2018年6月27日水曜日

プルーストセミナー・5回目



 6月23日は、梅雨の真っ最中で、雨降りの一日でした。
 セミナー会場の立教大学池袋キャンパスのアジサイの花も、雨に濡れて咲いていました。



 プルーストのセミナーは今回で5回目で、「失われた時を求めて」の5「ゲルマントのほうⅠ」でした。わたしは最初の2回はパスしていますので、参加するのは今回が3度目でした。

 ゲスト講師は、明治大学教授の根本美作子さんでしたが、何と言ってもすてきだったのは、フランス語による彼女の本文(306pと307pの祖母の描写のところ)の朗読でした。




 フランス語の語感の響きに心地よさを感じたのですが、そういえば北京語にも通じる美しさがあると改めて思いました。
 講師の根本さんは、9歳のころからフランスで過ごされ、フランス語、イタリア語も話されるということでした。

 この巻の題名にもなっている苗字の「ゲルマント」ですが、根本さんの「Guermantes]というフランス語の発音にも、一瞬ですが、びっくりするほど、圧倒されました。このゲルマントという言葉には、「輝かしい響き」があるとフランス人のプルースト研究家のジャン・ミイが言っていると教えていただいたのですが、納得できました。



 ゲスト講師の根本さんは、著書に「眠りと文学ープルースト、カフカ、谷崎は何を描いたか」(中公新書)が、あるとのことでこの本にも興味を持ちました。
 「失われた時を求めて」は、話者の眠れない夜の長い描写から始まるのですから・・。

 帰りはどしゃぶりの雨になったのですが、今回のセミナーで聴かせていただいた本文の朗読の心地よさが耳に残り、幸せな気分で帰宅できました。 





2018年6月18日月曜日

ボンボングラッセと、キャンディー




 失われた時を求めての5「ゲルマントのほう」Ⅰ 岩波文庫・吉川一義訳を読んでいましたら、主人公がオペラ座に特別講演を見に行くシーンが出てきました。




 オペラ座には、ゲルマント大公妃のベニョワール席があり、その席で大公妃は、他の燕尾服姿の紳士に、ボンボンはいかがと勧めているのでした。





 そのシーンを読んだときに、たしか須賀敦子さんの「ミラノ霧の風景」にも、こんなことが書かれていたのを思い出しました。

 それは、「チェデルナのミラノ、私のミラノ」という章なのですが、こちらは、ミラノのスカラ座での話です。



 スカラ座の桟敷を、侯爵から遺産として貰ったカミッラ大叔母はその桟敷に訪ねてくるお客用として、いつもキャンディーを一袋持っていた・・。
 という話からこの章は、始まるのでした。

 このカミッラ大叔母の話しを「近いこと遠いこと」という本に書いたのは、カミッラ・チェデルナという評論家ですが、彼女はミラノのモードや上流社会のゴシップを週刊誌に寄稿していたと、須賀さんは、書かれています。




 大叔母の桟敷以外にも、あのトスカニーニの娘の桟敷もあったようなミラノのスカラ座は、今日ではすっかり変貌をとげ、ブルージーンズの学生がイヴニングドレスの女性にスプレーをかけたこともあった60年代後半の「文化革命」の後、二十年余をへて、イタリアの社会は、こういう過去の遺産について距離をおいて眺める余裕をとりもどしたかに見えると、須賀さんは彼女らしい考察をされています。

       

 パリのオペラ座や、ミラノのスカラ座での特別の専用桟敷で着飾った貴族たちのボンボングラッセや、キャンディーのやりとりは、いまではもう過去のものなのですね。


        

 わたしはパリのオペラ座に、「シンデレラ」というオペラを見に行ったことがあるのですが、豪華な建築よりも、シャガールの天井画に、圧倒されたのを覚えています。

 そのときに、もう少ししっかりと、ベニョワール席の様子を見てこなかったのが、悔やまれます。
 プルーストは多分、1階のわたしが座った席の辺りから、ベニョワール席での貴族たちの
ボンボングラッセのやりとりを眺めていたのでしょうか・・・。




2018年6月17日日曜日

雨の日のサプライズ!



 梅雨に入り、ここ数日寒い日が続いています。
 日課の散歩も、昨日はお休みしましたので、きょうは傘をさして出かけてきました。
 歩いてすぐに、すてきな水玉を見つけびっくり!


 大きく育ったタケニグサの葉に見事な雨の水玉が出来ていました。
 写真を写した後も、あまりにきれいなのでうっとりと見惚れてしまいました。




これは、何でしょう・・?
 よく見ますとスギナにたまった雨粒だったのですが、まるで水晶のネックレスみたいに見えました。




 この雨粒は、丸くはないのですが、鮮やかな緑の絵の具をたらしたように見えました。






 ミヤコザサの雨粒です。




 クズの葉っぱです。




 まわりの新芽の赤紫の葉にも、丸い粒のような水滴がいっぱいついていました。


 雨の日の散歩道には、あちこちにすてきなサプライズが待っていてくれました!!!
   




2018年6月11日月曜日

啄木賢治の盛岡・・・




 6月3日に盛岡市で開催された東北絆まつりに行ってきました。







 盛岡は、石川啄木・宮沢賢治にゆかりの街ですが、市の真ん中を流れる北上川に架かる開運橋からの岩手山を見ると、いつも彼等の故郷に来たのだとしみじみ思います。

ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
                 啄木




「岩手山」
そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くゑぐるもの
ひかりの微塵系列の底に
きたなくしろく澱むもの
               宮沢賢治


 啄木も、賢治もそれぞれ独特の言葉の世界観を持っていて、この風土が彼等の芸術を育んだのだなあと実感します。

 啄木と賢治は、今年で生誕130年と120年ということで、盛岡市内のさわや書店の店頭には、「啄木賢治の肖像」という本が山積みされていました。




 この本は、岩手県の新聞社の岩手日報に連載されていたものを、新書判として出したということですが、啄木と賢治の幼少の頃から、亡くなるまでの人生を、阿部友衣子さんと志田澄子さんお二人で書かれています。




 地元の取材ならではの記事もあり、興味深い内容になっていました。
 第十一章「女性」には、こんなことが書かれていました。初恋の女性の節子と結ばれた啄木でしたが、函館の小学校勤務の時代、同僚の橘智恵子を心が求めた理想の女性として考えていたのではなかったのかとして、こんな短歌が紹介されていました。


          ☆北上川河畔に咲いていたノイバラ 

山の子の
山を思ふがごとくにも
かなしき時は君を思へり         啄木

わかれ来て
年を重ねて年ごとに
恋しくなれる君にしあるかな
                    啄木 
石狩の空知郡(そらちこほり)の 
牧場のお嫁さんより送り来し
バタかな
                    啄木




 この3首の短歌は、啄木が智恵子さんのことを詠んだものです。彼女は北海道の牧場主と結婚なさった後、33歳の時に、産褥熱で亡くなられているのですが、遺品の中に「一握の砂」と「あこがれ」が残されていたということです。


☆盛岡市内で柴犬を撫でる少女


 「啄木賢治の肖像」は、東北絆まつりに出かけて買った本ですが、思い出の一冊になり
ました。
 
















2018年6月8日金曜日

コアジサイの香り・・



 コアジサイが咲く季節になりました。




 ここに住むようになってから大分たつのですが、何と今年初めてコアジサイに香りがあるのを知りました。




 コアジサイの写真を写しているときに、とても良い香りがあたりに漂っているので、もしかしてこの花かしらと思い、近づいて匂いを嗅いでみると、やはりそうでした!

 


 最初に甘いフローラルな香りがしたのですが、その甘い香りの中にさわやかさも感じられ、何ともいえないようなやさしいすてきな香りでした・・。

 なぜ、いままでこんなにすてきな香りに気がつかなかったのでしょうか・・。





 普通のアジサイは香りがなく、まわりの装飾花で昆虫を惹きつけるのですが、このコアジサイは、装飾花がないので、香りで昆虫を惹きつけるのでしょうね。

もうひとつ気がついたのは、花を支える茎が、うすむらさき色でとてもおしゃれなことです。
 



 コアジサイは、一見、地味だけれども、よく見るととてもすてきな花なのですね。

 すてきな香りとおしゃれなむらさきの茎の色。
 
 自然って、すばらしいですね。

 

コアジサイの花言葉は、「忍耐強い愛」ということです。