2020年11月30日月曜日

読書「クリスマスの思い出」トルーマン・カポーティ著・村上春樹訳/山本容子銅版画



 カポーティの「クリスマスの思い出」は、この季節になると、いつも繰り返して読んでいる大好きな本です。



 村上春樹さんの訳も簡潔で好ましく、山本容子さんの味わいのある銅版画も、チャーミングです。本の表帯には、「イノセント・ストーリー」そして、後ろには、「遠い日、僕たちは幼く、弱く、そして悪意というものを知らなかった。」と、書いてあります。



 主人公のバディーは7歳の少年の僕、そして子供のようなこころを持った60歳過ぎの女性(スックという名前ですが、この本には彼女とだけ書いてあります。)、それに犬のクイニー(オレンジと白の混ざったラット・テリア)が出てきます。

 11月も終わりになる頃、彼らは、フルーツケーキを30も焼き、クリスマスツリーの木を伐りだしてきて、ツリーを紙の手製のデコレーションで飾り、プレゼントの凧を密かに作って交換し、クリスマスを楽しむのでした。

 


 バディの貧しいけれども愛につつまれて暮らしていた無垢な少年の頃のお話ですが、バディはカポーティでもあったのだと思います。大人になったカポーティのこころの中に、いまでもあたたかく残っているかけがえのないクリスマスの思い出なのですね。




 きょうは、この本の英語の原文をネットで見つけて読んでみたのですがとても読みやすく 、アメリカでは教科書にもとりあげられているというのが、納得できました。カポーティも聴衆の前でこの本を読むのが、好きだったということです。




 カポーティの「クリスマスの思い出」は、やはり何度でも繰り返して読んでしまうチャーミングで大好きなお話でした・・・・。




2020年11月22日日曜日

音楽・わたしの好きなCD「ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス」



 きょうは、朝から、「ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス」のCDを、一日中聴いていました。

 カラスの声はもともとは、メゾ・ソプラノだったそうですが、超人的努力でハイ・ソプラノまでの音域や、コロラトゥーラの技巧を獲得したとCDの解説に書いてありました。聞いているとぞくぞくとしてしまうような、あのハイ・ソプラノの軽妙な歌い方には、しびれてしまうのですが、その陰には、やはりすさまじい努力があったのだと理解できました。



 そういえば、日本文学者の故ドナルド・キーンさんもカラスのファンでした。「マリア・カラスを偲ぶ」というエッセイを書かれています。彼は1952年に初めてロンドンのコベントガーデン歌劇場でカラスの「ノルマ」をご覧になられたとのことです。その頃のカラスは、太めのからだつきだったそうですが、歌い始めると声が苦もなく流れでて、下降するときの高音はぞくぞくするほどだったとのこと・・。それ以後、すっかりカラスのファンになられたようです。

 その4年後の1956年にニューヨークのMET(メトロポリタン歌劇場)で、またカラスの「ノルマ」をご覧になられたキーンさんは、このような興味深い感想を書かれています。



 METでのカラスは以前の彼女と違い、ダイエットでほっそりとやせて美しくなり、演技にも優雅さが満ち溢れていたそうです。そして高音域の音程を外すことがあっても、そのことが観客の次への期待への効果をあげ、さらに舞台の劇的緊張を盛り上げていたとのこと・・。

 それは、世阿弥の「花至道」によれば、芸の達人は、自らの芸を完成させた後に、観客に完璧さの「慣れと退屈」を感じさせないために、意識的に下手な技を取り込むこともあるということと同じではないかと、キーンさんは持論を書かれているのですが、納得でした。



 キーンさんは、カラスのコロラトゥーラと、リリック・ソプラノのための曲を選りすぐったアリア集だけは是非聴いてほしいと、書かれているのですが、このCDでもわたしは十分、堪能できました。

 このアルバムの中では、歌劇「ノルマ」の「清らかな女神よ」が、好きです。




 カラスは「ノルマ」を、1948年にフィレンツェで歌って以来、1965年のパリ・オペラ座での公演まで最高の当たり役として、90回も演じているとのことですが、もう伝説のオペラ歌手になってしまったのかもしれませんね・・・。

 カラスの歌声に聞き惚れてしまった秋の一日でした・・・。