・タウトさんは、桂離宮を訪ねたときの印象をこう語られています。念願だった桂離宮の予約がとれたのは、10月21日で秋の日差しがあたたかい午後でした。




 バス停から桂川に沿って桂離宮の門までの道は笹の生け垣になっていました。
 これは背後の竹林から竹を根のついたまま編みこんでいるそうで、びっくりでした。
 笹垣というそうです。






 桂離宮は、八条家初代の智仁(としひと)親王が別荘として造営を始めたということですが、1662年二代の智忠(としただ)親王のときに、ほぼ今日のような山荘の姿になったということです。

 御幸門(みゆきもん)は、茅葺の簡素な門ですが、後水尾上皇を桂山荘にお迎えしたときに智忠親王が造られたとされていますが、その後、失われ、再建されたということです。




 門を入って、御幸道(みゆきみち)を通り、外腰掛けを過ぎ石の橋を渡ると、突然、視界が開けて、サプライズのように見事な庭が見えました。

 下の写真を見ると、その時の印象がよみがえってきます。右下に見える灯篭は、岬灯篭と呼ばれ、あたり一体を引き締める「要」になっているそうです。



 「松琴亭」(しょうきんてい)という茶室の襖は青と白の市松模様、現代的で斬新なデザインであまりにも有名ですが、この模様をまねたというわたしの叔父の家の襖を思いだしてしまいました。




 「笑意軒」(しょういけん)からは、障子を開けると、田圃が見えるようになっていて、夏には心地よい風が入ってくるということです。



 
 この「笑意軒」の前の石畳の石の色があまりにも美しいので写してみたのですが、こんな色でした。




 最後に簡素でしかも優美な佇まいのあの古書院などが連なる書院群を見ました。
 写真で見慣れている風景でしたが、より簡素で美しかったです。

 この高床式のデザインの謎は、桂川の氾濫を予想してということです。




 智仁親王と、智忠親王は、35年の歳月をかけ、この洗練された桂離宮を造られたのですが、お二人のご趣味のよさは、やはりかなりの教養人だったのでしょう・・・。

 ブルーノ・タウトさんが、「泣きたくなるほど美しい印象だ・・・」と、おっしゃった意味が理解できたように思いました。



 
 

 













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