2022年5月12日木曜日

森のようなすてきな図書館・みるる

 

 那須塩原市の図書館みるるを、訪ねてきました。

     まず、入ってすぐにびっくり。ここは本当に図書館なの???

    まるでリゾートにあるホテルかなと一瞬に思ってしまう空間が広がっていました。



     よく見ると、熱心に勉強している学生さんがあちこちにいらっしゃいました。




 


 この図書館のコンセプトは、森だそうです。

    言葉の森の図書館での気づきや学びが、街に広がり

                      新たな気づきや学びが持続する・・・

  図書館がそんな場所になることを目指しているとか・・・




 建物の設計は、栃木県生まれの建築家・伊藤麻理さんです。

              おしゃれな視点が感じられるコーナーもありました。


               
              サイレント・ラーニング・スペース

 黒磯駅前というすばらしい立地に建つ、

            カフェや展示スペースもある図書館の概念を超えた建物です。



 







 こんな図書館が、街にあることが誇れるような図書館・・・

                    それが那須塩原市の図書館みるるでした。


2022年5月11日水曜日

読書・「源氏物語の世界」中村真一郎著・新潮選書 (プルーストとの接点としての文学)

 

  和室に飾ってある人形です。顔の表情が穏やかでやさしく、見るたびにこちらの気持ちを和ませてくれるのですが、いつも表情がほんの少し変わっているように見えるのが、不思議です。



 
 中村真一郎さんの書かれた「源氏物語の世界」を、読みました。3月にリモートで高遠弘美さんの最終講義をお聞きしたときに、お好きな作家として中村真一郎さんのお名前をあげていらしたので、興味を持って読んでみた本でした。

 「プルーストと、レディ・ムラサキはよく似ている。どちらもスノッブだ。」という言葉を以前に何かの本で読んだ記憶があるのですが、この本にもプルーストに言及しているところがありました。

 中村真一郎さんによれば、紫式部の書いた「源氏物語」とマルセル・プルーストの書いた「失われた時を求めて」は、作者と作品の関係で不思議なほどよく似ているとのことです。

 プルーストはフランスの前世紀末の上流階級を描いているが、彼自身は中産階級の出身であり、紫式部もまた、王朝時代の上流階級の世界を描いているが、彼女自身は中流の貴族であったこと。

 また、源氏物語がなぜ、世界に知られるようになったのかというわたしの長年の疑問にも答えがありました。

 源氏物語は英国人のアーサー・ウエリィによって見事な英語に翻訳されているのは知っていたのですが、当時の英国(1920年代)では、ブルームズベリーという知的なグループがあり、彼もそのメンバーだったというのは、知りませんでした。

 ブルームズベリーでは、当時、ジョイスの「ユリシーズ」やプルーストの「失われた時を求めて」と同じ等質の新文学として、ウエリィ訳の「源氏物語」が、タイムリーに紹介されたとのこと。

 ウエリィの源氏物語の翻訳の文体は、中村さんによれば、まさにブルームズベリー的で、知的で優雅で凝っていて、読者はプルーストを双子の姉妹かと思うほどだったとのことです。わたしもこの英訳は最初だけ読んだことがあり、簡潔で上品な英訳だと思っていたので、納得でした。

  また、その当時、西洋の文学界の新しい傾向として、人間の心の奥を描くこと、美に対する繊細な趣味、そして時間の形而上学的な重要さなどの3つが意識されはじめていたので、源氏物語はそれにもぴったりあてはまったと、中村さんは書かれています。

 ブルームズベリーといえば、メンバーのヴァージニア・ウルフの「灯台へ」や「ダロウエィ夫人」は以前に読んだことがあるのですが、彼女が「灯台へ」のあの独特の意識の流れの文体を書いたのは、1927年だったのですね。

 1920年代の英国のブルームズベリーのサロン・・・

 そこでのプルーストの「失われた時を求めて」や紫式部の「源氏物語」の紹介と議論・・・・・

  いろいろな楽しい想像を、わたしに思い起こさせてくれた読書でした。

 


 

 


一茶の初のぼり・・・

 

  2022年4月22日、白河関の森公園で写した写真です。

     里山の上には、マシュマロのような白い雲がふんわりと浮かび、

        満開のしだれ桜とマッチして、忘れられないすてきな光景でした・・。

 


 小林一茶の句集「一茶俳句集」を読んでいましたら、こんな句を見つけました。

       江戸住(ずみ)や二階の窓の初のぼり     一茶


 一茶が江戸に住んでいた頃に見た初のぼりを詠んだ句ですが、そのころの彼はまだ自分の家もなく、もちろん子供もいなかったと思います。

 そんな一茶が見た、2階の窓に掲げられていた初のぼりは、彼の未来への憧憬もあったのかもしれませんね。

  

              
 
 
 一茶は長野の豪雪地帯の柏原で農民の子として生まれています。3歳のときに母を亡くし、8歳で継母を迎えますが、15歳の時に江戸に奉公に出て、その後、俳諧師になったとのことです。
 父の死後は、継母や弟との遺産相続のもめごとが10年ぐらい続き、その後、ようやく決着がつき51歳で故郷に戻ります。翌年、菊という28歳の女性と結婚。3男1女が生まれるのですが、みな夭折し、妻も10年後には亡くなってしまいます。一茶はとても子ぼんのうだったようで、特に長女のさとを可愛がり、「おらが春」という句文集までだしています。3度目の結婚で次女が生まれるのですが、65歳で一茶が亡くなった後だったとか・・。  

 わたしには一茶といえば、すぐに浮かんでくるのが、こんな俳句です。

    やれ打(うつ)な蠅が手をすり足をする       一茶

  痩蛙(やせがえる)まけるな一茶是(これ)に有(あり)      一茶

   蝶(々)を尻尾(しっぽ)でなぶる子猫哉     一茶

  猫の飯(めし)相伴(しょうばん)するや雀の子   一茶

 彼の生き物へのやさしい視点が、童話の中の1ページの絵のようにもみえ、好きな俳句です。

 ところで、一茶が生まれたのは、1763年の5月5日ということですが、何と端午の節句の日なのですね。最初の結婚では男の子が3人も生まれていますので、初のぼりは見ることができたのでしょうか。

 この句集は、一茶の晩年までの句を年代順に2000句選んで書いてあるのですが、彼の大変だったろうと思われる人生の歌が聞こえてくるようでした。