2024年2月27日火曜日

いつもの朝ごはん・・・


  きょうは、朝日が昇る前の数分間に、バラ色やオレンジ、うすむらさきなど朝焼けに染まったすてきな雲を見ることができました・・。

  



 いつものお気に入りの朝食です。




 *有機全粒ライ麦パンにエクストラバージンオリーブオイル をかける。

 *成分無調整豆乳入り紅茶

 *ブロッコリーと、半熟ゆでたまご

 *りんごとバナナ入り豆乳ヨーグルト

          (ココアパウダー・きな粉 ・すりごま・シナモンパウダー入り)



 

 フランス人の美食家のブリア・サヴァランが、たしかこんなことを言っていたような気がします。

「どんなものを食べているか言ってみて・・。どんな人であるか言い当ててみるから。」

 こんなことを言われたら、困ってしまうのですが、たしかに食べるものは大事だということかもしれませんね・・。

 健康的でおいしいものを、楽しく食べたいというのが、最近のわたしのモットーです。

 

  

  

2024年2月20日火曜日

2024年のひな飾りと、ヘルシーなプチケーキ・・・


 昨日は「雨水」で、あたたかい雨の一日でしたが、きょうも、散歩をしていると、コートなしでも汗ばむほどの、あたたかさでした。

 今年の我が家のひな飾りです。左からつるし雛、うさぎのお雛さま、日本人形、そして小さなお雛さまなどで、日本人形以外は全部わたしの手作りです。





 きょうは、お雛さまを見ながらコーヒータイムをしたのですが、おやつにはこんなものを作ってみました。



 プチケーキのように見えますが、実は蒸したさつまいもを切って、ココアパウダーをまぶしたものです。

 上に苺をのせるとかわいらしいプチケーキになりました。

 こちらは、ブルーベリーをトッピングしたものですが、おひなさまには、苺のほうがかわいくてぴったりかもしれませんね。




 さつまいもと、ココアパウダーと苺やブルーベリーなので、とてもヘルシーで味もおいしく、いっしょにお茶をした方にも好評でした!

  





 





2024年2月14日水曜日

読書・「星の王子さま」再び・・・

 

  2月10日は、冬晴れであたたかく、散歩日和の日でした。那珂川河畔公園では「マンサク」がもう咲いていて、黄色いリボンのようなはなびらが春を告げているようでした。



  先日、NHK・BS世界のドキュメンタリーで、「星の王子さまの誕生」を見ました。

 サン=テグジュベリは、第二次世界大戦中、フランスがドイツと講和するとアメリカに亡命したのですが、すでに高名な作家だった彼は、ニューヨークで、編集者たちに本を書くようにと勧められたようです。

 その本とは童話で、彼自身のイラストも入り、彼が不時着したことのある砂漠での経験や思索から「星の王子さま」が生まれたのでした。



「星の王子さま」の作者のサン=テグジュペリは、「夜間飛行」や「人間の大地」も書いており、その2冊も大好きな本ですが、わたしにとってはなぜか「星の王子さま」は、特別の本に感じられます。

 ドキュメンタリーを見たのをきっかけに、また読んでみました。

 王子さまの星に咲いているたった1本のばらは、だいじな愛する人であり、砂漠に住むキツネとの出会いは、絆を結ぶことの大事さ、

 そして、いちばん大切なことは、目にみえないという深い思索は、彼のこころの声で、いちばん言いたかったことなのだというのが、今回もまたひしひしと伝わってきました。



 君は君のばらに責任があり、ぼくはぼくのばらに責任がある・・これもいろいろな意味に受け取れる言葉です。

 サン=テグジュペリの友人はこのばらについて、「トニオ(サン=テグジュペリ)はフランスというばら、自由というばらを守ろうとしたのだ・・」と言っていたのが、印象的でした・・。



 1943年の4月6日に「星の王子さま」は出版されるのですが、その直前にサン=テグジュペリは、空軍に入り、翌年の1944年7月31日に偵察飛行にでかけたまま、行方不明になってしまったのです・・・・・。

 やはり、テグジュペリは、友人が言ったように、フランスというばら、自由というばらを守りたかったのかもしれません。

 王子さまの星に咲いているたった1本のばらを、特別な存在として大事に思っている王子さまの心情には、いつも共感してしまいます。

 読む人の思索がどこまでも広がっていくような「星の王子さま」は、やはり名作なのだと実感した読書でした・・。

 



 



2024年1月30日火曜日

1月の風物詩・・・ヤママユとまゆ玉・・

 

 この季節に散歩をしていると、ヤママユが、ヤマツツジの枝などに下がっているのを見つけることがあります。これは昨年の12月ころの写真ですが、まだかすかにきみどり色が残っています。



 ヤママユは日本在来の「ヤママユガ」が作るまゆで、このヤママユから絹糸が作れるとのこと。

  1月に入りますと、次第にこんな感じになってきます。



 きょうのヤママユです。



 大分、まゆらしくなってきました。まわりの糸をより集めて、絹糸にするというのがよくわかります。このまゆから作る絹糸は、カイコの絹糸よりも光沢があってさらにやわらかく最高級のものができるということです。

 養蚕の歴史を調べてみるととても古く、起源は中国で、日本へは弥生時代に入り、7~8世紀に日本各地に広まったとか。明治から昭和初期にかけて、生糸の輸出産業が盛んになったということですので、養蚕は大事なものだったようです。

 養蚕農家のカイコとは違いヤママユは、日本在来のものですので貴重な存在なのですね。

 1月15日は、小正月でしたが、以前には養蚕農家では、まゆ玉を飾ったとか。地方によっては名前や飾りもいろいろ違うようですが、絹糸を大事に作っていたころの美しい風習のように感じます。

 うちでも小正月のころは、手作りの「まゆ玉」をいつも飾るのですが、今年はこんな風でした。






 小正月のインテリアとして、毎年、楽しんでいるのですが、残したい風物詩のような気がします。




 

読書・「霧のむこうに住みたい」須賀敦子著 河出書房新社

 

 昨年の暮れに見つけた貴重なノササゲの実です。よく見るとさやからはみ出た実が健気についているのですが、さやの部分にかすかに残っているむらさきの色がすてきです!

   


 先日、須賀敦子全集の8巻の年譜を読んでいましたら、須賀さんが亡くなられる少しまえ、「いままで自分の書いたなかで「霧のむこうに住みたい」がいちばん好きな気がする」と言われたと書いてあるのをみつけ、早速読み直してみました。

 手持ちの本は2003年初版の河出書房新社の単行本ですが、未収録だったエッセイを中心にまとめた一冊で最後の作品集とのことです。

 今回再読して、わたしがこころに残ったエッセイは、二つあったのですが、一つは、ナタリア・ギンスブルグとの出会いのことを書いたエッセイ「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」でした。

 須賀さんが、作家の須賀敦子さんになられたすべてのはじまりは、このナタリア・ギンスブルグが書いた本「ある家族の会話」との出会いからで、その本を須賀さんに手渡してくださったのは、パートナーのペッピーノさんだったのです。

 須賀さんは、ナタリア・ギンスブルグの自伝的なこの本のことを、家族のことを書く手法も、文も自然体で見事だと感服なさり、日本語に翻訳してみたいと思われたとのこと。

 わたしも以前に、須賀さん翻訳の「ある家族の会話」を読んだのですが、内容が興味深くおもしろかったのはもちろんですが、何よりも須賀さんの翻訳もすばらしいと感じたのを思い出しました。

 須賀さんが二度目にナタリア・ギンズブルグの家を訪問なさったときに印象に残ったのは、居間にいた巨大な猫の「ココロ」で、名前の由来は、この猫の最初の持ち主のモランティという人が、漱石の小説の「こころ」が気に入りつけた名前だったというのも、好きなエピソードでした。 




 
 心に残った二つ目のエッセイは、タイトルにもなっている「霧のむこうに住みたい」で、ペルージャで過ごされた夏のできごとが書かれていました。
 須賀さんが大学の仲間と、マイクロ・バスでノルチャというところに行かれたとき、途中下車して寄ったさびしい峠にある石造りのバーで、羊飼いの寡黙な男たちがワインを飲んでいたのを見られたのだとか・・。

 こまかい雨が吹き付ける峠からバスにもどるとき、石造りの小屋が霧の中にぽつんとたたずんでいたのをご覧になり、ご自分が死んだときにこんな景色のなかにひとりで立っていて、誰かが迎えにきてくれるのを待っているような気がしたのだとのこと・・。

 須賀さんは、その旅の途中に立ち寄っただけの霧の流れる峠が忘れられないと書かれているのですが、読んでいるわたしにも目に浮かぶようなさびしい光景でした・・。

 須賀さんにとってのそんな霧の風景は、彼女のイタリアでの生活のすべての原点だったミラノの霧にも通じるものがあったからなのではと、わたしには思えたのですが・・。


 






 

 

   

2024年1月6日土曜日

読書・「もう一度読みたい宮沢賢治」 宝島社

 

  

 昨年末には、こんな感じだった散歩道の雪も、元日にはすっかりとけてしまいあたたかく穏やかな2024年の新年を迎えることができました。

 わたしが好きな散歩道の風景ですが、やはり冬がいちばん好きです。そこにはいつもコナラやヤマツツジの雑木林があり、水色の空に浮かぶ真っ白の雲はゆるやかに流れ、透き通った凛とした冷たい風がいつも吹いています。



 昨年末から新年にかけて、「宮沢賢治」を久しぶりに読み返していました。ブラックユーモアのある彼の童話も好きですが、賢治の詩は、子供のころから好きで、特に、妹とし子との永遠の別れをうたった「永訣の朝」は、いまでもむかし感じたように、読み返すたびに、いつも胸がきゅんとしてしまいます。

 宝島社の「もう一度読みたい宮沢賢治」の中の「永訣の朝」を引用してみます。



・-・-・-・-・-・

 永訣の朝

   

   けふのうちに

   とおくへいってしまふわたくしのいもうとよ

   みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   うすあかくいっそう陰惨(いんざん)な雲から

   みぞれはびちょびちょふってくる

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた

   これらふたつのかけた陶椀に

   おまへがたべるあめゆきをとらうとして

   わたくしはまがったてっぽうだまのやうに

   このくらいみぞれのなかに飛びだした

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から

   みぞれはびちょびちょ沈んでくる

   ああとし子

   死ぬといふいまごろになって

   わたくしをいっしゃうあかるくするために

   こんなさっぱりした雪のひとわんを

   おまへはわたくしにたのんだのだ

   ありがたうわたしのけなげないもうとよ

   わたくしもまっすぐにすすんでいくから

      (あめゆじゆとてちてけんじゃ)

   はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

   おまへはわたくしにたのんだのだ

   銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの

   そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・

   ・・・・・ふたきれのみかげせきざいに

   みぞれはさびしくたまってゐる

   わたくしはそのうへにあぶなくたち

   雪と水とのまっしろな二相系(にさうけい)をたもち

   すきとほるつめたい雫(しずく)にみちた

   このつややかな松のえだから

   わたくしのやさしいいもうとの

   さいごのたべものをもらっていこう

   わたくしたちがいっしょにそだってきたあひだ

   みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも

   もうけふおまへはわかれてしまふ

   (Ora Orade shitori egumo)

   ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ  

   あぁあのとざされた病室の

   くらいびゃうぶやかやのなかに

   やさしくあをじろく燃えてゐる

   わたくしのけなげないもうとよ

   この雪はどこをえらばうにも

   あんまりどこもまっしろなのだ

   あんなおそろしいみだれたそらから

   このうつくしい雪がきたのだ

      (うまれでくるたて

       こんどはこたにわりゃのごとばかりで

       くるしまなあよにうまれてくる)

   おまへがたべるこのふたわんのゆきに

   わたくしはいまこころからいのる

   どうかこれが天上のアイスクリームになって

   おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

   わたくしのすべてのさいわひをかけてねがふ

   ・-・-・-・-・-・  引用 329p~331p



  この詩をはじめて読んだのは、いつの頃だったのでしょうか・・。涙が出てしまったのを思い出します。それ以来、いままでに何度読んだことでしょう。そしていまでも読むたびに胸がきゅんとしてしまいます。

 この詩には、賢治のとし子さんに対する愛がぎゅっと詰まっていて、彼の詩人としての才能を、読むたびに感じます。

 賢治の方言を入れた独時の言葉遣いのほかにも、自分のことをいつも「わたし」ではなく「わたくし」ということ。

 雪のひとわんを入れる茶碗には青いじゅんさいのもようがついていたこと。

 雪をとった松の葉の香りのことを、たしか別の詩の「松の針」では、さわやかな「ターペンタイン」の匂いと言っていることなどは、読み直すたびに、いつも思い出すことです。

 そして、妹のとし子のことを、けなげな妹、やさしい妹と、たたえているのですが、何よりもそのけなげでやさしい証明として、死の間際に賢治の一生をあかるくするために、雪のひとわんを願ったと詠っているのです。

 その「あめゆじゆとてちてけんじや」という言葉を、賢治は詩のなかで4回も繰り返しています。


          ウサギの足跡・・


 とし子は、岩手の花巻から東京の「日本女子大学」に行き、故郷にもどってからは、女学校の教師として働いていました。当時としは、とても優秀で宮沢家の自慢の娘であり、賢治にとっては、信仰まで同じだった唯一無二の存在で、かけがえのないやさしい妹だったのだと思います・・・。

 この本は、いつも再読するたびに、宮沢賢治と彼の作り上げた独時の世界を思い出すことができるなつかしい一冊になっています・・・。




追記

・-・-・-・-・-・

 今回宝島社の「永訣の朝」を読んで気がついたのですが、手持ちの角川文庫の「宮沢賢治詩集」中村稔編とでは、少し相違点があるのを見つけました。

 宝島社の詩では「天上のアイスクルーム」と書かれているところが、「宮沢賢治詩集中村稔編」角川文庫では、「兜率の天の食」と、なっていました。

 北海道大学のある論文によれば、賢治は最初、「天上のアイスクリーム」としたのですが、後に作品の完成度をねらって、「兜率の天の食」に変更したとのことです。

 宝島社の「永訣の朝」は、「天上のアイスクリーム」になっているのですが、この論文によれば、テキストとしてはこちらの方が、わかりやすくて良いのではということでした。

 詩は、言葉がいのちですが、わたしも賢治が最初に書いたという「天上のアイスクリーム」のほうが好きです・・。

・-・-・-・-・-・


 


 

           



2023年12月13日水曜日

読書・「神々の指紋」ギリシャ神話逍遥 多田智満子著 平凡社 

 

 12月に入り、我が家の恒例のクリスマス飾りをしました。この季節は、空気が冷たく澄んでいて、朝焼けと夕焼けがとてもきれいになります。ささやかな飾り付けが終わったあと、きょうもうすいオレンジ色の空にバラ色の雲が浮かんでいる夕景にしばらく見惚れていました。



 多田智満子さんの書かれた「神々の指紋」を読みました。多田さんのお名前はユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」のすばらしい翻訳をなさった方ということで知っていたのですが、彼女自身の著作にも興味を持ち読んでみたのでした。

  この本は、「Ⅰ神々の指紋」と、「Ⅱ旅のメモから」、そして「Ⅲ神話散策」の3部で構成されていて、詩人である多田さんの詩も6つちりばめられています。

 多田さんは十代の半ばころからプルタコスやプラトンを読み始められ、ギリシャ・ローマの古典時代や神話の世界に魅せられるようになり、神話の世界を訪ね歩くのが大きな楽しみになられたということです。



 ヘレニストでもある多田さんが、長年の憧れであったギリシャを訪問なさったときのエッセイ「アルカディアの春に」は、多田さんの興奮がこちらにまで伝わってくるようでおもしろく読みました。

 アルカディアのことを多田さんはこんな風に書かれています。

 「ギリシャの田舎のおだやかな谷あいの山地にあり、オリーブの樹々が銀緑色にきらめき、アーモンドの花が咲く桃源の里で、夢を見ているように感じられた。」

  わたしにとってのアルカディアは、牧歌的な理想郷として想像するだけだったのですが、実際の場所もそういうところなのだと知り、なぜかうれしくなりました。

 多田さんの、アルカディアの詩です。

 ・-・-・-・-・-・

「アルカディアの春」

                 多田智満子

すももだろうか あんずだろうか

花ざかりの果樹の林が

丘の斜面にうすももいろの雲をうかべ

人はみな行方不明


草の上にたくさんの鉢の巣箱が

金いろのまぶしい唸りをとじこめて

この村の名はメリガラス

そう 蜜と乳の村


ゆたかにたくわえるための

(あるいは人を葬るための)

大甕の多い村


いつからか わたしの貌をした人は

澄んだ油に浸された死体のように

たっぷりと 午睡していた


目がさめてもまだ日は高く

大甕はたぶん不死の神々のために

蜂蜜からふつふつとネクタルをかもしている


永遠にむかって

ゆるやかに傾斜したひるさがり

牡牛たちはあの世からこの世へと

啼きながら伝説の川を渡ってくる

・-・-・-・-・-・       引用137p~139p

  


 アルカディアの牧歌的な風景が目に浮かぶようで、好きな詩です。

   多田さんは、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」に出てくる皇帝ハドリアヌスは最大のヘレニストだったのではと、いわれています。彼はギリシャ語を話し、ラテン語やギリシャ語でも詩を書き、「さまよえる、いとおしき、小さな魂」ではじまる辞世の詩は、有名とのこと。

 そして彼のヘレニズム的最大の傑作は、溺愛した美少年アンティノウスであり、熱烈なヘレニストにとっては、完璧な美は神そのものでもあるとも・・。

 多田智満子さんは、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」のすばらしい翻訳家として、やはり想像していたように、古代のローマやギリシャを愛するヘレニストで、詩人でもあるという下地があった方なのだと実感した読書でした。