2014年7月31日木曜日

白檀の扇子と、古布の物入れ



  たしか、白檀の扇子があったはずと、箪笥の引き出しをさがしてみましたら、
    古布のバッグといっしょに、ひっそりと片隅にありました。





 白檀の扇子のことを、檀香扇(たんしゃんせん)というそうですが、扇をあおいでみますと
白檀のすばらしい香りが、ただよってきます。

 扇の出てくる短歌と俳句にこんなものがあります。

「かたみとぞ風なつかしむ子扇の要あやふくなりにけるかな」
                          与謝野晶子

「畳む時扇淋しき要かな」
             久保田万太郎


   短歌も俳句も、どちらも「要」が大事のようです。






 古布のバッグの方は、叔父の贈り物でしたが形見になってしまいました。
 この物入れを見ると、源氏物語の絵巻物に出てくるような女性の着物姿を
思い浮かべてしまいます。




こだわりのあった叔父の審美眼には敬服してしまうのですが、わたしの大事な宝物です。

2014年7月29日火曜日

ふき寄せ




    缶を開けたとき、かわいい形のお菓子が、ぱっと目に入って、それだけでしあわせな気分になってしまう。

    そんなお菓子が、ふき寄せです。



                              ふき寄せ


  どれを食べようかなと思い、ひとつつまんでみるのは、
           子供のころに食べた耳せんべいと、よんでいたものだったり。

  ピンクのなでしこの花は、ひとつだけなので多分、最後まで残るなあ、きっと、
と思ったり・・。

  どれも、ごまや、紫蘇、しょうがなどで少しアクセントが加えられているのですが
                    基本は、全部昔懐かしい駄菓子の味です。

 お茶席にも出るようですが、わたしは紅茶といっしょに、teatimeにいただくのが、いちばん 好きです・・・。









                                                         









2014年7月28日月曜日

なんてすてきな朝。


「なんてすてきな朝でしょう」と、
ヴァージニア・ウルフの書いた「ダロウェイ夫人」の
本の中のクラリッサのように
うっとりと
つぶやいてしまうような
きょうの朝でした。

時刻は、午前5時。
気温は20度。
天気は快晴。

東の窓から外を見ると、もうすでに陽は上っていて
コナラの木の後ろに、きらきらときらめいていました。

こんなすがすがしい朝を、味わうことができたのは
きっと、早起きしたご褒美なのでしょう。

庭に出て、深呼吸していると、家のうらの公園を
散歩している方の声が、はっきりと聞こえてきました。

男女二人連れのようです。
やはり、
「すてきな朝だねえ」とおっしゃっていました。


早起きはいいものですね。





                     朝陽のあたる早朝の庭















2014年7月27日日曜日

読書・「寺山修司と生きて」田中未知 新書館  (寺山修司の魔力・・・)

 

  映像で寺山修司を見たのは、今年の1月でした。早稲田大学演劇博物館が主催の「いまだ知られざる寺山修司展」でのことです。

  そこで寺山修司の秘書を、亡くなるまでの16年間なさっていたという田中未知さんの存在を知りました。

  未知さんは、「寺山修司と生きて」という本を書かれていますので、読んでみました。

  わたしが一番こころに残ったのは、寺山修司は、限りなく女性にもてたという一言でした。

  未知さんは、それは相手の話に真面目に耳を傾けるたぐいまれな聞き上手であったからだと分析されていますが、相手の話をじっくりと聞くことができるのは、やさしさがなければできないともおっしゃっています。

  女性にもてたということは、寺山修司の魔力のひとつで、多分、彼に会った人は誰でも彼の魔力のようなものにひかれたということなのかもしれません。

  寺山修司の映像と声からは、ちょっとかっこつけた外見と青森生まれの言葉なまりなど、想像通りの寺山修司が感じられたのですが、彼は中学や高校のころから、俳句や短歌で頭角を現し、言葉に目覚めていったとか。

   15歳の言葉に目覚めたころの俳句がこれです。

ー・-・-・-・-・-・
        目つむりてゐても吾(あ)を統(す)ぶ五月の鷹

              林檎の木ゆさぶりやまず逢ひたきとき

                       流すべき流燈われの胸照らす
                        
                                  寺山修司
ー・-・-・-・-・-・

 その後、小説、映画、ラジオ、テレビ、演劇などでマルチに活躍、47歳の若さで世を去ってしまったということです。



                   
                     「寺山修司と生きて」田中未知著







                   




                       
                                             






                                          












2014年7月25日金曜日

那須の植物・ヤマユリ         (ヤマユリの受粉・・・)



  先日の23日は、大暑でしたが、きょうは久しぶりに高原にもまぶしい太陽と夏空が広がり、本格的な夏が来たと実感しました。

  セミも今年の夏初めてのアブラゼミの声を聞きました。

  午前中の散歩のときに、ヤマユリの受粉を見ました。
  花粉が赤いのは、受粉に必要なアゲハ蝶などを呼ぶために、蝶の好きな色になっていると、知ったのですが、自然は、不思議に満ちています。

  受粉の後には、大輪の豪華なヤマユリも次第にしおれていくようです。



                         ヤマユリの受粉後
                          左下の写真は、頭柱から粘液が
                           出ています。
                          

   白の大輪のヤマユリは、今年も見事な花をあちこちで咲かせてくれました。
                  感謝です。










                           













2014年7月23日水曜日

京都の食べ物



  大村しげさんの書かれた「京のおばんざい」という本によれば、京都の祇園祭りのごちそうは、祇園祭をはも祭というほどなのではもずくめだそうです。

  はも焼き・はもの落とし・ぼたんばものお吸い物・酢の物ははもきゅう・そしておこわにかまぼこ。おこわとかまぼこ以外は、全部はもですね。

  わたしは漬物が好きなのですが、京都の漬物ももちろん好きです。

  京都の三大漬物とは、しば漬け・千枚漬け・すぐきですが、最近は、すぐきのおいしさに目覚めました。

  すぐきは、乳酸発酵漬物ですが、独特の澄んだ酸味がたまりません。

  ご飯が一口残ってしまったときなど、すぐきをのせて食べるとおいしいのですが、これにお茶をかければ、ぶぶづけですね。

  しば漬けは、木村しげさんも手つくりなさるようで、しそは大原のものということです。大原の里の水と土と空気、そして何よりも里にかかる霞が、しその香りを高くする
とのことです。

  大原の寂光院には、建礼門院が住んでいらしたのですが、大原の里の人が、なす・しそ・みょうがの塩漬けを奉ったら「紫葉漬け」かと仰せられたとか。

  紫葉とは、紫蘇のことだそうですので、しば漬けは大原の味ということになりそうです。





  ☆三千院のゆば御用達のお店で食べたゆば入りそばとゆばプリン(ゆばが絶品)
                                          
  ☆八坂神社近くの「京・月待庵」の手焼きせんべいそら豆(素朴な味で美味)            
                 
  ☆大好物のクリームあんみつ(ふつうにおいしかった)               
                               
                    2014年の夏・祇園祭で食べたものでした・・。                





2014年7月22日火曜日

三千院のブルー



  7月18日に、大原の三千院を訪ねてきました。

  今回は、高校の修学旅行以来の2度目の訪問でした。三千院は、代々皇族が住職を勤める門跡で、裏手には、後鳥羽天皇と、順徳天皇の陵があるというのを、初めて知りました。

  後鳥羽天皇は、和歌にも造詣が深く、新古今集の勅撰を命じたほどで、ご自身も歌を作られています。また、皇室の権威を取り戻そうと、鎌倉幕府に対して承久の乱をおこしますが、敗れて隠岐に流されてしまいます。

  隠岐で、60歳で崩御の後、後鳥羽天皇の皇子が門跡を勤めていた三千院に陵を造られたということです。順徳天皇は、後鳥羽天皇の王子ですが、同じく承久の乱で敗北し、佐渡に配流になりました。

  百人一首には、お二人の歌が残されています。

99「人も惜し 人も恨めし あぢきなく
        世を思ふゆゑに もの思ふ身は」
                       後鳥羽院


100「ももしきや 古き軒端の しのぶにも
           なほあまりある 昔なりけり」
                        順徳院



                    三千院の往生極楽院(真ん中)





                      三千院御殿門(右下)


  三千院の往生極楽院には、阿弥陀三尊像があり、その天井は、舟底型になっていて、極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が、極彩色で描かれています。
  その複製模写を見たのですが、極彩色の天女や菩薩の背景のブルーが、何とも言えないような鮮やかなブルーでした。

  政争に明け暮れた平安末期のあの時代に極楽浄土を夢見た人の天上の色は、あのブルーだったのだと思いました。




                                          往生極楽院舟底型天井画 復元模写 
                         三千院のパンフレットから


2014年7月21日月曜日

京都の好きな場所・高桐院



    京都で好きなところは?
                                     と、聞かれたら高桐院と答えます。

                  
  

                              

           最初に訪ねたときには
             何の予備知識もなく
                                   あの竹と石畳の直線の斬新なデザインの
                                                     アプローチを見て、
                                                     ただただ、
                        見惚れているだけだったのを
                         思い出します。

    そして・・・
      高桐院は、大徳寺にある塔頭の一つで、
                           細川忠興とあのガラシャ夫人の
            お墓があることにも、物語を感じ、
                                                   
    前庭の木々のまえに、
         たったひとつの石灯篭があるだけ・・
                  という簡素な佇まいにも、
                          共感・・。                      

       夏の高桐院は、初めてでしたが、
            石畳と苔にこぼれおちる真夏の陽の光が、
              まぶしくゆらゆらと揺れていて、
                     ひととき、
                   京の暑さを忘れさせてくれ、



 
   インドからいらしたと思われる青年が、
                じっと
           庭に面した座敷に座って庭を見ていらした姿が、                                   
                  印象に残ったのでした・・。


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2014年7月20日日曜日

2014年夏・京都祇園祭り



 京都・八坂神社の「祇園祭り」に行ってきました。梅棹忠夫さんの書かれた「梅棹忠夫の京都案内」によれば、葵祭が朝廷や貴族のお祭りだったのに対し、祇園祭は、町衆と呼ばれる人たちのお祭りとのことです。
 

                     
             真ん中は、八坂神社の御神輿

 祇園祭は、7月のひと月の間という長いお祭りですが、7月17日がメインの山鉾巡行。そして、16日はその前日ということで、「宵山」になっています。

 宵山の日中は、鉾と山を見て歩いたのですが、町内の古い町屋の座敷に飾られた屏風などを見るのも、楽しみでした。

 「屏風祭」というそうですが、1年に1回、祇園祭の日に、みなさんに公開しているとのこと。

 夜は、四条通りが歩行者天国になり、大勢の人が八坂神社まで、楽しそうに散策していました。
 



            17日の山鉾巡行

 17日は、前祭りで、山鉾巡行が朝の9時から始まりました。

 ひと月続くお祭りのクライマックスですが、今年から24日の後祭りもできたということです。

 御池通りに桟敷をとって見物したのですが、稚児さんの乗った長刀鉾を先頭に、ゆるやかな巡行でした。

 この稚児さんのことを生稚児(いきちご)というそうですが、小学生ぐらいの男の子でした。生稚児さんに選ばれた男の子は、本人はもちろんですが、ご家族も誇らしくうれしいことなのかなあと、想像したのでした。

 


             四条通り界隈 
 
 鉾と山のまわりの飾りは、豪華絢爛で、「どやっ!」という心意気を見せていると、地元のおじさんに教えていただいたのですが、そういう心意気が、この祇園祭の醍醐味で遊び心なのかもしれません。

 梅棹さんの本によれば、近世の京都には、海外貿易で資産を得たお金持ちの町人たちが住んでいて、そういう人たちが自分たちのいきおいを見せるために行ったデモンストレーションのようなものとかんがえればよいと書かれていましたので、祇園祭の行列が華やかになったというのは、そういう事情もあったのかと、頷けました。

 鉾の上に乗って、コンコンチキチンをはやしていらっしゃるのは、町の旦那衆とのこと。
     


           女の子の鷺踊り(四条通り)

 日本の三大祭りは、東京の神田祭。大阪の天神祭。そしてこの京都の「祇園祭」ということですが、神田祭の起源は730年、天神祭りは、949年ということで、「祇園祭」も調べてみました。



         四条通り界隈の旧家の飾り屏風(左下)
 
 「祇園祭歴史年表」によれば、「863年に疫病が流行したために、神泉苑において御霊会が行われ、その後869年に悪疫を鎮めるために、全国の国数66本の鉾を神泉苑に立てて祇園社から神輿を送り、これを祇園御霊会の始まりとした。」とのこと。

 そもそもは、疫病を鎮めるために始まった祇園祭ですが、現代のわたしたちには、一見、悠長に見えるこのお祭りを、おもしろがって楽しむことが「あそび」に通じることなのかなあと思ったのでした。



           八坂神社の御神輿

 それにしても暑かった~という祇園祭でしたが、コンチキチンという祇園囃子の音といっしょに、いつまでも記憶に残るお祭りになりました・・・。






2014年7月15日火曜日

ピーター・ラビット



なぜか、ピーター・ラビットの絵本が読みたくなり
キンドルの初体験をしました。

PCからすぐに購入して読んだのですが、
無料というのもありました。

対訳が出ていて、英語と日本語の両方で
読めるので、英語の勉強にもなりそうです。(^^♪



この写真の左は、トム・キトン
彼は、でぶねこで、お母さんに無理やり着せてもらった服を
着ているのできゅうくつそうです。

ニンジンを持っているのは、バッドラビットで
グッドラビットから、横取りしたニンジンを食べているのですが
あとで、とんでもない目にあってしまいます。



2014年7月14日月曜日

指ぬきコレクション



   久しぶりに、引き出しを開けてみると、
       指ぬきコレクションが入っているのを見つけました。


                       
                       
    ほとんど、英国の観光地のあちこちで記念にと、
    買ったものですが、
    観光地では、指ぬきのほかには、それぞれ地名の入った
    スプーンや、皮製の本のしおり、なども
    コレクター向きに
    売られていたのを思い出します。

    帽子の形をしていて、黄色の花がついているものが
    いちばんユニークで気にいっているものですが

    それにしても、
    指ぬきというのは、
    小さくてかわいらしく、夢のあるのが
    観光地のおみやげとして売られていた
    理由なのかもしれません。 
     





    急に外が騒がしくなってきたと思い、時間をみたら
           夕方の4時・・・・。
    ヒグラシとホトトギスが鳴きはじめました。

    早朝の4時にも、ヒグラシやホトトギスが鳴きはじめますので
    どちらも同じ4時、自然界は不思議です・・・。
                 

2014年7月13日日曜日

ヤマユリが、咲きました!


毎年、ヤマユリが最初に咲く場所があるのですが、
きょうの散歩のときに、そこに咲いているのを発見しました!

普通のヤマユリよりも、少しピンクがかっているのが
特徴です。

ヤマユリが咲くのを見ると、ああ~っ、今年も高原に夏が
来たのだと、実感します。

あのアダムとイヴのお話にも、ユリが出てきます。

イヴは、蛇にそそのかされて、禁断の果実を食べて
しまい、エデンの園を追われてしまうのですが、
そのことを悔やんで流した涙が、地におちて、ユリの花に
なったということです。

ユリは、フランスの国花で、また、聖母マリアの花でも
ありますが、ユリの花の存在感って、すごいんだなあと
改めて思いました。

わたしが、ユリの花が出てくる映画で忘れられないのは
デヴィット・リーン監督の「ライアンの娘」です。

主人公のロージーは、アイルランドの田舎の教師と結婚する
のですが、英国の将校と通じてしまいます。

最初のデートの約束をする場所が自宅の庭で、そこには、
たくさんのユリの花が咲いていました。
ユリの花は純潔の象徴でもありますから、皮肉ですよね。

ロージーは、村を追われて、夫といっしょに逃げるように
去るというところで映画は、終わるのですが、
あの映画の中のユリの群生は、見事でした!





                     7月13日に咲いたヤマユリ






2014年7月11日金曜日

ドナルド・キーンさん



ドナルド・キーンさんの自伝を読んでいましたら
こんなことが書いてありました。

キーンさんが、最初に来日なさった折のことです。
二年間の楽しく有意義だった日本滞在を終えて、
日本を離れるとき、
もう日本に来ることはできないだろうと、考えると
とても辛かったそうです。

そして、日本を離れる飛行機の中で永井荷風の
「すみだ川」を読んだとき、
荷風の美しい日本語に涙が出そうになった
ということでした。

早速、わたしも「すみだ川」を、読んでみたのですが、
こんな箇所がありました。

引用
ー・-・-・-・-・-・-・-・
 朝夕がいくらか涼しく楽になったかと思うと共に
大変日が短くなって来た。朝顔の花が日ごとに小さく
なり、西日が燃える焔(ほのお)のように狭い家中へ
差し込んで来る時分になると鳴きしきる蝉の声が
一際耳立って急(せわ)しく聞える。八月もいつか
半ば過ぎてしまったのである。家の後の玉蜀黍
(とうもろこし)の畠に吹き渡る風の響(ひびき)が
夜なぞは折々雨かと誤(あやま)たれた。
ー・-・-・-・-・-・-・-・         
                 引用
            永井荷風ちくま日本文学 筑摩書房
                         45p


キーンさんが言われた美しい日本語とは、こういうことなのか
と思いました






                 「ドナルド・キーン自伝」ドナルド・キーン著



                       「ノリウツギ」が、咲きました。
                      


                 「すみだ川」永井荷風著 ちくま日本文学











2014年7月10日木曜日

ヒグラシの羽化


台風が近づいているという予報があり、家のまわりを
点検していましたら、ベランダの下に置いてある
テーブルのふちに、ちょうど羽化したばかりのヒグラシと
抜け殻があるのを、見つけました!!!

きょうはこれから、台風が夜半に通過するというのですが、
大丈夫かなあと、少し心配になりました。

セミの抜け殻のことを、わたしが子供のころには、ウマコ
と、よんでいましたが、地方によっていろいろと
よび方が違うようですね。

ウマコというのは、抜け殻の色や形が馬の子供に似ている
からかあと、かってにひとりで想像してみたのですが、
どうなのでしょうね~。

調べてみましたら、セミの抜け殻の呼び方として、他には、
「ドロウマ」「セミノウマ」「ウマウマ」「ウマ」「セミウマ」
など、ウマがつく名前が、各地方にたくさんありました。

でも何といっても、セミの抜け殻のすてきな呼び方は、

「空蝉」

でしょうね。





                ベランダ下にあるテーブルに止まっていた
                    羽化したばかりの「ヒグラシと、抜け殻」





                   ヤマユリの蕾 台風に負けないで~






                          ヒヨドリバナ
                      




2014年7月9日水曜日

風鈴


先日、ホテルオークラのロビーで、南部風鈴の音色と共に、
ホテルのスタッフが、お客様の呼び出しのプラカードを
持って歩いている光景が、TVで紹介されていました。

南部風鈴の音色も、あんなふうに生かされているのは、
さすがと、思いました。

きょうの午後、出先のホテルのロビーで、ガラスの風鈴が
いっぱい、飾られているのを見ました。

風を受けて、金魚や朝顔が描かれているガラスの風鈴が
ちりり~んと、涼しげな音色を立てていました。

ガラスで作られた風鈴を、江戸風鈴というそうですが、
かわいらしい姿に、しばし見惚れてしまいました。













2014年7月7日月曜日

ミルキーウェイとミルキー



きょうは、7月7日、七夕ですが、あいにくの雨で、
星空を見ることができません。

天の川は、英語でミルキーウェイというのですが、
キュートな言葉ですよね。

イギリスには、「ミルキーウェイ」というお菓子が
あるのを思い出したのですが、そういえば
日本にも「ミルキー」というお菓子がありました。

ミルキーウェイは、一口かじると、ミルクチョコレートに
生クルームをたくさん入れたような味で、とろけるような
おいしさにうっとりします。

ロンドンに住んでいたころは、紅茶を飲みながら、
このバーをかじるのが、好きでした。

日本のミルキーも、あま~いコンデンスミルクのような味が
口中にひろがって、おいしいですよね。



私は、子供のころ、このミルキーが大好きで、近所のお菓子や
さんによく買いにいったのを覚えています。

ミルキーウェイとミルキー
どちらももう、思い出の中のお菓子になってしまいました。

















2014年7月6日日曜日

かなかな


きょうは、久しぶりに雨が降らないという天気予報でしたので
アウトレットに買い物に行ってきました。

傘がいらない日曜日ということなのかどうか、いつもより人が多く、
家族連れでにぎわっていました。

夕方5時頃に、帰宅途中、林の方からヒグラシのカナカナカナ
という初鳴きを聞きました。

カナカナという鳴き声は、季節の風物詩のようで、いいなあと
思います。

子供のころ、渓谷沿いにある温泉に、泊まりにいったことが
あるのですが、その時に聞いた渓谷中にひびきわたるような
カナカナカナという物悲しい鳴き声を聞いたのが忘れられません。

今年も、カナカナの鳴く季節がやってきたようです。



                          

                       ノハラアザミ
             


                        シモツケ

2014年7月5日土曜日

マリア・カラスとフランコ・ゼッフィレッリ



 きょうは、一日中雨。
 久しぶりにマリア・カラスのCDを聞いていました。

 声は最高の楽器だといった人がいましたが、
彼女のアリアを聞いていると、ほんとうにそうだと
思えてきます。

 以前に「永遠のマリア・カラス」という映画を
銀座の映画館に見に行ったことが、ありました。

 そのときに、この映画の監督のフランコ・
ゼッフィレッリが書いた自伝を是非読むといいと
薦めてくれた方に出会いました。

 後日、早速本を購入して読んでみました。
 「ゼッフィレッリ自伝」フランコ・ゼッフィレッリ著
 木村博江訳・創元ライブラリです。

 フランコ・ゼッフィレッリは、オペラの演出もしており
その関係で、マリア・カラスとも交友があり、
その彼女へのオマージュとして、この映画を作った
ようです。

 ゼッフィレッリによれば、マリア・カラスは
すさまじいダイエットをして、やせたとのことですが
いつも理想として、オードリー・ヘップバーンの
「ローマの休日」の写真を楽屋の鏡の前に
飾っていたということです。

 そして、マリアはあのヘップバーンが、独特の
肩越しに振り向いて大きく目を開く、有名なポーズまで
練習していたということですから、お茶目でかわいらしい
ところもあった方なのだなあと思いました。

 マリア・カラスはもう亡くなってしまいましたが、
ゼッフィレッリは、91歳でまだ健在のようです。








マリア・カラスのCDと、「ゼッフィレッリ自伝」






                         雨にぬれるバラ






2014年7月4日金曜日

読書・「遠い朝の本たち」須賀敦子著・ちくま文庫




 須賀敦子さんの本を知るようになったのは、本好きの知人からのお薦めでした。


                    
                   
 「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「トリエステの坂道」
「地図のない道」「ユルスナールの靴」「遠い朝の本たち」などなど何度読んだことでしょう。

 どれも、須賀さんの人柄と知性を感じさせる本で、こういう女性がイタリアで結婚して暮らし、彼女の深い異文化体験を、エッセイで伝えてくれたことに、感謝したいと思うのはわたしだけでしょうか。

 「遠い朝の本たち」は、彼女の幼少のころからの読書を、彼女の人生と絡めて書いていらっしゃいますが、好きな1冊です。

 「小さなファデット」という章には、彼女が幼年時代を過ごした六甲の山すそにある家に住んでいた頃の思い出が書かれています。

 ファデットとは、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」という本に出てくる主人公の名前ですが、須賀さんは、六甲の山すそで、山ツツジや、他のツツジを探しまわって遊んだお転婆だったころのご自分を、ファデットと重ね合わせていらっしゃいます。

 ファデットは、お転婆でしたが、かしこい少女で、最後にはしあわせになるというストーリーです。でもお転婆だけではなく、かしこいという共通点も、二人にはあると思いました。

  「ダフォディルがきんいろにはためいて・・・・・・」

 この章は、ワーズワースの「ダフォディル」という詩について書いてあるのですが、彼女が専門学校の英文科生になったときの思い出です。

 英語のDaffodilを、ラッパスイセンやスイセンではなく「ダフォディル」と、須賀さんが訳された理由についてこうおっしゃつています。、

 ラッパズイセンという日本語はラッパという語感から軍隊を連想してしまうことと、奇妙に乾いた音が嫌だったから、

 また、スイセンという語感からの日本のいじらしい女性というイメージをもってきたくなかったからとも・・。

 須賀さんの言葉に対するこだわりが、深く感じられた読書でした。

 

                   






2014年7月3日木曜日

光野桃さんの本



 光野桃さんの本に最初に出会ったのは、「おしゃれの視線」という文庫本でした。



 その中の「パリの女・ミラノの女」という章は、いつ読んでみてもそうだよねと思います。彼女からは、洗練されたミラノの大人の女性の魅力を教えていただいたような気がします。

 「光野桃ソウルコレクション」には、ソフィア・ローレンのことが出てきます。光野さんは、ソフィア・ローレンのことを思うとき、塩味のパンを思い出すと、書かれています。イタリアの固いパン、外の固い皮の中には、柔らかな白いところがあり、かみしめると涙の味がするというのです。

 女の魅力は「憂い」で、それがソフィア・ローレンの魅力!光野さんの表現は、上手いですよね。さすがと思いました。

 ソフィア・ローレンは、わたしもファンですが、彼女の演じるイタリア女性を見ていると、やはり「憂い」が、感じられると思います。実は、わたしはソフィアに会ったことがあるのです。

 昔、ロンドンに住んでいた頃、セルフリッジというデパートの本売場で、彼女の料理本の出版記念のサイン会をしていたのです。彼女は、料理も得意で料理の本まで出していたのです。

 ソフィア・ローレンは、鮮やかなブルーのシンプルなブラース姿で椅子にかけ、オーラを放っていらっしゃいました。あのお姿は、いまでもはっきりと思い出されます。そのときに買った料理の本は、もうなくしてしまったのですが、きゅうりと、カニのマヨーネーズあえのサラダだけ、覚えています。パーティ用にもおすすめということでした。

 光野桃さんは、最近は、エッセイから小説へとシフトなさっているようですが、わたしはやはり、最初の頃のいきいきとなさった感性で書かれたエッセイが好きです。