2018年3月27日火曜日

万葉集の花・アセビ




 アセビが、咲き始めました。
 この花を見ると、いつも万葉集に出てくる歌を思い出します。





 それは、大来皇女(おおくのひめみこ)のこんな歌です。

磯の上に生(お)ふる馬酔木(アシビ)を手折らめど
         見すべき君がありと言はなくに
                       大来皇女(巻二 一六六)

 これは、大来皇女が、政権争いの犠牲になった亡き弟の大津皇子をしのんで作ったもので、馬酔木の花をいっしょに愛でたいと思っても、もうあなたはいない・・という哀しい歌です。
 




 
 万葉集を研究なさっている大西進さんによれば、万葉のころの人々は、白くて小さい花が好きだったということです。

 ですので、このアセビなどは、好みにぴったりの花だったのでしょうね。実は わたしも若いころは白い花・小さな花が大好きでしたので、花の好みは万葉人と同じだったのかもしれないと苦笑してしまいました。

 そしてさらに、この白くて小さいという好みは万葉の初期のころのことで、末期になると、紫色系統に変わっていくというところでも、思わずにやりでした。最近はすみれなども好きだからです。



  アセビの花の蜜を吸いに、目が覚めるようなブルーの蝶が来ていました。うちの近くに自生のアセビの古木がたくさんある場所があるのですが、その古木にとまっていました。







2018年3月26日月曜日

春の妖精・キクザキイチゲ



 ここ数日、あたたかい天気が続いています。
 きょうの散歩のときに、公園の林の中で、ウグイスの初鳴きを聞きました。
 まだ、「ホーホケ」だけで微笑ましい鳴き声でしたが、うれしい春の音色でした。
 我が家の庭の片隅にも、春の妖精が舞い降りてきました。


  

 うすむらさきのキクザキイチゲです。
 開き始めのときに、雪が降ったので花びらが少し痛んでいるのですが、それでも健気に
咲いてくれました。





 春になると、いつも庭の片隅に目を凝らして妖精が出てくるのを楽しみに待つのですが、今年もようやく咲いてくれました。
 ありがとう!!!



白も1輪だけですが、ヤマツツジの根元に「見て、見て」といっているように、咲いていました。命を謳歌しているかわいい妖精たちです・・・。
 






2018年3月22日木曜日

いつもの定番ですが・・





 久しぶりにあの定番の景色が見たくなり、少しだけ足をのばして長い散歩をしてきました。
 わたしが、お月見広場と名付けているところですが、昨日の雪はすっかりとけていました。




 いつもこの景色を見ると、心が晴れ晴れとしてきます。
 前方の山並みは、八溝山系で、左手は牧草地です。
 水色の空に浮かんでいる雲が、まるで風景画の世界のようですてきでした。
 


 

 






2018年3月21日水曜日

春の淡雪!!!




 きょうは、3月21日、春分の日ですが、昼過ぎから雪になりました。



 いつものふわふわのパウダースノーではなく、少し水分の多い雪でした。




 散歩に出てみると、いつものわたしの撮影スポットの景色はこんなふうになっていました。


せっかく、花の咲き始めたフキノトウも、姿をかくしていましたので、手で雪を払ってみますと、こんな感じでした。




 春の雪は、やさしい淡雪なので、気温が上がればすぐに溶けてしまうと思います。



  春の雪の中で咲くフキノトウは、あえやかで愛おしくさえ感じられました・・・。




2018年3月20日火曜日

マンサクが満開です。




 昨年は3月17日に、ようやく5,6輪咲いたマンサクの花ですが、今年の開花は早いようです。19日に見たときには、もう満開でした。





 この時期の天気は、例年、あたたかい日もあれば、真冬のような日もあるので、植物たちには試練の日々かもしれません。

 まんさくや 小雪となりし 朝の雨
                    水原秋桜子

 という水原秋桜子の俳句があるのですが、さすがにマンサクが咲くこの季節のことを巧みに作品にしているなあと、感心します。





 きょうは、あたたかく雨だったのですが、明日は雪になるかもという予報が出ています。





春の妖精ではないのですが・・




 きょうの散歩のときに、突然、セリバオウレンが白い小さな星屑のように、いっぱい咲いているのを見つけ、うれしくなりました!!!
 まるで、妖精みたいですよね。



1センチもないようなとても小さなかわいい花なのですが、この花は、残念ですが、春の妖精(スプリング・エフェメラル)ではありません。
  
 普通、春の妖精(スプリング・エフェメラル)と呼ばれている花は、夏になると、花も葉も地中に根を残しただけで全部、消えてしまいます。



 
 この花は、一年中葉が残っています。
 セリバオウレンという名前のように、葉はセリに似ています。



 春の妖精(スプリング・エフェメラル)ではないのですが、わたしにとってはまるで
妖精のように見えるすてきな花でした!!!




2018年3月16日金曜日

若菜摘み・・・




 
  散歩のときに、枯葉の中にハコベが顔を出しているのを見つけました。



 ハコベは小さなかわいい白い花を咲かせるので、好きな花です。
 よく見ると花弁がいっぱいあるように見えるのですが、実は花弁は5個で2深裂しているようです。

 ハコベは、春の七草にも入っていますので、昔から食用にもされていたようですね。
 光孝天皇が親王の頃に、若菜を摘みに行かれたというこんな歌が、古今集や百人一首にも出ています。


きみがため春の野にいでてわかなつむ我が衣手(ころもで)に 雪はふりつ          
                        光孝天皇
 
 どなたかに贈るため若菜を摘みに行かれたという親王のやさしい人柄がしのばれるような歌だと思います。




 ハコベは、写真を大きくしてみましたら、花柄と萼片に腺毛がありましたので「ウシハコベ」でした。




雲巌寺の朱い橋





 栃木県大田原市黒羽にある雲巌寺を、訪ねてきました。最近はここで吉永小百合さんのJR東日本のコマーシャルポスターの撮影が行われたこともあり、人気スポットにもなっているようです。
 


 
 入口のこの朱塗りのあでやかな橋が、簡素な禅寺とは対称的でおもしろく感じられました。
 芭蕉も奥の細道でここを訪ねていて、俳句も残しています。




 啄木も庵(いお)は破らず夏木立
                 芭蕉

という句ですが、芭蕉は彼の禅の師である仏頂和尚の庵の跡を見て、キツツキも和尚には敬意をはらって庵はつつかなかったと、詠っています。


 境内にフクジュソウが春のあたたかい陽をあびて、いっぱい咲いていました。




 
 この雲巌寺から、さらに奥に入ったところには、自生しているフクジュソウの群生地があり見にいったこともあるのですが、この辺りは芭蕉のころからの自然がまだまだ残っているように感じました。



2018年3月10日土曜日

東京散歩・粋な神楽坂・・



 先日、神楽坂を、散歩してきました。
    神楽坂は、わたしにとってはとても馴染みのある街で、以前には毎日のように歩いた懐かしいところです。
 
 


 実は、神楽坂も日本ユネスコの未来遺産に指定されていて、指定は、2009年の第一回目で、[神楽坂をますます粋に~「粋益(いきまし)」プロジェクト]というものだったようです。




 「粋」の伝統を生かしてまち作りをするという趣旨のようですが、粋といえば、日本髪で着物姿の芸者さんを、一度だけ神楽坂のまちで見たことがありました。

 芸者さんのあのようなお姿は、まさに「粋」そのものだと思います。そこだけスポットライトをあびたように、輝いてみえました。




 「神楽坂をどり」というポスターが貼られていたのですが、花柳界はまだまだ健在のようです。
 神楽坂には、坂や細い路地や階段や石畳が多いのですが、こんな階段もありました。




 神楽坂には、フレンチレストランも多いのですが、なつかしいお店もまだそのままにありました。





 ♪神楽坂 道行く人の 残り香か ほのかにゆれる PARISの香り  
                                  あみ

 最近は香水をつける人もあまりいなくなりましたが、わたしがむかし好きで使っていた香水はイヴ・サン・ローランの「PARIS」でした。

 






2018年3月6日火曜日

東京散歩・未来遺産の雑司ヶ谷界隈・・



 ショッキングピンクのカラフルな電車は、都電荒川線を走る、まるでおもちゃのような、かわいい都電です。


都電荒川線の「鬼子母神前」駅で下りますと、けやきの並木のある鬼子母神参道があります。


その参道ケヤキ並木の中ほどに、あの手塚治虫さんが暮らしていらしたアパート「並木
ハウス」があります。




この並木ハウスで、手塚治虫さんは、あの「鉄腕アトム」を、誕生させたとのことです。



  並木ハウスを過ぎると、「雑司ヶ谷案内処」があり、いつもかかりのおじさま、おばさまが雑司ヶ谷界隈の案内をしてくださっています。


 ケヤキ並木の参道が左に折れたところに、雑司ヶ谷鬼子母神堂があります。ここの鬼子母神のご尊像は、室町時代の1561年に、現在の文京区目白台のあたりで掘り出されたということです。
 


 この鬼子母神境内には、駄菓子屋さんの上川口屋さんがあり、いまでもなつかしい駄菓子が売られています。江戸時代の鬼子母神参詣土産は、風車、麦わら細工の角兵衛獅子、そして川口屋の飴だったとか・・。レトロな雰囲気が人気で、韓国の雑誌にも紹介されたということです。



 写真を撮らせていただいたのでお店の方にお辞儀をしましたら、会釈を返してくださいました。

 また、鬼子母神境内には、こんな大銀杏の木があり、秋のころに来たときには、黄色の葉が夕陽に映えていたのを思い出しました。


雑司ヶ谷のまちの歴史と文化を100年後の子供たちに伝えていこうと、いまいろいろな取り組み(すすきみみずく保存会・御会式連合会・七福神の会・としま案内人雑司ヶ谷・鬼子母神大門欅並木保存会・みどりの小道の会等)が、日本ユネスコ協会連盟「未来遺産」に登録されていると、雑司ヶ谷案内処でいただいたパンフレットに書いてありました。

 雑司ヶ谷は、歩いてみると、興味の尽きないまちのようです。
 帰り道で出会ったにゃんこですが、かわいくて思わずパチリでした。




 

目白庭園の小さな春



 目白庭園は、こじんまりとした日本庭園ですが、閑静な目白の住宅街の中にある好きな場所です。大正7年にこの地で創刊された子供のための文芸雑誌「赤い鳥」にちなんだ名前の付けられた平屋建ての数寄屋造りの家「赤鳥庵」もあります。


 庭園の真ん中には、池があり、大きな鯉と、小さな赤い金魚が群れになって泳いでいました。まるで大きな鯉にまけないようにと、かたまっているかのようで、絵本のスイミーを思い出してしまいました。


 
 赤鳥庵の前庭をよく見てみると、何とフキノトウが芽を出していました。
 今年初めて見たフキノトウでしたが、目白で見ることができるとは、すごいなあと思いました。
 


 しばらくフキノトウに見惚れた後、その横に、うすむらさきの小さな花が咲いているの見つけました。
 名札を見ると、「ユキワリイチゲ」と、書いてありました。



 ユキワリイチゲを見たのは、初めてでしたので、早速、調べてみましたら、この野草は、近畿地方以西の本州、四国、九州にかけて分布しているとのこと、どうりで見たことがなかったわけです。

 さらに調べてみると、ユキワリイチゲは、日本固有種で明治初期の植物学者の伊藤圭介さんの名前が、学名についていることがわかりました。

 学名は、「Anemone keiskeana T. Ito ex Maxim. 」だそうです。

 伊藤圭介さんという日本人の名前が学名についているなんて、すてきですよね。
 目白庭園で見つけた春のサプライズでした!!!

 ユキワリイチゲの花言葉は、「しあわせになる」だそうです。

   帰り道に、こんなかわいらしい看板のあるお店がありました。
 子供のための文芸雑誌「赤い鳥」を創刊なさった鈴木三重吉さんが住んでいらした住居跡とのことでした。


 目白庭園は、春に訪ねたのは初めてでしたが、フキノトウや、ユキワリイチゲなどの
早春の野草が小さな春を告げているかのようでした。

 





 





2018年3月5日月曜日

カフェでお茶を・・・。



 しばらくぶりに、いつものCafeでお茶を飲んできました。


 平日の午後なので、おひとりでランチの後、本を読んでいらっしゃる方や、女性の友人同士でおしゃべりを楽しんでいらっしゃる方など、ゆったりと時間を過ごしていらっしゃる方が多いようでした。


大きな一面ガラスから、通りを歩く人の姿が見え、午後のゆるやかな時がゆっくりと流れていくのが、感じられました。
 


 木々の向こうに見える建物は、東京カテドラルの一部です。
 東京カテドラルは、丹下健三さんの設計ですが、Casa BRUTUS(カーサブルータス)という雑誌で、「死ぬまでに見ておくべき100の建築」の1つに選ばれているようです。



 右の建物が東京カテドラル聖マリア大聖堂ですが、きょうのように雲一つない快晴の日の夕方などに眺めると、とても気分が晴れ晴れとしてくるので、不思議です。


 CafeのTEATIMEもそうですが、居心地の良い場所で時を過ごすことができるのは、幸せなことかもしれませんね。