2017年6月28日水曜日

読書・「ドナルド・キーン」知の巨人、日本美を語る 小学館 (ドナルド・キーンさんの新刊)



 ドナルド・キーンさんの新刊が出たことを、キーンさんの息子さんが書かれているブログで知り、早速取り寄せて読んでみました。

 


 小学館発行の和楽ムック「ドナルド・キーン知の巨人、日本美を語る!」です。

 18歳のキーンさんが日本文学に初めてふれたのが、アーサー・ウエイリー訳の源氏物語で、彼は、すぐにこの物語の美しい世界に引き込まれてしまったという話は知っていたのですが、文だけではなく、美しい写真でも見れるのは、この本の良いところだと思いました。

 そして後にキーンさんは、日本人になられるのですが、そのすべての縁がこの源氏物語から始まっているというのも、うれしく感じられました。




 キーンさんは日本独特の日記文学について、是非読んで欲しいともこの本で言われ、鎌倉時代の女性の日記「中務内侍日記」などを紹介なさっています。



 キーンさんは、日記文学については、すでに「百代の過客」という本を書かれていますが、その本のなかにもこの中務内侍日記は出てきます。

 彼によれば、日記の作者・中務内侍の生きた時代の京都の宮廷は、比べるものがないほどの美的洗練の時代だったそうです。




 そしてこの「中務内侍日記」の持つ気分は、この藤原俊成の和歌と同じ気分だと書かれています。

 「またや見ん交野のみ野の桜狩り
          花の雪散る春のあけぼの」
                       藤原俊成




 この和歌の意味は、交野での桜が雪のように舞い散る桜ふぶきの春のあけぼののようなすばらしい光景を、果たしてもう見ることができるのだろうか・・・・
 いえいえもう、見ることはできないだろう・・・
                         というようなことだと思います。
 
 そういえば、この和歌は以前にキーンさんが新古今和歌集の中で、一番好きだとおっしゃっていたのを思い出しました。

 

 
 キーンさんは、東日本大震災を契機に日本人になられたのですが、日本人の美意識を愛し、また反戦、反原発もはっきりと宣言なさる稀有な日本人のお一人になられたのだと、再認識させていただいた本でした・・・。



2017年6月20日火曜日

蕪村の花いばら


 

 与謝蕪村の句に、ノイバラを詠ったものがあります。
     
     愁ひつつ岡にのぼれば花いばら
                  蕪村



 
 蕪村のいう花いばらとは、ノイバラのことです。

 この句を知ったとき、蕪村の感性が、とても身近に感じられました。
蕪村は詩人なのだと・・・。

 詩人の萩原朔太郎さんも「郷愁の詩人 与謝蕪村」という本の中で、蕪村の句には、センチメンタルなポエジイがあると書かれています。



  また、蕪村は、こんな句も作っています。

    花いばら故郷の路に似たるかな
                  蕪村




  蕪村は、摂津国(大阪)の生まれで本姓は、谷口、幼少の頃の詳細は不明と、大岡信さんの本、「百人百句」には書かれていました。

 20歳のころに江戸に出たということですので、故郷に咲く花いばらは、蕪村にとって郷愁を誘う花だったのかなあと、わたしには思われました。



 
 花いばらは、蕪村が生まれた懐かしい故郷の道にも、こぼれるように、あちこちに咲いていたのでしょう・・。

 そんなことを思いながら、ノイバラの咲く道を散歩しました。ノイバラは小さいけれども可憐で、わたしの大好きな花です。


2017年6月18日日曜日

読書・「失われた時を求めて」11「第六篇 逃げ去る女」マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社ヘリテージーズ(プルーストのサクランボ)



 知人からサクランボをいただきました。サクランボは、洗って小皿に盛ると、ルビーのようできれいだなあと、いつもしばらく見惚れてしまいます。


 

 プルーストの「失われた時を求めて」の「逃げ去る女」にサクランボが出てきます。

 主人公の恋人のアルベルチーヌが突然事故で亡くなった後、恋人と過ごした昔の出来事が、何事につけても思い出されるという切ない場面があるのですが、そこにこのサクランボが出てくるのです。




 引用してみます。

 ・ー・-・-・--・-・
・・・・朝からかっと暑い日に耳を聾(ろう)するような物音がすると、サクランボのさわやかな味が思いだされる。・・・・・・・138p

・・・・・
 私は溜息をつき、それをフランソワーズにどう説明したらよいか分からなくて、「ああ!喉が渇く」と言う。フランソワーズは部屋から出てゆき、また戻ってきたが、そのとき、たえず周囲の暗がりのなかにちらついている目に見えない無数の思い出のひとつが痛ましくもどっと押し寄せてきて、わたしはあわてて顔をそむけた。彼女がリンゴ酒(シードル)と、サクランボを持ってきたのが目に入ったのだ。そのリンゴ酒とサクランボは、バルベックで農園レストランのボーイが私たちの車のところまで持ってきてくれたのと同じもので、以前なら
そうしたものを見ると、私は焼けつくような暑い日に薄暗い食堂のなかにさしこむ虹のような光と、完全に一体化したことだろう。
・-・-・-・-・-・-・       139p

        引用「失われた時を求めて」11マルセル・プルースト
            「逃げ去る女」集英社文庫ヘリテージシリーズ
                     鈴木道彦訳



 フランソワーズが持ってきた「リンゴ酒とサクランボ」を見て、いまはもういない恋人のアルベルチーヌと過ごしたレストラン農園でのことを思い出すというシーンです。

 この部分を読んだときに、わたしにとってサクランボは、「プルーストのサクランボ」になり、サクランボを見る度に主人公の切ない気持ちが、蘇ってくるようになったのでした・・。


2017年6月10日土曜日

植物・ゴヨウツツジ(シロヤシオ)  (天空の白い花・・)



 ゴンドラに乗って、標高1400mのところに咲く天空の白い花を見に行ってきました。





 白い花は「ゴヨウツツジ」で、名前のように葉が5枚あり「シロヤシオ」ともよばれています。



 花は見頃を過ぎていたのですが、それでもまだ少しだけ咲き残っていた花がありました。

 


 標高1400mという過酷な条件のところに咲くゴヨウツツジですが、樹齢が300年というものもあるとのこと。




 
 雲の下の濃い水色のところが、下界です。
 空気が格別にきれいに感じられ思わず深呼吸してしまいました。

 


 木立のむこうから、今年最初のカッコーの鳴く声が聞こえていました。
 
 カッコーの鳴き声に送られながら、天空の白い花を見た満足で、ちょっぴり幸せな気分になりながら帰りのゴンドラに乗ったのでした・・。



2017年6月6日火曜日

美術館・「藤田恭平ガラス美術館」   (ヴェネツィアの夢のガラス・・)



 松島にある藤田恭平ガラス美術館に行ってきました。




 藤田恭平さんが、ガラスの美しさに魅せられるようになったのは、中学の頃からとのこと・・。



 そういえば、作家の森茉莉さんも、ガラスの美しさに魅せられたお一人でした。
 森さんの感性は、お気に入りのガラスの瓶を飾って、色あいを楽しむことを喜びとなさっていたようですが・・。




 美術館に入ってすぐに、映像室があり、藤田さんがヴェネツィアで製作なさっているお姿が映像で見られるようになっていました。
 



 そのヴェネツィアの映像のナレーションで、プルーストの言葉が出てきたので、少し驚きました。




 それは、わたしがこの旅に、プルーストの本を持ってきていてちょうどヴェネチィア滞在のところを読んでいたところでしたから。




 ナレーションは、ヴェネツィアの映像をバックに、プルーストは、ヴェネツィアを、「夢のような・・」という言葉で表現していると語っていました。

 そういえば、プルーストの「失われた時を求めて」には、ヴェネツィアの地名は、何度も出てきますし、ヴェネツィアは、プルーストにとって、子供のころからあこがれていた、夢のようなところだったのだと思います・・。

 プルーストは母といっしょにヴェネツィアにも、実際に訪ねています。




 藤田恭平さんが、ヴェネツィアのムラノ島で、製作なさっていた作品は、ヴェネツイアの雰囲気にインスパイアーされたのだろうなあと思われる色と形でした。





 また、藤田恭平さんの作品では、尾形光琳などの琳派にインスパイアーされた「飾筥」シリーズの展示もありました。




 美術館の展示室から出ると、松島のやわらかな午後の陽ざしが、美術館の庭に降り注いでいました。










2017年6月4日日曜日

松島のバラの寺


 ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで2つ星を
とったお寺が、松島にあります。


 伊達政宗の孫、光宗の廟所の円通院です。


 昨日、訪ねたときには、ちょうどバラが見頃でした。


光宗の廟所の、三慧殿(さんけいでん)と呼ばれる建物の中の厨子には、
馬に跨った光宗像があり、バラの花も描かれています。


このバラの花は、ローマを象徴しているそうで、フィレンツェを
表すスイセンが描かれている絵もありました。
 他にも、キリスト教文化の影響を受けていると思われるトランプなどの
図柄もあり、徳川幕府のキリシタン禁止令のため、この厨子のある
三慧殿は、長い間、閉じられていたということです。


伊達政宗は、支倉常長を、慶長遣欧使節団を率いて石巻から
ヨーロッパに渡航させていますが、常長がカトリック教徒と
なって帰国した時には、すでにキリスト教禁止令が出ていました。
そのため、仙台藩は幕府に、この厨子の図柄などは隠しておきたかった
のだと思います。



光宗は、文武に秀でたすばらしい名将だったと言われていますが
それ故か19歳で江戸城で突然に亡くなったという謎もあるようです。


 すばらしい厨子をはじめ、円通院のたたずまいを見ていますと、
光宗がどんなに皆に愛され、惜しまれる存在であったかが、わかるように
思われました。

 案内の方のお話しでは、東日本大震災の時に、この円通院をはじめ
松島に観光にいらしていた観光客の方がたは、瑞巌寺に数日避難されたのちに、
仙台までバスで送っていただき、全員無事だったということです。



 支倉常長がヨーロッパに向けて船出した石巻から、観光にいらしていた
年配の方は、案内の方と震災の話しになったときに、涙が止まらなく
なられていたのも印象的でした。



 バラのお寺・円通院での午後は、いろいろなことが思われるひとときでした。