知人からオータムポエムをいただきました。この野菜は、中国野菜を、品種改良したものだそうですが、マスタードの入っていた小瓶にさしておきましたら、そこだけ春が来たようでした。
昨年の暮れに文京区の古本屋さんで見つけたアンドレ・モーロア著の「プルーストを求めて」をようやく読み終えました。
初版は1972年で、あの「失われた時を求めて」の全訳をなさった井上究一郎さんと、平井啓之さんの共訳でした。
こんなわたしにとってはすばらしい本を、偶然、古本屋さんで見つけて手にいれることができたのは、うれしいサプライズでした。
失われた時を求めてを書いたプルーストの評伝ですが、プルーストがどのようにして、文学という芸術を極めたかが書かれていて見事だというのが、読み終えた直後の感想でした。
プルーストの幼少の頃のコンブレでの体験、そして青年期・大人になってからの社交界での体験、それらを普遍的な言葉という芸術に定着させたのは彼の晩年の数年だったのです。
病身にもかかわらず、コルク張りの部屋で、昼夜を逆にして書き続けた生活は、彼のいのちを蝕みその姿は、まるで苦行僧のようだったとか・・。
「失われた時を求めて」の最初の巻は、わたしの好きなコンブレでの幼少のころの話しが書いてありますが、そこでの幸せな読書のひととき、散歩のときに見た、キンポーゲやリラ、さんざしなどの花々、薔薇色の雲、などをみて歓喜した幸せな幼年時代などなど・・・・
プルーストは、そういう話しに息を吹き込み、文学という芸術にしてわたしたちに残してくれたのですが、その秘密は、彼の並外れた感受性だったのかもしれないと今のわたしには、思えてなりません・・。
著者のモーロアは、この評伝の最後をこんな言葉でしめくくっています。
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二千の住民をもつ小さい町、しかしそれは、遂にコンブレとなった。無数の読者の精神的郷土となった。それらの読者は、こんにち、あらゆる大陸に散在し、あすは、幾世紀にわたって更にひろがるであろう、ーー何というその大きな時。
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引用339p
モーロアが予想したように、プルーストを読むことができるしあわせな読者は、世界中に散在しており、わたしもその一人になったのでした・・・。