2014年11月29日土曜日

東京散歩(小石川後楽園の紅葉)



   小石川後楽園の紅葉を見てきました。
   すばらしいの一言でした。

   「大江戸・東京に残る深山幽谷」というのがここのキャッチフレーズですが、たしかにここはどこ?
   という不思議な空間でした。


                    
                 左・もみじの古木のピンクの紅葉
                 真ん中・藤棚


 小石川後楽園は、水戸徳川家の上屋敷で二代藩主の光圀の代に完成したということですが、さすがに御三家の庭だけあり規模も、造園のコンセプトも一味違うなあという印象でした。

 入口近くにある笹山は、とてもモダンでいつ見ても、感心するのですが黄門さまも遊ばれた場所かもしれません。



                 笹山(小廬山)のみどりと、真っ赤なもみじ





                      真ん中・内庭の池と島


 真ん中の写真にあるような雪吊りが、あちこちで見られたのですが、雪が降ったら雪景色もきっとすてきになることでしょう。

 ただ、残念なのは、この庭園は、東京ドームが隣接していて、ドームの建物が目につくのと内庭などでは、騒音もかなり感じられるということでした。外国からの観光客が、かなり多かったです。




2014年11月19日水曜日

東京散歩・「目白庭園」



 目白庭園は、以前からポスターなどで見た記憶があり気になっていた庭園でした。

 目白駅から、歩いて5分ほどですが、閑静な住宅街にありました。

 門を入ると、びっくり、都内とはおもえないほど紅葉がすてきでした。

 真ん中に池があり、そこにうつる紅葉も、まるで、印象派の絵画のようでした。


                         印象派の絵のような鏡写しの池


 この庭園は、平成2年に作庭されたということですので、比較的新しい庭のようです。

 規模も860坪で、他の庭園に比べれば、こじんまりとしているのですが、滝などもあり見ごたえがありました。区が管理していて、無料で開放されています。

 入ってすぐのところにある赤鳥庵という和風建築の建物の座敷は、有料で借りることができるようで、お茶のお稽古をなさっている方がいらっしゃいました。



               池にうつった空の青もすてきです。





              紅葉の色が何ともいえません!


  11月21日から、30日までは、夜間のライトアップもあるということですが、きっとすてきだろうなあと思いながら、庭園をあとにしました。


2014年11月18日火曜日

東京散歩・「深川と芭蕉」



  深川には、芭蕉ゆかりの地が、いくつかあるのですが、まず最初に、奥の細道の旅に出発した場所を訪ねました。


奥の細道の旅の出発点


 その場所は、仙台堀川にかかる海辺橋のほとりにある門人の杉山杉風の別荘の採茶庵(さいとあん)跡ですが、そこには、芭蕉の像がありました。

 芭蕉は、さあ、これから奥の細道の旅に出発するぞという決意のみなぎる顔で、縁側に腰をおろしていました。

 芭蕉はいままでに住んでいた芭蕉庵を引き払ってこの採茶庵に移っていたのですが、ここで、

   ☆「草の戸も住替る代ぞひなの家」芭蕉

 という句を作っています。次に、小名木川にかかる萬年橋の近くにある芭蕉庵跡を訪ねました。


                      芭蕉稲荷神社
                      芭蕉庵跡
                     小名木川にかかる萬年橋からのながめ


  芭蕉庵は、芭蕉没後に、武家屋敷に取り込まれ保存されていたのですが、幕末から明治にかけて消失し、所在不明になっていたとのこと。ところが、1917年の大津波の後、芭蕉が遺愛していた石の蛙が発見されたので、その場所を「芭蕉翁古池の跡」と当時の東京府が指定したそうです。

 そこには、芭蕉庵跡という石碑があり、史跡になっていて地元の方々に、芭蕉稲荷神社として祀られていました。

 最後に江東区芭蕉記念館を訪ねました。展示室には芭蕉の書簡などがあり、1階では、ビデオも見れるようになっていました。



                   右下「芭蕉記念館」入口
                    左「古池や蛙飛こむ水の音」の句碑


  芭蕉は、この深川で、俳諧の芸術を確立しここを起点として、全国を旅し、最後には大阪で

    ☆「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」 芭蕉

              の句を残し、元禄7年1694年51歳で亡くなっています。



                       隅田川の夕景

  記念館の庭から、隅田川河畔に出ますと、ちょうど太陽が沈んだ直後で、対岸のビルが黒いシルエットになっている風景の前を、隅田川がゆっくりと流れていました。





2014年11月15日土曜日

東京散歩・「伝通院と永井荷風生育地あと」



   永井荷風は、伝通院の近くの文京区春日で生まれています。生家はもうないのですが、生家付近に文京区教育委員会で建てた標識がありました。



                    永井荷風の生育地の標識


  荷風は、ここで幼少時代の13年間を暮らしたということですが、幼少時代の思い出を「伝通院」という随筆にこんな風に書いています。

   「わたしの幼い時の幸福なる記憶も此の伝通院の古刹を中心として常に此の周囲を離れぬのである・・・」      引用 永井荷風随筆「伝通院」より
                     
  永井荷風生育地という標識のあるところから、伝通院までは、歩いて10分もかからないところにありました。



                            伝通院   

  伝通院は、徳川将軍家の菩提寺ですが、寺の名前は家康の生母於大の方の法名の伝通院殿からとった名前だそうです。

 於大の方をはじめ、千姫のお墓もあります。



                     千姫のお墓

  永井荷風の随筆「伝通院」によれば、荷風は帰国してからすぐに伝通院を訪ねたのですが、その翌日に伝通院は焼けてしまい、この古いお墓の辺りまで丸見えになってしまっていたということでした。

  荷風にとって伝通院は、郷愁を感じる特別の場所だったようです。欧米に滞在中も、この辺りの風景をなつかしく思いだしていたのかもしれません。



                    午後の陽がさす山茶花の咲く庭
                         伝通院 







2014年11月14日金曜日

東京散歩・護国寺とねこ




 護国寺は、四季折々に訪ねるお寺ですが、東京とは思えないような空気感のあるところで
不思議な場所です。
                                  
 昨日の午後も行ってきたのですが、あちこちで木々が色づきはじめていました。



護国寺のハゼの木の紅葉


 ところで、以前からこの境内にはねこが多いなあと思っていたのですが、ねこ好きの方のねこスポットとして有名なのだとのこと。最近知りました。



                    護国寺のねこ

 護国寺は、1681年に五代将軍の徳川綱吉が、生母桂昌院の願いにより創建したというお寺です。

 綱吉といえば、生類憐みの令が有名ですのでねこも知っているのでしょうか。(^^♪





                    護国寺のねこ

  境内には、ねこを捨てないでくださいという張り紙もあるのですが、やはり、いつ行っても、ねこを見かけます。

 ねこにとって、安心できる場所なのかもしれません。のんびりと、昼寝をしているねこもいました。
                

2014年11月12日水曜日

東京散歩・漱石山房




   昨日は、小雨の中、夏目漱石の終焉の地を訪ねてきました。

   そこは、漱石が亡くなるまでの最後の9年間を過ごした漱石山房があったところで、いまは新宿区立の「漱石公園」になっています。




 左下は復元されている漱石山房の白いベランダ。左上は、玄関脇にあったという芭蕉の木。上の真ん中は、生前に飼っていた犬や猫のために遺族の方が建てたという供養塔です。

 「硝子戸の中」という随筆の冒頭には、庭の場面があり芭蕉が出てきますので、引用してみます。
・ー・-・-・-・-・ー・-・
「硝子戸の中から外を見渡しても、霜除けをした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他に、これと云って数え立てる程のものは始んど視野に入って来ない。」
・-・-・-・-・-・ー・-・
                   引用  夏目漱石の「硝子戸の中」冒頭より

 漱石は、ここにあった家で「三四郎」「それから」「こゝろ」「道草」などの作品を書いています。
 随筆の「硝子戸の中」は、短いので今回読みなおしてみたのですが、俳句が、4作品もありました。

      犬のヘクトーが死んだときの
   ☆「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」  夏目漱石

   ☆ 「半鐘と並んで高き冬木哉」    夏目漱石

   ☆ 「影参差松(かげしんしまつ)三本の月夜かな」 夏目漱石

   ☆ 「ある程の菊投げ入れよ棺の中」   夏目漱石
        友人の才媛の妻が亡くなったときの句

 それぞれの句にまつわる出来事が書かれているのですが、最初の秋風の句と、最後のある程の菊の句は、好きな句です。

 漱石の自伝ともいわれている「道草」は、以前に読んだのですが、彼も人生の悲哀がいろいろあったのだと思わせられる内容でした。
 漱石はこの本のことを「自分のもっとも卑しいところ、面目を失するようなところ」を、隠さず表したといっています。

 この「硝子戸の中」は、彼の日常の生活の様子などが書かれていておもしろく読みました。子供たちが、たき火にあたっているのを見て、「顔が黒くなっちゃうよ」というところなどは、思わずくすっとさせられて、彼のユーモアを感じたのですが、彼は落語が好きだったとのことで、納得でした。



                漱石の孫の松岡陽子マックレインさんの講演
                「漱石山房の思い出」
                「漱石山房秋冬」

漱石公園内にある「道草庵」で、この2冊の本をいただきました。



                夏目坂に建てられている漱石誕生の地という
                石碑
                漱石公園内に咲いていたボケの花



 

 偶然ですが、帰り道、早稲田大学大隈講堂で開かれていた早稲田大学能楽連盟秋季公演を見てきたのですが、漱石も、宝生流の謡の稽古を自宅でしていたとのことです。





            

2014年11月8日土曜日

東京散歩(椿山荘界隈)




   きょう7日は、立冬ですが、おだやかな散歩日和の東京でした。

   きょうの散歩は、講談社野間記念館、東京カテドラル、椿山荘、新江戸川公園、そして最後に早稲田大学のカフェでお茶をしました。

   野間記念館の庭と椿山荘は、山茶花がちょうど見頃でした。



                 講談社野間記念館と椿山荘の山茶花たち


      ☆山茶花のここを書斎と定めたり    子規

              ☆二三片山茶花散りぬ床の上      漱石

   この句に出てくる山茶花は、多分左下の写真のような普通の山茶花だったろうなあと思います。

   左上の白と真ん中のうすいピンク色の山茶花は、野間記念館の庭に咲いていたものですが、かわいらしいので、しばし見惚れてしまいました。

   その他の山茶花は、椿で有名な椿山荘に咲いていたものです。



                                       
 椿山荘の山茶花と若冲の下絵の五百羅漢の石仏


  新江戸川公園は、細川家下屋敷の庭園跡地が公園になっています。池には、カワセミも飛んでくるそうで、大きな望遠レンズのついたカメラを持ったマニアの方がお二人いらっしゃいました。
池には、紅葉した木の葉がいっぱい散って浮かんでいました。



                  カワセミの来る新江戸川公園の池


   最後に、早稲田大学の構内にあるユニカフェのテラスで、ゆっくりとお茶を飲んできました。  ここは、大隈公園の緑の木々が眺められて、とても気分の良いところでときどき利用しているカフェです。
  手作りのケーキがいつもあり、イングリッシュブレックファーストTEAと、バナナケーキのTEATIMEでした・・・。



                                                Uni.Shop&Cafe125













2014年11月6日木曜日

「みをつくし料理帖」の神田明神下御台所町



 「みをつくし料理帖は、もう読まれました?」
とおっしゃる知人の言葉で、「八朔の雪」を早速読んでみました。
(シリーズ本になっていて、10巻まであります。)



みをつくし料理帖「八朔の雪」高田郁著

 著者の高田郁さんは、漫画原作者としてデビューされ、その後、時代小説も書かれるようになったということです。
 登場人物や場所の設定、筋書きもおもしろく半日で読んでしまいました。

 主人公の澪が働いているそば屋の「つる屋」は、「神田明神下御台所町」にあるという設定なので、興味を持ち神田明神下を訪ねてきました。

 物語の中のことですので、御台所町は架空かもしれないとは思ったのですが、まず、神田明神に行ってみました。



                          神田明神

 そこでようやく古地図が書いてある看板を見つけさがしてみますとたしかに、「御台所町」という地名がありました。(^^♪

 明神下に行くのには、まず男坂と書かれている長い階段を下り、見当をつけて歩いていますと、お店から出ていらした地元の方らしい年配の男性にお会いしたので、早速、地名のことを訪ねてみました。



右上   古地図
     右下   神田明神    
       左下   現在の御台所町 

 すると、この道がそうだとおっしゃるのです。(左下の写真) そして、わざわざ、御台所町と書いてある看板のあるところまで案内してくださいました。

 何となく、ほのぼのとした気分になって、神田明神下をあちこち散歩して雰囲気を楽しんできたのですが、みをつくし料理帖の物語を読んだからかもと思い、ほっこりとした気分になった一日でした。





神田明神下の界隈








2014年11月1日土曜日

リルケの詩・「秋の日」



 散歩道でこんな風景を見ました。

    家の壁に差すあたたかい秋の日ざし
    やさしい色のメグスリの木の紅葉
    草原のへりにおちていた鳥の巣
    牧草地にあたるやわらかな太陽
    そして
    いまにも飛んでいきそうなノアザミの綿毛

 まるで、ドイツの田舎道を散歩しているような気分になりました。




 リルケの「秋の日」という詩があります。

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秋の日
                       リルケ


主よ 秋です 夏は偉大でした
あなたの陰影(かげ)を日時計のうえにお置き下さい
そして平野に風をお放(はな)ち下さい

最後の果実にみちることを命じ
彼等になお二日ばかり 南国の日ざしをお与え下さい
彼等をうながして円熟させ 最後の
甘い汁を重たい葡萄の房にお入れ下さい

いま 家のない者は もはや家を建てることはありません
いま 孤りでいる者は 永く孤独にとどまるでしょう
夜も眠られず 書(ふみ)を読み 長い手紙を書くでしょう
そして並木道を あちらこちら
落ち着きもなくさまよっているでしょう

               「形象集」から

            富士川英郎訳  新潮文庫49p引用

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  リルケといえば、「若き詩人への手紙」の中のこんな言葉が忘れられません。
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「もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないか
どうか、自分自身に告白してください。」
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 詩人になりたいという若者にリルケが言った言葉ですが、すごいなあと思いました。
 たしかに詩人に限らず芸術家は、自分の命とひきかえにしても芸術を守りたいというのは、わたしにも理解できます。

 「秋の日」という詩は、そういう詩人が書いたのですよね・・・・。
        わたしの大好きな詩です!