2019年12月23日月曜日

今シーズン最初の雪のマジックショー・・・




 朝、目覚めたときに、あれっ?もしかして雪かなと思いカーテンを開けてみると、じゃ~ん、やっぱり雪でした。わくわくと、いつもの散歩道に出かけてみると、いつもの景色とはまったく違う世界が待っていました!!!




 雪はマジックのように、いつもの景色をすてきに変えてくれていました!

 空を見上げてみると、真っ青な冬空をバックに、裸木も雪化粧しています。




 粉砂糖をあたり一面にこぼしてしまったような景色に、まぶしい朝の太陽が、かげを作っていました。




 こんな雪の朝があるので、たぶんわたしは、やっぱり冬が一番好きなのかもしれません。




 


 雪のマジックショーは、9時ころまででした・・。
 





2019年12月21日土曜日

クリスマスプレゼント・・・




 12月も半ばを過ぎ、クリスマスシーズンになりました。
 クリスマスにはまだ少し早いのですが、友人からクリスマスカードとプレゼントが届きました!!!




  今年の秋に、友人の猫のあきちゃんが、天国に行ってしまったのですが、このカードはあきちゃんと、一足先に天国に行ったうちのゴールデンレトリバーのサブだそうです。

 カードには、
          「サブちゃんと、あきちゃんが天国から」

 と、書いてありました。
 動物たちはきっと天国で、なかよく遊んでいることと思います!!





 ミニカーは、イギリスの推理作家コリン・デクスターの「モース警部」シリーズで、モース主任警部が乗っていた愛車のジャガーです。イギリスでは、「ジャギュア」と言っていたのを懐かしく思い出します。ダイキャストカーで、「CORGI」製です。






 友人は、このコリン・デクスターの「モース警部」シリーズのファンで、彼女が長年愛蔵していたものなのです。プレゼントの中に入っていて、びっくりしました。実はわたしはなぜか以前からミニカーのファンだったのですが、いままでに自分のものは持っていませんでしたので、ようやくミニカーの所有者になれました!!!





 もうひとつ、彼女が大事にしていたものをいただきました。それは、バカラのグラスです。ペアで持っていらっしゃるということで、ひとつをいただいたのです。バカラは、フランスのロレーヌ地方のバカラ村で1764年から作られているクリスタルのグラスで、「バカラクリスタル」と呼ばれているそうです。この「パルメ」は、1939年にパリ郊外にある大統領のハンティングロッジで使うために作られたシリーズで、楽園に住む想像上の鳥をエッチングしたとのこと。
 鳥の模様の装飾は、繊細で美しく美術品のようです。なぜか、エロール・ル・カインの絵を思い浮かべてしまいました・・。




 最後に、毎年恒例のル・ドウテの2020年の卓上カレンダーもいただきました。机の上のPCの横が、定位置です。



 
 今年は、わたしにとっては、少し大変な年だったのですが、最後に友人からのご褒美をいただきました。感謝です!!!
 あきちゃんと、サブも良かったね~と、天国から見ていると思います。



 
 




読書・「ミラノ 霧の風景」須賀敦子 白水Uブックス




  きょうは、一日中くもりでした。いつもの散歩道も午前中は、霧がかかり、こんな感じになっていました。



  こんな霧の風景を見ると、須賀敦子さんの書かれた本「ミラノ 霧の風景」をいつも思い出してしまいます。ミラノでは11月になると、灰色に濡れた、なつかしい霧がやってくると、書かれていますが、やはりここ那須でも冬にこんな霧になる日があります。
  



 須賀さんは、この本を13年間のミラノ生活の後、日本にもどられてから、回想として書かれています。須賀さんの記憶の中のミラノにはいつも、あの霧が静かにながれているようです。

 須賀さんはミラノに住んで2年目にペッピーノさんと結婚なさるのですが、この本のところどころに、いまは亡きペッピーノさんへの回想が控えめに語られているのが、こころに染みました。「きらめく海のトリエステ」の章も、そうでした。
 
 トリエステの詩人サバの詩を須賀さんとペッピーノさんは、こよなく愛されていたようです。ペッピーノさんは大のサバ好きだったそうで、サバの詩をつぎつぎに須賀さんに読むようにとわたしてくれ、トリエステはサバの住む街として須賀さんの中でよいワインのように熟(う)れていったと、表現なさっています。




 ペッピーノさんが亡くなられた後、須賀さんはそのサバのトリエステに、彫刻家のマルチェッロ・マスケリーニさんに会う日本人を案内し、訪ねる機会に恵まれます。

 マスケリーニさんは、生前のサバと親交があったので、サバのことを聞き出そうとする須賀さんに、彼はサバの詩のことは他の国の人にはわからないと、かたくなな態度で、受け付けなく、悔しい思いをなさったとのこと。

 須賀さんの「思い」を本文から引用してみます。
・-・-・-・-・-・-・
「わたしと夫が、貧しい暮らしの中で、宝石かなんぞのように、ページのうえに追い求め、築きあげていったサバの詩は、その夜、マスケリーニのうつくしいリヴィングルームには、まったく不在だった。こっちのサバがほんとうのサバだ。寝床に入ってからも、私は自分に向かってそう言いつづけた。
・-・-・-・-・-・-・   
                   (引用 161p)
      
と書かれているのですが、わたしには須賀さんの無念の気持ちが痛いほど感じられました。




 須賀さんはまた、サバの詩のことを
・-・-・-・-・-・-・
サバは、詩において「パンや葡萄酒のように」、真摯かつ本質的でありたいという希求あるいは決意をまるで持病のように担いつづけて、それを一生つらぬいた詩人である。
・-・-・-・-・-・-・
               (引用  158p)

と、書かれていますが、サバの詩の本質まで見抜いていらした須賀さんは、やはりペッピーノさんのように、無類のサバ好きになられたように思います。

 この「きらめく海のトリエステ」の章を最初に読んだとき、わたしもトリエステに行ったことがあるのを思い出しました。ヴェネチァに行く途中の短い滞在だったのですが、鉄道のストライキのために、トリエステからバスでヴェネチィアに向かったのでした。




 そのときのバス乗り場から見た街の様子は、なぜかモノトーンで、殺風景な印象だけが残っています。この本を読んだあとでしたら、もう少し時間をとってトリエステの街を歩きたかったと、残念に思います。

 須賀さんは、その後、もう一度今度はひとりでトリエステを訪ねられるのですが、そのことは、「トリエステの坂道」という本に書かれています。
 トリエステは、冬、ボーラという強い北風が吹く街、アドリア海に面した国境の街なのですが、でも何よりも須賀さんとペッピーノさんが熱愛した詩人サバの住んだ特別な街なのですね。


 「ミラノ 霧の風景」は、須賀さんが須賀敦子さんになった始まりの本だと思います。
 彼女の本からは、どこを読んでも、ヨーロッパの真髄のようなものが伝わってきて、いつも読み返すたびに共感や啓発されるところが多く、わたしの大事な1冊となった本です。

 

2019年12月16日月曜日

読書・「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ著・須賀敦子訳・白水Uブックス





 ナタリア・ギンズブルグが書いた「ある家族の会話」を、読みました。
 翻訳は、わたしの好きな須賀敦子さんですが、須賀さんは、このような小説を書いてみたいと思っていたと「コルシア書店の仲間たち」という本のなかで書かれていたので、興味を持ち読んでみた本でした。



 「ある家族の会話」は、著者自身の育ったイタリアのブルジョアの知識階級の家族やまわりの人々のことを、実名を使って家族の会話という形で書いている本です。ファシズムが迫ってきている時代で、ナタリア・ギンズブルグの夫もドイツへのレジスタンス運動で失うなど、家族や友人もファシズムに巻き込まれ辛い時代を生き抜いているのですが、簡潔な彼女の文体が、この物語を、読みやすくしているように思いました。


11月に咲いていたバラ


 ナタリア・ギンズブルグは、彼女の家族を描くことによって、イタリアのある時代の歴史を物語っており、わたしがおもしろいと思ったのは、大学教授の厳格な父親の話し言葉などに、クスリと笑ってしまうようなユーモアが、感じられたことでした。
 
 この本の中に、プルーストの「失われた時を求めて」のことが出てくるのですが、ナタリアの母もプルーストを熱愛していたそうです。わたしは、「失われた時を求めて」をたぶん母もまわりのひとたちもみなフランス語で読んでいたのではないかと思います。母が父にプルーストのことを説明したとき、「プルーストは不眠症だったので騒音をふせぐために、部屋や床にコルクをはりつめていた」と話すと、父は「ひどいとんまだったに違いない」と答えたということですが、このエピソードには、笑ってしまいました。


 
12月11日の同じバラ


 ナタリア・ギンズブルグは、後にプルーストの「失われた時を求めて」を、イタリア語に翻訳しているのですが、彼女の翻訳はイタリアでも定評があるとのこと。彼女は青春時代からプルーストの話をするような家庭環境に恵まれていたようです。
 
 「ある家族の会話」の「訳者あとがき」の須賀敦子さんの文からは、彼女のギンズブルグに対する憧憬のようなものが感じられました。須賀さんにとっては、ギンズブルグのこの本は、人生での大事な1冊だったのだと改めて思いました。




 

2019年12月12日木曜日

羽田沼(はんだぬま)のオオハクチョウたち





 12月10日、羽田沼野鳥公園に、白鳥を見に行ってきました。




 お昼ごろに着いたときには、2羽のオオハクチョウを見ることができたのですが、しばらく過ぎて帰ろうとしたときに、何と空に数羽のオオハクチョウが沼をめがけて飛んでくるのが、見えたのです。ラッキーでした!!!




 わくわくして、見ていると、沼に水しぶきをあげてランディングする姿が見えました。





 ここ、栃木県の大田原市にある羽田沼野鳥公園には、毎年10月の末頃に数百羽のオオハクチョウが、遠い北国からはるばると、数千キロを1週間ぐらいかけて、越冬に来ると
ということです。

       



 この羽田沼野鳥公園では、近くにミヤコタナゴの生息地があるので水質保存のために、白鳥への餌やりは、禁止されています。
 



 近くの田んぼに、餌やり場があると聞いたことがありますので、ちょうどそこから戻ってきたところだったのでしょうか、白鳥たちはまるで、再会を喜びあっているように、

 「こお、こお、こお」と、うれしそうに鳴きあっていました。




 まるで恋人同士が求愛をしているような姿にも見えたのですが・・。




 羽田沼では、数百羽が確認されているようですが、わたしがいた12月10日のお昼過ぎには、60羽ぐらい確認できました。最初に2羽だったのが、数羽づつ舞い降りてきて60羽近くになったのでした。




 それにしても純白の白鳥は、凛としていてすてきでした。あのチャイコフスキーのバレーの「白鳥の湖」や、サン・サーンスの「白鳥」の曲などでもわかるように、白鳥はやはり、芸術家の魂を揺さぶる何かを持っているのかもしれませんね・・。

 「こお、こお、こお」という白鳥たちのやさしい声が、まだ耳に残っています。





2019年12月9日月曜日

庭のリンドウ…





 今朝はとても寒く、スギゴケの庭には、霜が降りていました。
 毎年同じところに咲いてくれるリンドウですが、きょうはこんな感じになっていました。


         12月9日

             

         11月21日



         11月9日



 ちょうど1か月前の11月9日には、こんなにみずみずしく朝の光に輝いていたのですね。

 来年もまた、同じところにきっと咲いてくれると思います。
 今年も庭に咲いてくれてありがとう!!


  






2019年12月1日日曜日

今シーズン初めての積雪と霜柱・・




 今年の初雪は、11月23日でした。雪と言ってもちらほらと舞っているだけだったのですが、11月の30日の朝は、こんな感じになっていました。




 写真をよく見ると、ザラメのような粒雪でした。

 ちょうど、公園で木の伐採をしていたので、もしかしてフランスのブッシュドノエルのような写真が写せるかなと楽しみに行ってみたのですが、雪が少なかったようで少し残念でした。




 先日、バードバスに散り敷いたもみじも凍りつき、その上に雪が積もっていました。



 こんな感じだったのですが・・。




  初霜柱は29日で、その時の写真です。
  水あめを伸ばしたような見事な霜柱で、5センチぐらいもありました。
   



 季節は、明らかに冬モードになっているようです。





読書・「失われた時を求めて」岩波文庫・吉川一義訳の全巻読了!!!




 11月29日、吉川一義さんの訳の「失われた時を求めて14」岩波文庫版を、読み終えました。これで、「失われた時を求めて」の全巻読了は、3度目になりました。この岩波文庫版の最後の巻の14は、2019年11月に、出版されたばかりですが、翻訳者の吉川一義さんのご努力に感謝したくなりました。ありがとうございました!




 この最後の14巻は、いままでの物語の集大成で読み応えがありました。主人公(プルースト)がこれから書こうとしている文学作品の素材は、自分の過去の人生にあるというのを悟り、いよいよこれからとりかかろうとしているところで、終わっています。





  プルーストを読みながら、わたしはいつも、プルーストの持論である「本を読むということは、自分を読むということ。」を、実感してきました。プルーストの読書論ですが、好きな言葉です。

  読書はまた、わたしにとっては、とても楽しいことで自分を知るもっともよい機会でもあります。





 プルーストの「失われた時を求めて」を、最初に全巻完読したのは、もう20年以上も前の井上究一郎さんの訳でしたが、最初の1巻のスワン家のほうへを、読み終えたときの感動は、まだはっきりと覚えています。わたしが今まで読んでいた本は何だったのか、そしてもうこんな本を読んでしまったのならば、ほかの本は読めなくなるのではというほどの衝撃を受けたのでした。



井上究一郎訳・ちくま文庫・全10巻


 次が鈴木道彦さんの訳でしたが、明快で読みやすい反面、どうしても井上さんのあの独特のプルーストの訳文がなつかしく感じることもありました。鈴木道彦さんは、「いったんプルーストの世界を知ると、人は明らかに読む前と違うにんげんになる。」と、カルチャーラジオの【プルースト「失われた時を求めて」を読む】というテキストで言われていますが、わたしも頷ける言葉です。
 


鈴木道彦訳・集英社文庫・全13巻


 そして、今回の3度目が岩波文庫の吉川一義さんの訳でしたが、彼の翻訳本のよいところは、豊富な図版や注が掲載されていて、同じページのところですぐに見れるというのは最高に便利で、知的好奇心を満たされるという利点があったことです。


吉川一義訳・岩波文庫・全14巻


  わたしが、プルーストのこの本の舞台にもなっているフランスのイリエ・コンブレーの家を訪ねたのは、30年近くも前のことでした。
 

イリエ・コンブレー・プルースト記念館

  
プルーストの本はまだ完読もしていないころだったのですが、スワンが訪ねてくるときになる呼び鈴が、庭にある裏の門扉に付いていたのを、はっきりと覚えています。後で付け替えたのかもしれませんが、ハンドベルのような形でした。




 今回読んだこの最後の巻の14にも、庭の門扉についている呼び鈴のことが出てきます。あの小さな呼び鈴のひびきと書いてあるのですが、その呼び鈴の音は主人公が子供のころに聞いた音色であり、あんなにも遠い過去のものでありながら著者の内部にいつも存在していて、それは膨大な時の広がりを感じさせる音なのでした・・。





 あの30年近くも前にイリエ・コンブレーでわたしが見た呼び鈴は、わたしの人生のその後の30年ぐらいにもわたるプルーストを読むという長い豊饒な読書の始まりの呼び鈴だったのかもしれません。

 プルーストの「失われた時を求めて」は、何度読んでもそのたびに、新発見があるすてきな本になりました。そしてこのような本にめぐりあえたことに、いつも感謝しています。

 

2019年11月14日木曜日

映画・ムッソリーニとお茶を





 「ムッソリーニとお茶を」は、わたしの大好きな映画です。この映画の監督のフランコ・ゼッフィレッリのことを知るようになったのは、「永遠のマリア・カラス」を、銀座の映画館に観に行ったときのことでした。




 行列に並んでいると、ゼッフィレッリ映画のファンだとおっしゃるすてきなおばさまから、「もしマリア・カラスや、ココ・シャネル、そしてルキーノ・ヴィスコンティに興味がおありなら、是非彼の自伝を読むべき」と、教えていただいたのが、「ゼッフィレッリ自伝」でした。もちろん興味がありましたので、早速購入して読んだのですが、懐かしい思い出です。




 この映画は、監督自身の人生がモデルになっていて、彼も脚本を書いています。
 第二次世界大戦前からフィレンツェに住んでいたスコーピオーネ(さそり族)と呼ばれていたイギリスの女性たちと、アメリカ人の女性をめぐる主人公ルカ(監督自身)の物語
になっています。



 

  ゼッフィレッリ監督は、フィレンツェで英国の服地を扱う仕事をしていた父と、ファッションデザイナーをしていた母との間に婚外子として生まれています。子供のころに父の秘書の英国女性から、英語を習っていたのですが、彼女からは英語だけではなく、シェークスピアの劇などに親しむ機会も与えてもらい、英国や英国文化に親しむようになったようです。






 それにしてもこの映画には、英国の芸達者なおばさまたちがずらっと並んでいて見ごたえがあります。主人公ルカの子供のころの実直で凛とした家庭教師のメアリー・ウォレス役は、ジョーン・ブロウライト。個性的な芸術家のアラベラ役は、ジュディ・ディンチ。

 鼻もちならない元大使夫人レディ・ヘスター・ランダム役は、マギー・スミスですが、彼女のあの声のトーンや表情までが演技とは思えないほどのぴったりのはまり役に見えました。そして主人公ルカが思いを寄せるアメリカ人の富豪のエルサ役は、シェールが個性的に演じていました。







 スコーピオーネと呼ばれていたフィレンツェに住む英国のおばさまたちが、ウフィツィ美術館のボッティチェリの春(プリマヴェーラ)の前でしていたTEATIMEもそうですが、 彼女たちが、第二次世界大戦中に強制的に住むようにされていた「塔の街・サン・ジャミニャーノ」でのロケは、ゼッフィレッリ監督の本物志向のこだわりが感じられました。彼の本物志向は、ルキーノ・ヴィスコンティ監督からの影響もあるのかもしれませんね。。





 サン・ジャミニャーノは、塔のたくさんある街ですが、フレスコ画もあるようです。それらの塔やフレスコ画を、英国のさそりのおばさまたちが、戦時中にドイツの破壊から身体をはって守るという後半のクライマックスのシーンは、わたしの好きな場面でした。





 この映画を観た後に、久しぶりに「ゼッフィレッリ自伝」を読んでみました。彼は生前に自伝を書いていたのですが、今年の2019年の6月に96歳で亡くなられています。

 その本の中でゼッフィレッリ監督は「フィレンツェ人がイギリスを愛するように、ミラノの社交界では常にフランスが憧れだった」と、書いているのですが、ミラノの社交界とは彼と親交のあった貴族のルキーノ・ヴィスコンティのことであり、イギリスを愛したフィレンツェ人とは、彼自身のことなのですね。

  また、彼は自伝の中で、フィレンツェに住んでいた英国のスコーピオーネと呼ばれていたおばさまたちのことを、「彼女たちはわたしにとって故郷の古い石畳と同じぐらい貴重な存在だった」とも書いています。

 この映画は、ゼッフィレッリ監督の、スコーピオーネと呼ばれていた英国人のおばさまたちへの限りない愛のメッセージだと思いました。