2022年12月26日月曜日

読書・「紫苑物語」石川淳著・講談社文芸文庫

 

 クリスマス前から降っている雪で、きょうの公園のベンチはこんな風になっていました。




 石川淳さんが書かれた「紫苑物語」を読みました。この本のことを知ったのは、須賀敦子さんの「トリエステの坂道」の中の「セレネッラの咲くころ」を読んだときで、それ以来、ずっと読みたいと思っていた本でした。

 須賀さんがイタリアのミラノに住んでいらしたころ、夫の実家を訪ねたときに、義理のお母さまが紫苑の花をいっぱいかかえてテーブルにどさりと置かれたのを見てびっくりなさったことがあったそうです。というのはそのころ須賀さんは、石川淳さんの「紫苑物語」を、イタリア語に翻訳なさっていて、紫苑をどう訳すのか悩んでいらしたからとのことでした。。



 須賀さんは「紫苑物語」を、「超現実の手法のさえ」や「隠喩の深さ」などの言葉で要約なさっているのですが、読んでみるとなるほどと納得できました。

 「国の守(かみ)は狩を好んだ。」ではじまる、石川淳さんのここちよい簡潔な文体の見事さを感じたのは、ユルスナールの書いた「ハドリアヌス帝の回想」の多田智満子さんの静謐な翻訳の文体を読んで以来のことかもしれません。

 このような超現実の虚構の物語を読むのは初めてでしたが、先日観た映画「雨月物語」なども思い出し、石川淳さんの遊び心のようなものも感じられた読書でした・・・。




 紫苑は、調べてみると古く薬草として中国からはいってきた花で、平安時代の「本草和名」(ほんぞうわみょう)にも出ているということですが、わたしにとっては、子供のころ母の実家の花壇のすみにいつも咲いていた背の高い薄紫色のなじみのある懐かしい花なのです。

 須賀さんによればこの「紫苑物語」は、須賀さんのイタリア語の翻訳以前に、ドナルド・キーンさんが英語に翻訳なさっていて、そのときには紫苑は、「アスター」と訳されていたとか。そういえば、キーンさんの自伝にも、石川淳さんとの交流のいきさつや最初に石川淳さんの作品を翻訳したのは自分だと書かれていたのを思い出しました。

 「紫苑物語」の中で主人公は、人を殺めて埋めた後に、この紫苑の花を植えたということでした・・・・。

 







 


 






2022年12月25日日曜日

植物・クリスマスのころに咲くクリスマスカクタスの花・・

 

 きょうは、12月25日クリスマスです。外は雪でホワイトクリスマスになっているのですが、我が家ではクリスマスカクタスが見事に咲きました。



 クリスマスカクタスは、クリスマスの頃に咲くのでそうよばれているということですが、シャコバサボテンの別名です。

 よく見ると、真っ赤な翼を広げた火の鳥のようにも見えます。



  原産はどこの国か調べてみると、ブラジルでした。真っ赤で派手な花は、この寒い時期に元気をもらえそう・・。

  クリスマスの名前のつく花は、クリスマスローズは知っていたのですが、今回この花の名前クリスマスカクタスを知り、なぜかうれしく思いました。

 わたしのささやかなクリスマスサプライズでした!



 

  

2022年12月18日日曜日

読書・「塚本邦雄」コレクション日本歌人選019 島内景二 笠間書院 

 

 12月に入り、ヤマユリは、こんな姿になってしまいました。今年の夏も見事な大輪の真っ白な花を咲かせていたのが、夢のよう・・。

 でもよく見ると、すっきりとした素地のまま、あじわいのある姿になっています。




 先日、塚本邦雄さんのご子息の塚本青史さんが書かれた「わが父 塚本邦雄」を友人からプレゼントしていただき読んだばかりでしたので、久しぶりに、塚本さんの短歌の本を、読み直してみました。



 この笠間書院の日本の歌人のシリーズ本の「塚本邦雄」は、島内景二さんが、塚本邦雄の短歌を50首選んで解説なさっています。島内さんは塚本さんに歌人として師事なさっていたという経緯もあり、この本でも見事な解説をなさっています。

 今回、わたしが塚本さんの50首のなかで、おもしろいと思ったのは、17首目のこの歌でした。

・-・-・-・-・

一月十日 藍色に晴れヴェルレーヌの埋葬費用九百フラン     塚本邦雄

                   034pからの引用           

                     ・-・-・-・-・

 ヴェルレーヌは、ランボーを愛したフランスの詩人ですが、1896年1月8日に亡くなっています。葬儀は1月10日、藍色に晴れた日で、葬儀費用は900フランだったと歌っているのです。



 それだけですが、わたしにはとてもおもしろい短歌のように感じました。ヴェルレーヌは好きな詩人ですし・・。 

 詩人の葬儀の日は、藍色に晴れた日だったという、藍色に込めた思いも感じられました。 

 島内さんによれば、塚本さんは人が亡くなった忌日と誕生日に強い関心を持たれていて、数字にもこだわられていたとのこと・・。

 わたしも「BIRTHDAY BOOK」を持っていて、友人や知人の誕生日や忌日も書いているので、塚本さんの忌日へのこだわりにも共感を覚えた短歌でした。








 


2022年12月4日日曜日

読書・「高村光太郎」吉本隆明著・講談社文芸文庫

 

 12月2日の朝、初氷が張り、初雪が降りました。初雪は、ふわふわと頼りなく空中を飛ぶ雪で、地上におりるとすぐに消えたのですが、初氷は、バードバスのもみじの葉を氷で閉じ込め、こんな感じになっていました。



 詩人の高村光太郎は、冬が好きでしたが、今年ももう12月に入り、彼の好きな冬が来たようです。本箱にある吉本隆明さんが書かれた「高村光太郎」を久しぶりに再読しました。  

 わたしが初めて高村光太郎の詩を詩集として読んだのは、学生時代に友人からプレゼントとしていただいた「智恵子抄」でした。箱入りの当時としては豪華な装丁の本で、「レモン哀歌」などは、いまでも暗記することができるほどで、彼が戦後に住んでいた岩手の山口村の小屋を訪ねたこともあり、彼の彫刻も、「高村光太郎展」で見た「蝉」などもなつかしく思い出します。



 吉本隆明さんの著書「高村光太郎」は、わたしが漠然といままでに持っていた高村光太郎に対する考察を深めさせ再考察させてくれた本でした。光太郎の留学の意味や結果、父との関係、戦後の戦争責任者としての生き方、妻の智恵子との関係など、さまざまなことの再考察でした。

 それにしても、吉本さんは、光太郎の評伝を書かれている北川太一さんとは、学生時代からの友人であり、彼自身も光太郎研究者として、こんなにも多くの評論を書かれていたとは、この本から知ったことでした。

 吉本さんは最後に「著者から読者へはじめの高村光太郎」という題で、ご自分と光太郎研究についてのかかわりを、こんな風に書かれています。

 吉本さんは月島の下町生まれで父は舟の大工、(高村光太郎も下町生まれで父は彫刻家(師)。)吉本さんは、 父の手技は受け継がず、メタフィジークだけは受け継いだとのこと。そんなことから、光太郎の生涯と仕事と人間を研究していくことが、吉本さんの仕事になったとのことでした・・。

 吉本さんの人生にとっては、重みのある「高村光太郎」論なのだと理解しました。


             智恵子抄の見開きページ・智恵子の切り絵


 吉本さんは、この本の「智恵子抄」論の中で、この詩をまれにみる夫婦の生活であり、羨望はあっても、葛藤を推測することすら許さないと書かれて紹介なさっていますので、最後に引用させていただきます。


・-・-・-・-・-・

あなたはだんだんきれいになる

                    高村光太郎

をんなが附属品をだんだん棄てると

どうしてこんなにきれいになるのか。

年で洗はれたあなたのからだは

無辺際を飛ぶ天の金属。

見えも外聞もてんで歯のたたない

中身ばかりの清冽な生きものが

生きて動いてさつさつと意欲する。

をんながをんなを取りもどすのは

かうした世紀の修行によるのか。

あなたが黙って立ってゐると

まことに神の造りしものだ。

時時内心おどろくほど

あなたはだんだんきれいになる。

・-・-・-・-・-・

   引用  「高村光太郎」吉本隆明著・講談社文芸文庫 99p~100p

 




2022年11月27日日曜日

植物・2022年最後のもみじの紅葉・・

 


 今年のもみじの紅葉も、もうそろそろ終わりのようです。きょうは、散り敷いた葉が午後の日差しの中で、こんな風になっていました。





 このように見事なもみじの紅葉の落ち葉を見ていると、白居易の詩「林間煖酒焼紅葉」を思い浮かべてしまいました。「林間に酒を煖めて紅葉を焼(た)く」というあの詩です。

 林の中で紅葉を集めてたいて、酒をあたためて飲み、秋の風情を楽しんだという詩ですが、現代だったら屋外のキャンプでの楽しみと通じるのかなとも思いました。





 もみじの紅葉は、緑から黄色、オレンジ、ピンク、そして赤までさまざまな色のグラデーションを楽しめ、見上げてもすてきですが、散り敷いた風情も好きです。



 もう2,3回強い風が吹く日があれば、まだ木に残っているもみじもすっかり散ってしまいそうですが、今年の最後のもみじの紅葉もすてきでした・・・。

 

 

植物・コトリトマラズとは?

 

 先日、TVで五島列島のトレッキングという番組を見ていましたら、「バクチノキ」という面白い名前の木が出てきました。茶色っぽいかなり大きい木なのですが、よく見ると木の皮がすっかりはがれていました。博打に負けて身ぐるみはがされるのに例えたとのことですが、なるほどと笑ってしまいました。

 そういえば、うちの庭にも「コトリトマラズ」というおもしろい名前の木があります。今の時期ですと、こんなかわいい赤い実をつけています。




 よく見ると、するどい「とげ」がありますので、小鳥は止まることができないようです。

 コトリトマラズはメギの別名ですが、メギは漢字では「目木」と書き、葉や茎を煎じて飲んだり、洗眼薬にもしたり、目に良いとのこと。

 春には、うすい黄色のかわいい花をいっぱい咲かせてくれます。

 同じメギ科の仲間の植物で、「ヘビノボラズ」という名前の植物もあるようです。この植物はまだ見たことがありませんが、こちらもやはり「とげ」がありますのでへびは、登れないということなのかしらと思います。



 この季節にかわいい真っ赤な実をつけるコトリトマラズですが、小鳥が実をつまめないためでしょうか、いつも初冬のころまで、残っています。



2022年10月24日月曜日

読書・「失われた時を求めて」3 高遠弘美訳のプルースト・(フェードルのセリフの名訳)

 


  10月も半ばを過ぎ、木々の紅葉が始まりました。ガマズミの実も赤くなり、陽の光をあびると、つやつやと輝いてかわいらしく見えます。

 



 「失われた時を求めて」③ 第二篇「花咲く乙女たちのかげにⅠ」プルースト 
高遠弘美訳 光文社古典新訳文庫を読みました。
  主人公は、ラ・ベルマが演ずる「フェードル」(ラシーヌの悲劇)の中のセリフを、いつも心の中で唱えているほどなのですが、そのポスターがシャンゼリゼの広告塔に貼られているのを見てこころを躍らせるのでした。そのセリフとは・・

・-・-・-・-・-・

高遠弘美訳では・・

「ここもとをいまにも発って、遠国(おんごく)へゆかれるとか」   

                      光文社古典新訳文庫 36pからの引用

・-・-・-・-・-・        

吉川一義訳

「急なご出立(しゅったつ)で、お別れしなければならないとか・・・」 

    「失われた時を求めて3花咲く乙女たちのかげにⅠ」 岩波文庫 46pから引用

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鈴木道彦訳 

「あわただしくも遥かな国へ、われらを離れてご出立とやら・・・」

「失われた時を求めて3 花咲く乙女たちのかげにⅠ」集英社ヘリテージシリーズ

                              40pからの引用

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井上究一郎訳

「急にはるかへお発ちになるとやら・・・」

「失われた時を求めて2第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅠ」ちくま文庫

                               27pからの引用

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 フェードルの本は、岩波文庫から「フェードル アンドロマック」ラシーヌ作として、 渡辺守章訳 で出版されているのですが、渡辺守章さんはフェードルのセリフをこのように訳されていました。

渡辺守章訳

・-・-・-・-・-・

「急なご出立(しゅったつ)で、お別れしなければならないとか。」

   ・-・-・-・-・-・        185pからの引用 

 吉川一義さんの訳とまったく同じでした。




 ラシーヌの悲劇「フェードル」は、1677年にブルゴーニュ座で初演されたという古い歴史があるのですが、日本でも2017年と2021年に大竹しのぶ・演出は栗山民也で上演されているようです。

 プルーストの「失われた時を求めて」に出てくる「フェードル」は、架空の女優のラ・ベルマが主役のフェードルを演じていて、主人公はマチネで観るのですが、最初は失望してしまうのでした。

   


                               

「フェードル」は、プルーストの時代には、実在した有名な女優のサラ・ベルナールが主役を演じているのですが、当たり役だったとか。この悲劇女優の試金石ともいわれる「フェードル」をサラ・ベルナールが初めて演じたのは、1874年で30歳だったとのことです。

 プルーストが生まれたのは、1871年ですから10代のころに、サラ・ベルナールの演じる「フェードル」を見た可能性があるのかもしれません・・。

 フランソワーズ・サガンの著書「サラ・ベルナール」によれば、サラは、グラモン家で1,2度プルーストにあったことがあるとのことですので、プルーストが「失われた時を求めて」の中で「フェードル」を書いたときに、架空の女優のラ・ベルマを登場させたのは、サラ・ベルナールのことが念頭にあったのかしらとも思ったのですが、どうなのでしょう・・。

 


 アンドレ・モーロアの「プルーストを求めて」という本に、プルーストが20歳のころの質問に対する答えが書いてあるのですが、架空の物語の中の好きな女主人公はという問いに、フェードルと最初に書き、それを消してベレニスにしたという記述がありました。

 フェードルは、やはりプルーストにとってセリフを暗記してしまうほどの、魅力ある演劇だったのかもしれません。


 高遠弘美さんが訳された「フェードル」のラ・ベルマのセリフ、

「ここもとをいまにも発って、遠国(おんごく)へゆかれるとか」は、  

             やはり古典劇にふさわしい重厚な名訳だと改めて思いました。










2022年9月23日金曜日

俳句・漱石と子規の俳句の曼殊沙華・・・

 


 いつもお彼岸のころになると、彼岸花(曼殊沙華)が咲くのですが、自然の摂理の不思議さを感じてしまいます。21日に明治の森で写した彼岸花です。台風が過ぎた翌日ですが、1,2本倒れただけで、何事もなかったかのように、咲いていました。




        曼殊沙花あっけらかんと道の端      漱石

  漱石俳句集に出ていた句ですが、あっけらかんという表現が漱石らしくて好きです。


 




  漱石の友人だった子規は、こんな句を作っています。

         薏苡(ずずだま)の小道尽きたり曼珠沙華       子規


 ずずだまとは、数珠のような実がなる植物です。子規はもう自分の命の小道がつきようとしているのを知っていて、その道のつきたところに天上の花の曼殊沙華が咲いていると歌っているのだと思います。斎藤茂吉は、曼殊沙華というエッセイの中で、子規は偉いのでこの句位に達したのだと書いていますが、このように客観的に自分の死を見つめることのできた子規の胸中を思うと、この句の重みを感じてしまいます。




 わたしはどちらかといえば、漱石の人柄がにじみ出ていて、時にはユーモアさえ感じられる漱石の俳句が好きです。



2022年9月22日木曜日

那須高原・2022年秋・明治の森のコスモス畑

 


 先日は大型台風14号が、通り過ぎたのですが、台風前の17日に明治の森にコスモスを見に行ってきました。

 これは台風前の17日のコスモス畑です。秋晴れの空の下に、コスモス畑が広がっていて見事でした。

  


  色はキコスモスが多く、白やピンクはまばらで、遠くからみると、ほとんどオレンジ色に見えました。

   遠くに見える白い家は、保存されている青木周蔵那須別邸ですが、近くで見るとこんな感じです。




 コスモス畑に麦わら帽子をかぶった女の子がいたのですが、しゃがみこんでコスモスに見いる女の子は、まるで「いわさきちひろ」さんの絵のようでした。     

 



 コスモス畑には、いろいろな蝶がとび、蜂が蜜を吸っていて、とてもにぎやか。

 この蝶は、ギンボシヒョウモンかしらと思ったのですが、どうなのでしょう?




      やわらかな秋のひざしが降り注ぐ高原のコスモス畑。

                     すてきな時間が流れていました・・・。



2022年9月8日木曜日

読書・「詞華美術館」塚本邦雄 講談社文芸文庫       (言葉の詞華がきらめく究極の本・・・)  



 いつも夏の終わりのころになると、ヤマザクラのまるで紅葉のようにきれいな葉が、散歩道に落ちているのを見かけます。でも、これは、紅葉ではなく病葉(わくらば)とのことですが、 あまりにもすてきなので、見惚れてしまいました。



 塚本邦雄さんの「詞華美術館」を読みました。彼の本を読むのは久しぶりで、12冊目になりました。この本は、まるで彼の美意識の集大成のような本で、彼は言語の美術館を目指していたのだと思いました。

 塚本さんの言葉の美学は、文学のジャンルや時間さえ超えて、彼の美意識にかなった言葉の華を集めてこれでもかというように、提示してくれるのです。

 それも、こだわりの全部正字旧仮名遣いを用いて・・。

 わたしは、塚本さんの本はいつもランダムにそのときに、最初に開いたページを読むのですが、この本はまさにどこを開いても、言葉の星が、それぞれまぶしく輝いていて宇宙に散らばっているようで見惚れてしまいます。



  

  まず、最初の「展翅板」(てんしばん)では、全部「蝶」づくし。「蝶」という言葉が出てくる、短歌、詩、物語の中の言葉、などから塚本さんの美意識にかなうものを選りすぐって花束にしています。

 ☆後鳥羽院の歌「うすく濃き苑の胡蝶はたはぶれてかすめる空に飛びまがふかな」からはじまり、 ☆安西冬衛「落ちた蝶」  ☆ジェラール・ド・ネルヴァールの「蝶」中村眞一郎譯   ☆「堤中納言物語」「蟲めづる姫君」の中に出てくる蝶  ☆内藤丈草の俳句「大原や蝶の出てまふ朧月」     ☆「蝶の繪] 久生十蘭  

 というように、「蝶」づくしなのですが、塚本さんの想像力は変幻自在で、後鳥羽院の歌から言葉を求めて蝶のようにあちこちに飛ぶのでした。

 ちなみに「展翅版」の「展翅」(てんし)とは、標本にするために昆虫のはねを広げて固定することだそうです。



 塚本さんは、本の後ろの「《跋》玲瓏麗句館由来」でこの詞華集についてこのようなことを言われています。

 1967年春ころ、悪の華の「旅への誘ひ」を長歌にみたて、反歌として「新古今和歌集」の後京極良経の「志賀の花園」を配し、その至妙のアンサンブルにひとり酩酊なさっていたそうですから、さすが塚本さんですよね。

 そこからはじまり、古今東西の詩歌の名作をひとつの主題のもとに選び、その組み合わせかたから、醸し出される不思議な味わいを楽しんでこられたとのこと。

 しかし、これらはまだほんの前菜で、聖書や古事記、アンチロマン,SFなどからまでその美味な部分だけを集め、メインデッシュに再編集なさったとか。なんだか溜息まで出てきました。



 この本は、塚本邦雄さんの美意識にかなったものだけを選りすぐった詞華集なので、彼は何の目的もなく旅に出るとしたら、この一冊だけ持っていくとのこと。もしかすると彼もかなり気にいられていたのだと、確信しました。

 この本はかなりマイナーで、究極の彼の趣味の私家版のような詞華集ですが、どのページを開いても、言葉の星がきらめいていて、そのまぶしさに魅了される本でした。










     

 






2022年8月30日火曜日

読書・「プルーストへの扉」ファニー・ピション 高遠弘美訳 白水社 (プルースティアンとは?・・・)

 


 8月も最後になり、もう夏が終わろうとしています。

   ツリガネニンジンが咲き始めました。

       花はうすむらさきで小さなかわいいベルの形をしているのですが、

              風に揺れるとりんりんと鳴る鈴の音が聞こえてきそうです。




 高遠弘美訳の「プルーストへの扉」を読みました。プルーストに関する本は、いままでに20冊以上読んだのですが、この本はとても読みやすく、さらっと読め、それでいて内容が濃い本だと思いました。

 翻訳者の高遠弘美さんは、現在「失われた時を求めて」の翻訳をなさっている途中ですが、訳者あとがきでこの本を、プルースト論として再読に耐える4冊の本の中の1冊にあげられています。

 ちなみにその4冊とは、「プルーストによる人生改善法」「プルーストと過ごす夏」「収容所のプルースト」そしてこの「プルーストへの扉」とのこと。

 わたしはこれで「収容所のプルースト」以外の3冊を読んだことになりますが、3冊それぞれ独自のユニークな視点からプルーストを語っていて、どの本もおもしろく読みました。



   この本「プルーストへの扉」は、ピションが、プルーストを読みたいと思っている読者のために、わかりやすいアプローチの仕方で書いたということですが、すでに読んでいる読者にも、さらにプルーストをなぜ読むのかということに、真摯に答えてくれる本でもありました。

 ピションは、「なぜプルーストを読むのでしょうか」という問いにこう答えています。

 それは、「失われた時を求めて」は、単なる書物ではなく、読者にとっては人生における経験と呼ぶべきものであるから・・。

 そして人生の経験としてこの本を愛し、読了した読者は、自分のことを、プルースト派(プルースティアン)であると認めるようになるとか。



 プルーストの研究をしている専門の学術書とは違い、このように平易に読めて、しかもプルーストの小説の深いところまで読者に思索させてくれるのは、やはりピションのプルーストへの愛と誇りのたまものなのかもしれないと思いました。

 読者にとって人生の経験となるような書物であるこの「失われた時を求めて」をぜひ読んでほしいというピションの声が聞こえてくるようでした。

  高遠弘美さんがこの本を見つけて翻訳してくださったことに感謝して、本を閉じました。



 















2022年8月16日火曜日

読書・「堀 辰雄集」堀多恵子編 彌生書房 (プルウストはフローラの作家・・・)


 コバギボウシ(小葉擬宝珠)が、あちこちで咲くようになりました。この花を見ると、いつも立原道造の詩を思い出します。「甘たるく感傷的な歌」という詩に、「まつむし草 桔梗 ぎぼうしゅ をみなへし」と、彼の好きな花をならべて、歌っているのですが、この「ぎぼうしゅ」とは、コバギボウシのことだと思います。 




 久しぶりに堀辰雄の随想「堀辰雄集」を読んでみました。この本は彌生書房の簡素でシックな装丁に惹かれて古本屋さんで購入したものです。

 堀辰雄の小説は、新潮文庫の「風立ちぬ・美しい村」「かげろふの日記・曠野」「幼年時代・晩夏」などのシリーズ本を数冊持っているのですが、再読するのはいつもこの彌生書房の「堀辰雄集」だけになってしまいました。

 この本は、小品、随筆、エッセイなどの作品を集めた随想集ですが、それぞれに違う味わいがありお気に入りの本です。

 「フローラとフォーナ」という題名のプルーストについての短い随想は、クレチウスは、作家をフローラ「植物」とフォーナ「動物」の2つに分け、プルウストをフローラに入れて論じているというあのフローラ論です。

 堀辰雄は、花のことはあまりよく知らないけれど、花好きで、小説の中で花を描くことも好きなので、自分もフローラ組かもしれないと書いていますが、彼の小説もプルウストの影響を受けていたようです。



 
 「木の十字架」というタイトルの随想は、わたしが青春のころに好きだった詩人の立原道造のことが書いてあり、好きなところです。立原道造は、亡くなる前の年の1938年の秋に、盛岡への一人旅をするのですが、そのときに堀さんにこんな手紙をよこしたそうです。

「あなたが自分のまはりに孤独をおいた日々はどんなに美しかったか、僕はそれを羨むことでいまを築いてゐるといったっていいくらゐです・・・・」75pからの引用

 立原道造が一人旅をしたという盛岡をわたしも訪ねたことがあるのですが、郊外の愛宕山で見た歌碑に刻まれた「アダジオ」という彼の詩があったのを思い出しました。「盛岡ノート」という盛岡の本屋さんで買った本に歌碑の拓本がはさんであったのを見つけましたので、引用してみます。

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 アダジオ              

 光あれと ねがふとき

 光はここにあった!

 鳥はふたたび私の空にかへり

 花はふたたび野にみちる

 私はなほこの気層にとどまることを好む

 空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ

                  立原道造 「愛宕山の歌碑」より

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 堀辰雄は、立原道造という詩人に、とても影響を与えていたようです。恋人ができた立原道造が恋人を残して、ひとりで盛岡に旅をするなどというのは、リルケイアンとしての立原を見る思いだったと、堀辰雄は書いていますが、恋する人とあえて離れ耐えることを当時はリルケイアンと言っていたのだと知り思わず苦笑してしまったのですが・・。

 この「木の十字架」という題は、堀辰雄の結婚のお祝いにと立原道造が贈った教会の少年聖歌隊の歌のレコードの題名とのこと。堀辰雄の詩人立原道造への思い出の随想は、堀辰雄の結婚のころの思い出の随想でもあるようにも読めました。

 フローラの作家の堀辰雄のまわりには、やはり花を愛した立原道造のようなフローラの詩人がいたというのは、すてきなことだったと思いました。

  



 

 





 





2022年8月2日火曜日

読書・「失われた時を求めて」2 「 心の動揺という強い風・・・」 高遠弘美訳のプルースト

 

  今年の夏、最初にヤマユリが咲いたのは、7月11日でした。

 プルーストの誕生日は、7月10日ですから、ヤマユリが咲くころになると、毎年プルーストの誕生日を思い出すようになりました。実はわたしの兄もプルーストと同じ誕生日なので、いつも兄を少しうらやましく思っています。

 ヤマユリは開花すると、手を広げたぐらいに大きくて驚くのですが、甘く濃厚な香りも個性的で、野草の女王さまのようです。このような花があちこちに咲いている散歩道を歩くことができるのは、しあわせなことだと思うようになりました。 

 



 高遠弘美訳の「失われた時を求めて」の2の「スワンの恋」を、読み終えました。

プルーストは、恋のはじまりについて、こんな風に書いているのですが、今回もまた、同じところを、それぞれ違う翻訳者で比べてみました。


☆高遠弘美訳「失われた時を求めて」2第一篇「スワン家のほうへⅡ」プルースト著

                              光文社古典新訳文庫

120pの引用

「恋愛を生み出すあらゆる様式の中で、また、恋愛という聖なる病をいたるところで芽ばえさせるあらゆる要因のうちで、もっとも力を発揮するもののひとつは、ときとして私たちの上にも吹きつける心の動揺という強い風である。まさにそのとき、一緒にいて楽しいという相手がいれば、賽(さい)は投げられたも同然で、私たちはその人間を愛することになる。」

   「私たちの上にも吹きつける心の動揺という強い風・・」

 高遠弘美さんの訳は、なめらかな美しい日本語ですんなりと読めました。好きな訳です。

 



 ☆吉川一義訳 「失われた時を求めて」2スワン家のほうへⅡ プルースト著

                                    岩波文庫                                              

113pの引用です。

「恋のあらゆる生産方式のなかで、つまりこの神聖な病いの伝播要因のなかで、もっとも効果的なものがある。それはときにわれわれに降りかかって動揺をひきおこす大いなる息吹である。その瞬間に運命の賽(さい)は投げられ、その時点で楽しくすごしていた相手がわれわれの愛する人となるのだ。」

  「われわれに降りかかって動揺をひきおこす大いなる息吹・・」

  吉川一義さんの訳は、端正で誠実、お人柄がしのばれるようです。立教大学で行われた連続公開セミナー「岩波文庫から刊行中の吉川一義氏による新訳でプルーストを読破する」でお会いした彼は、やはり真摯なプルースト研究者のお姿でした。




☆鈴木道彦訳 「失われた時を求めて」2 第一篇スワン家の方へⅡ プルースト著

                             集英社ヘリテージシリーズ

106p~107pからの引用

「恋愛を作りだすさまざまな仕方、この聖なる病いをひろめるさまざまな要因のなかで、まさしくもっとも有効なものの一つは、ときとして私たちの上を通り過ぎてゆくあのはげしい動揺の息吹きである。そのときにたまたま憎からず思っていた相手こそ、運命の骰子(さい)は投げられ、私たちの愛する人となるだろう。」

    「私たちの上を通り過ぎてゆくあのはげしい動揺の息吹・・」

 鈴木道彦さんは、プルーストの翻訳について、「この物語の面白さを、できるだけ平明な日本語で表現して読者と分け持ちたい」と、2001年に日本経済新聞に書いていらしたのを覚えているのですが、やはりその言葉通りに、誠実に平明に訳していらっしゃるのだと、実感させていただきました。



☆井上究一郎訳 「失われた時を求めて」1第一篇スワン家のほうへ プルースト著

                                    ちくま文庫

387pからの引用

「恋を生みだすあらゆる様相のなかで、この神わざ病を伝播するあらゆる要因のなかで、もっとも有効なはたらきをなすものの一つは、ときどきわれわれの上を吹きすぎるあのはげしい爆風である。そんな瞬間に、われわれがともに好感を抱きあっている相手の人こそは、運命のさいころはもう投げられていて、やがてわれわれが愛する人になるだろう・・」

  「われわれの上を吹きすぎるあのはげしい爆風・・」

 井上究一郎さんの訳は、30年前ぐらいにわたしがはじめてプルーストの「失われた時を求めて」全巻を読了した記念すべき翻訳なので、とてもなつかしく、こんな訳だったのだと、改めて思いだしながら、読みました。彼は個人で最初にこの全巻を日本語に訳された方なので、プルーストファンとして、感謝し尊敬しています。



   4人の方の翻訳をそれぞれ比べてみますと、違いがわかって大変おもしろく、プルーストの世界を4倍も楽しめたようで、得をした気分になりました。

 心の動揺という強い風が吹いて、恋の病が芽生えたスワン

 スワンは、自分の趣味でもなかったオデットを、ヴァントイユのソナタを自分たちの愛の国歌として聞くことや、顔がボッテチェリが描くエテロの娘チッポラに似ていることなどから、彼の芸術趣味を満足させ次第に好きになっていくのです。

 ところが、ある日、いつもいるはずのヴェルデュラン夫人のサロンにオデットがいないことに気づき、スワンは心の動揺という強い風が吹いたことで、恋の病が芽生えたのでした。

 そのスワンが、「スワンの恋」の最後に近いある夫人の夜会で、ヴァントイユのソナタのピアノとヴァイオリンの美しい対話をじっくりと聴く場面がありますが、わたしの好きなところです。


高遠弘美訳からのの引用です。407p~408p

 「最初はピアノだけが、伴侶に見捨てられた鳥のように悲しみを訴える。ヴァイオリンがそれを聞きつけて、近くの木から語りかけるように、ピアノに応える。それはまるで、世界の始まりか、地上にまだ彼ら二人しかいないかのようであり、いや、というよりむしろ、他のものの入り込む余地のない閉ざされた世界、ある創造者の論理にしたがって構築され、この先も彼らしかいない世界の中の出来事というべきだったろうか。それがかのソナタだった。目に見えぬ存在が悲しげに呻(うめ)き、その嘆きをピアノが優しく繰り返す。その存在は鳥なのか、小楽節のまだ不完全な魂なのか、それとも妖精なのか。」


 すてきな表現ですよね。まるで、ソナタの旋律が聞こえてくるようですが、プルーストは音楽という芸術を魂に直接訴えてくるものとして、そのことを、言葉で表そうとしているのだと思いました。

 この曲を聞いたスワンは、まるで美しい詩句や悲しい知らせを聞いたときのように、嗚咽してしまうのです。そしてもうオデットは自分を愛していないことに気づくのでした。




  「スワンの恋」の最後は、スワンのこんなセリフで終わっています。

高遠弘美訳 475pからの引用です。

「自分の人生の何年も台無しにしてしまったとはね。とくに好きでもない、ぼくの趣味に合わないあんな女のために死のうと考えたり、これこそが我が人生最大の恋だなんて考えたり。まったく何ということだろう」。

 こんな言葉を口にしてしまうスワンは、愛すべきジレッタント(芸術愛好家)だったように思います.