2020年8月31日月曜日

読書・「プルーストの浜辺「失われた時を求めて」再読」海野弘著・柏書房 


 

 ここ数日、猛暑の日が続いていたのですが、きょうは少し涼しくなり、木陰で読書。

 海野弘さんが書かれた「プルーストの浜辺」を、読み終えました。副題は、「「失われた時を求めて」再読」です。



 海野弘さんの本は、20年前ぐらいに出版された「プルーストの部屋」上・下を読んで以来2冊目です。

「プルーストの部屋」上・下は、わたしがプルーストの「失われた時を求めて」を初めて井上究一郎さんの訳で全巻読んだときに、いっしょに読んでいた懐かしい本です。

「プルーストの部屋」は、海野さんの専門分野でもあるアール・ヌーヴォーの世界からのプルーストへのアプローチだったように思うのですが、この本「プルーストの浜辺」は、ノルマンディの浜辺からのプルーストへのアプローチでした。




 海野さんは、ノルマンディが舞台になった小説として、フローベールの「ボヴァリー夫人」やモーパッサンの「女の一生」を挙げ、それらがプルーストの作品「失われた時を求めて」へと連なっていることが見えてきたと、書かれていますが、おもしろい視点だと思いました。

 わたしは、ノルマンディにあるエトルタに、結婚式に招かれて行ったことがあるのですが、あの辺りに住む人々や浜辺の風景を、なつかしく思い出します。エトルタにあるモーパッサンの住んでいた家もまだ残されていて、室内からはあの時代の雰囲気や空気感も感じることができました。



 「失われた時を求めて」の中で、主人公はノルマンディの架空の町バルベックの浜辺でアルベルチーヌに初めて会ったのですから、アルベルチーヌは海のイメージを背負っているともいえるのかもしれません。

 それにしても、海野さんの書かれた「プルーストの部屋」を20年前に読み、今度は「プルーストの浜辺」をこのコロナの夏に読んだというのは、わたしのプルーストをめぐる読書のおもしろいめぐりあわせだと思いました。



  海野さんは「プルーストの部屋」を、書かれてから20年後、「プルーストの浜辺」という本にたどり着かれたのですが、わたしのプルーストをめぐる時間は、まだまだ続きそうです。






2020年8月27日木曜日

ひまわり・ひまわり・ひまわり

 


 先日、買い物に出た帰りに、「道の駅 明治の森・黒磯」に寄ってひまわりを、見てきました。 ここのひまわりは、道の駅に隣接する旧青木周蔵子爵邸の広い庭に植えられていて、雰囲気のあるひまわり畑になっています。



 たくさんのひまわりを見ていると、「ひまわり」というソフィア・ローレン出演の映画を思い出しました。

 古い映画ですが、戦争によって別々の人生を生きていくことになったイタリア人の男女の哀しい愛が、ヘンリー・マンシーニの哀愁のある音楽とともに、切なく語られていました。

 その映画の忘れられないシーンとして、主人公が車窓から見るロシアの広大なひまわり畑が出てくるのです。



 そのひまわり畑の下には、戦争で犠牲になったたくさんの兵士が眠っているとのこと。ロシアの国花もカミツレ(カモミール)とひまわりです。。

 そういえばむかし、主人公を演じたソフィア・ローレンにお会いしたことがありました。ロンドンのセルフリッジというデパートで、彼女の料理本のサイン会をしていらっしゃったのです。

 テーブルを前に、鮮やかなブルーのシンプルなブラース姿で、椅子にかけていらっしゃるお姿は、やはりすてきでした。そしてあのひまわりのような瞳も印象的でした。

 



 そのときのソフィア・ローレンの書いた料理本のレシピで覚えているのが、ひとつだけあるのですが、それは、きゅうりとカニのサラダでした。

 ヨーロッパのきゅうりは、太くて大きいので、まずたて半分に切り、中の種の部分をスプーンでくりぬきます。そこに、カニをマヨネーズであえたものをつめ冷やして皿にならべるだけという簡単な料理ですが、シンプルですが、おいしそう!

 彼女の料理好きという意外な一面も知り、それ以後、彼女のファンになったのですが、ひまわりの映画の場面で、車窓から見える一面のひまわり畑のシーンは、いまも目に浮かんできます。

 それからあのソフィア・ローレンの、ひまわりのような瞳も・・・。

 







2020年8月20日木曜日

読書・「シャボテン幻想」龍膽寺雄著(ちくま学芸文庫)

 


 8月14日の朝、シロバナクジャクサボテンの大輪の花が、優雅に花開きました。13日には蕾が大きくふくらんでいたので、14日の早朝に期待しながら庭の鉢を見に行きますと、やはり見事に花開いていました!!!


 

 クジャクサボテンは、メキシコ中央高原で栽培されていたものに、数属以上のサボテン類を交配して改良したもので、花の色は白、赤、ピンク、オレンジ、黄色、紫などいろいろの園芸品種があるとのことです。

 サボテンや多肉植物が大好きな友人から教えていただいた「シャボテン幻想」という本があるのですが、以前に電子書籍に入れておいたのを思い出して、読んでみました。



 著者の龍膽寺雄(りゅうたんじ・ゆう)さんは、1901年茨城県生まれの作家ですが、サボテンの研究家としても国際的にも名前を知られていた方だそうです。昭和初期にモダニズム文学の作家として活躍されていたのですが、文壇の派閥などが嫌になりサボテンを育てはじめたところ、すっかり夢中になってしまい、サボテン研究家にまでなられてしまったとのこと。

 この本は、サボテンの歴史などサボテンに関する興味深い話をおもしろく書かれています。



 龍膽寺さんは、人生観もサボテンを通して述べられています。

 サボテンは、砂漠という過酷な自然で生きている植物であり、人間もまた心に砂漠を抱いて生まれてきているので、どちらも荒涼が性にあっていて、「荒涼の美学」という点で似ているとのこと・・。

 また、サボテンは性格的な植物で、一般の草花好きというようなタイプとは違う性格のタイプの人をひきつける・・・。

 あるいは、草花好きの人を植物的性格、多肉植物やサボテンが好きな人を動物的といっているなど、彼の人生観や人間観も、ユニークでおもしろいと思いました。

 

 

 「シャボテン幻想」を読んでいたら、少し意味が違うのですが、堀辰雄さんが本の中で、こんなことを書かれていたのを思い出しました。

 堀さんによれば、クレチウスという人が、「プルースト」という本の中で作家を2つのタイプ、動物(フォーナ)と植物(フローラ)に分けた場合、プルーストは植物(フローラ)といっていたとのこと。

 プルーストの本には、かなりたくさんの植物が出てきますので、たしかにプルーストは植物のタイプの作家というのは、わたしも頷けました。

 

 

 14日に咲いた花は、16日の朝、こんな感じにしぼんでいました。2日間だけのパフォーマンスでしたが、綺麗に咲いて楽しませてくれたシロバナクジャクサボテンは、暑い夏の白日夢のような花でした。

 

2020年8月14日金曜日

夏の蝶たち、あれこれ・・・。

 


 先日、ルナールの「博物誌」を読んでいましたら、「蝶」という題名で、「2つ折りの恋文が花の番地を捜している」と、書いてあるのを見つけました。蝶の2つ折りの羽からラブレターを想像し、花の番地を捜しているという発想は、ユニークだと思いました。


 

 この蝶は、大きな黒い目がつぶらで人気者の「イチモンジセセリ」です。今年の夏に見つけた一番かわいい蝶だったのですが、ラブレターの2つ折りは、たぶん白い羽の蝶の方がイメージにあうかもしれませんね。7月初めのころ、満開のノリウツギの花の密を吸っていました。

  

    

 

  この黒い蝶は、8月2日に家の庭に来たアゲハです。ヤマツツジにしばらく羽を広げて休んでいました。こんなに羽が光って豪華なアゲハを見ていたら、与謝野晶子が、夢の中でむらさきの蝶が飛んでいるのを見て、ふるさとの藤の花に見えたという歌を思い出しました。たしか、こんな歌です。

 「むらさきの蝶 夜の夢にとびかひぬ ふるさとにちる藤の見えけむ」

                          与謝野晶子

 

 

 

 この蝶は、7月のはじめ、庭のオカトラノオの密を吸いに来たヒョウモンチョウです。

 いまは、8月のいちばん暑い時なので、チョウ類は「夏眠」するとのこと。そういえば、あんなにたくさん飛んでいた蝶たちは、すっかり姿が見えなくなってしまいました。

 きっと、蝶たちはどこかの木陰で夢を見ながら「夏眠」しているのでしょうか・・。


2020年8月9日日曜日

読書・「プルースト 読書の喜び」保苅瑞穂著 筑摩書房



 保苅さんは、プルーストの研究をなさっていた方ですが、大学での長い教職生活の後、パリに移り住まわれた2008年頃に、この本を書き始められたとのことです。

  リルケは若い頃にパリに魅せられた人間は、生涯その魔力から逃れられないと言ったそうですが、それは本当だったと保苅さんは、本の最初に書かれています。

       

   


 若いころにパリに留学なさったという保苅さんのこのようなお気持ちは、パリを何度か訪ね魅力を感じていたわたしにとっても、とても共感できる思いがしました。

 そのパリに住みながら、彼の長年の研究テーマでもあったプルーストの「失われた時を求めて」の中から、彼の読書の喜びの部分をとりあげて、書いていらっしゃるのですから、すてきな本になったのは、自明のことかもしれません。


    


 保苅さんのプルーストの「失われた時を求めて」を読む喜びが、すみずみまで感じられ、わたしも彼といっしょに、すてきな箇所の再読という楽しみをわけていただきました。

 また、保苅さんは、彼の琴線にふれたプルーストの文章を、ほかの詩人や文学者などの芸術家や、芸術家の作品、そしてプルーストの友人、知人などからの手紙などからの引用も駆使して説明なさっているのですが、それも読みごたえがありました。


     


 また、保苅さんはこんなことも言われていますので引用してみます。

【本を読むということに知的な理解が必要なことはいうまでもないことであっても、それよりもっと必要で、豊かなものはこの喜びの感情なのである。】引用12p

 わたしがプルーストから学んだのもこれと同じで、本を読むという喜びでした。最初に、プルーストの「失われた時を求めて」を、井上究一郎さんの翻訳で読み終えたときの読書の喜びは、いまでもはっきりと覚えています。

 あれからもう、20年以上もたっているのですが・・・。

 そしてそれ以後は、鈴木道彦さん、そして吉川一義さんと、違う方の翻訳でプルーストを全巻読むという喜びでした。



 この本は、プルーストの「失われた時を求めて」の名場面を読む喜びを再現してくれる大事な1冊になりました。