2021年12月15日水曜日

読書・「時のかけらたち」須賀敦子・青土社

 

 須賀敦子さんの最後の本になってしまった「時のかけらたち」を、読みました。須賀さんの本は、「ミラノ 霧の風景」を、読んだときからのファンでしたが、こんなにもヨーロッパを深く理解できる教養を持った女性が日本にもいるのだと思うと、うれしくなったのをいまでもはっきりと覚えています。この最後の本では、そのことを更に深く痛感させられました。



 40年前のまだ留学生だったころの須賀さんを虜にしてしまったローマのパンテオン。それは紀元前27年から25年にアグリッパが建てさせたのですが、紀元80年に火災で焼け落ちた後、125年に再建されたとか。須賀さんは、その再建された円形ホールの設計者といわれているのがあのハドリアヌス帝であるとわかったとき、とてもびっくりなさったそうです。

 というのも、須賀さんは当時、マルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」をめぐる文を書こうと思われていたからとのこと・・。この本とは、たぶん「ユルスナールの靴」のことかなと思いますが・・。

 パンテオンからハドリアヌス帝にたどりつくまでの、須賀さんがヨーロッパで過ごされた長い時の流れ、その中の「時のひとかけら」・・・そのひとかけらについて何か書きとめてみたいという文で、最初の章は、始まっています。



  そのあと、ヴェネツィアの悲しみ、アラチェリの大階段、・・などとイタリアでのお話がいろいろと続き、最後に須賀さんがたどり着かれたのは、やはりイタリアの詩と詩人のお話でした。最後の章は「サンドロ・ペンナのひそやかな詩と人生」というタイトルで、ペンナのすてきな詩を、彼女の訳で紹介なさっています。

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 ぐっすりとねむったまま生きたい

  人生のやさしい騒音にかこまれて。       サンドロ・ペンナ(須賀敦子訳)

               ・ー・ー・ー・ー・

 須賀さんはこの詩の作者のペンナのことを、彼の詩は彼の人生に似ていると言われていますが、ペンナは最初にできた詩を、あのトリエステの詩人のサバに送ったそうです。ペンナとサバ、どちらの詩人も「人生、いのち、生活」のすべてを意味する「vita」から視線をはなすことがないと、須賀さんは二人の共通点をあげていらっしゃいます。




    そして、
     ・ー・ー・ー・ー・

     「ペンナはいい詩人だ そこまで教えてくれて夫は死んだ」

                    ・ー・ー・ー・ー・

 と、須賀さんは最後のページに書かれているのですが、それを読んだ時、わたしはたまらなくなり、涙がこぼれてきました。須賀さんが病室で最後まで、手をいれていらしたというこの本は、やはり詩がお好きだったパートナーのペッピーノさんへのオマージュだったのかもしれないと、わたしには思えました。



・ー・ー・ー・ー・

ぐっすりとねむったまま生きたい

  人生のやさしい騒音にかこまれて。    サンドロ・ペンナ(須賀敦子訳)

                ・ー・ー・ー・ー・

 サンドロ・ペンナのこのたった2行だけの、深い味わいのあるすてきな詩は、須賀敦子さんの思い出として、ずっと、わたしの心にも残るものになりました・・・。





2021年12月7日火曜日

瀬戸内寂聴さんと、源氏物語・・・



 瀬戸内寂聴さんが、先月の11月9日に99歳で亡くなられました。TVやユーチューブなどでお聞きしたことのある瀬戸内さんのあの独特の親しみやすくやさしいお声が、耳に残っています。



 寂聴さんは以前に「生きた・書いた・愛した」というタイトルの対談の本を出していらっしゃいますが、彼女の99年の人生を考えると、この言葉がぴったりのように思えます。

 また、反戦や原発反対などで行動するお姿や、宗教家というお立場からのわかりやすく親しみやすいお話も、忘れられません.

 寂聴さんの著作の中では、源氏物語の訳が一番好きです。わかりやすく平易に読め、彼女のお人柄が訳にもあらわれているように感じるのは不思議です。寂聴源氏で源氏物語を完読した方は、きっと多いと思います。


          ★瀬戸内寂聴訳 源氏物語 講談社 (全十巻)


 寂聴さんの書かれた「場所」という本に、「源氏物語」を現代語に訳された、谷崎潤一郎さん、円地文子さん、そして瀬戸内寂聴さんのお三人が、同じ目白台アパート(いまはヴィンテージマンションになっています)に住んでいらしたことがあると書かれていたのですが、偶然とはいえ、お三人の不思議なご縁を感じました。

 

            ★谷崎潤一郎訳 源氏物語 中央公論社

          ★円地文子訳 源氏物語 新潮文庫 (全五巻)

 寂聴さんが最初に源氏物語を読まれたのは、徳島県立の女学校に入ったばかりの13歳のときで、学校の図書館で「源氏物語 与謝野晶子訳」を、夢中になって読まれたとか・・。寂聴さんは「読みやすい歯切れのよい文章」と、与謝野源氏について書かれているのですが、そういえば、わたしも最初に源氏物語を全巻読んだのは、与謝野晶子の訳でした。


        ★與謝野晶子訳 源氏物語 角川文庫 (上・中・下巻)

 寂聴さんは、また「わたしの源氏物語」という本で、源氏物語について、ご自分のお考えも入れてわかりやすく解説していらっしゃるのですが、読み応えがありわたしの好きな1冊になっています。この本の最後に、源氏物語の主人公は、光源氏ではなく、源氏のまわりの女性たちであったと思えてならないと、言われているのですが、彼女の視点にわたしも共感です。寂聴さんの訳の源氏物語は、こんな風に始まっています。

 


 ・ー・ー・ー・ー・ー・

 いつの御代(みよ)のことでしたか、女御(にょうご)や更衣(こうい)が賑々(にぎにぎ)しくお仕えしておりました帝(みかど)の後宮(こうきゅう)に、それほど高貴な家柄のご出身ではないのに、帝に誰よりも愛されて、はなばなしく優遇されていらっしゃる更衣がありました。

・ー・ー・ー・ー・       瀬戸内寂聴訳「源氏物語」一 講談社 8p引用

 寂聴さんの訳の源氏物語を、もう一度読みたくなりました・・。








2021年10月24日日曜日

読書・「トリエステの坂道」須賀敦子著・新潮文庫

 

 10月20日は、今年の秋2度目のしぐれの日でした。晴れた空からパラパラと雨がふり、虹も見ました。うちの庭にあるウリハダカエデの葉は、芸術的ともいえるような色合いのすごい紅葉になり、こんな感じで雨にぬれて庭に落ちていました。



「トリエステの坂道」を再読しました。須賀敦子さんのファンなので、この本は大分以前に読んでいたのですが、今回夜寝る前に読もうとベットの中で読み始めたら、いつのまにか最後まで読んでしまいました。

 須賀さんの最初の本「ミラノ・霧の風景」は、彼女のイタリアでの人生のひとこまが、部分的に書かれていただけでしたので、どのような人生を過ごしたのか、さらにこの本でパズルを埋めるようにおもしろく読むことができたからだと思います。





 最後の方のエッセイ「ふるえる手」には、須賀さんの作家としての大事な指針ともなったナタリア・ギンズブルグが書いた本「ある家族の会話」との出会いが、書かれていました。その本を須賀さんに手渡してくれたのが、ご主人のペッピーノさんだったのです。

「ある家族の会話」の中にプルーストに夢中になる母やきょうだいの話が出てくるのですが、このエピソードからナタリア・ギンズブルグの文体の秘密を須賀さんは、このように推察なさっています。

 「好きな作家の文体を、自分にもっとも近いところに引きよせておいてから、それに守られるようにして自分の文体を練り上げる」             引用217p

 ナタリア・ギンズブルグは、プルーストに影響を受け、須賀さんはギンズブルグに影響を受けたようですね。

 たしかに、ナタリア・ギンズブルグは、プルーストの「失われた時を求めて」を、イタリア語に翻訳していますし、須賀さんは、ナタリア・ギンズブルグの「ある家族の会話」を、日本語に翻訳なさっていますから。



 須賀さんにとって、ナタリア・ギンズブルグの「ある家族の会話」は、須賀さんが「須賀敦子」になるための、かけがえのない大事な出会いだったようです。

 




2021年10月17日日曜日

犀星と茂吉の栗・・・


 散歩していますと、栗があちこちに落ちています。お天気の良い日ですと、栗の実はぴかぴかと光って、見て見てと自己主張しているようです。

 


 室生犀星の栗の俳句です。

 「栗のつや落ちしばかりの光なる」      室生犀星

 栗のつやが、特別の大事な光となって見えたのだと思いますが、わたしもじっと栗を見ていると、そのように思えてくるのは、不思議でした。




 斎藤茂吉は、こんな栗の短歌を作っています。

 秋晴れの光となりて楽しくも実りに入らむ栗も胡桃も     斎藤茂吉



 この短歌は齋藤茂吉が生まれ故郷の山形県に疎開していたときに、作ったとのことですが、疎開先で迎えた戦後初めての秋だったようです。背景には、茂吉は戦争を奨励した歌を書いたというので、一人で生まれ故郷に疎開していたという特別な事情もあったとのことです。

 そのようなときに、栗や胡桃が秋晴れの陽をあびて光っているのを見たときに、いつもの自然のいとなみがまるで特別なもののように見えたのだと思います。彼の複雑な心境が「光」という言葉に込められているように感じました。

 以前に、わたしが上山にある齋藤茂吉記念館を訪ねたのは、12月3日でしたが自然の豊かなところだなあというのが、印象に残っています。栗も胡桃も、たくさん実るところのようでした。








 

2021年10月13日水曜日

ナツハゼをいろいろと楽しんだ今年の秋・・・

 


 今年は、ナツハゼの紅葉がきれいでした。ナツハゼは、紅葉が終わるとすぐに病葉が多くなり、黒い実が熟すころになると、時雨の季節になります。今日の午後は、ナツハゼの黒い実が雨のしずくを滴らせていました。

   


  ナツハゼの若葉や紅葉は、うちの書斎の窓からいつも見え、季節を感じる木にもなっています。今年は10年ぶりぐらいに、実でジャムを作ってみることにしたのですが、350gぐらいの収穫になりました。




 きれいに洗い、きび砂糖を50g入れ、10分ぐらい煮て完成です。自己流の簡単でおいしいジャムができました。早速、全粒粉ビスケットにキリといっしょにのせてTEATIMEにいただきました。



 ナツハゼのジャムは、ブルーベリーにもう少し酸っぱさを加えたような野性味のある味でおいしくいただいたのですが、何よりも食べ終わった後、なぜか、血液がきれいになるような不思議な感じがしたのでした。

 調べてみましたら、アントシアニンなどのポリフェノールがブルーベリーの2~3倍で、目の疲労回復、血液浄化、活性酸素を消去などの効果もあり、日本のブルーベリーとも言われているようです。

 


   ナツハゼの細部を観察するのには、じっくりと見て絵を描いてみるのがいちばんのようです。実は茎にジグザクにつき、細いしなる枝にはぼこぼこがついていたりするのがよくわかりおもしろく感じました。

 北海道から九州まで、日本の山地に自生するナツハゼですが、葉っぱの紅葉や、実でのジャム作り、絵を描いての観察、そして何よりも趣味の写真のモデルまで、いろいろと楽しませてもらった今年の秋でした・・・。





2021年10月1日金曜日

高原のコスモスを見に・・・

 


 明治の森に、今年もコスモスを見に行ってきました。色とりどりのやさしい色のコスモスが群れて咲いているのを見ると、いつも穏やかでやさしい気持ちになれます。


          ♪ほほ笑めば ほほ笑み返す コスモスの ホスピタリティ 高原の秋・・・あみ         



       ♪コスモスが群がりて咲くかたまりの
                    そのやさしさにうちのめされる・・・
                                     あみ




        ♪おさな子と犬たわむれる高原の
                     コスモス畑 時間が止まる・・・
                                     あみ




        ♪花と蝶 もちつもたれつ 生きていく
                       宇宙の摂理 あなたとわたし・・・
                                     あみ



2021年9月28日火曜日

パリ・思い出の香り・・・


 

 引き出しの整理をしていましたら、香水の瓶がいろいろと出てきました。その中でひときわ大きく輝いて見えたのが、このイヴ・サン=ローランの香水「パリ」です。



 「パリ」は、ヨーロッパに住んでいた頃に大好きになった香りで、ベルギーの街を歩いていたとき、通りすがりのマドモアゼルから、ニコッとして「パリでしょ?」と、言われて驚いたことがありました。

 イヴ・サン=ローランは、パリが大好きでパリのことを、「心から私が愛している街、誰も貴方を超えることは出来ない」と言ったそうですが、実はわたしも大好きな街でした。

 どっしりとした感じのボトルは、ダイヤモンドカットされていて、庭の太陽の下に置きますとまわりの景色を写して「キラキラ」と光ってすてきなのですが、実はパリの夜の街のイメージとのこと。香水のキャップは、ドキッとするようなコーラルピンクで、個性的な色です。



 パリの香りは、最初のシュッとひと吹きのとき、少し柑橘系のつんとしたような香りが漂うのですが、そのあとは、濃厚なバラのエッセンスをぎゅっと詰め込んだような妖艶で濃密な匂いがしてくるのです。

 調べてみましたら、トップノートはオレンジブロッサムとバイオレット(スミレ)ということですので、あの最初のつんとする柑橘系の香りはオレンジの花で、それにスミレの花がプラスされた香りのようです。ミドルノートの妖艶なバラと感じたのは、メイローズというバラでそのほかにもミモザやアイリスなどがミックスされているとのこと。



 トップノート、ミドルノートとくれば、最後のラストノートですが、これは全くわかりませんでした。ベチバーとアンバーだそうですが、ベチバーとはイネ科の植物で、香水には根を使うので、土壌の香り、アンバーは、香水のラストノートにはよく使用される甘い深みのある香りとのことです。

 香水「パリ」のイメージは、わたしにはいつもあのフランスの大女優のカトリーヌ・ドヌーヴを思わせます。妖艶で成熟した大人の女性のイメージがするからです。先日も是枝監督作品の「真実」に出演の彼女を観たのですが、まだどこかにかわいらしさがある堂々たる美貌が感じられてすてきでした。

 日本に住むようになってからは、あの妖艶なパリの香水は、この瓶が最後になってしまいました。好みが変わったからです。少し瓶の底に残っていたパリの残り香をなつかしんでみた午後でした・・。





2021年9月24日金曜日

読書・世界中でもっとも美しい本 アランの「幸福論」神谷幹夫訳・岩波文庫



 「ツリガネニンジン」があちこちで、咲いています。風に揺れている姿は、まるで妖精が鳴らすかわいいベルのようです。




  アランの「幸福論」神谷幹夫訳を、読みました。
 「これは、わたしの判断では、世界中でもっとも美しい本の一つである。」と、アンドレ・モーロワが言っていたと、解説に書いてあったのですが、わたしもそう思います。

 この本は、ずっと以前に買った本で、わたしの愛読書になっているのですが、ときどき忘れたころに、本箱から取り出して読んでいます



 アランは、40年間リセ(高等中学校)で哲学の教師をしていたそうで、アンドレ・モーロアやシモーヌ・ヴェイユは、教え子とのことですが、アランのような先生に出会えたのは、幸せだったと思います。

 アランが、ルーアンの新聞に毎日プロポ(哲学断章)として、連載していたのが、この本になったとのこと・・。




 わたしが今回の読書で印象に残ったのは、175pの「52 旅行」というプロポでした。
 アランの好きな旅というのは、一度に一メートルか二メートルしか行かないような旅で、立ち止まって、同じものを違う角度から眺めると、すべての景色が一変するので、百キロ行くよりもずっとすばらしいとのこと。

 見る目が深まれば、風景は無尽蔵のよろこびを秘めていると結論しています。





 これと同じようなことを、プルーストも言っていました。「発見の旅とは、新しい景色を探すのではなく、新しい目を持つこと」と、表現していました。

  アランのプロポは、93もあり読むたびに、彼の哲学の思惟が味わえるやはり、美しい本だと思いました。




 




2021年9月18日土曜日

お気に入り・本のしおり

 


 先日、友人から手作りの本の「しおり」を、いただきました。

 こんなキュートな「しおり」です。

 


ひもは、以前に使用なさっていた「刺繍の糸」とのこと。

真っ白のものもいただき、「好きな模様にして」ということなので、手持ちの100円ショップのテープを貼ってこんな模様にしてみました。



本好きのわたしには、とてもうれしいプレゼントでした。

本を開くのが、楽しみ!!!


映画・イザベル・ユペールの「未来よ こんにちは」ミア・ハンセン=ラヴ監督

 


 今年は、サワフタギが瑠璃色の実を、たくさんつけました。毎日通る散歩道に2本もありますので、出会うのが楽しみです。雨上がりなどは、実がつやつやと光り、まるで宝石のようです。


 

 イザベル・ユペール出演の映画「未来よ こんにちは」を観ました。映画は多分年間に300本ぐらいは観ているのですが、久しぶりに良い映画を観たなあという感じがしました。

 映画を観た後で調べてみましたら、ベルリン国際映画祭銀熊(監督」賞、そしてイザベル・ユペールもニューヨーク映画批評家協会賞とロサンゼルス映画批評家協会賞、この2つの主演女優賞を受賞していました!

 イザベル・ユペールは、50代後半のパリの高校の哲学教師ナタリーの役ですが、教師として、そして夫と二人の独立した子供たちとの日常の生活の様子がいきいきと描かれていて、すてきに年を重ねている姿が、印象的でした。



 高校の哲学の教師といえば、ボーヴォワールもそうだったように、フランスの知的な女性の典型にも思えます。映画の中にも、さまざまな哲学者の名前や哲学書を読むシーンなどが出てきたのですが、わたしにわかったのは、アランの「幸福論」パスカルの「パンセ」そして、ショーペンハウェルの「意志と表象としての世界」ぐらいでした。

 ナタリーの優秀な元教え子の田舎の家への訪問のとき、車中で歌が流れている場面がありました。ナタリーは、「いい曲ね」と教え子にいうのですが、わたしもおしゃれな選曲だと思いました。調べてみましたら、ウディ・ガスリーの「シップインザスカイ」とのこと。そのほかにも、シューベルトの歌曲「水の上で歌う」などが効果的に使われていて、音楽のセンスもいい感じでした。

 日常を教師の仕事や母親の介護などで、忙しく過ごすナタリーの人生に突然起きるのは、25年連れ添ったナタリーの夫に愛人ができたことでの離婚、そして、母親の死などでした。

 それらが過ぎて、一人になったとき、ナタリーは居間のいつもの長椅子にどんと腰をおろし、「これで自由!」とさわやかに宣言するのです。これからの未来を、ナタリーは、いつものように凛として生きていくのだと思いました!



 映画監督は、ミア=ハンセン・ラヴという1981年生まれの40歳の女性ですが、映画の中での花束や、いちご、テーブルの上にいつも置いてある日本の土瓶とちゃわん、そして、大きな存在感のある黒猫などにも、それぞれに彼女のこだわりの視点が、感じられました。

 監督のご両親も、お二人ともに高校の哲学の教師で、ナタリーのモデルは母親とのことです。なにげなく観た映画でしたが、久しぶりに出会えたすてきな映画でした。

 

 

 

 


 

2021年9月10日金曜日

読書・「ジーノの家 イタリア10景」内田洋子著・文春文庫

 

  この本は友人にプレゼントしていただいたもので、内田洋子さんのエッセイを読むのは、初めてでした。内田洋子さんは、1959年生まれでイタリア在住30余年のジャーナリストとのことですが、彼女はどのようにイタリアのエッセイを書かれているのか、興味を持って読みました。



 最初のエッセイは、「黒いミラノ」。

 ミラノの知られざる暗黒街の部分を、ジャーナリストの嗅覚で、読者を物語の中に引き込みながら読ませてしまうのです。わたしはこの部分を読んだ時、アントワープに住んでいたころ、暗黒街とまではいかなかったのですが、閑散とした飾り窓が並ぶ通りを、ドキドキしながら歩いたことを思い出してしまいました。

 ヨーロッパの古い街には、こういう部分もあり、そこにはいろいろな人たちが住む生活があるのですよね・・。内田さんはこの黒いミラノをはじめ、さまざまなイタリアの10景を、そこに住むひとたちのレポートとして、愛情込めて書かれています。



 わたしはずっと須賀敦子さんのファンで、いつも彼女の知的で文学の香りのする本を愛読してきたのですが、内田洋子さんの本は、ジャーナリストの視点からの文で、ストーリーが抜群に面白く、しかも人間味にあふれた彼女の人柄をも感じさせられるようなエッセイでした。

 


 内田さんは、あとがきにこんな風に書いていらっしゃいます。

「名も無い人たちの日常は、どこに紹介されることもない。無数のふつうの生活に、イタリアの魅力がある。」

 わたしも同感でした・・・。 



2021年8月28日土曜日

須賀敦子さんの「どんぐりのたわごと」

 

 久しぶりに須賀敦子さんの本を読みました。「須賀敦子全集第7巻」河出文庫の中の「どんぐりのたわごと」と、「日記」です。「どんぐりのたわごと」は、須賀さんがローマ留学時代に、日本の友人に送るために書いたミニコニ誌ですが、自分たちのことをどんぐりにたとえていらっしゃいます。


  その記念すべき第一号に、須賀さんは「どんぐり」について、こんな風に書かれていますので、17pから引用してみます。

「つやつやと光っていて、いつもわらっているようなどんぐり。しかもまた何と小さくて威厳のないことか。でも私達は、どんぐりでなければもつことのできない、しずかな、しかもいきいきとした明るさを、よろこびを、みんなのところにもって行けるのではないでしょうか。」            



 ご自分や友人、仲間たちのことをどんぐりにたとえた須賀さんの感性がすてきです。

 第8号には、不毛の山岳地帯にどんぐりを育てて木を植え続けた男性のエピソードが「希望をうえて幸福をそだてた男」という題で載せられています。

 この話のような文献の母体は、あのコルシア・ディ・セルヴイ誌からのものが大半で須賀さんが翻訳して「どんぐりのたわごと」に載せていらっしゃるとのこと。このコルシア・ディ・セルヴイ誌は、須賀さんが結婚なさったペッピーノ・リッカさんやほかの仲間たちで作られていたようです。後に須賀さんは、「コルシア書店の仲間たち」という本で、この仲間たちについて書かれています。


        


  本の後半には、須賀さんの日記も収録されています。パートナーであるペッピーノさんが突然亡くなられてから4年後に、日本に戻られるまでの間の日記で、大学ノートに書かれていたとのこと。

  日記にはペッピーノさんを亡くされた後の須賀さんのミラノでの孤独の日々がつづられているのですが、わたしは4月19日に書かれていた「自由と孤独」についてのところが、印象的で、こころに残りました。479pからの引用です。

 「もう四年になる。この四年、わたしは生きすぎてしまった。あの頃知らなかった「自由」による幸福の時をさえ持ってしまった。もちろん、自由と孤独とは、壁一重のとなりあわせである。孤独を生きることをおぼえたところから自由がはじまるのかもしれない。」




  「孤独」の中で、「自由」のしあわせを知った須賀さんは、書くことに目覚め、あの「須賀敦子さん」になられたのですね。 

 「どんぐりのたわごと」と「日記」は、須賀さんのこころの軌跡なのかもしれません・・・・。

    




    


2021年8月22日日曜日

読書・「ジヴェルニーの食卓」原田マハ著・集英社文庫

 

 「ジヴェルニーの食卓」という題名に惹かれて読んだ本です。この題名は以前に、ジヴェルニーにあるモネの家を訪ねたときのことを、思いださせてくれました。モネの庭は、想像していたよりもずっと広く、あの「水連」の咲く池や、藤の花が欄干にからまって咲く日本風の橋も絵のとおりでしたが、でも何よりも庭に咲く花の種類が多く、しかも見事に鮮やかな色彩にあふれていたのが、忘れられません。わたしが訪ねたときには、庭好きの英国からの団体のビジターがいらしていて、庭の花に感嘆の声をあげていました。




 モネの家の緑やピンク色に縁どられた窓も画家の家を思わせてすてきでしたが、テーブルや椅子まで黄色で統一されたダイニングルームも個性的で印象に強く残っています。壁の一部には日本の浮世絵が飾られていたのもよく覚えています。




 このしあわせそうな大きな食卓、ここでモネと家族はどんな人生の時を過ごしたのか、興味を持って読みました。

 この短編の主人公ブランシュは、モネが2度目の結婚をしたアリスの連れ子です。6人の子供がいるアリスがなぜ、2人の子供のいるモネと再婚したのかそのいきさつも書かれていました。後にブランシュは、モネの最初の結婚で生まれた長男と結婚するのですが、長男が亡くなった後、ジヴェルニーに戻り、モネといっしょに暮らすようになります。

 この大きな黄色の食卓は、お料理上手だったというアリスの作ったおいしい料理を、大勢の家族でにぎやかに食べた幸せな時間を思わせますが、小説の最初にこんなモネの言葉が書かれていました。

 「私は有頂天だ。ジヴェルニーは、わたしにとって、輝くばかりにうつくしい国だ。」

 絵も認められるようになり、趣味は庭作り、経済的にも安定したジヴェルニーでのモネのしあわせな生活が偲ばれる言葉だと思いました。最初は再婚同士の大家族で、2度目の妻のアリスが亡くなった後は、義理の娘ブランシュとの晩年の穏やかな生活、それらはみなこの食卓を囲んでのものだったようです。

                    

 

 モネが好きだったという朝食のオムレツや、デザートのピスタチオで作った鮮やかな緑色のケーキ、「ガトー・ヴェール・ヴェール」などが出てくるのですが、おいしそうでした。 

 この本には、ほかにもマティスやピカソ、ドガ、セザンヌなど興味ある画家たちのことが書かれている短編も載っているのですが、南仏に住んだマティスのエピソードもおもしろかったです。




※上の写真の黄色の部屋の食卓の写真は、ジヴェルニーのモネの家を訪ねたときに購入したこの本からのものです。↓


※最初の写真は、うちの庭に咲いていた「ボルトニア」です。