2015年4月29日水曜日

シラネアオイ



 南会津にシラネアオイを見に
行ってきました。

 ふわふわのピンクがかった紙のような
うすむらさきの花びらがすてきなのですが
実は、萼片だそうです。


 ちょうど見ごろで、あんなにたくさんの
シラネアオイを見たのは、初めてでした。


 シラネアオイ園の方によれば、
30数年前にいただいた1株のシラネアオイから、
大事に増やして育てているということです。



 コンセプトは、「山野草が自力で生きられる
山づくり」を目標に、こつこつと、山に手を入れて
いらっしゃるそうです。



 シラネアオイは、日本が誇る1科1属1種の
貴重な花ですが、来年もまた元気に咲いて
くれるのを願っています。



 




2015年4月26日日曜日

万葉集の花・ニワトコ




 那須に住むようになり、いちばん
最初の春に覚えた木の名前が、
このニワトコです。

 ニワトコは、庭に自生していた古木でしたが
いまでは、もう枯れてしまいました。
 春いちばんに白い花を咲かせ、その後に
赤い実がなるのを楽しみにしていました。


 ニワトコは、「山たづ」という名前で
万葉集巻2-90に出てきます。

「君が行き日(け)長くなりぬ山たずの
    迎えを往(ゆ)かむ待つには待たじ」

 衣通王(そとおりのおおきみ)の歌ですが、
彼女は、あまりにも美しいので、衣を通してまで
美しく輝いて見えたという女性です。


 衣通姫は、古事記によれば、
軽大郎女(かるのおおいらつめ)とも呼ばれ、
兄の軽太子(かるのひつぎのみこ)と、
愛し合うようになりました。

 同じ母を持つ兄妹の結婚は禁じられていたため、
軽太子は、伊予国に流罪になってしまいました。

 そのときに、恋慕のあまり軽大郎女が作った
歌ということです。 


 歌の意味は、あなたが行ってしまわれてから
もう何日もたちました。お迎えに行こう。もう
待ってなどいられないから・・・」

 ニワトコの花を見る度に、万葉の昔から
日本に自生していた木なのだと、しみじみと
思います。

 ニワトコの葉は、対生なので、「迎へ」に
続く枕詞になっているということです。






 




2015年4月25日土曜日

ゴッホの白い花



 散歩していましたら、真っ白な花が
咲いている木を見つけました。


 青い空を背景に、まぶしいような
純白の花を見ていると、ゴッホの描いた
アーモンドの白い花の咲く木の絵と似ていると、
すぐに思いました。


 オランダのゴッホ美術館で以前に見た
「花咲く巴旦杏の枝」という絵です。
 巴旦杏とは、アーモンドのことです。
 この絵は、ゴッホの兄のテオに男の子が
生まれた時に、お祝いとして贈ったそうです。
 ゴッホにしては明るい感じのする絵で、
好きな絵です。


 水色の空を背景にしたアーモンドの
白い花の咲いている枝が、日本画のように
見えました。
 ゴッホは浮世絵が好きでしたので影響を受けた
のかもしれません。
 
 この絵を贈られた甥の名前は、ゴッホと同じ
「フィンセント」と名づけられたということです。






2015年4月23日木曜日

お城と桜




 お城と、桜は、いつ見ても
良く似合うなあと思います。


 これは、白河の小峰城です。
 白河の小峰城は、戊辰戦争で
消失してしまいましたが、120年ぶりに
三重櫓を復元したということです。

 2011年の東日本大震災では、石垣が
被災したため、現在、修復工事が行われて
います。
  

三重櫓の前の桜は、もうすっかり葉桜でしたが、
桜の木の下は、タンポポがいっぱい咲いていて
のどかな春の日でした。

城内にある茶屋で、大好きなクリームあんみつを
食べてきました。







桜色のチューリップ




 やさしい桜色のチュウリップを
初めてみました。


 最初に見た時には、シャンパン色?
と思ったのですが、よく見ると
ピンクがかっていて、シャンパンのロゼ
という感じでした。


 那須のコピスガーデンですが、
水仙やクリスマスローズも花盛りで
冷たい風が吹く中、元気に風に揺れて
いました。


 室内では、昨年咲いたバラの花が
ドライフラワーになっていて、窓辺の
ガラス容器に春の陽ざしがさしていました。


2015年4月20日月曜日

白河の乙姫桜




白河市の妙閑寺にある樹齢400年の乙姫桜を
見に行ってきました。

4月8日に行ったときには、まだ3分咲きで、
紅しだれの色も濃く、可憐で、
お寺の朱色の門とよく似合っていました。



この乙姫桜は、伊達正宗が将軍家に桜の苗木を
献上する途中、お寺によって休んだ折に、、
お坊さんが苗木をいただき、植えたということです。

16日に行ったときには、満開になっていました。


あでやかな満開の桜もいいのですが、
わたしには、3分咲きのほうがういういしい感じで、
よりすてきに思われました。

みなさまは、どちらがお好きでしょうか?









2015年4月17日金曜日

里の山桜



里では、もう山桜が満開になりました。


車を運転中に、満開の山桜を見つけたので
車を脇道に止め、しばしの花見を
してきました。

左後方には、雪をかぶった那須連山が
眺められ、青い空にはのんびりと
白い雲が流れていました。

ウグイスの声に耳を澄ませていると
眠くなってくるような春の陽気でした。









堂の下岩観音と遊行柳の桜



旧東山道から見える堂の下岩観音に
桜を見に行ってきました。


旧東山道だったこの辺りは、のどかな農村風景が
広がっていて、好きなところです。

岩観音の桜は、樹齢300年以上のヤマザクラも
あり、麓の菜の花畑が、アクセントになっていて
すてきでした。

石段を上るとニリンソウが、足元で春風に揺れて
咲いていました。

                                    
旧東山道の芦野には、芭蕉も立ち寄って俳句を
読んだ遊行柳がありますが、そこの桜も
満開でした。



この柳のことを、西行は新古今和歌集で
このように詠っています。

「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ
   立ちどまりつれ」    西行

芭蕉は、この遊行柳を、西行も詠ったところとして
感慨深く眺めたのでしょうか・・・。

ここを芭蕉が訪ねたのは、ちょうど田植えの季節でした。
こんな俳句を残しています。

「田一枚植えて立ち去る柳かな」   芭蕉












2015年4月13日月曜日

「夕顔」白洲正子著



「夕顔」白洲正子著を読みました。



白洲さんの本は、以前から好きで
集めていて、
よく読んでいました。

この本は、
久しぶりに再読したのですが、

白洲さんの晩年のエッセイを
集めたもので、

本のタイトルになっている夕顔も
その中の短いエッセイです。


夕顔は、白い朝顔に似た花ということですが、
白洲さんは、お好きだったようで、毎年育てて
いらしたそうです。

あるとき、白洲さんは、夕顔が花開く瞬間を
見たいと思われ、夕方の4時ころから
夜の11時ころまで、がんばって
見ていらしたそうです。


でも、夕顔の蕾は、
最後には
彼女の言葉で言えば
生きる力を失ってしまい

何と地に落ちて
しまったということです。


そのことから、
白洲さんは、

夕顔は
非常にデリケートな植物なので、
花を咲かせるという秘事を、
凝視されることに

耐え切れなかったからなのでは
と書かれています。


そして、その後、白洲さんは、
源氏物語の「夕顔」にも
思いを馳せて
いらっしゃいます。

作者の紫式部は、
そのような夕顔の花の習性を
知っていたので
あの「夕顔」の
はかない物語を書いたのではと
考察していらっしゃいます。




わたしは、まだ
夕顔の白い花を、見たことが
ないのですが、

見る機会があったときには
白洲さんの夕顔の話と、源氏物語の
夕顔のことを、
きっと
思い浮かべるだろうと
思いながら、本を閉じました。















「鶴川日記」と「風姿抄」白洲正子著



12日に武相荘に行った帰りに、鶴川の本屋さんで
文庫本になった白洲正子さんの本「鶴川日記」を
買いました。


武相荘と名付けた100年以上もたつ古民家を
買ったときのことや、鶴川での戦中、戦後の
生活の様子などが書かれていて、興味深く
読みました。



白洲さんがこの古い農家を、居ぬきで買われたのは、
家のまわりに大きな柿の木や、生活に必要な
お茶・たけのこ・ふき・みょうが・こんにゃく・さんしょ
などが手近にあるだけではなく、古い農家は釘を
使っていないので、移転すると元の形をくずす
からなのだそうです。
                          たけのこ


                                                            こんにゃく

そういえば、栃木県の県北に住む地元の方の
話では、家のまわりに古い柿の木やいちじくの木が
あるのは、古い農家という証拠だと話していらしたのを
思いだしました。

農家の家のまわりに柿の木や竹林、お茶の木などを植えておくのは
自給自足できるようにという配慮なのでしょう。

そういえば、正子さんは民俗学者の柳田国男さんから
鶴川辺りの民俗学を研究してはどうかというお話もあったそうですが、
ことわられたということでした。

鶴川周辺の「どんと焼き」のことなども、この本には
書かれています。

ところで、白洲さんのお宅で、「十字文」絞りの絹の布が
額に入れてあったのですが、とても斬新なデザインで
目に焼き付きました。
家に戻り、手持ちの「風姿抄」という本を開いてみましたら
この写真が載っていました。


これは、桃山時代の島津家の紋所だそうです。

正子さんは「風姿抄」の中で、この絞りを額に入れて
居間に飾ってあるが、毎日眺めながらあれこれ想像
してみることはとても楽しいと書かれています。

白洲正子さんの骨董好きは、青山二郎さんなどに
学び、筋金入りですが、それにしてもこの
桃山時代の絹の紋所は、すてきすぎて脱帽でした。

















武相荘の白やまぶき


武相荘に白やまぶきを見に行ってきました。

武相荘は、白洲正子さんと、次郎さんご夫妻が住んで
いらしたお宅で、いまは一般公開されています。





白洲さんのお宅の庭の白やまぶきは、
石仏の少し後ろにひっそりと咲いていました。



わたしが想像していたよりも、全体的に小ぶりの
感じがしたのでお聞きして見ますと
やはり、昨年刈り込んだということでした。

そのためか、今年の花は、例年よりも
大き目ということでした。
     




庭には、椿の木もいっぱい植えられていたのですが、
クロワビスケもありました。

ワビスケは、白が好きなのですが、庭にぼたぼたと
落ちているクロワビスケも、捨てがたい魅力がありました。




藁ぶき屋根の母屋、
自然のままのような庭、
そして、
散策できる山まである武相荘は
贅沢な空間になっていて、
訪れる人をほっとさせるものを
持っていました。


また、別の季節に訪ねてみたい場所に
なりました。








2015年4月4日土曜日

白い花が好き



白い花が、好きです。

咲き具合は、蕾から五分咲きぐらいまで。


うすむらさきのキクザキイチゲが
咲いた後に、
白のキクザキイチゲが、咲きはじめ
ました。

野に咲く花を見ていると
懸命に種を守って、健気に
毎年花を咲かせてくれている姿に
感動します。



キクザキイチゲは、
キクザキイチリンソウともいい、
本州では、近畿以北と北海道で
咲いています。

北国では、雪どけ後に、群生して咲くと
図鑑には、書いてあるのですが、
北関東のこの辺りでも、注意して
よく見ると、あちこちで咲いています。



太陽にあわせて、花の向きを変えて
咲くようです。
天気が良く、陽ざしが、強い日は、
花びらをぱっと広げて、
見て見てと言っているように
見えるのが、かわいいです。