2015年1月31日土曜日

藤田嗣治画文集 猫の本





「藤田嗣治画文集 猫の本」は、ときどき本箱から
取り出して読む好きな本です。

              
             「藤田嗣治画文集 猫の本」 講談社


              「藤田嗣治画文集 猫の本」の82p

                       「猫と少女」


藤田画伯は、猫がお好きだったようですが、子供の絵も
たくさん描いていらっしゃいます。

わたしは特に女の子の表情が、とってもキュートでおしゃまに
見えて大好きです。
藤田画伯ご夫妻にはお子様がいらっしゃらなかったので、
画伯は夫人に絵の中の子供を自分たちの子供にしようと、
おっしゃっていたそうです。



                  「藤田嗣治画文集猫の本」 78p・79p

藤田嗣治の絵を初めて見たのは、パリの近代美術館
でのことでした。

彼独特の「乳白色の肌」と呼ばれている
「寝室の裸婦キキ」の絵は、
独特の雰囲気があってすてきでした。

この絵といっしょに写した写真は、思い出の写真の一枚に
なっています。

ランスの礼拝堂に描かれたフレスコ画も、見に行ったのですが
彼の絵に共通の、すっきりとした清潔感のある絵で
一目見て、すぐに藤田の絵だとわかりました。

藤田ご夫妻は、晩年にカトリックの洗礼を
受けていらっしゃいますので
礼拝堂にフレスコ画を描くことができたのは、
お二人にとっても、こころがやすらぐことで
あったと思います。

ランスのこじんまりとしたかわいらしい礼拝堂は、
藤田嗣治の夢の実現だったのでしょうか。





                             左 「藤田嗣治エッセイ集 腕一本 巴里の横顔」
                          藤田嗣治著  講談社文芸文庫


             右 「藤田嗣治「異邦人」の生涯」
                           近藤史人著  講談社



2015年1月30日金曜日

雪の花



昨日の天気予報通りに、きょうは朝から
雪になりました。


雪は降り始めが、きれいですね。
あっという間に、あたり一面
真っ白な景色になってしまいます。










木々に積もった雪も、
花が咲いたように
にぎやかに見えます。



         
             

古今和歌集にこんな歌があります。


♪雪ふれば木ごとに花ぞさきにける
      いづれを梅とわきて折らまし
          
                         紀とものり



紀とものりは、どんな木に積もった雪を
梅の花に見立てていたのでしょうか。


春を待つ気持ちが
伝わってくるような歌ですね。









2015年1月27日火曜日

ウスタビガの繭



 散歩のときに、ウスタビガの繭を3つも見つけました。

 ヤママユは、うすい黄色なのですが、ウスタビガは、きみどりなので
すぐに区別がつきます。

 裸の木々にうすいみどりの葉のようなものが、ぶら下がっていると、
それは、ウスタビガです。

             
                  ウスタビガの繭


                   ウスタビガの繭

 よく見ると、日の当たっているほうは、日に焼けてみどりが薄く
日蔭になっているほうは、濃いきみどりできれいなのを発見しました。

 ヤマツツジに繭を作っていたのですが、細い枝に、5センチぐらいの長さで糸をかけて、繭を支えているのです。
 冬の強風にも耐えるように、しっかりとできていて、しばし見惚れてしまいました。

 ウスタビガは、漢字で書くと、

「薄手火蛾」で、この「手火」とは、「提灯」という意味だそうです。

 そういえば、木にぶら下がっているきみどりの提灯のようにみえますね。




                             きみどり色の提灯が下がっているような
                 ウスタビガの繭


              

2015年1月24日土曜日

きょうの散歩




 きょうの散歩は、気温がプラス5度ぐらいで風もなく、散歩日和でした。いつものコースではなく、少し遠出してみました。

 積もった雪は、あたたかい陽だまりになっているところでは雪がとけて、しずくになり、
ぽとんぽとんと落ちていました。

 雪解雫(ゆきげしずく)というそうです。








雪解雫


 雪解雫は、俳句では早春ということですがきょうは、まだ1月24日ですので、
春には、まだ少し早いようです。


 もうしばらく歩くと、野鳥の巣を見つけました。冬には、木の葉が散るので、丸見えに
なっています。この巣は、もう一度再利用するのかなあなどと思ってしまいました。



                  野鳥の巣


 巣の近くで、ヤママユを見つけました。今年の冬はこれで3度目の発見です。うれしくなりました。前回見たものよりも、色がうすいような感じでした。このあたりは、かなり強い風が吹くのですが、それでも枝に付いたままなのには、驚きます。



                  ヤママユ(今年3度目)



 雪解雫や、野鳥の巣、山繭などを見たきょうの散歩は、少しだけ、春の気配を感じることができました・・・。




2015年1月23日金曜日

映画「家族の波紋」


久しぶりにすてきな映画を観ました。

ジョアンナ・ホッグ監督・脚本の「家族の波紋」
です。


             ウェジウッドのパウダーブルー

                           
                            映画の中では、海の色と、ロイヤルダルトンの
             食器の色のブルーの話が出てきます。
             この画像は、空のブルーと
             ウェジウッドのパウダーブルーの色を
             比べてみました。

主人公のエドワードは、ボランティアのために
アフリカに11か月もの間行くことになり、
その前に、母のパトリシアの発案で、姉のシンシア、
料理人のローズ、絵の教師のクリストファーと
イギリス南西部の島で、2週間過ごすのですが
その時の家族の生活を描いています。

まず、最初に思ったのは、映像がすてきなこと
でした。

別荘内部のインテリアの壁のうすいブルー、
カーテンや扉などのオフホワイト、
考え抜かれたような小物類。

イギリスとは思えない南の島の風景、
特に、海の色や亜熱帯植物のしげる庭も
魅力的でした。
イギリス南西部にあるシリー諸島という設定
ということですが・・・。

カメラは、固定されていて、登場人物の会話が
じっくりとこちらの耳に入ってきます。

特に、エドワードのクイーンズイングリッシュでの
会話、BGMのように流れる野鳥のさえずりが
すばらしくすてきで、耳に残りました。
この島は、実際にバードウォッチングの
メッカだそうです。

エドワードのこれからの生き方の心構えを
さりげなく話してくれる絵画教師クリストファーの
話もこころに残りました。

クリストファーは、エドワードに何をするのかは
問題ではない、強い信念を持つことが大事と
話してくれます。

絵画教師役のクリストファーは、実際にも俳優では
なく絵かきということですが、彼の抽象画に対する
薀蓄もとてもイギリス的に聞こえました。

というのは、ロンドンの美術館などに行くと、画の前で
よくこういう会話をしている人たちを見かけたからです。

抽象とは、はぎおとして簡素化すること。
そして、その簡素化した中に自分の思いを
あらわすことが大事・・。
クリストファーの話です。

映画の設定として、
絵を教師について習う母が出てくるというのは、
エドワードの英語の発音や、
料理人を別荘に連れてくるということといっしょに
彼等家族は、イギリスの階級社会の上にいるのだと
よくわかります。

エドワードの、料理人ローズに対する思いやり、
いつまでも家族のもとに来ない父の存在にいらだつ母
姉は、出先のレストランでの料理に対する怒りから
感情を爆発させてしまいます。
そして
みんなに広がるきまずさの波紋・・・

などなど、どこでも見られるような家族の日常の波紋を
さりげなく上手に描いています。

あまり大きな出来事もない、でも小さな波紋はある
家族の日常の2週間の生活を描いたこの作品を観ていると、
小津安二郎監督の「東京物語」を思い出してしまいました。

もしかしたら、この映画の監督は、
小津安二郎の映画のファンだったのかも・・
と、ふと思いました。

良い映画を観るのは、しあわせですね!














2015年1月22日木曜日

かわいい足跡と、ゆきだるま



今朝、玄関前の敷石に、こんな足跡がありました。




あまりにもかわいいので、笑ってしまうほどでした。(^^♪

うちの庭で以前に目撃したことがある小動物は、
キテンなので、それでしょうかしらん???

謎のままにしておくのもいいかもしれませんね。

今年は、雪が多いので、ゆきだるまをどんどん
作れます。

玄関前に、もう3つも作りました。





今朝、かわいい足跡を残していった小動物は、
このユキダルマを見て、びっくりしたかもしれませんね。

























2015年1月21日水曜日

こぎれの巾着袋と沢村貞子さんの本


沢村貞子さんの書かれたエッセイ「私の浅草」には
「こぎれやさん」の話が出てきます。

公園裏にあったこぎれやさんでは、色とりどりの
こぎれが、七夕の短冊のように、つるされて
売られていたそうです。

このこぎれは、色町の人たちが仕立て屋さんに
反物をだして裁ってもらったときの余り布だそうで
これを集めて、ほまち(役得)として、こぎれやさんで
売っていたということです。

このこぎれを、娘さんたちがお小遣いをためて買い
手提げ袋や財布、前掛けなどに作っていたということ
です。
                                                                    
わたしもこぎれで巾着袋を、作ったことがあるのですが
こぎれを縫い合わせて作るのは、なかなか楽しい
ものです。


                こぎれで作った巾着袋(わたしの手作り)



                「わたしの浅草」沢村貞子著 新潮文庫        

沢村貞子さんのエッセイは昔から好きでよく読んでいる
のですが、「わたしの浅草」は、
第25回日本エッセイストクラブ賞を受賞しています。

この本は、戦前の良き下町の暮らし向きが
しのばれて、こころがあたたまるようなエッセイです。

でもエッセイというよりは、まるで小説を読んでいるような
おもしろさがあって、すきな本です。

このこぎれやさんのやせたおかみさんは、どことなく
粋な年増だけれど、ご亭主がばくちうちとかで
いつもぼんやりと、手あぶりの灰をかきならしていて
こめかみに頭痛膏を貼っていたというのですから
まるで、映画に出てくるようなお話だと思いました。



                「わたしの台所」沢村貞子著 光文社

「わたしの台所」は、いつ読んでも
沢村さんの聡明さを感じる本です。

ご自分で食いしん坊とおっしゃるだけあり、
食べ物の話が多いのですが、
たとえばほうれんそうの茹で方などは
半カップの水をふっとうさせて、蒸し煮に
するとよいということで、すぐに役にたちました。

これからもたびたび読んで参考にしたいような
ことが多く書かれていて、大事にしたい本の1冊です。



                「寄り添って老後」沢村貞子著 ちくま文庫

「寄り添って老後」は、晩年の作品ですが
お母さまから教えられた人生観
「ひとさまに迷惑をかけないこと、
自分のしたことに責任をもつこと」
という言葉が書かれています。

この人生訓は、沢村さんの人生の大事な
指針になっていたようです。


沢村さんが亡くなられた後、沢村さんの付き人を
なさっていて長い親交のあった山崎洋子さんが
「沢村貞子という人」という本を書かれています。

そこには、沢村さんの最後が書かれているのですが
やはり、わたしのイメージ通りの凛となさった沢村さんの
最後の姿が描かれていました。

「分相応に ほどほどに
ほどほどのしあわせ
足るを知って サラリと明るくと生きる」

沢村さんのやさしいお声が聞こえてきそうな読書でした。


                「沢村貞子という人」山崎洋子著 新潮文庫









2015年1月19日月曜日

わた雪



きょうは、一日中雪がふっていました。

午後、いつもの公園に散歩に行ったのですが
こんな感じでした。




ヤマツツジに積もった雪は、ふわふわのわた雪でした。



                 ヤマツツジに積もったわた雪





太宰治の書いた「津軽」の冒頭には、
津軽の雪として、7種類の雪が出てきます。

こな雪
つぶ雪
わた雪
みず雪
かた雪
ざらめ雪
こおり雪


雪のつく言葉で、わたしが思いつくものは

ぼたん雪、ささめ雪、みぞれ雪、ほかにも
歌の題名にもなったなごり雪

最近覚えたのは、しずり雪
これは、木の枝から雪が滑り落ちるさまをいうそうです。

他にも、雪の種類や雪のつく名前は
調べてみると、いっぱいありそう。

日本語の語彙の豊富さには、驚きますね。


                      雪に埋もれているベンチ



                       モノトーンの世界






2015年1月10日土曜日

ヤママユ




いつもの散歩道で、すばらしい「ヤママユ」を
見つけました。



                          ヤママユ
ヤママユ(ヤママユガ)
は、英語では

Japanese Oak Silkmoth

別名は
天蚕(てんさん)
山蚕(やまこ)




といい、日本在来の野蚕で北海道から
九州にかけて分布

全国の落葉性雑木林で見られるということです。
ヤママユガは、
クヌギ・コナラ・クリ・カシ・カシワ・ミズナラ・コナラの
の葉を食べるということですから、この林には
ほとんど全部あります。

まゆ一粒からは、600-700mの最高質の絹糸が
作られるそうです。

日本では、皇室でも蚕を飼育しているように、
古来、大事にされてきて、まゆ玉は、新年の
飾りにもなっています。

わたしも、つたない手作りですが、
まゆ玉を飾っています。


                       わたしの作ったまゆ玉



いろとりどりの絹のまゆ玉



わたしの好きな久保田万太郎さんの句です。


♪まゆ玉のしだれのもとのよき眠り
                       久保田万太郎









アポリネールのミューズ



アポリネールという詩人をご存知でしょうか。




彼の姿は、画家のアンリ・ルソーが描いた、
「詩人に霊感を与えるミューズ」で見ることが
できます。

この絵の詩人は、もちろんアポリネール、
彼に霊感を与えているミューズは、画家の
マリー・ローランサンです。

二人の姿は、あまりにも個性的で、一度見たら
忘れられないほどです。


                「詩人に霊感を与えるミューズ」アンリ・ルソー画
                     「アポリネール詩集」27p

この豪華なアポリネールの詩集は、
以前に古本市で買ったものですが、
ピエール・カルダンが装幀と挿画を
担当しています。



                 ピエール・カルダン装幀と挿画の
                  「アポリネール詩集」窪田般彌訳 ほるぷ出版


アポリネールが、詩集「アルコール」の中で書いた詩
「ミラボー橋」は、あまりにも有名で、

日本では、堀口大學さんの名訳がありますが、
この本の窪田般彌さんの訳を紹介させていただきます。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

ミラボー橋
          アポリネール    (窪田般彌訳)

ミラボー橋の下をセーヌが流れる
   二人の恋も
 僕は思い出さねばならないのか
喜びはつねに苦しみのあとにきた

 夜よこい 鐘もなれ
 日々はすぎ 僕は残る

手に手を重ねて向きあったままでいると
   二人の腕の橋下を
 永遠の眼ざしをした
あんなに疲れた波が流れる

 夜よこい 鐘もなれ
 日々はすぎ 僕は残る

恋はすぎる この流れる水のように
  恋はすぎ去る
 人の世の何と歩みのおそいこと
希望ばかりが何と激しく燃えること

 夜よこい 鐘もなれ
 日々はすぎ 僕は残る

日々が去り月日が消える
   すぎた時も
 昔の恋も戻ってこない
ミラボー橋の下をセーヌが流れる

 夜よこい 鐘もなれ
 日々はすぎ 僕は残る

・ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
 引用    アポリネール詩集ほるぷ出版16p-18p



この詩は、アポリネールとマリー・ローランサンの恋が
終わったときに作られたということです。

二人は、アポリネールが27歳のときに、ピカソの紹介で
出会い恋に落ち、その後32歳のときに、ローランサンとの
恋は破たん、そしてこの詩が生まれたという
いきさつがあります。

また、この本のなかの動物詩集には、

「猫」という題の詩があり、アポリネールの究極の人生観が
書かれていて、おもしろいです。

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

「猫」
             アポリネール     (窪田般彌訳)

僕は家に持ちたい、

分別のある女房一人と、

書物のあいだを通り抜ける子猫一匹、

それに、彼らなしには生きていけない

いつもそばにいてくれる友達数人。

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
                引用 アポリネール詩集 83p
                    窪田般彌訳 ほるぷ出版


この詩には、R・デュフィの小粋な猫のこんな
挿絵もついています。
見にくいかもしれませんが、真ん中にしまとら猫が
こちらを向いて座っています。



                     R・デュフィの絵「猫」83p


アポリネールの母は、ポーランドの亡命貴族の
娘でしたが、父は誰なのかよくわかっていません。

彼はローマで生まれていますが、母といっしょに
19歳のときにパリに出てきたということです。

女性にやさしく親切だったというアポリネールは
画家のマリー・ローランサンはじめ、何人もの女性と
恋をするのですが、いつも実りませんでした。

でも、最後には、この「猫」の詩のような家庭を作ることが
できたのですが、わずか7か月でスペイン風邪にかかって
亡くなっています。

アポリネールは最後まで、ローランサンのことが
忘れられなかったとも言われています。









2015年1月9日金曜日

みかんの美




詩人の高村光太郎は、
冬が好きで、
冬の詩を、たくさん書いています。

わたしは、冬の詩も好きなのですが、
みかんが出てくる
「手紙に添えて」
というこの詩も、大好きです。


・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

「手紙に添えて」
              高村光太郎

どうして蜜柑は知らぬまに蜜柑なのでせう

どうして蜜柑の実がひっそりとつつましく

中にかはいい部屋を揃へてゐるのでせう


どうして蜜柑は葡萄でなく

葡萄は蜜柑でないのでせう

世界は不思議に満ちた精密機械の仕事場

あなたの足は未見の美を踏まずには歩けません

何にも生きる意味の無い時でさへ

この美はあなたを引きとめるでせう

たった一度何かを新しく見てください

あなたの心に美がのりうつると

あなたの眼は時間の裏空間の外をも見ます


どんなに切なく辛く悲しい日にも

この美はあなたの味方になります

仮りの身がしんじつの身に変ります

チルチルはダイヤモンドを廻します

あなたの内部のボタンをちょっと押して

もう一度その蜜柑をよく見て下さい

                  (一九三八・一)

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ー・-・-・-・
                        引用「高村光太郎詩集」白鳳社130p・131p 





高村光太郎はこの詩を
1938年の1月に書いたようですが、少しも
古くなく、読むたびにわたしにはいつも新鮮に感じられます。

彼は詩人ですが、彫刻家でもあり「緑の太陽」という
芸術論も書いているアーティストなのだというのが
よくわかる詩です。

こころのボタンをおして
蜜柑をじっくりと見てみたくなります。


               


                                      「高村光太郎詩集」浅野晃編 白鳳社

































2015年1月8日木曜日

カロッサと堀辰雄の「幼年時代」





本箱の整理をしていましたら、なつかしい本を
見つけました。

ハンス・カロッサの「幼年時代」です。


                   
                      「幼年時代」 ハンス・カロッサ



                      「幼年時代」ハンス・カロッサ


カロッサはオーバー・バイエルンのテルツ生まれですが、
医師をしている父のもと、ドイツのバイエルン州の
自然豊かなところで幼年時代を過ごしています。

ぱらぱらと、本をめくってみましたら、あの歴史上の
人物になってしまっているルードビッヒ二世を現実に
見たという若者の話の箇所などをみつけ、なつかしく
当時の読書を思い出しました。

カロッサは、「幼年時代」の初版の序文に

「人は最初の十年間に愛し、行ったことを、常に
愛し、行うだろう」と、書いているそうです。

日本でもこの本に影響を受けた堀辰雄が、おなじく
「幼年時代」を、書きました。

堀は、このカロッサの「幼年時代」を、大事にして
持ち歩いていたということです。





堀辰雄の書いた「幼年時代」は、彼の資質であるやさしさが
全編に感じられる内容で、やはりカロッサの言ったことは
本当だったのだと思われました。

人生の最初の十年間に愛し、行ったことは、人生を
通じて、愛し行うものなのかもしれません。