ドライフラワーになってしまったヤマユリの実に、こんもりと雪が積もっています。わたしにとっては、いつも見慣れている冬の風物詩ですが、もう少し気温が高くなれば、融けてしまいそうです。
ヤマユリの実のドライフラワーは、空に向かって口を広げ、冬の寒さにもめげず、凛として立っている姿には、いつも元気をもらっています!
「ムッシュー・プルースト」を、読みました。この本は、以前から読みたいと思っていたのですが、古本で見つけて購入したものです。
1922年11月18日にプルーストが亡くなるまでの8年間、昼夜を逆にして献身的に尽くした家政婦兼秘書、そして、後には大事な話し相手にまでなったセレスト・アルバレ。
そのセレスト・アルバレが、プルーストの没後50年に沈黙を破り、「ムッシュー・プルースト」のことを、聞き書きとして残してくれたのが、この本ですが、とてもおもしろく3日で読んでしまいました。
彼女がプルーストに初めて会ったのは、1913年、プルーストの運転手だったオディロン・アルバレと結婚して田舎からパリに出てきたばかりの頃、プルーストの家の台所だったとのことです。
その時のセレストのプルーストの印象は、
「偉大な殿様」
だったとのことで、彼女にとっては、忘れられないほどの強烈な印象だったようです。
(この本の翻訳者の三輪秀彦さんは、「偉大な殿様」と、訳されていますが、わたしの想像では、原文は「grand monsieur」?かなと思ったのですが・・。)
プルーストも、セレストの人間性を見抜いて気に入っていたのではと、思います。
その後、第一次世界大戦がはじまって、セレストの夫のオディロンが戦争に行ったこともあり、家政婦として、住み込むことになったとのこと・・。
セレストは、昼夜を逆にして、小説を書く病人プルーストの世話を献身的にするようになったのですが、それはプルーストのやさしい人柄と知性、そして彼が自身の命を削ってまで小説を書く芸術家としての真摯な姿に深く共感し、「尊敬」していたからなのだと納得したのでした。
プルーストもそのようなセレストにいつも感謝しており、次第に二人での深夜の会話を楽しむまでになったことなどからも、この二人の間には深い絆があったのだということがよく理解できました。
また、あたらしい発見として、プルーストは、社交界に出入りしていた若いころ、上着の襟元にはいつも「椿の花」を飾っていたそうですが、それは喘息の病があった彼が、匂いのない花を選んだからということ。
それから「失われた時を求めて」に出てくる「パリの街の物売りの声」は、プルーストがオデュロンにパリの街の中にでかけて、声を聞いて採集してくるようにといって、その声を本の中に取り入れたということなどは、興味深く読みました。
プルーストが、セレストとの会話を楽しむようになったときには、彼自身の初恋の話や家族の話もあったとのこと。そして、その話に対するセレストからの素朴で率直な反応は、プルーストの作品の中にもいかされていたようです。
この本は、8年間もプルーストの身近で献身的に支えたセレストが、彼の魅力的な人間像をわたしたちに残してくれた稀有な本だと思いました・・。