2018年10月28日日曜日

しびれるようなもみじの紅葉・・




   しびれるようなもみじの紅葉を、見ました!!!
  しぐれが降った後のくもりの午後に写したのですが、快晴の日よりも色彩が鮮やかでした。 
 


 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ
                            藤原定家

   この歌は、あまりにも有名ですが、
 なぜか わたしは、
 この色彩あふれる写真から、
 定家の
  このモノトーンの世界を歌った歌を
               思い浮かべてしまいました。

  色彩豊かなものは何もない
    モノトーンの世界だからこそ、
     このような豊穣な色彩をイメージさせる
                  プロの歌人の歌なのですね。


 












2018年10月27日土曜日

「記憶の小瓶」







 先日のプルーストセミナーで講師をしてくださった児童文学作家・高楼方子さんの書かれたエッセイ「記憶の小瓶」を、読みました。



  最初のページにこんな文が、書かれていました.
・-・-・-・-・
人の幼少期の話は、
自分の幼少期の記憶を呼び覚まします。
この極私的な回顧録に意味があるとすれば、
その一点に尽きるでしょう。
・-・-・-・-・引用 「記憶の小瓶」高楼方子著・クレヨンハウス




  なるほどと思いました。
 高楼方子さんは、児童文学者らしい視点で、ご自分の幼少期の出来事を記憶をもとに
忠実に書かれていました。



 
 この本を読んでいましたら、森茉莉さんの子供時代のことを書かれたエッセイの「幼い日々」を思い出しました。

 森茉莉さんはこのエッセイの中で、幸せだった子供のころの出来事を、こんな風に綴っていらっしゃいます。




・-・-・-・-・
 小さい時の思い出を書こうとすると何から書いていいか分からなくて、ただ一時に或る一つの世界が心の底に、拡がってくる。
 冬はしんとした木立に囲まれ、夏は烈しい雨のような蝉の声に包まれた千駄木町の家。・・・・・・・・
・-・-・-・-・引用 「父の帽子」森茉莉著・講談社文芸文庫 11p






 森茉莉さんのこのエッセイは、読むたびにいつも胸がきゅんとしてくる大好きなエッセイなのですが、最後は、こんな文で終わっています。
・-・-・-・-・
 長い、長い幸福な日々だった。
・-・-・-・-・ 引用 父の帽子 森茉莉著 講談社文芸文庫56p
              




 高楼方子さんの「記憶の小瓶」は、森茉莉さんのエッセイを思い出させてくれました。
  









2018年10月22日月曜日

久しぶりの平成の森散歩



 快晴の日曜日、久し振りに平成の森を歩いてきました。駒止の滝の近くの見晴らし台です。



 雲一つない山上は、とても気持ちがよくいつまでも眺めていたい景色でした。
 



  駒止の滝は、幅が3メートル、高さが20メートルということですが、まわりの紅葉は、ちょうど見頃でした。




 遠くに那須連山が見えて、紅葉の木々の間を歩くのは、良い気持ち・・。






 森の小径の標識が出ていました。




  平成の森は、来るたびに表情を変えて見せてくれるのですが、いつもやさしく来る人々を迎えてくれます。平成はもう今年で最後になりますが、平成の森はいつまでも残って欲しいと思いながら、小径を歩いてきました。


  






2018年10月20日土曜日

とれたての今朝のリンドウ!!!



 きょうの朝は、昨晩に少し降ったらしい雨も上がり、すがすがしい秋晴れでした。数日前から咲き始めたリンドウも、朝の陽ざしをあびて幸せそうに咲いていました。




 わたしの好きな与謝蕪村の俳句にこんなものがあります。

 「りんだうや 枯葉がちなる 花咲きぬ」  蕪村




 
 よく葉を見てみると、葉の先端の方が少し黄色を帯びていて、蕪村が歌っているように「枯葉がち」になっていました。

 蕪村のノイバラの俳句は大好きなのですが、蕪村らしくリンドウもよく観察しているなあと思いました。



我が家のリンドウは、毎年同じ場所に同じようによく咲いてくれているので、うれしくなります。

 下記の写真は、もう大分株が古い見事な「エゾリンドウ」です。





 長い茎の2枚の葉の間にも、それぞれ花をつけているのですが、花屋さんで見ることが
できるのは、このエゾリンドウを栽培したものだということです。




 
 

2018年10月9日火曜日

プルーストは、底なし沼から、金貨がザクザク・・・





 10月6日、夏の名残りの陽ざしが残る3連休の初日、「新訳でプルーストを読破する」第7回「ゲルマントのほうⅢ」に参加してきました。




      今回の講師は、やさしい語り口が印象的だった絵本作家の高楼方子さんでした。
  高楼さんは、
    
「プルーストの本は、底なし沼から金貨がザクザク」

 というような比喩をなさっていたのですが、絵本作家らしい表現だなあと思いました。




 このセミナーでは、恒例になっている参加者同士のディスカッションがあります。
 今回は、大学を卒業したてのようなお若い方がたと、お話しできたのもうれしいことでした。

 「わたしの選ぶ1ページ」では、その中のお一人と偶然にも同じところでした。




 178p
「すべての価値は、画家のまなざしのなかに存在するのだ」
というところです。



 ユリイカという雑誌の「総特集=プルースト」の中に、プルーストの死後に友人の
レイナルド・アーンが書いた追悼文が載っているのですが、その中でアーンは、こんなことを書いています。




 アーンとプルーストが田舎の女友達の城館に招待されて滞在したとき、彼はプルーストが薔薇の生垣の前で立ち止まり、いつまでも薔薇をじっと見つめていたのを、目撃したそうです。




 その時のプルーストの姿をアーンは、
「自然と芸術と人生と完全に交感する神秘の瞬間を目撃」
したのだと述べ、その後何度もこんな場面に遭遇したと、述懐しています。




 このアーンの言葉は、プルーストの178pの
「すべての価値は、画家のようなまなざしのなかに存在するのだ」

 というところと、共通するものがあるように思いました・・・。




 プルーストは、まさに底なし沼から、金貨がザクザクなのですね~・・・。
 










2018年10月4日木曜日

秋日和・・



 先日は、久し振りの晴天になりました。
    里の景色の秋日和を見てこようと思い、白河の関の森公園に行ってきました。


 池のまわりに咲き乱れていたノコンギク
 桜の紅葉も少し始まっていて、やさしい色あいの秋がありました。




春の桜のころに来たなつかしい散歩道です。
 右手の奥には、那須連山もかすかに青く見えました。


 

駐車場から見た天文台とすばらしい秋雲
 稲はもう刈り入れを待っていました。



ピンクのコスモスは、秋空にぴったりと似合いますね。
 心が、晴れ晴れとするような秋日和の一日でした・・。