2024年1月6日土曜日

読書・「もう一度読みたい宮沢賢治」 宝島社

 

  

 昨年末には、こんな感じだった散歩道の雪も、元日にはすっかりとけてしまいあたたかく穏やかな2024年の新年を迎えることができました。

 わたしが好きな散歩道の風景ですが、やはり冬がいちばん好きです。そこにはいつもコナラやヤマツツジの雑木林があり、水色の空に浮かぶ真っ白の雲はゆるやかに流れ、透き通った凛とした冷たい風がいつも吹いています。



 昨年末から新年にかけて、「宮沢賢治」を久しぶりに読み返していました。ブラックユーモアのある彼の童話も好きですが、賢治の詩は、子供のころから好きで、特に、妹とし子との永遠の別れをうたった「永訣の朝」は、いまでもむかし感じたように、読み返すたびに、いつも胸がきゅんとしてしまいます。

 宝島社の「もう一度読みたい宮沢賢治」の中の「永訣の朝」を引用してみます。



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 永訣の朝

   

   けふのうちに

   とおくへいってしまふわたくしのいもうとよ

   みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   うすあかくいっそう陰惨(いんざん)な雲から

   みぞれはびちょびちょふってくる

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた

   これらふたつのかけた陶椀に

   おまへがたべるあめゆきをとらうとして

   わたくしはまがったてっぽうだまのやうに

   このくらいみぞれのなかに飛びだした

      (あめゆじゆとてちてけんじや)

   蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から

   みぞれはびちょびちょ沈んでくる

   ああとし子

   死ぬといふいまごろになって

   わたくしをいっしゃうあかるくするために

   こんなさっぱりした雪のひとわんを

   おまへはわたくしにたのんだのだ

   ありがたうわたしのけなげないもうとよ

   わたくしもまっすぐにすすんでいくから

      (あめゆじゆとてちてけんじゃ)

   はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから

   おまへはわたくしにたのんだのだ

   銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの

   そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・

   ・・・・・ふたきれのみかげせきざいに

   みぞれはさびしくたまってゐる

   わたくしはそのうへにあぶなくたち

   雪と水とのまっしろな二相系(にさうけい)をたもち

   すきとほるつめたい雫(しずく)にみちた

   このつややかな松のえだから

   わたくしのやさしいいもうとの

   さいごのたべものをもらっていこう

   わたくしたちがいっしょにそだってきたあひだ

   みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも

   もうけふおまへはわかれてしまふ

   (Ora Orade shitori egumo)

   ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ  

   あぁあのとざされた病室の

   くらいびゃうぶやかやのなかに

   やさしくあをじろく燃えてゐる

   わたくしのけなげないもうとよ

   この雪はどこをえらばうにも

   あんまりどこもまっしろなのだ

   あんなおそろしいみだれたそらから

   このうつくしい雪がきたのだ

      (うまれでくるたて

       こんどはこたにわりゃのごとばかりで

       くるしまなあよにうまれてくる)

   おまへがたべるこのふたわんのゆきに

   わたくしはいまこころからいのる

   どうかこれが天上のアイスクリームになって

   おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

   わたくしのすべてのさいわひをかけてねがふ

   ・-・-・-・-・-・  引用 329p~331p



  この詩をはじめて読んだのは、いつの頃だったのでしょうか・・。涙が出てしまったのを思い出します。それ以来、いままでに何度読んだことでしょう。そしていまでも読むたびに胸がきゅんとしてしまいます。

 この詩には、賢治のとし子さんに対する愛がぎゅっと詰まっていて、彼の詩人としての才能を、読むたびに感じます。

 賢治の方言を入れた独時の言葉遣いのほかにも、自分のことをいつも「わたし」ではなく「わたくし」ということ。

 雪のひとわんを入れる茶碗には青いじゅんさいのもようがついていたこと。

 雪をとった松の葉の香りのことを、たしか別の詩の「松の針」では、さわやかな「ターペンタイン」の匂いと言っていることなどは、読み直すたびに、いつも思い出すことです。

 そして、妹のとし子のことを、けなげな妹、やさしい妹と、たたえているのですが、何よりもそのけなげでやさしい証明として、死の間際に賢治の一生をあかるくするために、雪のひとわんを願ったと詠っているのです。

 その「あめゆじゆとてちてけんじや」という言葉を、賢治は詩のなかで4回も繰り返しています。


          ウサギの足跡・・


 とし子は、岩手の花巻から東京の「日本女子大学」に行き、故郷にもどってからは、女学校の教師として働いていました。当時としは、とても優秀で宮沢家の自慢の娘であり、賢治にとっては、信仰まで同じだった唯一無二の存在で、かけがえのないやさしい妹だったのだと思います・・・。

 この本は、いつも再読するたびに、宮沢賢治と彼の作り上げた独時の世界を思い出すことができるなつかしい一冊になっています・・・。




追記

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 今回宝島社の「永訣の朝」を読んで気がついたのですが、手持ちの角川文庫の「宮沢賢治詩集」中村稔編とでは、少し相違点があるのを見つけました。

 宝島社の詩では「天上のアイスクルーム」と書かれているところが、「宮沢賢治詩集中村稔編」角川文庫では、「兜率の天の食」と、なっていました。

 北海道大学のある論文によれば、賢治は最初、「天上のアイスクリーム」としたのですが、後に作品の完成度をねらって、「兜率の天の食」に変更したとのことです。

 宝島社の「永訣の朝」は、「天上のアイスクリーム」になっているのですが、この論文によれば、テキストとしてはこちらの方が、わかりやすくて良いのではということでした。

 詩は、言葉がいのちですが、わたしも賢治が最初に書いたという「天上のアイスクリーム」のほうが好きです・・。

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