2021年6月28日月曜日

星のきらめきの歌人・・・

 

 冬の深夜、ふと目覚めカーテンを開けて空を眺めたとき、冴えた濃紺の冬空にきらきらと星が輝いて見えたときめくような光景は、わたしの記憶の1ページに大事にしまってある特別な思い出です。



 その同じ光景を千年以上も前に見て書き留めていた歌人がいました。建礼門院右京大夫です。彼女は高倉天皇の中宮徳子(後の建礼門院)に仕えていたことがある女性です。

 彼女の歌集は、「建礼門院右京大夫集」というのですが、その中にこんな歌が出てきます。

  ☆月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよい知りぬる

                             建礼門院右京大夫

 月はこれまでにも眺めて慣れてきましたが、星月夜がこんなにもこころに染み入るようにすてきだとは、今宵初めて知りましたというような歌意です。

 彼女のこの和歌の前に書いてある詞書もすてきで、この星月夜のことを「縹色(はなだいろ」の紙に金箔を散らしたよう」というおしゃれな表現で書いています。



 この「建礼門院右京大夫集」は、和歌と詞書(ことばがき)で書かれているのですが、わたしは物語風にも読むことができました。

 建礼門院右京大夫が愛した平資盛(たいらのすけもり)は壇ノ浦で亡くなり、仕えていた高倉天皇の中宮徳子も、あの平家の戦いの悲劇の後、建礼門院となり出家したことなど、平家一門の栄華と挫折を見てきた歌人でもある作者は、抒情詩人のような感性で、この歌集を作っていることに惹かれました。

 


 この歌集の作者は、藤原定家が勅撰集編纂のために歌を集めるときに、どのような名前で歌を載せたいのかと尋ねられ、思い入れのあった中宮の徳子、後の建礼門院を偲び、「建礼門院右京大夫」(けんれいもんいんうきょうだいぶ)にしたということが、最後に書かれています。

 


 彼女が愛した星月夜は、千年後のわたしも見た光景でした。

☆月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよい知りぬる

                             建礼門院右京大夫
















2021年6月6日日曜日

読書・「シルヴェストル・ボナールの罪」アナトール・フランス作・伊吹武彦訳

 

 プルーストが愛読したという作家アナトール・フランスの代表作「シルヴェストル・ボナールの罪」を読みました。




 本に囲まれて、パリのセーヌ河岸で猫と婆やのテレーズと暮らす老学士院会員シルヴェストル・ボナールの日記です。二つの挿話が書かれているのですが、当時の時代背景も良く分かりおもしろく読みました。

 第一部薪(まき)の挿話は、主人公のシルヴェストル・ボナールが、かって助けたことのある貧しい女性から、いまはお金持ちになった彼女に、探していた本を贈られる話で、第二部ジャンヌ・アレクサンドルは、シルヴェストル・ボナールの昔の恋人の孫娘を、不幸な境遇から助け出して幸せにしてやるという話です。

 シルヴェストル・ボナールの婆やのテレーズは、ずけずけと物をいう善意の女性で、漱石の坊ちゃんの清を思い出しました。プルーストの「失われた時を求めて」に出てくるフランソワーズにも似ているかもしれません。

 漱石は、清のことを「人間としてはすこぶる尊い」と書き、アナトール・フランスは、主人公に「婆やの年とまごころを汲んで大切にしなければならない」と、同居することになった昔の恋人の孫娘に諭して言わせています。



 著者のアナトール・フランスは、老いた学士院会員シルヴェストル・ボナールの日記として、ヒューマニズムのお話を、少しシニカルさも加えて書きたかったのだと思います。

 プルーストがアナトール・フランスの本を好んで読んだというのも、理解できるような気がします。プルーストは幼い頃、母にジョルジョ・サンドの「愛の妖精」などを読んでもらっていたということですから・・。

  わたしが印象に残ったのは、「ハミルカル」と「ハンニバル」という名前の2匹の猫です。第一部に出てくる「ハミルカル」のことを、「本の都の眠りの王子」と、書いているのですが、これも彼一流のシニカルな表現ですてきだと思いました。作者はきっと猫好きだったのかなと想像してしまいました。

 もう1匹第二部に出てくる猫には、「ハンニバル」と名付けているのですが、ハンニバルはカルタゴの勇将「ハミルカル」の子で、後継者なのですよね!




 ところが、猫の「ハンニバル」は、自分の新しい名前を呼ばれたときに、本箱の下のねずみでさえ入れないような狭い場所にもぐりこんでしまい「立派な名前に恥じる」と、主人公に言わせていて、クスッとしてしまいました。

 そういえばプルーストの小説には、猫も犬も出てきませんが、彼だったらどのように彼らのことを書いたのか読みたかったと思いました。

 翻訳者の伊吹武彦さんは、古めかしくすてきに訳されていて、好感を持ちました。伊吹さんは解説で、アナトール・フランスの文体を「彼一流の清澄な文体」、そして「澄み切った明るさ」の中には彼独特の「皮肉と感性」を孕んでいるとも分析なさっているのですが、納得でした。