2023年9月26日火曜日

映画・「ベニスに死す」ヴィスコンティの名作

 

  ススキが穂を出し始めました。ススキといっしょに、ツリガネニンジンの花が風に揺れているのを見ると、高原にも秋がきたなあと感じます。夏の終わりころには、ちらほらだったツリガネニンジンですが、いまではもうどこでもかわいい鈴のような花を見かけるようになりました。



  久しぶりにヴィスコンティの「ベニスに死す」を観ました。やはりこの映画はヴィスコンティの名作なのだと、しみじみと再認識しました。

 かすんだようなにじむ海の風景はまるでターナーの絵画のようにはじまり、最後のしっとりとした海の映像まで、さすがにすてきでした。そして、バックに流れるマーラーの曲もまるで特別に映画のために作られたように雰囲気がぴったりで、ためいきがでるほどでした。



 問題の美少年ですが、ヴィスコンティ監督は、さがすのにとても時間をかけて苦労したようです。この少年は後に「世界でいちばん美しい少年」と言われたようですが、当時は15歳だったとか。ギリシャ神話にでてくるような美少年ですよね。

 彼はセリフがほとんどなく、振り返って主人公の初老の作家アシェンバハにほほえみかける場面が印象的でした。彼の名前を呼ぶ「タッジォ~」という女性の声も、なぜか耳に残っています。



 舞台はリドの海辺と高級ホテル、ホテルの広間のインテリアとしてのピンクのアジサイがいくつも大きなマリンブルーの鉢に入れて飾ってあったのですが、そのころの流行だったのでしょうか、豪華でおしゃれな雰囲気で最初に映画を観たときから記憶に残っています。

 原作はノーベル文学賞作家のトーマス・マン。短編なので今回は集英社文庫の「ベニスに死す」で読んでみたのですが、後ろの解説にドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんが、おもしろいことを書かれていました。

 トーマス・マンの死後に、彼の妻が回想記として「書かれなかった思い出」という本を発表され、その中にベニス行きのことも書いてあり、小説の中のエピソードは、ほぼ同じだったとのことです。

 トーマス・マンと妻は、イタリアに旅し、小説の主人公アシェンバハがたどったのと同じコースでベニスには蒸気船に乗っていき、ホテルに着いたその日に、あのポーランド人一家の母親と娘3人と少年がひとり、家庭教師という一行に出会ったのだそうです。

 トーマス・マンはその少年がととても気に入り、見惚れていたそうですが、少年の名前はよく聞き取れず、彼は少年に「タジュウ」とつぶやきかけていたそうです。


 マン夫妻はエレベーターでこの一家と乗り合わせたことがあり、身近で見た少年をトーマス・マンは虚弱体質であまり長生きはできないだろうと言っていたとか・・。

 ところが、トーマス・マンの死後9年目にポーランド貴族の末裔でタデウスという人が、ベニスに死すのモデルの少年は私だと名乗りでて、マン研究家が調べたところ、事実だと判明したそうですから驚きです。モデルが実在したのですから・・。



 そのモデルになったタデウスは、マンの予想に反して長生きし、かっての美少年はしわ深い、リュウマチ病みの老人になっていたとか・・。

 この映画で美少年を演じた俳優も、その後の人生を描いたドキュメンタリー映画「世界でもっとも美しい少年」の中では、やはりしわ深い老人になっているのを観ました。

 美は残酷で長続きするものではなく、映画や文学などの「芸術の中だけに美は永遠に残る」ということなのでしょうか・・。











2023年9月20日水曜日

自然・秋きぬと目にはさやかに見えねども・・・

 


 いつもの散歩道ですが、小径のむこうから、涼やかな風が通りぬけてきそうです。



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 秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

                         藤原敏行朝臣

                  ・-・-・-・-・-・

 あまりにも有名な古今和歌集に出てくる藤原敏行朝臣の和歌ですが、残暑が残るこの時期にぴったりだと、いつも思います。

 先日、天気予報を聴いていましたら、予報士の方がこんな話をなさっていました。「きょうは、西は夏の空気で、東は秋の空気です。」それを聴いて古今集の夏の最後のこの和歌を思い浮かべてしまいました。

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夏と秋と行きかふそらの通路(かよひじ)は
                   かたへすゞしき風やふくらん
                            みつね
             ・-・-・-・-・-・

 秋の空気のところは、涼しい風が吹くと言っているのですが、夏のところは、まだまだ残暑なのですね・・。     




  

 古今和歌集のよみ人しらずのこの歌も、好きな秋の歌です。

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このまよりもりくる月のかげ見れば 心づくしの秋はきにけり

                      よみ人しらず

                ・-・-・-・-・-・


 心づくしの秋とは、おしゃれな表現ですてきですね。秋の月はほんとうにうつくしいですが、そのまま見るのではなく、このまからもれる月の影に美を感じた作者の感性もすばらしいと思いました。

 


 いままでは、古今和歌集よりも新古今和歌集の方が、好きな歌人の歌もたくさん載っていて好きだったのですが、最近は古今和歌集の歌もいいなあと思うようになりました。

 ドナルド・キーンさんによれば、むかしのケンブリッジ大学では、日本語を読む学生は、「古今集」の序の勉強から始めたということですが、読んでみると、やはり名文でした。

 序とは、紀貫之が書いた「仮名序」は、のことですが、冒頭はこんな文で始まっています。

「和歌(やまとうた)は、人の心を種として、万(よろづ)の言(こと)の葉とぞなれりける。・・・・・」

  和歌は、人の心の中から生まれ、それが言葉となったものなのと言っています。

 秋めくいまの季節になると、古今和歌集の和歌がなつかしく思い出されるようになりました・・。







2023年9月18日月曜日

読書・「収容所のプルースト」ジョゼフ・チャプスキ著 岩津航訳 共和国

 


  散歩していると、コナラやクヌギのドングリが、いっぱい落ちているのを見かけます。ドングリを見るとつい拾ってしまうのは、子供の頃を思い出すからかもしれませんね。

          帽子を冠ったかわいい実ですから・・。




 「収容所のプルースト」は、光文社古典新訳文庫のプルーストの「失われた時を求めて」の翻訳者である高遠弘美さんが、「失われた時を求めて」の3と6の読書ガイドでふれていらっしゃいましたので、読んでみました。

 この本「収容所のプルースト」を書いたのは、ポーランドの画家で文筆家のユゼフ・チャプスキです。

 チャプスキは、1939年9月に将校としてソビエト軍の捕虜となり、零下45度にもなるという厳しい寒さの強制収容所で、同房の囚人たちに「失われた時を求めて」の講義をしたのですが、その時の講義録がこの本です。



 彼の講義はテキストもない中、監視の目をくぐり抜け、あの膨大な物語を思い出だけで語っています。少し記憶違いはあるものの、プルーストの文学の本質にせまっているのはすばらしく、たしかな審美眼を感じました。

 高遠弘美さんはチャプスキについて、「フローベルやボードレールについて本が手元になかっために記憶だけで書いたプルーストを想起させ、感動する」と、言われていますが、わたしも同感でした。



 ポーランドの将校虐殺というカティンの森の痛ましい事件は、最近知られたことですが、彼らと同じに捕虜の将校だったチャプスキが、幸運にも収容所を生き延びて、このような講義録を本にすることができたというのも奇跡に近いことかもしれないと思いました。

 「失われた時を求めて」の豊饒なフランス文学の世界の再認識、そして、収容所での精神的な支えにもなったプルーストの文学の力のようなものを感じさせてくれた本でした・・・。




 

 


2023年9月9日土曜日

読書・高遠弘美訳のプルースト・「失われた時を求めて」6 第三篇「ゲルマントのほうⅡ」光文社古典新訳文庫

 

 今年の夏は猛暑だったのですが、9月に入り朝夕は涼しく感じられるようになりました。夏の暑さに弱いわたしですので少しほっとしています。    散歩道では、ノハラアザミが咲くようになりました。ヒョウモンチョウやカメムシ、マルハナバチなどの人気の花です。



  高遠弘美さん翻訳の「失われた時を求めて」6第三篇「ゲルマントのほうⅡ」を読みました。「失われた時を求めて」の6を読むのは異なる翻訳で4度目です。

 6はヴィルパルジ夫人のサロンでの人々の会話がずっと続くのですが、プルーストの人間観察の鋭さは、まるで心理学者のようで、ときどき笑ってしまうほどシニカルに喜劇的な面を描いています。



 そして、最後は、ヴィルパリジ夫人と女学校でいっしょだった主人公の愛する祖母の死の場面で終わっています。祖母の死にいたるまでの描写がまた、プルーストの白眉と思われるような文で読み応えがありました。




 主人公の祖母は尿毒症で亡くなるのですが、そのシーンを心に残るすてきな文で描いていますので、高遠弘美さんの訳で引用させていただきます。

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 祖母の両親が娘のために婿を選んだ遠い昔の日々のように、祖母は純潔さと従順さが繊細に象られた顔立ちに戻り、頬は、歳月が少しずつ破壊してきた清らかな希望や幸福への夢、無邪気な陽気さとともに輝いていた。祖母から立ち去った生命は、同時に生への幻滅も持ち去っていった。祖母の唇のうえにはほほ笑みがひとつ浮かんでいるかに見えた。死は中世の彫刻家さながら、この死の床に祖母を、うら若き乙女の姿で横たえたのである。

・-・-・-・-・-・    引用 406p


 わたしはこの最後の部分を読むといつも、プルーストの実際の祖母や母に対する深い愛情が感じられて胸がきゅんとしてしまいます。何度でも読み返してしまう好きな文です・・・。