2024年4月30日火曜日

読書・大好きな本・・・カポーティの「クリスマスの思い出」  

 

 今朝はウグイスのにぎやかな鳴き声で目が覚めました。カーテンを開けると、25日から突然咲き始めた我が家のヤマザクラが満開になっていて、朝の陽光を浴びて輝いていました!




 カポーティの「クリスマスの思い出」は、大好きな本です。村上春樹さん訳で山本容子さんの銅版画が20点も載っている絵本のような文藝春秋出版の本は、わたしの愛蔵本になっています。

 先日、カポーティの「誕生日の子どもたち」という短篇集を読んでいましたら、そのなかで、村上春樹さんが「クリスマスの思い出」を新訳なさっていましたので、比べてみました。




 わたしの好きな最初の場面です。

村上春樹・旧訳

「クリスマスの思い出」トルーマン・カポーティ 文藝春秋

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 十一月も終わりに近い朝を思い浮かべてほしい。今から二十年以上昔の、冬の到来を告げる朝のことだ。広々とした古い田舎家の、台所のことを考えてみてほしい。黒々とした大きな料理用ストーブがまず目につく。大きな丸いテーブルと、暖炉の姿も見える。暖炉の前には、揺り椅子がふたつ並んでいる。暖炉はまさに今日から、この季節お馴染みの轟音を勢いよく轟かせ始めたばかりだ。

・-・-・-・-・   引用6p「クリスマスの思い出・文藝春秋版」



村上春樹・新訳

「誕生日のこどもたち」(文春文庫)という題名のカポーティ短篇集の中の「クリスマスの思い出」

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 十一月も末に近い朝を想像してほしい。今から二十年以上も昔、冬の到来を告げる朝だ。田舎町にある広々とした古い家の台所を思い浮かべてもらいたい。黒々とした大きな料理用ストーブがその中央に鎮座している。大きな丸いテーブルがあり、暖炉の前には、揺り椅子がふたつ並んでいる。暖炉はまさに今日から、この季節お馴染(なじ)みの轟音(ごうおん)を轟(とどろ)かせ始めた。

・-・-・-・-・ 引用109p


 これはまさに、物語のはじまりの場面で、大事なところだと思うのですが、こうして比べてみると、村上春樹さんの翻訳に対する苦心のあとがみえてきます。新訳の方の訳者あとがきの中で彼は「翻訳というものは時間がたつにつれて、やり直したいというところがあちこち出てくるものだ」というようなことを言われているのですが、なるほどと思いました。




 こうなったら、是非英語の原文を読んでみたいと思い、ペンギン・ブックス出版のTruman Capote「A Christmas Memory」を購入したのでした。

 余談になりますが、出版社名が(Penguin Random House UK)と書いてありましたので不思議に思い調べてみますと、2013年にアメリカのランダムハウスと合併してペンギン・ランダムハウスになったとのこと・・。

 英国に住んでいたときに購入していたなつかしいペンギンブックスは、ペンギン・ランダムハウスになっていたのでした。




 カポーティの英語の原文からの引用です。

Truman Capote

A Christmas Memory(1956)

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Imagine a morning in late November. A coming of winter morning    more than twenty years ago. Consider the kitchen of a spreading old house in a country town. A great black stove is its main feature  ; but there is also a big round table and a fire-place with two rocking chairs placed in front of it. Just today the fireplace commenced its seasonal roar.

・-・-・-・-・   引用  A Christmas Memory Truman Capote

                (Penguin Random House UK)1p


 Imagine・想像してみて・・・ではじまるカポーティの歯切れのよい英文は、村上春樹さんの翻訳でも生きていてなかなかすてきに訳されていると理解できました。

 カポーティが7歳の頃に住んでいたアラバマの田舎でのクリスマスの思い出は、「想像してみて」というカポーティの声が耳元で聞こえてくるようでした・・・。

 いつ読んでも、切なくて悲しくて、でもいっぱい愛情に満ちている、バディ(カポーティ)と愛するおばさんで友人のスックと、ラットテリアのクイニーの無垢の物語は、原文でもやはりわたしの大好きな本だと確信したのでした・・・。






 




2024年4月23日火曜日

植物・さくらの季節・・・ほんのりと紅(べに)をさしたようなおおやまざくら・・・

 


 私が住んでいるこの辺りの高原で一番に咲く桜は、少し濃いピンク色の「オオヤマザクラ」です。



 山桜よりも少し大きく、花の直径は4.5cmもあり、別名は「エゾヤマザクラ」といいます。



 さくらの短歌といえば、むかしからずっと好きだったのは、与謝野晶子のこの歌です。

      清水へ祇園をよぎる桜月夜   

               今宵逢ふ人みなうつくしき

                                                                          与謝野晶子

 むかし京都に桜を見に行ったことがあるのですが、ちょうどそのときに、円山公園のしだれ桜(祇園しだれ桜)が、満開でした。この満開の桜の上に月が出ていたらすてきだろうなあと思ったのを思い出します。



 最近惹かれるようになったのは、馬場あき子さんのこの短歌です。

    さくら花幾春かけて老いゆかん

           身に水流の音ひびくなり

                    馬場あき子

 桜にかけて、ご自分の人生の老いをみつめていらっしゃるお姿は、凛としていていさぎよく、すてきです・・。



 でもさくらの短歌といえば、やはり西行のこの歌が、いちばん好きかもしれません。

 春風の花を散らすと見る夢は

     さめても胸のさわぐなりけり

                    西行

 西行は出家の身でありながらも、このようなどきっとするような妖艶とさえよめるような歌を残したのは、さすがといつも思います。

 朝日の中で匂うように咲くやま桜を、日本人の大和心にたとえたのは本居宣長ですが、やはりその桜は、白に近い凛としたヤマザクラが正解で、西行のこの歌のような桜は、少しピンク色がかったオオヤマザクラがふさわしいと思ったのでした・・・。






2024年4月6日土曜日

読書・「鴎外の坂」森まゆみ著・中公文庫

 

  4月4日は、二十四節気では、「清明」でした。清明とは、暦を調べてみましたら、「万物が新鮮になり桜花爛漫」と書いてありましたので、やはりその通りの良い季節になったのだと実感しました。

 わたしが住んでいる高原では、桜はまだまだですが、一昨日の散歩では、うすむらさきの春の妖精、「キクザキイチゲ」が春風にゆれて咲いているのを見つけることができました!!!

 清明の日に可憐に咲いていた「キクザキイチゲ」見惚れてしまいました!



  森まゆみさんの書かれた「鴎外の坂」を、読みました。森まゆみさんのお名前は、須賀敦子さんの著書「本に読まれて」の中の須賀さんらしいユニークな書評で知っていたのですが、そのときのご紹介の森さんの本は「抱きしめる、東京 町とわたし」でした。

 今回はその本ではなく、「鴎外の坂」を選んでみました。

 わたしにとってなじみのある東京の坂といえば、住んでいたことのある文京区のなつかしい「胸突き坂」です。名前のようにかなりきつい坂ですが、坂の途中には、芭蕉ゆかりの関口芭蕉庵もあり、近くには幽霊坂という名前の坂が2つもありますので、文京区は坂の多い町のようです。



 森さんは、鴎外の終の棲家となった観潮楼の近くのお生まれで、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集もなさっていて地域にくわしく、団子坂はもとより、三崎坂、三浦坂、S字坂、無縁坂、芋坂、暗闇坂、などさまざまな坂をご存じなので、鴎外も歩いたであろう坂に親近感を抱かれ、鴎外の坂という題名になさったのかなと思いました。

 森さんは、鴎外の著書や、鷗外のご家族が書かれた本などから、足で歩いてさまざまな検証をなさり、彼女の言葉で書かれているところに、好感を持ちました。




 わたしは、この本の「はじめに」の最初のところが、特に好きです。

「私は昭和二十九年、文京区駒込動坂町三百二十二番地に生まれた。森鴎外がその半生を暮らした本郷区駒込千駄木町二十一番地から歩いて十五分ほどのところである。」

                     引用7p

 森まゆみさんの評伝の目的が感じられ、わくわくしました。評伝はドナルド・キーンさんの「正岡子規」のように、研究者としてのお立場からのものと違い、親しみやすさを感じたからです。森まゆみさんの人生とシンクロする場面では、彼女の人生観も少し見え、お人柄も感じられた評伝でした。

 読み終えた後、団子坂の上にある「文京区立森鴎外記念館」をまた訪ね鴎外の本を再読してみたいと思ったのでした。