2016年10月22日土曜日

きょうの一枚



 きょうは、久し振りに長い散歩をしました。

 いつものコースではなく、別の道を歩いたのですが、
こんな風景に出会いました。




 いかがでしょうか・・・。

 なつかしいようなあたたかい秋色の風景でした。





















2016年10月21日金曜日

白秋のリンドウ



 ♪男泣きに泣かむとすれば竜胆が
           わが足もとに光りて居たり

                     白秋




 北原白秋の歌集「桐の花」に出てくる短歌です。

 リンドウは、この歌のように、いつも足元から
こちらを見上げるように咲いています。





 白秋は、この歌を詠った当時、28歳ぐらいで
人妻を好きになり、夫から姦通罪で訴えられていた
という背景があったようです。





 「桐の花」を読みますと、他の短歌の中にも、さまざまな
花が出てきますが、やはりこのような胸中のときには、
リンドウの花が、ふさわしいのかもしれません。


 


 ♪男泣きに泣かむとすれば竜胆が
               わが足もとに光りて居たり

                            北原白秋





 リンドウは、わたしの足もとでも、いつも静かに
光るように咲いている花です。















2016年10月10日月曜日

2016年の那須で阿波踊り!!!



 10月9日に行われた那須温泉神社の例大祭・
奉納阿波踊りを、今年も見てきました。



 今年でもう7回にもなるそうですが、徳島から
いらした天水連の方がたのすばらしい笑顔の
阿波踊りでした。



 徳島といえば、瀬戸内寂聴さんも阿波踊りが
お好きで、「連」を作って踊っていらしたことが
あったのをすぐに連想してしまいます。




 軽妙で明るい笛やかねの音と、粋な踊りは
南国徳島の方がたの心意気がいつも感じられます。、




 見ている人たちを笑顔にしてくれるすばらしい阿波踊り
でした。
 天水連のみなさま、ありがとうございました!!!(^^)/











 踊りを見ていたかわいいウェンディちゃんにも
会うことが出来ました。



2016年10月9日日曜日

しぐれの季節・・・



 数日前に初しぐれが降りました。




 もう、しぐれの季節になったのだと思うと
いつも胸がきゅんとしてくるのは、 しぐれが、
好きだからでしょうか・・。

 新古今集の中で摂政太政大臣良経は
しぐれの歌をこんな風に詠っています。

「洩らすなよ雲ゐるみねの初しぐれ
       木の葉は下に色かはるとも」
       
      新古今集1087・恋歌二




 この歌は、言葉書きに

「左大将に侍りける時、家に百首歌合し侍りけるに、
忍恋のこころを」

と、書いてありますので、忍ぶ恋のこころを詠っているようです。
 忍ぶ恋がなぜ、しぐれなのと思ったのですが、わたしの秘かな
忍ぶ恋を初しぐれよ洩らさないでと、いっているようです。





 わたしが良経の歌に注目するようになったのは、歌人の
塚本邦雄さんの書かれた「定家百首・雪月花(抄)」を読んでからです。

 塚本さんは、雪月花(抄)で、良経の歌を50首紹介し、絶賛しています。

 

 
 その彼が選んだ良経の50首の中のひとつです。


「おしなべて思ひしことのかずかずになほ色まさる秋の夕暮れ」
                    
                                         新古今集・秋上

 塚本さんは、この歌のことをこのように書いていらっしゃいます。

     「優雅極まる侘しさ、清冽な憂鬱さ」

     「沈痛でしかも潤ひのあるこの調べこそ、まさに
     秋の夕暮、人の心の黄昏、煉獄の時間の象徴であった。」
                       雪月花(抄)の245pから引用


 良経の「初しぐれ」の歌もいいですが、この「秋の夕暮れ」の歌も
忘れられない歌になりそうです。





2016年10月4日火曜日

プルーストの紅茶にひたしたマドレーヌ!



 先日、知人からマドレーヌをいただきました。

 プルーストの「失われた時を求めて」に出てくる
あのお菓子です。



 
 「失われた時を求めて」の中で、 マドレーヌの場面は、
こんな風に書かれていますので、3人の訳を引用させていただきました。
 ☆井上究一郎訳・ちくま文庫
 ☆鈴木道彦訳・集英社ヘリテージシリーズ
 ☆吉川一義訳・岩波文庫
です。
 
☆井上究一郎訳
「彼女はお菓子をとりにやったが、それは帆立貝の
ほそいみぞのついた貝殻の型に入れられたように見える、
あの小づくりでまるくふとったプチット・マドレーヌと呼ばれる
お菓子の一つだった。」
                  ちくま文庫・1の74p


☆鈴木道彦訳
「母は、「プチット・マドレーヌ」と呼ばれるずんぐりした
お菓子、まるで帆立貝の筋のはいった貝殻で型を
とったように見えるお菓子を一つ、持ってこさせた。」
                集英社ヘリテージシリーズ・1の108p


☆吉川一義訳
「そこで母が持って来させたのは、溝のあるホタテ貝の殻に
入れて焼きあげたような「プチット・マドレーヌ」という
小ぶりのふっくらしたお菓子だった。」
                    岩波文庫・1の111p




 
 このお菓子は、マドレーヌの型と呼ばれている、ほたて貝の
筋の入った型に入れて焼くので、こんなかわいい形を
しているのですが、

 井上さんは「小づくりでまるくふとった」
 鈴木さんは「ずんぐりした」、
 そして
 吉川さんは「小ぶりのふっくらしたお菓子」と、
それぞれ少し違って訳されているのが、おもしろいです。




                 左が表、右がうら

 
 主人公は、ある冬の寒い日に、このプチット・マドレーヌを
お茶にひたして食べるのですが
その時に、あの有名な出来事が起こるのです。


引用してみます。

「突如として、そのとき回想が私にあらわれた。この味覚、
それはマドレーヌの小さなかけらの味覚だった、コンブレーで
日曜日の朝・・・・・・・・・・・
町も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである。」
               井上究一郎訳・1の78p~79p


「そのとき一気に、思い出があらわれた。この味、それは
昔コンブレーで日曜の朝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・町も庭も、私の一杯のお茶からとび出してきたのだ。」
                鈴木道彦訳1の112p~114p



「すると突然、想い出が私に立ちあらわれた。その味覚は、
マドレーヌの小さなかけらの味で、コンブレーで日曜の朝
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
町も庭も、私のティーカップからあらわれ出たのである。」
                 吉川一義訳1の115p~117p



(・・・・・・・の部分は、長いので文を省略させていただきました。)





 無意志的記憶というのをこのように書いたプルーストのこの挿話は
あまりにも有名です。

 わたしは以前にイリエ・コンブレーのプルーストが滞在した家や
庭を訪ねた時に、近所のお菓子屋さんでマドレーヌを買って
食べたことがあるのですが、もう少し素朴な味だったように記憶しています。





 「失われた時を求めて」という二十世紀の最高傑作と言われている
本を、次々に新訳で読めるのは、幸せです。

 井上究一郎さんの訳の10巻から始まり、鈴木道彦さんの訳の13巻、
そして、いまは吉川一義さんの訳で、読んでいます。

 「読書というのは、自分を読むことだ」とわたしに教えてくれたのは
プルーストだったのだと、マドレーヌを食べながら紅茶を飲み、
しみじみと思いました。