2016年1月29日金曜日

雪の日の訪問者2・(ハンサムなJAY)



 2,3日春のようなあたたかい日が続いたのですが、
今朝は、また雪でした。

 今朝の訪問者です。





 この鳥の名は、ロンドンに住んでいたときに
すぐに覚えた名前で、英語では「JAY」と呼ばれています。

 このジェイとは、鳴き声からそう呼ばれているという
ことですが、わたしには、ジェイというよりは、ギーッというように
聞こえます。

 日本名は、「カケス」というのですが、掛け巣というように
見事な巣を作り、また、物まねもうまくクロツグミの鳴き声の
真似をしたという話しも読んだことがあります。 

 体長は33センチとかなり大きいのですが、翼のブルーが
とてもきれいです。

 頭のてっぺんは、白と黒のごましおでまるで
ジョージ・クルーニーのようにハンサムな鳥です。(^^♪


2016年1月28日木曜日

命の連鎖・・・




 先日降った大雪がまだ道の両側に残って
いるのですが、ところどころにこんなものを
見つけました。


ヤマユリの枯れた実です。

 ヤマユリは、日本原産のユリで、夏には
直径20センチもの見事な花を咲かせてくれました。


 いまは、もう冬、
 3つにきれいに割れた実からは、
無数の種が零れ落ちました。



 種の保存という役割を終えた実は
簡素でこんなにもすてきなのでした。















2016年1月21日木曜日

雪の日の訪問者1




 きょうは、大寒です。
 先日降った雪も根雪になり、軒にはつららも
下がっていて、さすが大寒という朝でした。


 今朝は、この雪でエサを探すのが大変なのでしょう。
リスくんが、野鳥のエサ台のヒマワリの種を食べに
やってきました。


 先日は、那須アウトレットで見つけた
もふもふのうさぎちゃんを紹介しましたが
そういえば、このリスくんも、もふもふです。


 雪でエサが見つけにくいのでしょう。野鳥の
エサ台のヒマワリをいっぱい食べて帰っていきました。

 大寒の日の朝の訪問者でした。








2016年1月19日火曜日

読書・高村光太郎の詩  冬のポエム・・・




 詩人の高村光太郎は、冬が好きだったようで、こんな詩を残しています。わたしも冬が好きなので、彼の言葉に共感してしまうのですが、最初の4行が特に好きです。

・-・-・-・-・-・

    冬の言葉
             高村光太郎

   
冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が洗ひ出すのは万物の木地。

天はやっぱり高く遠く
樹木は思ひきって潔らかだ。



虫は生殖を終へて平気で死に、
霜がおりれば草が枯れる。

この世の少しばかりの擬勢とおめかしとを
冬はいきなり蹂躙する。




冬は凩(こがらし)の喇叭(らっぱ)を吹いて宣言する、
人間手製の価値をすてよと。

君等のいぢらしい誇をすてよ、
君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。





冬がまた来て天と地とを清楚にする。
冬が求めるのは万物の木地。

冬は鉄碪(かなしき)を打って又叫ぶ、
一生を棒にふって人生に関与せよと。

                                             引用 高村光太郎詩集・伊東信吉編
                              新潮文庫


・ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・


 高村光太郎は、冬の詩を数編も書いています。彼は冬がすきだったようで、夏になると元気がなくなり、冬になると元気になったとか。


 真っ青な冬空に、すくっとたっている裸木
         その裸木にからまるように、浮かんでいる白い雲







 こんな空を見上げるのは、本当に良い気持ちで、こころまで、ちょっぴりきれいになりそう。 わたしもやっぱり、冬がすきなのです・・。












 

 



2016年1月18日月曜日

今朝の雪!!!




     朝、起きてみたらこんな雪景色になっていました。


    

   暖冬だと思っていたら、いちどにこんなに積もってしまい、
                    何となく笑ってしまうほどの大量の雪です。




 きょうは、全国的に雪が降っているようで、TVのニュースでは、東京でも備えのない都会の雪で、困っている様子が映し出されていました。

 今の時間は、こちらは吹雪です。




 先ほど、停電があり、ひやっとしたのですが、すぐに回復しほっとしました。

 玄関前や道路の雪かきを少ししていましたら、雪のかたまりが、木から落ちて来て頭をかすめました。




  やはりこんな日には、おとなしく家にいて読書でもしていたほうが、良さそうです。




           それにしても、雪景色ってきれいです!!!



2016年1月15日金曜日

読書・「プルーストを求めて」アンドレ・モーロア 井上究一郎・平井啓之訳 筑摩叢書



 知人からオータムポエムをいただきました。この野菜は、中国野菜を、品種改良したものだそうですが、マスタードの入っていた小瓶にさしておきましたら、そこだけ春が来たようでした。




 昨年の暮れに目白台の古本屋さんで、見つけた本アンドレ・モーロア著の「プルーストを求めて」をようやく読み終えました。

 初版は1972年で、あの「失われた時を求めて」の全訳をなさった井上究一郎さんと、平井啓之さんの共訳でした。

 こんなわたしにとってはすばらしい本が何と400円とは、うれしいサプライズでした。




 失われた時を求めてを書いたプルーストの伝記ですが、プルーストがどのようにして、文学という芸術を極めたかが書かれていて見事です。

 プルーストの幼少の頃のコンブレでの体験、そして青年期・大人になってからの社交界での体験、それらを普遍的な言葉という芸術に定着させたのは彼の晩年の数年だったのです。

 病身にもかかわらず、コルク張りの部屋で、昼夜を逆にして書き続けた生活は、彼のいのちを蝕みその姿は、まるで苦行僧のようだったとか。





 「失われた時を求めて」の最初の巻は、わたしの好きなコンブレでの幼少のころの話しが書いてあります。そこでの幸せな読書、散歩のときに見た、キンポーゲやリラ、さんざしなどの花々、薔薇色の雲、などをみて歓喜した幸せな幼年時代などなど・・・・

 プルーストは、そういう話しに息を吹き込み、文学という芸術にしてわたしたちに残してくれたのですが、その秘密は、彼の並外れた感受性だったのかもしれません。

 プルーストの「失われた時を求めて」をより深く読みたい読者には、最適の伝記だと思いました。

 この本は、プルーストファンのわたしにとって、大事な一冊になりました。


 

2016年1月13日水曜日

まゆ玉の恋・・・




まゆ玉にをんな捨身の恋と知れ
                  稲垣きくの


 まゆ玉というと、いつも稲垣きくのさんの
俳句を思い出します。

 稲垣きくのさんは、わたしの好きな俳人の
鈴木真砂女さんと同じ年のお生まれで、俳句の生涯の
ライバルでもあったそうです。

 お二人ともに、もう亡くなられていますが、
わけありの恋に生きたという人生も、また
同じだったようです。



 うちで、小正月のころにいつも飾るこのまゆ玉は
以前に、はぎれで作ったものですが、ペリエールの瓶に
飾ってみました。


 ところで、今朝、ラジオを聞いていましたら、
どなたかが小正月のお話しをなさっていました。
それは、

 大正月の1月1日に対して、15日は小正月といい、
小正月には3つの行事があるということです。

 1つ目は、餅花を作って飾る。これは、田の神さまに新年の
豊作祈願をする意味があり、これが養蚕地帯では、
まゆ玉になった。

 2つ目は、あずきがゆを作ること。 あずきの赤は、魔除けで、
無病息災祈願の意味がある。

 3つ目が、どんど焼きで、正月飾りを燃やす。

 こんなお話しでした。


 それにしても、稲垣きくのさんの冒頭の句は、
生涯の恋だったのだろうと思われました。

 



2016年1月11日月曜日

梅は、おしゃれな花!



 昨日の10日に、東京で梅が開花したというニュースを聞いたのですが、こちらでも昨日梅が咲いているのを見つけました。



 それにしても、東京はわかるのですが、この標高の高い那須高原で、1月に梅が開花するというのは、暖冬なのだとしみじみ思います。

 この写真の背景は、夜に降った雪ですが、日中には溶けてしまいました。

 ところで、「万葉集」の頃には、花といえば梅の花のことをさしていたということです。

 それは、当時の日本の上流社会では、中国の文学書や哲学書が教養人には好まれていて、中国趣味があり、中国では古来、梅が学者の花とされていたので、日本でも梅が好まれ梅花礼賛ということになったようです。

 万葉集の歌人・大伴旅人もやはり中国趣味だったようで、梅の花を詠んだ歌が残されています。

残りたる雪に交(ま)じれる梅の花
       早くな散りそ雪は消(け)ぬとも

                      大伴旅人(万葉集849)

「残っている雪にまじって咲く梅の花よ
        早々とは散らないでね、雪は消えてしまっても」
                            あみ訳


ドナルド・キーンさんは、このように英訳されています。

Plum  blossoms
Lingering  on  the  boughs
Amidst  the  snow-
Do  not  fall  too  quickly.
Even  if  the  snow  melts  away.


 また、酒に梅の花を浮かべたロマンチックなこんな歌もあります。




 梅の花夢に語らくみやびたる花を我思ふ
                  酒に浮かべこそ

                      大伴旅人(万葉集852)

「梅の花が夢で語ることには、みやびな花だとわたしは思う
             さあ、酒にわたしを浮かべてほしいと・・・」
                             あみ訳


ドナルド・キーンさんの英訳です。

The  plum  blossoms.
Addressed  me  in  a  dream:
`We  consider  ourselves
Most  elegant  flowers-
Please  let  us  float  on  sake.`


 万葉集の頃は、梅はほんとうにおしゃれな花だったのですね。




               
          ドナルド・キーンさんの英訳は
         「日本文学の歴史1古代・中世篇1」ドナルド・キーン著
               から引用させていただきました。




2016年1月9日土曜日

もふもふ・・・







 先日、那須アウトレットで見つけた
もふもふのうさぎちゃん、




 思わず触ってみたくなるような
もふもふのうさぎちゃんでした。




 あたたかいものに触ると、
人は癒されるということですが

そういえば、我が家で飼っていた
ゴールデンレトリヴァーの
SABUに触っているだけで
こころがなごみ、癒されたのを覚えています。




 このもふもふのうさぎちゃんも
人懐こくて、すり寄ってきました。

 あたたかなぬくもりを感じる
もふもふって、かわいくていいですね。








春は花夏ほととぎす・・・・




 「春は花夏ほととぎす秋は月
       冬雪さえてすずしかりけり」




 この歌は、曹洞宗の開祖・道元の作ですが、
川端康成がノーベル文学賞受賞のとき
ストックホルムでの講演「美しい日本の私」でも
紹介されました。

 春は花
 夏ほととぎす
 秋は月
 冬雪さえて
 すずしかりけり

 四季折々に愛でるものを簡潔に述べて
いて爽快です。

 道元が6歳の頃、「新古今和歌集」が
成立しているのですが、

そのときに、天台座主(ざす)の慈円は、
成立を祝って

花・ほととぎす・月・雪という題で
今様を詠んだそうです。



 四季を愛でるというのは、このころから
日本人の美意識に沁み込んで
きたのでしょうか・・・。

 四季を愛でるこころを、わたしも
大事にしたいと思いました。




 
 




          2枚の写真は、お正月に、那須高原の
          恋人の聖地で写したものです。