2022年1月26日水曜日

読書・「人生にはやっぱりいいところがある・・・」高遠弘美訳のプルースト


 わたしのいつもの散歩コースです。お昼少し前の太陽の位置はいつもこのぐらいで、冬晴れの日には、空の色がセルリアンブルーに輝いていてすてきです!



  高遠弘美さん翻訳のプルースト「失われた時を求めて」1第一篇「スワン家のほうへⅠ」を1か月ぐらいかけてゆっくりと読み終えました。この本は2010年の刊行時に購入しておいたのですが、ほぼ同時期に刊行された岩波文庫の吉川一義さんの翻訳を先に読み始め、全巻読了しておりましたので、本箱に入ったままでした。

 わたしにとって、プルーストの個人全訳を読むのは、高遠弘美さんが4度目です。最初は、約30年前のちくま文庫の井上究一郎さん訳から始まり、次の集英社文庫ヘリテージシリーズの鈴木道彦さん訳、そして岩波文庫の吉川一義さん訳では、立教大学での公開セミナー「新訳でプルーストを読破する」にも参加するなど長い読書をしてきました。

 井上究一郎さん訳のプルーストから始まった約30年もの長い間、プルーストの顔がちらついてしまうほどプルーストにひきつけられてきたのはなぜかと考えてみると、それはこの本の最初の1巻を読み終えたときに、いままでの読書とははっきりと違う読書の醍醐味を味わうことができたからだと、素直に思います。




 4度目にもなりますとさすがに、プルーストの世界にも慣れてきて、ああ、そうだったこんな話なんだよねと思いだしながら楽しんで読んでいるのですが、今回の高遠弘美さん訳では、いままでには気づかなかった彼のすてきな翻訳の文を5ページに見つけてうれしくなりました。

 それは主人公の祖父のアメデが、友人の妻の訃報を聞いてかけつけたときの話です。祖父は涙にくれている友人が妻の納棺の現場にいなくともすむようにと庭に散歩に連れ出したのですが、歩き始めたときに、友人はこんなことを言うのでした。それぞれ4人の翻訳で比べてみます。

 高遠弘美さんの翻訳は、

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「ああ、古くからの友達と、こんないい天気のときに散歩できるなんて、最高だね。ほら、あなたも素敵だと思わないかな。どの木も、どの山査子(さんざし)も、それに、あなたは一度も褒めてはくれないけれど、私の池も。おや、あなたは何だか悲しそうに見えるね。このそよ風、わかるよね。誰が何と言ったって、人生にはやっぱりいいところがある。そうだろう、ねえ、アメデ」。

引用「失われた時を求めて」1第一篇「スワン家のほうへⅠ」光文社古典新訳文庫 

高遠弘美訳  50p

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吉川一義さんの訳は、こうです。

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「いやぁ、なんて運がいいんでしょう、こんないい天気に、ごいっしょに散歩できるなんて。きれいじゃないですか、ここの木々は。このサンザシも、それに一度もお褒めにあずかっていませんがこの池も。なんだか、ふさぎ込んでおられますね。お感じになりますか、このそよ風。なんたって人生にはいいことがありますねえ、アメデさん!」

引用「失われた時を求めて」1「スワン家のほうへⅠ」岩波文庫 

吉川一義訳 47p~48p

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鈴木道彦さんの訳はこんな風です。

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「ねえきみ、素敵じゃないか、こんなよい天気の日にいっしょに散歩できるなんて!きれいだとは思わないかね、こういう木や、サンザシや、それからぼくの池を?あんたはまだ一度もこの池をほめてくれたことがないけれども。ばかにしょげてるねえ。どうです、このそよ風は?ねえ、アメデさん、なんてったって、やはり生きていればいいことがありますねえ!」

引用「失われた時を求めて」1第一編「スワン家の方へⅠ」集英社文庫ヘリテージシリーズ

鈴木道彦訳(完訳版)51p

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最後に、井上究一郎さんの翻訳です。

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「やあ!なんともうれしいですね、あなた、こんないいお天気にいっしょに散歩できるなんて!きれいじゃありませんか、みんな、どの木も、どのさんざしも、そして私のつくった池、まだおほめにあずかっていませんが?あなたはなんだかふさぎこんでいますね。どうです、このそよ風は?やあ!なんといったって、やはり生きていることです、いいところがありますよ、ねえ、アメデさん!」

引用「失われた時を求めて」1第一篇「スワン家のほうへ」ちくま文庫

井上究一郎訳25p~26p

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 4人の翻訳者の翻訳を比べてみると、それぞれの方々の個性が出ていて、人生観やお人柄までもが想像できるように感じられ、楽しく読ませていただきました。

 わたしは最初の高遠弘美さんの訳の、「人生にはやっぱりいいところがある・・・」が、何となく一番好きです。

 人は人生の辛いことに直面したときでさえ、その辛さを一瞬忘れてしまうような人生の豊饒さを感じることもできるのだと、プルーストは言っているように思いました。

 高遠弘美さんの訳でのプルースト、これからも楽しく長い読書の時間が、期待できそうです!





 


 

  

 




2022年1月9日日曜日

読書・「ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿」吉田秀和著 中公文庫

 

  昨年末から新年にかけて、今シーズンは例年になく雪が多く、うちのまわりはいまでも真っ白の銀世界が続いています。散歩のときに見つけた枯れ葉は雪に埋もれて、こんな感じになっていました。



 いま、高遠弘美さんの翻訳で、プルースト「失われた時を求めて」1を読んでいるのですが、この本の後ろの読書ガイドに、高遠さんがこんなことを書かれているのを先日見つけました。

 高遠さんは、吉田秀和さんを文筆家として敬愛していらっしゃるとのことですが、吉田さんほど的確にプルーストを読むことの本質について書いている文学者は、ほとんどないだろうとも言われています。そしてこの本「ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿」を紹介なさっていました。



 わたしも吉田秀和さんのエッセイは大好きで、この本のプルーストに関する彼の考察には、敬服しておりましたので、再読してみました。

 春のある日、友人宅を訪ねた吉田さんは、友人を待っている間、部屋の本棚に白い本があるのを見つけて読んでみると、むかし読んだことのあるプルーストの「失われた時を求めて」だったそうです。最初のページから引き込まれていくのを感じ、早速翌日に本屋さんに行き、あのプレイヤード版の第一巻を買われたとのこと。



 速くは読めないので、少し読んではまた初めに戻ったり、なつかしくまた新しく読み直したそうですが、吉田さんはこのように書かれています。

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・・・・あのフランス語独特の旋律、フランス人仲間で話す時のせきこみ方や間の置き方。こんな室内楽をきくのは、プルーストでは、はじめての経験だった。

  わたしは、この小説を読んでいて、何かを知るというのではなくて、何かを思い出し、何かに気がつくのだが、それはこの本を読まなければ気がつかず、思いださないことでもある。・・・・・

 プルーストは私を私に還す。彼の世界では、新しいものも、すべて、初めからあったものである。・・・・・・・・・・

・ー・ー・ー・ー・ー・ー・               引用・196p・197p




 吉田秀和さんは「失われた時を求めて」をフランス語の原文で読まれていて、しかもこのように感性豊かに、この小説を味わわれているということに、驚きます。

 プルーストは、吉田秀和さんにとって、「ヨーロッパを創る上で重要な一役を果たした人でもあった」とのことでした・・・。