2017年7月29日土曜日

ヤマユリの季節・・



 ヤマユリの季節になりました・・。
 散歩をしていますと、ヤマユリの濃厚な甘い香りがただよって
きて、めまいがしてきそうなほどです。



 先日は、朝の4時半に目が覚めたのですが、目が冴えてしまったので、
早朝の読書をしました。
 わたしの好きな俳人。鈴木真砂女さんの娘・本山可久子さんが書かれた
「今生のいまが倖せ・・・・・・」という本です。




 真砂女さんの人生のことは、ご自分で書かれたエッセイ数冊を読みすでに
知っていたのですが、晩年のことはこの本で初めて知りました。



 真砂女さんは、51歳のときに家を出て銀座に小料理屋「卯浪」を開店し
女将さんとして晩年までずっと経営なさっていたのですが、93歳のときに
腰痛で入院なさってからは、96歳で亡くなられるまで老人保健施設に
入られていたとのことでした。


彼女の人生のことは、ご自分で書かれたエッセイ数冊を読みすでに
知っていたのですが、晩年に保険施設に入られていたということは、
この本で初めて知りました。



 真砂女さんは、80歳を過ぎてから、随筆集「銀座に生きる」をはじめ
数冊随筆なども書かれ、銀座松屋の歳暮ポスターのモデルもなさったりと、
輝いていた80代だったようです。
 90歳を過ぎてからも、句集の「紫木蓮」で蛇笏賞も受賞なさっています。



 真砂女さんは、羅(うすもの)という着物の俳句をいくつもつくられていますが、
この季節になると思い出す好きな句です。

 ・羅(うすもの)や人悲します恋をして

 人を悲しませる恋をした真砂女さんですが、こんな句もあります。

・羅(うすもの)や細腰にして不逞なり

 この句は、彼女らしい強い自我のある個性と、人生の真っただ中で
一生懸命生きているという覚悟のようなものさえ感じられます。


 ところが、晩年の羅(うすもの)の句は、

 ・羅(うすもの)や苦楽の底に女老ゆ
 
そして、最晩年には、

 ・羅(うすもの)や昔わがこといま人のこと

と、なってしまいます。


 可久子さんは、本の中で、
「母は身をもって「老い」とはどういうものか、「死」とは
どんなものかを私に教えてくれた。父の死はあまりにあっけなかった。
母だけが「業」というものを示してくれたのだ。これが母からの、
私への贈り物だったのだろう。」
                197pからの引用
と、書かれています。
 

 久し振りに再読した本でしたが、俳句は人生を切り取って詠った
自伝のような詩なのだと改めて思いました。

 

 
 



 

2017年7月11日火曜日

モーパッサンの「女の一生」



 モーパッサンの「女の一生」を、初めて読んだのは、高校生の頃でした。
 担任だった女の先生が、この本を人生のいろいろな年代で読むと面白いと
薦めてくれたのを覚えています。


 その後、30代の初めの頃、モーパッサンの住んでいたエトルタの家を訪ねた
ことがありました。

 モーパッサンの母は、離婚してこの別荘に2人の息子を連れて住むようになった
ということでしたが、昔のままに保存してあり、モーパッサンが執筆した机なども
ありました。 

 その訪問の後で読んだ「女の一生」は、出てくる地名などにも馴染みができ、
ノルマンディ地方への愛着のようなものさえ感じられたのを覚えています。

 わたしが現在持っている「女の一生」の本は、2冊ですが、小説の最後に出て
くる小間使いのロザリの言葉が好きなので、比べてみました。

・-・-・-・-・-・ 
「なんのはや、世の中というものは、そんなに人の思うほど
 善くもなし悪くもなしですわい。」
        引用  「女の一生」モーパッサン 杉捷夫訳 岩波文庫 338p



・-・-・-・-・-・-・
「世の中って、ねえ、人が思うほどいいものでも悪いものでも
ありませんね」
        引用「女の一生」モーパッサン 新庄嘉章訳 新潮文庫 445p


・-・-・-・-・-・-・

 主人公の貴族の娘ジャンヌは、夫の浮気や放蕩息子で苦労します。
そして、希望を失いかけた人生の晩年に孫(母親を亡くした息子の子供)を、
育てることになるのです。
 その時に、ジャンヌに、昔は小間使いで乳姉妹だったロザリがかけてあげる
言葉がこれなのでした。
 「世の中は人が思うほど、良くもなく悪くもない」

 モーパッサンは、小説の最後に、この言葉を書くために、「女の一生」を
書いたのだと実感します。

 プルーストを読んでしまった現在は、全部読み通すのが苦痛になるほどで、
やはりプルーストのすごさを改めて感じました。

 モーパッサンは、1850年生まれで、プルーストは、1871年生まれと
わずか、21の歳の差なのですが・・・。

でも、わたしにとって、こういう人生の思い出になるような一冊がある
というのは、幸せなことかもしれません。



















2017年7月8日土曜日

コナラの赤ちゃん



 朝、スギゴケの掃除をしていましたら、コナラの
赤ちゃんが芽を出していました。植木鉢に植え替えてあげようと、
抜いてみました。


 茎の根元を見ますと、どんぐりが割れていて、
きれいな緑になっていました。


 
 茎が長いのは、スギゴケに埋まっていたからでしょう。
 葉は、3枚出ていました。


 この真ん中の太い木が、ドングリを落としたお母さんですが、
直系は、1メートル46センチもあり、見上げてみると、屋根よりも
高く見えます。


 元気に育ちますようにと願いながら、植木鉢に植えて
あげました。








なでしこピンクのヒメサユリ



 7日に福島県の南会津町にある高清水自然公園に「ヒメサユリ」を
見に行ってきました。


 今回は2度目でした。7日は最終公開日の前日で咲き具合が心配だった
のですが、まだまだ、見事に咲いていて待っていてくれました。


 高清水自然公園は、標高900m以上にあります。
7日は、梅雨の晴れ間で気温も高かったのですが、日蔭に入ると
涼しい涼風がたえず吹いていて、気持ちの良い高原でした。



 ヒメサユリは、名前のようにやさしいピンク色の花です。
野草の本によれば、ヒメサユリは、山形、福島、新潟の三県だけに
分布するそうで、優しい花の姿から、オトメユリという別名も
あるということです。


 草丈は50cmぐらいです。匂いを嗅いでみると、ヤマユリのあの
香水のような豊穣な甘く強い香りはなく、あるかないかのような
かすかな香りでした。



 ここは、すすきの草原だったそうですが、いまは南会津町の
ものになり、町の方がたに大事に管理されています。




 いつまでも、このすばらしい環境の草原に咲いていて欲しい
ヒメサユリでした。




















2017年7月5日水曜日

きょうのTEATIME



 台風一過のきょうは、さわやかな風が吹き抜ける
気持ちの良い天気になりました。




   午前中は、陽ざしが、ゆらゆらとベランダにこぼれていました。
 午後も気持ちの良い天気でしたので、庭仕事の後、日蔭になった
ベランダでTEATIMEをしました。



きょうは、冷凍のブルーベリーと急須で入れた緑茶でした。
 冷凍のブルーベリーは、程よい甘さと酸味で最近のおやつの
定番にもなっています。




 左に見えるのは、スギゴケです。最初は芝生の庭だったのですが
いつのまにか、数年の間に苔庭になってしまいました。
 湿度の高い日本では、やはり苔があっているのでしょうね。




 夕方、まだ明るい7時頃に、今年初めての「カナカナ」の
鳴き声を聞きました・・。

 夕方に鳴く蜩(ひぐらし)を、夕蜩というそうですが、
「カナカナカナ」と鳴く蜩の声は、風情があっていいものですね。


  



 






2017年7月4日火曜日

赤い実・オレンジ色の実



 散歩していると、かわいらしい赤い実を見つけました。
 ミヤマニガイチゴです。食べてみると甘いとのことですが
わたしはまだ食べたことがありません。名前のように、
小核は苦味があるということです。




 オレンジ色のモミジイチゴは、食べたことがあるのですが、
とてもさわやかな甘さでおいしかったです。
 先日蔵王の森を散歩したときにも、あちこちでこの実を
見つけました。

               
                 モミジイチゴ


 これは、今年の5月1日に写したモミジイチゴのふわふわの白い花です。


                                          モミジイチゴの花

 ミヤマウグイスカグラの実も食べられるのですが、宇都宮貞子さんの
本「春の草木」によれば、貞子さんの住んでいらっしゃる長野県では、
ウツギグミといっていたそうです。


             ミヤマウグイスカグラ

 長野県の山村ではこのミヤマウグイスカグラを、庭に移し植えて
むかしは、子供のおやつにしたとか・・・。
 赤い実を見ると、ほんとにおいしそうですから、むかしの子供たちは、
この実が熟れるのを、さぞ楽しみにしていたことでしょうね。


 ミヤマウグイスカグラは、春にかわいいピンクの花を咲かせますが、
この写真は、今年の春4月13日に咲いたものです。


             ミヤマウグイスカグラの花

 フランスの田舎に行ったときに、知人の田舎の広大な地所で、野生の
ベリー類を摘んだことがあり、うらやましく思ったのですが、日本でも
野生の食べられる実があるのを見つけたときには、うれしい発見でした。



ホタルブクロ・・・



 ようやく本格的な梅雨に入ったようです。
 雨上がりの庭に、ひっそりとホタルブクロが、
咲いているのを見つけました。


 ホタルブクロは、漢字ですと蛍袋ですので、昔は子供たちが
花の中に蛍を入れて遊んだのでしょうか・・。

 今年はまだ、蛍を見ていないのですが、数年前に東京の
椿山荘で見た蛍を思い出しました。

物おもへば沢の蛍も我が身より
        あくがれいづる魂かとぞみる
                      和泉式部

 和泉式部が、貴船に行ったときに、御手洗川に蛍が
飛んでいるのを見て歌ったとのことですが、彼女らしい歌で
とても好きな和歌です。

 わたしが貴船に行ったときに見た御手洗川は、神社の手前にある
小さな川で、かわいらしい小さな橋が架かっていました。

 ああ、この辺りに蛍が飛んでいたのかしらと思ったのを覚えています。

 ホタルブクロに、蛍を入れてみたら、すてきでしょうね・・・。





2017年7月1日土曜日

立原道造の草地・・


 6月の最終日、蔵王に行ってきました。


 森に囲まれた広い草地には、アカツメクサやシロツメクサ
フランスギクなど、いっぱい咲いていて、わたしの大好きな詩人
立原道造が作った詩を、思い出しました。

・-・-・-・-・-・-・
  草に寝て・・・・・・
    六月の或る日曜日に
                   
それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であった 小鳥らの
たのしい唄をくりかえす 美しい声が
まどろんだ耳のそばに きこえてゐた



私たちは 山のあちらに
青く 光ってゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく



ーしあわせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちいさな 見知らない村に




私たちの 心は あたたかだった
山は 優しく 陽にてらされてゐた
希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだった
・-・-・-・-・-・
         引用 立原道造詩集 小山正孝編 彌生書房



 わたしは、青春時代から立原道造の詩が好きでしたが
彼の詩はいまでも読むたびに、こころを優しくしてくれるような気が
します。