2021年9月24日金曜日

読書・世界中でもっとも美しい本 アランの「幸福論」神谷幹夫訳・岩波文庫



 「ツリガネニンジン」があちこちで、咲いています。風に揺れている姿は、まるで妖精が鳴らすかわいいベルのようです。




  アランの「幸福論」神谷幹夫訳を、読みました。
 「これは、わたしの判断では、世界中でもっとも美しい本の一つである。」と、アンドレ・モーロワが言っていたと、解説に書いてあったのですが、わたしもそう思います。

 この本は、ずっと以前に買った本で、わたしの愛読書になっているのですが、ときどき忘れたころに、本箱から取り出して読んでいます



 アランは、40年間リセ(高等中学校)で哲学の教師をしていたそうで、アンドレ・モーロアやシモーヌ・ヴェイユは、教え子とのことですが、アランのような先生に出会えたのは、幸せだったと思います。

 アランが、ルーアンの新聞に毎日プロポ(哲学断章)として、連載していたのが、この本になったとのこと・・。




 わたしが今回の読書で印象に残ったのは、175pの「52 旅行」というプロポでした。
 アランの好きな旅というのは、一度に一メートルか二メートルしか行かないような旅で、立ち止まって、同じものを違う角度から眺めると、すべての景色が一変するので、百キロ行くよりもずっとすばらしいとのこと。

 見る目が深まれば、風景は無尽蔵のよろこびを秘めていると結論しています。





 これと同じようなことを、プルーストも言っていました。「発見の旅とは、新しい景色を探すのではなく、新しい目を持つこと」と、表現していました。

  アランのプロポは、93もあり読むたびに、彼の哲学の思惟が味わえるやはり、美しい本だと思いました。




 




2021年9月18日土曜日

お気に入り・本のしおり

 


 先日、友人から手作りの本の「しおり」を、いただきました。

 こんなキュートな「しおり」です。

 


ひもは、以前に使用なさっていた「刺繍の糸」とのこと。

真っ白のものもいただき、「好きな模様にして」ということなので、手持ちの100円ショップのテープを貼ってこんな模様にしてみました。



本好きのわたしには、とてもうれしいプレゼントでした。

本を開くのが、楽しみ!!!


映画・イザベル・ユペールの「未来よ こんにちは」ミア・ハンセン=ラヴ監督

 


 今年は、瑠璃色の実がなるサワフタギが、たくさん実をつけました。毎日通る散歩道に2本もありますので、出会うのが楽しみです。雨上がりなどは、実がつやつやと光り、まるで宝石のようです。


 

 イザベル・ユペール出演の映画「未来よ こんにちは」を観ました。映画は多分年間に300本ぐらいは観ているのですが、久しぶりに良い映画を観たなあという感じがしました。

 映画を観た後で調べてみましたら、ベルリン国際映画祭銀熊(監督」賞、そしてイザベル・ユペールもニューヨーク映画批評家協会賞とロサンゼルス映画批評家協会賞、この2つの主演女優賞を受賞していました!

 イザベル・ユペールは、50代後半のパリの高校の哲学教師ナタリーの役ですが、教師として、そして夫と二人の独立した子供たちとの日常の生活の様子がいきいきと描かれていて、すてきに年を重ねている姿が、印象的でした。



 高校の哲学の教師といえば、ボーヴォワールもそうだったように、フランスの知的な女性の典型にも思えます。映画の中にも、さまざまな哲学者の名前や哲学書を読むシーンなどが出てきたのですが、わたしにわかったのは、アランの「幸福論」パスカルの「パンセ」そして、ショーペンハウェルの「意志と表象としての世界」ぐらいでした。

 ナタリーの優秀な元教え子の田舎の家への訪問のとき、車中で歌が流れている場面がありました。ナタリーは、「いい曲ね」と教え子にいうのですが、わたしもおしゃれな選曲だと思いました。調べてみましたら、ウディ・ガスリーの「シップインザスカイ」とのこと。そのほかにも、シューベルトの歌曲「水の上で歌う」などが効果的に使われていて、音楽のセンスもいい感じでした。

 日常を教師の仕事や母親の介護などで、忙しく過ごすナタリーの人生に突然起きるのは、25年連れ添ったナタリーの夫に愛人ができたことでの離婚、そして、母親の死などでした。

 それらが過ぎて、一人になったとき、ナタリーは居間のいつもの長椅子にどんと腰をおろし、「これで自由!」とさわやかに宣言するのです。これからの未来を、ナタリーは、いつものように凛として生きていくのだと思いました!



 映画監督は、ミア=ハンセン・ラヴという1981年生まれの40歳の女性ですが、映画の中での花束や、いちご、テーブルの上にいつも置いてある日本の土瓶とちゃわん、そして、大きな存在感のある黒猫などにも、それぞれに彼女のこだわりの視点が、感じられました。

 監督のご両親も、お二人ともに高校の哲学の教師で、ナタリーのモデルは母親とのことです。なにげなく観た映画でしたが、久しぶりに出会えたすてきな映画でした。

 

 

 

 


 

2021年9月10日金曜日

読書・「ジーノの家 イタリア10景」内田洋子著・文春文庫

 

  この本は友人にプレゼントしていただいたもので、内田洋子さんのエッセイを読むのは、初めてでした。内田洋子さんは、1959年生まれでイタリア在住30余年のジャーナリストとのことですが、彼女はどのようにイタリアのエッセイを書かれているのか、興味を持って読みました。



 最初のエッセイは、「黒いミラノ」。

 ミラノの知られざる暗黒街の部分を、ジャーナリストの嗅覚で、読者を物語の中に引き込みながら読ませてしまうのです。わたしはこの部分を読んだ時、アントワープに住んでいたころ、暗黒街とまではいかなかったのですが、閑散とした飾り窓が並ぶ通りを、ドキドキしながら歩いたことを思い出してしまいました。

 ヨーロッパの古い街には、こういう部分もあり、そこにはいろいろな人たちが住む生活があるのですよね・・。内田さんはこの黒いミラノをはじめ、さまざまなイタリアの10景を、そこに住むひとたちのレポートとして、愛情込めて書かれています。



 わたしはずっと須賀敦子さんのファンで、いつも彼女の知的で文学の香りのする本を愛読してきたのですが、内田洋子さんの本は、ジャーナリストの視点からの文で、ストーリーが抜群に面白く、しかも人間味にあふれた彼女の人柄をも感じさせられるようなエッセイでした。

 


 内田さんは、あとがきにこんな風に書いていらっしゃいます。

「名も無い人たちの日常は、どこに紹介されることもない。無数のふつうの生活に、イタリアの魅力がある。」

 わたしも同感でした・・・。 



2021年8月28日土曜日

須賀敦子さんの「どんぐりのたわごと」

 

 久しぶりに須賀敦子さんの本を読みました。「須賀敦子全集第7巻」河出文庫の中の「どんぐりのたわごと」と、「日記」です。「どんぐりのたわごと」は、須賀さんがローマ留学時代に、日本の友人に送るために書いたミニコニ誌ですが、自分たちのことをどんぐりにたとえていらっしゃいます。


  その記念すべき第一号に、須賀さんは「どんぐり」について、こんな風に書かれていますので、17pから引用してみます。

「つやつやと光っていて、いつもわらっているようなどんぐり。しかもまた何と小さくて威厳のないことか。でも私達は、どんぐりでなければもつことのできない、しずかな、しかもいきいきとした明るさを、よろこびを、みんなのところにもって行けるのではないでしょうか。」            



 ご自分や友人、仲間たちのことをどんぐりにたとえた須賀さんの感性がすてきです。

 第8号には、不毛の山岳地帯にどんぐりを育てて木を植え続けた男性のエピソードが「希望をうえて幸福をそだてた男」という題で載せられています。

 この話のような文献の母体は、あのコルシア・ディ・セルヴイ誌からのものが大半で須賀さんが翻訳して「どんぐりのたわごと」に載せていらっしゃるとのこと。このコルシア・ディ・セルヴイ誌は、須賀さんが結婚なさったペッピーノ・リッカさんやほかの仲間たちで作られていたようです。後に須賀さんは、「コルシア書店の仲間たち」という本で、この仲間たちについて書かれています。


        


  本の後半には、須賀さんの日記も収録されています。パートナーであるペッピーノさんが突然亡くなられてから4年後に、日本に戻られるまでの間の日記で、大学ノートに書かれていたとのこと。

  日記にはペッピーノさんを亡くされた後の須賀さんのミラノでの孤独の日々がつづられているのですが、わたしは4月19日に書かれていた「自由と孤独」についてのところが、印象的で、こころに残りました。479pからの引用です。

 「もう四年になる。この四年、わたしは生きすぎてしまった。あの頃知らなかった「自由」による幸福の時をさえ持ってしまった。もちろん、自由と孤独とは、壁一重のとなりあわせである。孤独を生きることをおぼえたところから自由がはじまるのかもしれない。」




  「孤独」の中で、「自由」のしあわせを知った須賀さんは、書くことに目覚め、あの「須賀敦子さん」になられたのですね。 

 「どんぐりのたわごと」と「日記」は、須賀さんのこころの軌跡なのかもしれません・・・・。

    




    


2021年8月22日日曜日

読書・「ジヴェルニーの食卓」原田マハ著・集英社文庫

 

 「ジヴェルニーの食卓」という題名に惹かれて読んだ本です。この題名は以前に、ジヴェルニーにあるモネの家を訪ねたときのことを、思いださせてくれました。モネの庭は、想像していたよりもずっと広く、あの「水連」の咲く池や、藤の花が欄干にからまって咲く日本風の橋も絵のとおりでしたが、でも何よりも庭に咲く花の種類が多く、しかも見事に鮮やかな色彩にあふれていたのが、忘れられません。わたしが訪ねたときには、庭好きの英国からの団体のビジターがいらしていて、庭の花に感嘆の声をあげていました。




 モネの家の緑やピンク色に縁どられた窓も画家の家を思わせてすてきでしたが、テーブルや椅子まで黄色で統一されたダイニングルームも個性的で印象に強く残っています。壁の一部には日本の浮世絵が飾られていたのもよく覚えています。




 このしあわせそうな大きな食卓、ここでモネと家族はどんな人生の時を過ごしたのか、興味を持って読みました。

 この短編の主人公ブランシュは、モネが2度目の結婚をしたアリスの連れ子です。6人の子供がいるアリスがなぜ、2人の子供のいるモネと再婚したのかそのいきさつも書かれていました。後にブランシュは、モネの最初の結婚で生まれた長男と結婚するのですが、長男が亡くなった後、ジヴェルニーに戻り、モネといっしょに暮らすようになります。

 この大きな黄色の食卓は、お料理上手だったというアリスの作ったおいしい料理を、大勢の家族でにぎやかに食べた幸せな時間を思わせますが、小説の最初にこんなモネの言葉が書かれていました。

 「私は有頂天だ。ジヴェルニーは、わたしにとって、輝くばかりにうつくしい国だ。」

 絵も認められるようになり、趣味は庭作り、経済的にも安定したジヴェルニーでのモネのしあわせな生活が偲ばれる言葉だと思いました。最初は再婚同士の大家族で、2度目の妻のアリスが亡くなった後は、義理の娘ブランシュとの晩年の穏やかな生活、それらはみなこの食卓を囲んでのものだったようです。

                    

 

 モネが好きだったという朝食のオムレツや、デザートのピスタチオで作った鮮やかな緑色のケーキ、「ガトー・ヴェール・ヴェール」などが出てくるのですが、おいしそうでした。 

 この本には、ほかにもマティスやピカソ、ドガ、セザンヌなど興味ある画家たちのことが書かれている短編も載っているのですが、南仏に住んだマティスのエピソードもおもしろかったです。




※上の写真の黄色の部屋の食卓の写真は、ジヴェルニーのモネの家を訪ねたときに購入したこの本からのものです。↓


※最初の写真は、うちの庭に咲いていた「ボルトニア」です。



2021年8月14日土曜日

読書・「制作」エミール・ゾラ著・清水正和訳・岩波文庫



 エミール・ゾラの「制作」上下2冊を読みました。この本は、長年本箱にあって積読状態だったのですが、この夏の思い出に読んでみました。




 「制作」は、ゾラの幼馴染みのセザンヌをモデルにして、ゾラ自身も出てくる芸術家の苦悩を描いた作品です。読み終えてみると、思いがけない発見が2つもありました。

 それは、高村光太郎がこの本を1910年に冒頭部分を翻訳したことがあり、題名を「制作」と訳したということでした。わたしは以前に彼の詩が好きでよく読んでいたのですが、このことは知りませんでした。

 

        


 また、もうひとつは、絵の色彩についてです。この「制作」の主人公のモデルと思われるセザンヌが、作品の中でポプラの木の色を、コバルトブルーに描いていたのですが、その絵を見た妻に、なぜ緑ではないのかと問われ、よく観察すれば光の具合で、コバルトブルーにも見えると答えている場面がありました。

 それを読んだ時、わたしはすぐに高村光太郎の評論「緑の太陽」を思い出しました。光太郎は、太陽を緑に描く人がいても、否定しないと書いていたからです。

 光太郎の年譜で調べてみると「緑色の太陽」という評論を1910年の4月にスバルに掲載したと書いてありました。高村光太郎が「制作」を少し翻訳したとされる年も1910年ですので、もしかしたらこの作品の中のポプラの木のコバルトブルーという色彩感覚に影響を受けていたのかもしれないと思いました。



 セザンヌの絵は、パリのオルセー美術館で2度、観ています。オルセー美術館で買った日本語の本の「オルセー美術館案内」を開いてみると、セザンヌのところに、ゾラのこの小説「制作」について書いてあるのを見つけました。セザンヌはこの作品に出てくる主人公のクロード・ランティエのモデルは自分だと考えて、同じエクサンプロヴァンス出身で幼少の頃に知り合った友人のゾラと絶交してしまったということでした。

 セザンヌの画家としての芸術家の苦悩を、自らの自死という形で書いたゾラですが、彼自身も苦悩を持ったひとりの芸術家だったのだと思います。