2016年1月15日金曜日

読書・「プルーストを求めて」アンドレ・モーロア 井上究一郎・平井啓之訳 筑摩叢書



 知人からオータムポエムをいただきました。この野菜は、中国野菜を、品種改良したものだそうですが、マスタードの入っていた小瓶にさしておきましたら、そこだけ春が来たようでした。




 昨年の暮れに目白台の古本屋さんで、見つけた本アンドレ・モーロア著の「プルーストを求めて」をようやく読み終えました。

 初版は1972年で、あの「失われた時を求めて」の全訳をなさった井上究一郎さんと、平井啓之さんの共訳でした。

 こんなわたしにとってはすばらしい本が何と400円とは、うれしいサプライズでした。




 失われた時を求めてを書いたプルーストの伝記ですが、プルーストがどのようにして、文学という芸術を極めたかが書かれていて見事です。

 プルーストの幼少の頃のコンブレでの体験、そして青年期・大人になってからの社交界での体験、それらを普遍的な言葉という芸術に定着させたのは彼の晩年の数年だったのです。

 病身にもかかわらず、コルク張りの部屋で、昼夜を逆にして書き続けた生活は、彼のいのちを蝕みその姿は、まるで苦行僧のようだったとか。





 「失われた時を求めて」の最初の巻は、わたしの好きなコンブレでの幼少のころの話しが書いてあります。そこでの幸せな読書、散歩のときに見た、キンポーゲやリラ、さんざしなどの花々、薔薇色の雲、などをみて歓喜した幸せな幼年時代などなど・・・・

 プルーストは、そういう話しに息を吹き込み、文学という芸術にしてわたしたちに残してくれたのですが、その秘密は、彼の並外れた感受性だったのかもしれません。

 プルーストの「失われた時を求めて」をより深く読みたい読者には、最適の伝記だと思いました。

 この本は、プルーストファンのわたしにとって、大事な一冊になりました。


 

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