2016年11月26日土曜日

枯れ葉のレース



 数日前に降った雪も、もう大分融けました。

 きょうの散歩のときに、道路の上に枯れ葉のレースを見つけました。





 道路の上に貼り付いた枯れ葉が、雪の下からこんなにすてきなレースになって、あらわれたのです。




 ちょうどその道は、人通りもなく車も通らないので残ったのでしょう。




  最後の枯れ葉の命の輝きに出会えたようでした。





 




2016年11月24日木曜日

今朝の雪景色2・(紅葉と雪)



 この季節にはいつも、すっかり葉を落とした林の中に、まだもみじの紅葉が残っているところが、あります。





   今朝の雪で、もみじの紅葉が雪に鮮やかに映えて目を奪われました。





 12月の初旬に京都に行ったことがあるのですが、そのときにも、名残りのもみじの紅葉に、雪がちらちらと降りかかり、とてもすてきだったのを覚えています。




  

 ちょうど、瓢亭の辺りを歩いているときで、のれんをくぐって出てこられた女性の二人連れの方が「あっ、雪どすなあ・・」と、話されていたのが、印象的でいまでも忘れられません。





  もみじの紅葉と雪も、いいものですね。








今朝の雪景色・1



 きょうは、天気予報通りに、那須にも雪が降りました。

 11月24日午前10時の雪景色です。





 いつもの散歩コースのコナラの林と、ヤマツツジの木々ですが、すっかり雪化粧をして、モノトーンの静寂の世界になっていました。








  今年の冬初めての雪だるまを作ってみたのですが、いかがでしょうか・・・。




      





2016年11月23日水曜日

きょうの一枚



 きょうは、風が強く寒い一日でした。

 午後の散歩のときには、晴れた空から風花が舞い散っていました。

 コートの襟を立て、わたしの好きないつもの場所まで散歩してきました。

 つい先日まで紅葉していた林の木々もすっかり葉を落とし、すっきりとしたこんな風景になっていました。




  もう、初冬という感じのすてきな風景でした。

 

2016年11月18日金曜日

「大 仙厓展」に行ってきました。



 
 先日、出光美術館で開催されていた「大仙厓展」に行ってきました。




  仙厓義梵(せんがいぎぼん)・(1750~1837)は、江戸時代の臨済宗古月派の禅僧ですが、ユーモラスな禅画をたくさん、残しています。

 今回は、 仙厓の東西3大コレクションが終結し「禅の心、ここに集う」というタイトルの展覧会でした。

 わたしが一番心惹かれたのは、仙厓のこの〇の絵と言葉でした。




 「これくふて茶のめ」

何これ・・???

と思い、
思わず笑ってしまいました。

これを、
どのように解釈するのかはひとそれぞれだと思いますが、

こういう謎解きのようなことって 仙厓の禅画のおもしろさなのでしょうね。

すっかり、引き込まれてしまいました。




 道元の「正法眼蔵随聞記」は、ときどき読んでいるわたしにとっては、興味のつきない大好きな書ですが、

こういう 仙厓の軽妙な禅画も、新しい思考の世界でした。

 同じことを、まじめに考えても、ユーモアをまじえて考えても、どちらでも〇なのですよね・・。



 

  



2016年11月15日火曜日

リルケの「秋」





   今朝、起きて外を見ましたら、一面の落葉でした。
 季節は秋から、晩秋へと確実に移ろっているようです。




  こんな落葉の季節に、ぴったりの詩を見つけました。
 リルケの「秋」という詩です。

・ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

      秋
                    リルケ

木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
大空の遠い園生(そのふ)が枯れたように
木の葉は否定の身ぶりで落ちる

そして夜々には 重たい地球が
あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる

われわれはみんな落ちる この手も落ちる
ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手に支えている者がある

・-・-・--・-・-・-・-・-・-・
            リルケ詩集・富士川英郎訳・新潮文庫

   




木の葉が、否定の身ぶりで落ちても
地球が寂寥の中に落ちても
われわれさえもみんな落ちても
それでも
それを支えるやさしい両手がある・・・

リルケのやさしい視点が、感じられます。

リルケにこんなすてきな秋の詩があったのですね・・・・。




 落葉が一面に散り敷いている道を、かさこそと落葉を踏んで歩くのは、気持ちが豊かになるようでした。










      

2016年11月10日木曜日

秋のソナタ(ブラームスのクラリネット五重奏曲)




 今年の秋は、ウリハダカエデやもみじの紅葉が例年になくチャーミングですてきなのですが、コナラの黄葉も始まりました。

 この季節になると、ブラームスのあのやわらかくあたたかいクラリネット五重奏曲が懐かしくなり、聴きたくなります。



  


 散歩から戻った後に、ブラームスの「クラリネット五重奏曲」をCDラックから
出して、早速、聴いてみました。

 クラリネットのあのこころをやさしくするようなあたたかい音色は、コナラの黄葉や
一面に散り敷いた枯れ葉のじゅうたんの風景にぴったりです。




   吉田秀和さんは、「わたしの時間」という本で、ブラームスの「クラリネット五重奏曲」についてこう書かれています。





・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
 「あの晩秋の憂鬱と諦念の趣きは実に感動的で、作者一代の
傑作のひとつであるばかりでなく、十九世紀後半の室内楽の白眉に
数えられるのにふさわしい。」 
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
            引用・「私の時間」吉田秀和著・中公文庫・75p





 多分、以前に読んだこの吉田さんの言葉が、頭のどこかに残っていたのだと思います。





 吉田さんは、「音楽の光と翳」という本で、ザルツブルグで聴いたブラームスの三重奏の音のことをこんな風にも書いていらっしゃいます。

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
  「ブラームス特有の、あの思い出の香りがいっぱいつまった
ような歌で始まる。」
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・        
           引用・「音楽の光と影」吉田秀和著・中公文庫・123p




 「あの思い出の香りがいっぱいつまったような歌・・・」という表現は、吉田さんのチャーミングなお人柄までしのばれるようなすてきな言葉ですよね・・。


 


   クラリネットのやわらかなあたたかい音色を聴いていると、ブラームスのやさしさと、そのこころの奥の彼の人生の諦念まで、聞こえてくるようです。

 


 ブラームスの「クラリネット五重奏曲」わたしの好きな秋の一曲です。