2016年2月27日土曜日

雛遊び




 もうすぐ、ひな祭りです。

 ひな祭りに飾る雛人形の原型は、平安時代の貴族の子供の
雛遊び(ひいなあそび)から来ているともいわれていますが、
源氏物語にも雛遊びが出てきます。

 それは、若紫のところで、後の紫の上の幼いころの遊びとして
書かれています。





 源氏物語を訳された4人の方の本を持っていますので
雛遊びのところを、比べてみたのですが、それぞれ個性が出ていて
おもしろかったです。



☆與謝野晶子訳・角川文庫159p
「それからは人形遊びをしても絵をかいても源氏の君
というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せて
大事がった。




☆谷崎潤一郎訳・中央公論社169p
「雛遊び(ひいなあそび)にも、絵をお画きになるのにも、
「これが源氏の君よ」と言ってお作りなされて、綺麗な
衣(きぬ)を着せて、かしずいていらっしゃるのでした。





☆瀬戸内寂聴訳・講談社227p~228p
「それからは人形遊びにもお絵描きにも、これは
源氏の君よときめられて、きれいな着物を着せ、
大切にしていらっしゃいます。」




☆円地文子訳・新潮文庫229p
「雛遊び(ひいなあそび)をなさる時も、絵をお描きに
なる時にも、源氏の君というのを必ずお作りになって、
綺麗な着物を着せ、大切にしていらっしゃるのであった。




4人の訳を比べてみますと、一目瞭然に違いが
わかります。

 與謝野晶子訳は、敬語なしの現代的なさっぱりと
した文。

 谷崎訳は、流れるような流麗な文。

 瀬戸内寂聴訳は、彼女の肉声が聞こえてきそうな
分かりやすく簡潔な文。

 円地文子訳は、節度があり品格の感じられる文でした。




 それにしても紫の上の雛あそびとは、どんなものだった
のでしょうか。
 当時は高価だった紙で作ったのではともいわれているようですが・・。




 もうすぐ、ひな祭りですが、源氏物語に出てくる
紫の上の雛遊びを4人の訳から想像して見るのも、
楽しいことでした。







2016年2月23日火曜日

2月22日(猫の日)




 2月22日は、猫の日でした。
 
 これは、以前に、神楽坂で写した猫ですが
あまりにもかっこいい姿で、ほれぼれするような
猫でした。

 


  夏目漱石の「吾輩は猫である」に出てくる猫は
あまりにも有名ですが、このモデルになった猫が
天国にいったとき、漱石は親しい人に死亡通知を出し
墓を作って桜の木の下にうめてあげたということです。

 墓標の裏に、「この下に稲妻起る宵あらん」という
句を書いたとか。

 早稲田の漱石の旧居跡を訪ねたとき、鏡子夫人が
猫の13回忌のころ建てたという猫や犬のヘクトーなどの
ペットの慰霊の九重の石塔を見ました。

 九重の石塔は、少し傷んでいたのですが、漱石ご夫妻の
ペットへの愛情が感じられました。

 
 漱石は、こんな猫の俳句も残しています。

「恋猫の眼(まなこ)ばかりに痩せにけり」 漱石

 
 

 












2016年2月21日日曜日

きょうの一枚




 きょうの散歩のときに写した一枚です。

 


 お昼前に散歩したのですが、まだまだ風も冷たく
午後からはちらほらと雪も舞っている寒い一日でした。

  道の両側には、まだ少し雪が残っていて、
その雪が道路の側溝に落ちる辺りから、
雪解けの雫がしたたっていました。

 丸い雫は、ガラスのピアスのようでかわいらしく
思わず道路に身をかがめて魅入ってしまいました。

 家の軒や、木々の雪解のしたたりを

「雪解雫」(ゆきげしずく)というそうで、美しい言葉だなあと
思います。












   

2016年2月17日水曜日

フキノトウのお味噌汁




 2月は、まだまだ寒いのですが、この季節にフキノトウを
見つけるのは、小さなサプライズです。




 うすみどりの花びらのような苞(ほう)は、中の花芽を
やさしく包んでいます。

 フキノトウは、雌雄があるのですが、このフキノトウは、
どちらなのでしょう?

 たしか、雄花だったら黄色
      雌花だったら白・・・


 毎年、毎年決まった時期になると出てくれるフキノトウ

 フキノトウは、わたしに春を告げてくれる自然界からの
すてきなプレゼントのように思えてきます・・・。




 ところで、先日、TVで脚本家の倉本聰さんの100年インタビューを
見たのですが、フキノトウの話しがこころに残りました。

 倉本さんは、おいしい食べ物には興味がなく、疎開先で食べた
ご飯とフキノトウが入ったお味噌汁が人生の中でもいちばん
おいしいと思っているとのことでした。

 疎開先で食べたあたたかいご飯と
 ほろ苦いフキノトウの入ったお味噌汁・・・

 どんなにか、おいしかったことだろうなあと、思います。

 食べ物の思い出は、食べ物を食べたときの状況もいっしょの
思い出なのですね。




 倉本さんが残したい言葉は、「こんな世の中にしてごめんなさい」
ということで、「ごめんなさい」という言葉だそうです。

 フキノトウのように、ほろ苦い、
でも、含蓄のある倉本さんのお話しでした。



  

 






  







2016年2月15日月曜日

小さな旅・松島



 松島へ1泊の小さな旅をしてきました。


 松島の遊覧船の出る船着き場のあたりの風景ですが、
まるで墨絵のようでした。

 奥の細道を書いた芭蕉も、松島を訪ねているのですが
句は残してなく、同行した曽良のみ、こんな句を残しています。

      松島や鶴に身を借れほととぎす
                      曽良

 松島は、こんなに美しいので、ホトトギスよあなたも鶴に姿を
変えた方がこの景色に似合っていいかもしれませんね
というような意味でしょうか・・。

 宿泊したホテルは、2度目でしたが、2011年の東日本大震災以後、
はじめての宿泊でした。津波の被害もほとんどなかったようで、
良かったなあと思いました。

 食事も牡蠣など旬のものをとり入れた料理でおいしく
スタッフの方もホスピタリティーに溢れていて、気持ちよく
滞在できました。


 翌日は、まだ雪の残る瑞巌寺を訪ねたのですが、
参道入口のところにある杉並木が、津波で被害を
受け、伐採されてたのが、痛々しく感じました。

 瑞巌寺の庫裡から、雪の残る中庭を見たところです。
禅寺の空気は、凛としていて、すてきでした。

         
 
 瑞巌寺を再建した伊達政宗の正室・愛姫の墓堂の扉に
描かれた金色の葡萄と鉄線の花の絵ですが、ブルーが印象的でした。


 
 ところで、伊達政宗は、食通で料理が趣味だったこともあり、
仙台名物のずんだ餅は彼の考案だったという説もあるとか。

 実は、わたしもずんだ餅は大好きで、仙台に行くといつも
食べるのですが、今回はそれにソフトクリームをコラボした
ものを食べたのですが、もちろんおいしかったです。


 今回の旅のサプライズは、帰りの新幹線で、出会った女性
でした。わたしたちが下車する10分ぐらい前にとつぜん
あらわれ短い時間でしたが、楽しい会話をしました。

 彼女はこれからハンガリーに仕事で出かけるということでした。
 
 また、宇宙のどこかでお会いしましょうと言って別れたのですが
グリーンの石のピアスが似合うすてきな女性でした。

 














2016年2月5日金曜日

白鳥伝説



 きょうは、あたたかい一日でした。

 いつもの散歩コースで写した写真ですが、
大好きな風景です。




 真っ白な雪と、冬晴れの青い空、そこに浮かんでいる
ふわふわの白い雲・・。

 こんな景色を見ていると、思わず深呼吸してしまいます。

 いま、古事記を読んでいるのですが、白鳥伝説のことを
思い浮かべながらの、散歩でした。

 この話しは、白洲正子さんも、「古典の細道」という本に
「白鳥の歌」というタイトルで書いていらっしゃいます。

 白洲さんは、国立博物館にある埴輪の「甲冑を着た武人」
を見られると、孤独な道を歩いた倭建命のことを思われる
ということです。


           「古典の細道」白洲正子著・新潮選書

 
 倭建命(やまとたけるのみこと)は、東国平定からの帰途、
能褒野(のぼの)で瀕死になられました。

 その時に故郷の大和を思ってこんな歌を詠まれています。


「倭(やまと)は 国のまほろば、たたなずく 青垣 山籠れる 倭し麗し」




 そしてついに、倭建命は、その能褒野で亡くなられたのですが、
白鳥になって故郷をめざして、飛びたっていかれたということです。

 倭建命は生前、父に次々に出される国の平定の戦の命令に、
父は自分の死を願っているのではないのかという不信感を
持たれていました。

 戦に明け暮れる日々に、どんなにかなつかしい故郷の大和に早く
帰りたいと願っていたことでしょう・・・。

 この歌には、彼の望郷の切ない思いが表れているように思います。

 それにしても、倭建命が故郷の大和をめざし白鳥になって飛んで
いったという伝説は、哀しすぎるお話しです。



          古事記  山口佳紀・神野隆光【校訂・訳】小学館