2022年12月26日月曜日

読書・「紫苑物語」石川淳著・講談社文芸文庫

 

 クリスマス前から降っている雪で、きょうの公園のベンチはこんな風になっていました。




 石川淳さんが書かれた「紫苑物語」を読みました。この本のことを知ったのは、須賀敦子さんの「トリエステの坂道」の中の「セレネッラの咲くころ」を読んだときで、それ以来、ずっと読みたいと思っていた本でした。

 須賀さんがイタリアのミラノに住んでいらしたころ、夫の実家を訪ねたときに、義理のお母さまが紫苑の花をいっぱいかかえてテーブルにどさりと置かれたのを見てびっくりなさったことがあったそうです。というのはそのころ須賀さんは、石川淳さんの「紫苑物語」を、イタリア語に翻訳なさっていて、紫苑をどう訳すのか悩んでいらしたからとのことでした。。



 須賀さんは「紫苑物語」を、「超現実の手法のさえ」や「隠喩の深さ」などの言葉で要約なさっているのですが、読んでみるとなるほどと納得できました。

 「国の守(かみ)は狩を好んだ。」ではじまる、石川淳さんのここちよい簡潔な文体の見事さを感じたのは、ユルスナールの書いた「ハドリアヌス帝の回想」の多田智満子さんの静謐な翻訳の文体を読んで以来のことかもしれません。

 このような超現実の虚構の物語を読むのは初めてでしたが、先日観た映画「雨月物語」なども思い出し、石川淳さんの遊び心のようなものも感じられた読書でした・・・。




 紫苑は、調べてみると古く薬草として中国からはいってきた花で、平安時代の「本草和名」(ほんぞうわみょう)にも出ているということですが、わたしにとっては、子供のころ母の実家の花壇のすみにいつも咲いていた背の高い薄紫色のなじみのある懐かしい花なのです。

 須賀さんによればこの「紫苑物語」は、須賀さんのイタリア語の翻訳以前に、ドナルド・キーンさんが英語に翻訳なさっていて、そのときには紫苑は、「アスター」と訳されていたとか。そういえば、キーンさんの自伝にも、石川淳さんとの交流のいきさつや最初に石川淳さんの作品を翻訳したのは自分だと書かれていたのを思い出しました。

 「紫苑物語」の中で主人公は、人を殺めて埋めた後に、この紫苑の花を植えたということでした・・・・。

 







 


 






2022年12月25日日曜日

植物・クリスマスのころに咲くクリスマスカクタスの花・・

 

 きょうは、12月25日クリスマスです。外は雪でホワイトクリスマスになっているのですが、我が家ではクリスマスカクタスが見事に咲きました。



 クリスマスカクタスは、クリスマスの頃に咲くのでそうよばれているということですが、シャコバサボテンの別名です。

 よく見ると、真っ赤な翼を広げた火の鳥のようにも見えます。



  原産はどこの国か調べてみると、ブラジルでした。真っ赤で派手な花は、この寒い時期に元気をもらえそう・・。

  クリスマスの名前のつく花は、クリスマスローズは知っていたのですが、今回この花の名前クリスマスカクタスを知り、なぜかうれしく思いました。

 わたしのささやかなクリスマスサプライズでした!



 

  

2022年12月18日日曜日

読書・「塚本邦雄」コレクション日本歌人選019 島内景二 笠間書院 

 

 12月に入り、ヤマユリは、こんな姿になってしまいました。今年の夏も見事な大輪の真っ白な花を咲かせていたのが、夢のよう・・。

 でもよく見ると、すっきりとした素地のまま、あじわいのある姿になっています。




 先日、塚本邦雄さんのご子息の塚本青史さんが書かれた「わが父 塚本邦雄」を友人からプレゼントしていただき読んだばかりでしたので、久しぶりに、塚本さんの短歌の本を、読み直してみました。



 この笠間書院の日本の歌人のシリーズ本の「塚本邦雄」は、島内景二さんが、塚本邦雄の短歌を50首選んで解説なさっています。島内さんは塚本さんに歌人として師事なさっていたという経緯もあり、この本でも見事な解説をなさっています。

 今回、わたしが塚本さんの50首のなかで、おもしろいと思ったのは、17首目のこの歌でした。

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一月十日 藍色に晴れヴェルレーヌの埋葬費用九百フラン     塚本邦雄

                   034pからの引用           

                     ・-・-・-・-・

 ヴェルレーヌは、ランボーを愛したフランスの詩人ですが、1896年1月8日に亡くなっています。葬儀は1月10日、藍色に晴れた日で、葬儀費用は900フランだったと歌っているのです。



 それだけですが、わたしにはとてもおもしろい短歌のように感じました。ヴェルレーヌは好きな詩人ですし・・。 

 詩人の葬儀の日は、藍色に晴れた日だったという、藍色に込めた思いも感じられました。 

 島内さんによれば、塚本さんは人が亡くなった忌日と誕生日に強い関心を持たれていて、数字にもこだわられていたとのこと・・。

 わたしも「BIRTHDAY BOOK」を持っていて、友人や知人の誕生日や忌日も書いているので、塚本さんの忌日へのこだわりにも共感を覚えた短歌でした。








 


2022年12月4日日曜日

読書・「高村光太郎」吉本隆明著・講談社文芸文庫

 

 12月2日の朝、初氷が張り、初雪が降りました。初雪は、ふわふわと頼りなく空中を飛ぶ雪で、地上におりるとすぐに消えたのですが、初氷は、バードバスのもみじの葉を氷で閉じ込め、こんな感じになっていました。



 詩人の高村光太郎は、冬が好きでしたが、今年ももう12月に入り、彼の好きな冬が来たようです。本箱にある吉本隆明さんが書かれた「高村光太郎」を久しぶりに再読しました。  

 わたしが初めて高村光太郎の詩を詩集として読んだのは、学生時代に友人からプレゼントとしていただいた「智恵子抄」でした。箱入りの当時としては豪華な装丁の本で、「レモン哀歌」などは、いまでも暗記することができるほどで、彼が戦後に住んでいた岩手の山口村の小屋を訪ねたこともあり、彼の彫刻も、「高村光太郎展」で見た「蝉」などもなつかしく思い出します。



 吉本隆明さんの著書「高村光太郎」は、わたしが漠然といままでに持っていた高村光太郎に対する考察を深めさせ再考察させてくれた本でした。光太郎の留学の意味や結果、父との関係、戦後の戦争責任者としての生き方、妻の智恵子との関係など、さまざまなことの再考察でした。

 それにしても、吉本さんは、光太郎の評伝を書かれている北川太一さんとは、学生時代からの友人であり、彼自身も光太郎研究者として、こんなにも多くの評論を書かれていたとは、この本から知ったことでした。

 吉本さんは最後に「著者から読者へはじめの高村光太郎」という題で、ご自分と光太郎研究についてのかかわりを、こんな風に書かれています。

 吉本さんは月島の下町生まれで父は舟の大工、(高村光太郎も下町生まれで父は彫刻家(師)。)吉本さんは、 父の手技は受け継がず、メタフィジークだけは受け継いだとのこと。そんなことから、光太郎の生涯と仕事と人間を研究していくことが、吉本さんの仕事になったとのことでした・・。

 吉本さんの人生にとっては、重みのある「高村光太郎」論なのだと理解しました。


             智恵子抄の見開きページ・智恵子の切り絵


 吉本さんは、この本の「智恵子抄」論の中で、この詩をまれにみる夫婦の生活であり、羨望はあっても、葛藤を推測することすら許さないと書かれて紹介なさっていますので、最後に引用させていただきます。


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あなたはだんだんきれいになる

                    高村光太郎

をんなが附属品をだんだん棄てると

どうしてこんなにきれいになるのか。

年で洗はれたあなたのからだは

無辺際を飛ぶ天の金属。

見えも外聞もてんで歯のたたない

中身ばかりの清冽な生きものが

生きて動いてさつさつと意欲する。

をんながをんなを取りもどすのは

かうした世紀の修行によるのか。

あなたが黙って立ってゐると

まことに神の造りしものだ。

時時内心おどろくほど

あなたはだんだんきれいになる。

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   引用  「高村光太郎」吉本隆明著・講談社文芸文庫 99p~100p