ススキが穂を出し始めました。ススキといっしょに、ツリガネニンジンの花が風に揺れているのを見ると、高原にも秋がきたなあと感じます。夏の終わりころには、ちらほらだったツリガネニンジンですが、いまではもうどこでもかわいい鈴のような花を見かけるようになりました。
久しぶりにヴィスコンティの「ベニスに死す」を観ました。やはりこの映画はヴィスコンティの名作なのだと、しみじみと再認識しました。
かすんだようなにじむ海の風景はまるでターナーの絵画のようにはじまり、最後のしっとりとした海の映像まで、さすがにすてきでした。そして、バックに流れるマーラーの曲もまるで特別に映画のために作られたように雰囲気がぴったりで、ためいきがでるほどでした。
問題の美少年ですが、ヴィスコンティ監督は、さがすのにとても時間をかけて苦労したようです。この少年は後に「世界でいちばん美しい少年」と言われたようですが、当時は15歳だったとか。ギリシャ神話にでてくるような美少年ですよね。
彼はセリフがほとんどなく、振り返って主人公の初老の作家アシェンバハにほほえみかける場面が印象的でした。彼の名前を呼ぶ「タッジォ~」という女性の声も、なぜか耳に残っています。
舞台はリドの海辺と高級ホテル、ホテルの広間のインテリアとしてのピンクのアジサイがいくつも大きなマリンブルーの鉢に入れて飾ってあったのですが、そのころの流行だったのでしょうか、豪華でおしゃれな雰囲気で最初に映画を観たときから記憶に残っています。
原作はノーベル文学賞作家のトーマス・マン。短編なので今回は集英社文庫の「ベニスに死す」で読んでみたのですが、後ろの解説にドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんが、おもしろいことを書かれていました。
トーマス・マンの死後に、彼の妻が回想記として「書かれなかった思い出」という本を発表され、その中にベニス行きのことも書いてあり、小説の中のエピソードは、ほぼ同じだったとのことです。
トーマス・マンと妻は、イタリアに旅し、小説の主人公アシェンバハがたどったのと同じコースでベニスには蒸気船に乗っていき、ホテルに着いたその日に、あのポーランド人一家の母親と娘3人と少年がひとり、家庭教師という一行に出会ったのだそうです。
トーマス・マンはその少年がととても気に入り、見惚れていたそうですが、少年の名前はよく聞き取れず、彼は少年に「タジュウ」とつぶやきかけていたそうです。
マン夫妻はエレベーターでこの一家と乗り合わせたことがあり、身近で見た少年をトーマス・マンは虚弱体質であまり長生きはできないだろうと言っていたとか・・。
ところが、トーマス・マンの死後9年目にポーランド貴族の末裔でタデウスという人が、ベニスに死すのモデルの少年は私だと名乗りでて、マン研究家が調べたところ、事実だと判明したそうですから驚きです。モデルが実在したのですから・・。
そのモデルになったタデウスは、マンの予想に反して長生きし、かっての美少年はしわ深い、リュウマチ病みの老人になっていたとか・・。
この映画で美少年を演じた俳優も、その後の人生を描いたドキュメンタリー映画「世界でもっとも美しい少年」の中では、やはりしわ深い老人になっているのを観ました。
美は残酷で長続きするものではなく、映画や文学などの「芸術の中だけに美は永遠に残る」ということなのでしょうか・・。