須賀敦子さんの本を知るようになったのは、本好きの知人からの
お薦めでした。
「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「トリエステの坂道」
「地図のない道」「ユルスナールの靴」「遠い朝の本たち」などなど
何度読んだことでしょう。
どれも、須賀さんの人柄と知性を感じさせる本で、こういう女性が
イタリアで結婚して暮らし、彼女の深い異文化体験を、エッセイで
伝えてくれたことに、感謝したいと思うのはわたしだけでしょうか。
「遠い朝の本たち」は、彼女の幼少のころからの読書を、彼女の
人生と絡めて書いていらっしゃいますが、好きな1冊です。
「小さなファデット」という章には、彼女が幼年時代を過ごした
六甲の山すそにある家に住んでいた頃の思い出が
書かれています。
ファデットとは、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」という本に
出てくる主人公の名前ですが、
須賀さんは、
六甲の山すそで、山ツツジや、他のツツジを探しまわって
遊んだお転婆だったころのご自分を、
ファデットと重ね合わせていらっしゃいます。
ファデットは、お転婆でしたが、かしこい少女で、最後には
しあわせになるというストーリーです。
でもお転婆だけではなく、かしこいという共通点も、二人には
あると思いました。
「ダフォディルがきんいろにはためいて・・・・・・」
この章は、ワーズワースの「ダフォディル」という
詩について書いてあるのですが、彼女が専門学校の
英文科生になったときの思い出です。
英語のDaffodilを、ラッパスイセンやスイセンではなく
「ダフォディル」と、須賀さんが訳された理由について
こうおっしゃつています。、
ラッパズイセンという日本語は
ラッパという語感から軍隊を連想してしまうことと、
奇妙に乾いた音が嫌だったから、
また、スイセンという語感からの
日本のいじらしい女性というイメージを
もってきたくなかったからとも・・。
須賀さんの言葉に対するこだわりが、深く感じられました。
そのこだわりは、後に須賀さんがイタリアの詩人の
詩を翻訳なさるようになったときに、生きてくるように
なったのだと思います。
彼女がしあわせだった結婚生活のころに翻訳なさった
イタリアの代表的詩人ウンベルト・サバの詩は
須賀敦子全集に出ていました。
こんな詩です。
引用
・-・-・-・-・-・-・-・-
僕の娘の肖像
ウンベルト・サバ(須賀敦子訳)
ぼくの ちいさな むすめは
まりを 手にかかえて
そらのいろした大きな眼で
かるい夏服をきて こう云った。 とうさん
きょう、 いっしょに おそとに いきたいの。
ぼくは かんがえる。 この世に たくさん
ある 美しいもののなかで ぼくのむすめ
が なにに似ているのか、 ぼくは知ってるぞ、と。
あぶく。波のうえ、
しろく きらめく あぶくに。それから 屋根の
うえ、すうとのぼって 風に散る けむり
それから 雲。 あかるい 空に
湧いては くずれる つれない雲にも。
そして かるくて たよりないもの、ぜんぶに。
(「かるくてたよりないもの」より 1920)
ー・-・-・-・-・-・-・-・
引用 須賀敦子全集第7巻 河出文庫354p、355p
須賀敦子さんの本
「遠い朝の本たち」 須賀敦子著