2019年3月7日木曜日

新訳でプルーストを読破する第10回「囚われの女Ⅰ」




 3月2日、立教大学で行われた新訳でプルーストを読破する第10回「囚われの女Ⅰ」に参加してきたのですが、立教大学構内では、椿がきれいでした。




 今回の講師は、プルースト研究家の小黒昌文さんで、彼によれば、プルースト的一言は、「響きあうしるし」ということでした。
 この小説を読んでいると、たとえば「カモメ」や「睡蓮」などの言葉が、響きあうしるしになっているというのです。




 わたしも響き合うしるしを見つけてみると、海がありました。
 アルベルチーヌの切れ長の青い目が液体化したように見え、彼女が目を閉じるとカーテンが閉まって海が見えなくなるような気がした。(41p)
 アルベルチーヌの中に息づいていたのは午後の終わりの海だけではなく、ときには月夜の砂浜にまどろむ海でもあった。(149p)




  海はフランス語では、「ラ・メール」で女性ですから、アルベルチーヌを海にたとえるのは、ふさわしいのかもしれません。
  それにしても、アルベルチーヌの青い目を海にたとえ、彼女が目を閉じるとカーテンが閉まって海が見えなくなるような気がしたというフレーズは、すてきです!




 
 この巻でのわたしの好きな1ページは、419pの2行から4行でした。
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「ベルゴットは埋葬されたが、葬儀の夜、ひと晩じゅう明かりの灯った本屋のショーウインドーに、その本が翼を広げた天使のように三冊ずつ飾られて、通夜をしているのが、もはやこの世にいない人にとって復活の象徴となっているように思われた。」
   引用 失われた時を求めて10囚われの女Ⅰ プルースト作 吉川一義訳 
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 ベルゴットという作家の書いた本は、彼が亡くなっても芸術作品として永遠に残るという暗示ですが、これはプルースト自身のことかもしれません。

 この世に自分(プルースト)が生まれてきたのは、芸術作品としての本を書く仕事を成し遂げるためと自分に言い聞かせ、あの晩年の昼夜を逆にして、音を遮断するために、コルクを貼った部屋で、苦行僧のように書き続けたのだと思いました・・・。




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