2015年2月27日金曜日

ふきのとう


きょうは、一日中ちらちらと雪が
降っていました。

もうすぐ3月だというのに
今年の冬は、いつもより
雪が多かったように思います。



午前中の雪が止んだ合間の
散歩の時、道端で
ふきのとうを見つけました。


雪の中から、さみどり色の
ふきのとうを見つけると
春を見つけたようで
うれしくなりました。



淡雪に透いてさみどりふきのとう
      やさしき春の陽ざし待ちつつ
                    あみ



                   





2015年2月23日月曜日

「言葉」 JーP・サルトル


JーP・サルトル著の「言葉」
澤田直訳 人文書院
を読みました。



わたしのいままでの読書の中で
ベスト1は、
プルーストの「失われた時を求めて」
ですが、
それ以来の感動でした。

フランスには、こういう本を書く
人がいるのだと「改めて」
実感させられました。


この本は、サルトルの自伝ですが
「言葉」に目覚めるまでのことを
書いています。

彼は、「人生が始まったとき、
私のまわりには本があった。
おそらく終わるときも同じだろう」

と書いていますが、彼の一生の
仕事は「言葉」を書くことでしたから
暗示的です。



この本の中に、プルーストの
「失われた時を求めて」の中の
「スワンの恋」の文が出てきます。

「好みでもない女のために
一生を棒に振ってしまった」
というあのスワンの言葉です。

サルトルも、プルーストは
もちろん読んでいたのですね。

このような本を読むのは
楽しいことで、

本を読むということは、
自分を知ることなのだと
久しぶりに思える読書でした。







2015年2月21日土曜日

スノードロップ




スノードロップは、大好きな花です。

うつむいて咲く
純白の小さな花を見ていると、
心が洗われるようで
すがすがしい気分になります。


うちの庭のスノードロップは、まだまだ
雪の下に埋もれていますが、

先日、園芸店で買ってきた鉢植えは
2週間ぐらいずっと、

外のきびしい環境の中で
健気に咲いています。


今年は、雪が多く、吹雪の日も
数回ありましたし

鉢のまま雪に埋もれていたことも
ありました。

すごい生命力だと思います。

そういえば、この花には、
こんなお話が、あるそうです。


禁断の果実を食べた
アダムとイヴが
楽園を追われたとき、

待っていたのは
厳しい冬の世界でした。

そこに天使がやってきて、
二人を憐れみ

雪に息をそっと吹きかけて、
スノードロップに変えた
ということです。

英国に住んでいたとき、
春にカントリーウォークに
行きますと、
林の下に群生している
スノードロップを
見たのを
なつかしく思い出します。





2015年2月20日金曜日

霰(あられ)



きょうの午後の散歩のときには
あられが、降っていました。

あられとは、「雲から降る直径5mm
の氷粒」ということだそうです。

よく見ると、犬の足跡の中にも
あられが、残っていました。

ゴールデンレトリバーの子犬
の足跡だとすぐに
わかりました。




こんこん、こんこん、あられがふる
ぱらりぱらり、こんこんこんこんこん
という童謡がありますが、

そういえば、あられは、
地上に落ちるときに
音がしそうに思えます。

雪がまだ一面に残る林には、
太陽がぼんやりと照っていて、
風もまだまだ冷たい
あられの降る午後の散歩でした。


2015年2月19日木曜日

氷柱



今朝は、冬晴れの素晴らしい天気
でした。

カーテンを開けると、軒下に
氷柱が朝日を浴びてきらきらと
光っていました。


・-・-・-・-・-・
みちのくの星入り氷柱吾に呉れよ
 
             鷹羽狩行
・-・-・-・-・-・

氷柱を見ていると
鷹羽狩行のこの
句が、
すぐに思い浮かんだのですが、

みちのくの星入り氷柱とは
すごい表現だと思います。


彼は山形県新庄生まれという
ことですから、みちのくの氷柱には
深い思い入れがあったのだろうなあと
思いました。





2015年2月17日火曜日

「浅き春に寄せて」立原道造



立原道造の詩は、
学生時代から、大好きでした。



彼の詩を、音楽を入れて
朗読したものを録音したり、

立原道造が24歳のときに
滞在したという盛岡の
深沢紅子さんの別荘を訪ねたり、


建築家でもあった彼が設計した
別所沼のほとりに建つ
風信子(ひやしんす)ハウス
を、訪ねたり

楽しい思い出が、いろいろ
あります。


そして、
2月になると、
いつも思い出すのが
この「浅き春に寄せて」
という詩です。


詩は、
「今は 二月 たったそれだけ」
で始まるのですが、
二月生まれのわたしにとっては
道造からのプレゼントのようにも
思えて、大好きな詩です。


・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

「浅き春に寄せて」
             立原道造

今は 二月 たつたそれだけ
あたりには もう春がきこえてゐる
だけれども たつたそれだけ
昔むかしの 約束はもうのこらない

今は 二月 たつた一度だけ
夢のなかに ささやいて ひとはゐない
だけれども たつた一度だけ
その人は 私のために ほほゑんだ


さう! 花は またひらくであらう
さうして鳥は かはらずに啼いて
人びとは春のなかに 笑みかはすであらう

今は 二月 雪の面(おも)につづいた
私の みだれた足跡・・・・それだけ
たつたそれだけー私には・・・・・

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
  引用 立原道造詩集 彌生書房










2015年2月16日月曜日

「海からの贈物」リンドバーグ夫人著 吉田健一訳



「海からの贈物」リンドバーグ夫人著
吉田健一訳・新潮文庫を、読みました。


この本は、何回か読んでいるのですが
今回、吉田健一さんの訳だったのだと
改めて気づきました。

著者のリンドバーグ夫人は、
史上初の大西洋単独横断飛行をした
チャールズ・リンドバーグが夫で、
彼女自身も飛行家であり、
大戦の後、フランスやドイツで
罹災民の救助事業をした女性ということです。

この本は、著者が49歳のときに、
ある島でひとりで休暇を過ごしたときの
自分自身についての人生の対話を
本にしたものです。

彼女は、まず浜辺で拾ったほら貝を
見つめることから、思索を初めています。
     

ほら貝の簡素な美しさからは、
自分の生活の不必要なものを捨てること
どれだけ少ないものでやっていけるのか
などを考え


つめた貝
日の出貝
牡蠣
など、次々に貝を
見つめることから
思索を広げていきます。


牡蠣のところでは、人生の午後には
知的な精神的な活動に時間をさいて
過ごすことができると
書いていますが、
わたしも、実感として
よくわかります。

最後に自分の価値の概念が

質ではなく量が
静寂ではなく速度が
美しさではなく所有欲が


となってしまわないようにするのには
どうすればよいのか・・。
と考えます。

そして、
考えた結論を
後で思い出すために、

拾った貝柄を持ち帰る
というところで思索は
終わります。

彼女は、
自分の人生の価値の基準を

量ではなく、質
速度ではなく、静寂
所有欲ではなく、美しさ

に置きたかったようです。

この本は、第二次大戦後の
1955年、彼女が49歳のときに
書かれていますが、
当時アメリカでは、ベストセラーに
なったということです。


















2015年2月15日日曜日

読書・「英国に就て」吉田健一著 ちくま文庫



 吉田健一さんの書かれた「英国に就て」を読みました。

 英国には、私も10年間ぐらい住んでいたことがありますので、内容はとても納得でき、おもしろく読むことができました.




                            
 「英国、とくにイングランドは山もなく、おだやかな丘陵地帯が続き、風光明美なところで住んでいる人々は、はにかみやで引っ込み思案、動物をかわいがるやさしい心の持ち主である。しかし、ときには、無慈悲になり息の根を止めることさえすることもあり、それは、薔薇の花の棘の痛さに通じる。スコットランドが独立した王国だったときの王室の紋章は薊ですが、薊の棘は、薔薇の棘の痛さとは比べものにならないほどで、薔薇が英国の国花でもあるのは、偶然ではないような気がする。」

  と書かれています。

 



 
 そういえば、ダイアナ妃の葬儀のときに、エルトン・ジョンは、ダイアナ妃を、グッバイ・イングリッシュ・ローズと、薔薇にたとえて歌っていたのを、思い出しました。

 薔薇はやはり、著者がいわれるように英国の象徴であり、その薔薇のやさしさが、英国人の一切の原動力になっていて、英国人の忍耐力も、勇気も冷酷も、詩情もそこから出ているとも書かれています。




 英国の国花である薔薇の花からの英国論は、さすがと納得でした。

 また、英国の文化については、「文化などということが念頭にないのが、英国の文化に一貫した一つの性格であるとも言える」と、おっしゃっています。

 水洗トイレが最初に発達したのはイギリスであり、文化は生活の別名にすぎないとも・・。そういわれてみれば、英国人は生活を楽しむことにおいて達人のように思えます。

 たとえば、お気に入りの食器で楽しむTEATIME、
 家具に家、公園や建築物、犬や馬など
 エトセトラ・・・。



 それらが、人生を豊かにしてくれるというのは、わたしも同感です。
 この本の解説で、英文学者の小野寺健さんは、きわめつきの英国論とおっしゃっています。また、彼は、英文学者の立場から吉田さんの名著「英国の文学」についてもふれられていますが、吉田健一さんの英文学についての解説や批評があまりにも的確でうまいので驚いたそうです。

 吉田さんは、英国の本質を多面的に論じていて見事ですが、やはりご自身が、英国文学についての造詣が深いことをはじめ、魅力のある人物だったからこのような英国論が書けたのだと思いました。














2015年2月13日金曜日

雛飾り



手作りのお雛様と吊るし雛を
飾りました。

外は、雪ですが、部屋が急に
明るくなり、
気分も春めいてくるようで
うれしくなります。


・小さな内裏雛です。
フェルトで桃の花も作りました。


・うさぎの立雛です。
うさぎは、縁起の良い動物と
思われているようですね。



・着ている着物は、家にあった
古い紋付の着物で作りました。
敷いてあるのは、やはり家にあった
日本刺繍の花模様の古い帯です。


・吊るし雛も飾りました。

花と桃、うさぎ、はいはい人形
三角のものは、くすりです。
花は、花のようにかわいらしく
育つようになどと
それぞれ意味があるようです。


数年前、伊豆の稲取に
吊るし雛を見に行ったのですが、
街のあちこちの会場に
飾られていて
ホテルのロビーにまで
見事な吊るし雛が、飾られて
いたのを、思い出します。

稲取では、
生まれてきた女の子のために
家族の着物などを再利用して
雛飾りを作ったとのことです。

健やかな成長を願う親の気持ちが
込められている手作りの
吊るし雛もいいものですね。






2015年2月11日水曜日

ウソ


いつもの散歩コースの林を
歩いていましたら、
ち・ち・ち・ちと、かわいい鳴き声が
聞こえてきました。

ウソが数羽、ヤマツツジに
止まってしきりに何か
食べているところでした。
 
               胸がピンクのオスのウソ 
      
胸のところが、ピンク色で
頭が黒い、ダンディな
オスのウソが、4羽確認
できました。


私が、近寄っても逃げることなく
しきりに、ヤマツツジの芽を
食べていました。


ウソは、本州の中部以北の
高い山の林で繁殖し、
冬の間は山麓へ移動すると
いうことです。

ウソといえば、詩人で彫刻家の
高村光太郎が、ウソを
木彫りしています。

2004年に福島県立美術館で
開かれた「高村光太郎展」で、
見たのを覚えています。


               高村光太郎作品
                   「ウソ」

奥さまの智恵子さんが、いつも
ふところに入れて持ち歩いて
愛蔵していらしたというセミの
木彫りと、このウソの木彫りは
なぜか、心に残っています。

光太郎はこの作品を作ったとき
「ウソを見て一番さきに興味を
おぼえたのはその姿勢と形態とで
あった」
と言っています。

光太郎の作品のウソは、
直立不動で
どこか遠くを見ているようです。

散歩のときにわたしが見たウソも
ち・ち・ち・ちと、穏やかな
さえずりで、食べている合間には
どこか遠くを見ているような
感じでした。














2015年2月10日火曜日

「映画」ブルージャスミン


ウッディ・アレン監督の映画
「ブルージャスミン」を、
観ました。

おもしろかったです。


主役のケイト・ブランシェットは、
この映画で、アカデミー主演女優賞を
とっていますが、納得でした。

彼女の役は、主人公のジャスミン

ジャスミンは、ニューヨークで
セレブ生活をおくっていたのですが、
いまはどん底まで落ちぶれ
妹のところに居候している身です。


ジャスミンの悲劇は、
セレブの夫が、
実は愛人が多数いた
という事実を知ったことから
始まります。


ウッディ・アレンのいつもの饒舌は、
まるで、
シェークスピアの喜劇のように
どたばたと
面白く」展開していき、

最後には、やはり悲劇だったのだと
観客に知らせてくれます。


人生は、まさにから騒ぎ

セレブの生活からの転落のあとは
ブルージャスミンどころか、

精神まで病んでしまうのでした。


ケイト・ブランシェットは、

人生の破滅以前の姿と
それ以後の姿を、すごい演技で
演じていました。

ウッディ・アレンは、79歳
だそうですが、

まだまだ、このような映画を
作れるなんて、すごいことだと
思いました。







写真は、今年一番の寒波が来ている
という2015年2月10日
きょうの朝の写真です。