2026年4月10日金曜日

読書・「ユルスナールの靴」須賀敦子著・河出文庫

  

 4月に入り、散歩していると「ホーホケキョ」というお馴染みのウグイスの鳴き声が、聞こえるようになりました。のどかですてきなBGMです・・。

 ウグイスの声が聞こえるようになると、ピンクの小さなかわいらしい「ミヤマウグイスカグラ」が、咲き始めます。初夏には、真っ赤な実をつけるのですが、甘いということです。



 須賀敦子さんの書かれた「ユルスナールの靴」を、再読しました。以前にもこのブログにアップしているので、2度目です。

 この本は、須賀さんの生前の最後の著作で、1996年10月に単行本として出されたようですが、わたしは、文庫本で読みました。

 本の最初に、プロローグとして、「きっちり足に合った靴さえあれば、どこまでも歩いていけるはずだが、そういう靴に出会わなかったことを不幸に思い、生きてきたような気がする」という意味のことを、書かれています。

 ですので、わたしには、須賀さんはこの本で、ご自分の足にきっちりと合った靴を探すため、ユルスナールの足跡をたどられたようにも思えてきます・・。

 ユルスナールの著作のことを、「強靭な知性にささえられた、古典的な香気を放つ文体」と書かれ、長年、魅了されてきたとのことですから。

 この本のあとがきで、須賀さんはこのように書かれています。

 ユルスナールのあとについて歩くような文章を書いてみたい。

 また、須賀さんが長い年月暮らされたヨーロッパとヨーロッパ人についての報告書でもあるとも・・。

 そして、究極的には、作品をたのしみ、著者であるユルスナールに興味を持たれて、ユルスナールが晩年暮らしたマウント・デザート島にまで、足を運ばれているのでした。



 須賀さんが、それほど魅了されたユルスナールですが、わたしもベルギーのアントワープに住んでいたときに、親しくなった知的な女性の大家さんから、ユルスナールの本の魅力について、教えていただいたことがあるのを思い出します。

 彼女はとてもユルスナールを誇りに思っているようで、著作を是非読むようにと、強く薦めてくださったのでした。ユルスナールは1980年にフランスで女性初のアカデミー・フランセーズの会員に選ばれています。

 須賀さんは、このようなヨーロッパの知性を代表するようなユルスナールの足跡を追うことにより、ご自分の文学を確立なさりたかったのかなと、いまはしみじみと思います・・・。

 この本が最後の著作になってしまわれたのは、ほんとうに残念でなりません。



(ユルスナールがパートナーと住んだマウント・デザート島の家は、記念館になっていて、PCの公式画像でも見ることができ、緑に囲まれた真っ白のすてきな家でした。)

 

2026年4月8日水曜日

音楽・思い出のタンホイザー序曲・・・(J-WAVE TOKYO MORNING RADIO)

 

 スプリングエフェメラル(春の妖精)と呼ばれる、大好きな白のキクザキイチゲが、いつもの場所で咲いていました。この花は、うすむらさき色もあるのですが、わたしはやはり白が好きです。




 今朝4月8日の朝の8時過ぎに、朝食の準備をしながらJ-WAVEのTOKYO MORNING RADIOを聞いていましたら、突然、あの懐かしい思い出の曲「タンホイザー序曲」が、流れてきました・・・。

 ワーグナーのオペラ「タンホイザー」の序曲です。この曲を初めて聴いたのは、すばらしい音響のアムステルダム・コンセルトヘボウでした。

 曲がはじまったときからすでに、体が硬直したような状態になり、あのヒュンヒュンヒュンヒュンという独特の弦楽器の音が流れてくると、涙さえ出てきたのでした・・。

 わたしにとっては、生涯で唯一無二の音楽体験と言っていい出来事でしたので、そのときのことは、いまでもはっきりと覚えています。

 まるで、ワーグナーの音楽の魔力にでもかかってしまったかのようでした・・。

 多分、この経験は一生忘れないだろうと思ったことも・・。



 当時のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者は、リッカルド・シャイーだったと思うのですが、すばらしい演奏でした。

 そのころは、ベルギーのアントワープに住んでいたのですが、チケットも電話ですぐにとれ、車で1時間ぐらいで行けたと記憶しています。

 ところで、今朝わたしが聞いたFMラジオの番組は、J-WAVE・別所哲也さんの、「TOKYO MORNING RADIO」でしたが、この曲は、「MORNING CLASSIC」のクラシック・ソムリエの田中泰さんが、選曲なさっていました。

 たしか、今朝の「タンホイザー序曲」の演奏は、メトロポリタン管弦楽団で指揮は、ジェイムズ・レバインさんだったと記憶しているのですが・・。

 ゆったりとした、丁寧で重厚感のあるクラシカルな演奏でした。

 別所さんのこのラジオ番組はときどき聴いているのですが、なつかしい思い出の曲を流してくださったことに、感謝します。

 きょうは、一日中、散歩のときも「タンホイザー序曲」のメロディが、頭の中でながれていました・・・。




2026年4月3日金曜日

読書・「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子著 文春文庫 (人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものはない)

 


  冬鳥のシメが、数日前から我が家のエサ台に陣取っています。くりくりしたするどい目と、硬い実を割ることもできる口ばしでヒマワリの種をくわえ、まるで辺りをヘイゲイしているかのよう・・。

 シメがいると、いつも来ているシジューカラやヤマガラは、見かけなくなるのですが、もうすぐ、北のシベリア方面に戻っていくようです・・。



 久しぶりに、須賀敦子さんが書かれた「コルシア書店の仲間たち」を、読みました。須賀さんの本は、20年以上も前に、本好きの方におもしろいからと、教えていただいて読んだのですが、やはりわたしも好きになり、いまでは全集まで揃えているほどです。

 久しぶりに読む須賀さんの本は、やはりおもしろく、2日で読んでしまいました。

 解説を書かれている松山巌さんは、この本を読み終えたあと感動なさり涙がこぼれおちたということですが、彼の人生ともシンクロなさるものがあったから・・と想像しました。

 須賀さんは、ミラノのコルシア・ディ・セルヴィ書店で出会った人々の思い出を、ひとりひとり、魅力的に描かれていて、すてきです。

 最初は、「テレーサおばさま」と呼ばれていた書店のパトロンのような存在のツィア・テレーサ、そしてこの書店をはじめたダヴィデ・マリア・トゥロルド神父(詩人でもある)をはじめ書店の仲間や友人たち・・・その中には、須賀さんが結婚なさったペッピーノさんもいました。

 須賀さんは、二十代から三十代にかけて、カトリック左派の共同体を仲間といっしょに夢みたこのコルシア書店の物語を、帰国なさった30年後に書かれているのでした・・。


 「人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものはない・・・」本の帯に書いてある言葉です。

 生きることに疲れたとき、その疲れを癒してくれるのもまた、「人生」という意味でしょうか・・。

 須賀さんは、この物語の最後をこんな言葉で締めくくられています。

・-・-・-・-・

 若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。

・-・-・-・         引用232p





2026年3月30日月曜日

読書・「プルーストを読む」「『失われた時を求めて』の世界」 鈴木道彦著 集英社新書 (過去の魂の物語・・)

 

  きょうの散歩で「セリバオウレン」が咲いているのを、見つけました。いつもと同じ群生地です。セリバオウレンは、葉がセリの形をしているので名付けられたそうですが、数年前に初めてこの花を見たときには、小さな春の妖精たちが踊っているように見えたのを思い出します!

 また、植物学的にもとてもめずらしい花で、雌花と真っ白の雄花、そして両性花と三種類もあるのですが、下の写真は、雌花です。


               セリバオウレンの雌花

 

   わたしにとって、鈴木道彦さんといえば、プルーストの「失われた時を求めて」を、井上究一郎さんの翻訳に続いて読んだ、二番目のプルースト翻訳者ですが、彼の著書「異郷の季節」も、昨年の11月に読んでこのブログにもアップしており、親しみのある方です

   鈴木道彦さんは、2001年に「失われた時を求めて」を、全巻訳し終えられて翌年の2002年にこの本を、書かれたようですが、本の帯には、「最高のプルースト入門」と、大きく書かれていますので、そのころに新刊で読み、それ以来、本箱にいつもある本です。

 鈴木さんとプルーストとの出会いは、第二次世界大戦後まもなくのころ、旧制高校の三年の十八歳の春に「スワンの恋」を読まれ、人生の方向を決めてしまうほどに、この本に惹きつけられてしまったということです。そしてそれ以来、プルーストを知ったおかげで人生が豊かになられたとのことですが、人生が豊かになったという点では、わたしもまったく同じでした・・。


               セリバオウレンの雄花

 鈴木さんは、1929年のお生まれで、東京大学文学部仏文科卒業後、1954年からのフランス留学をへて、フランス文学者になられていますが、父上の鈴木信太郎さんもフランス文学者でしたので、やはりサルトルのように本に囲まれた恵まれた環境で育たれたのかなと想像します。

 プルーストの作品は、作家や批評家や専門の外国文学者に限らず、別の仕事を持った人々や主婦たちの中にも熱心な読者がいると書かれていますが、わたしはこのような鈴木さんの知識人としてのリベラルなお考えにとても惹かれます!!!


               セリバオウレンの両性花

 また彼は、作品理解の上でプルーストの実人生を知ることが大事ではないというお考えで、この作品は「虚構の自伝」であり虚構であるからこそ、自分の真実を語ることができると、言われていますが、わたしもそう思います。

 プルーストの「失われた時を求めて」の第一巻「スワン家のほうへ」が、1913年に出版されたとき、「ル・マタン」紙の記者のインタビューにプルーストはこのようなことを答えたとか・・。

 私の作品は、無意識的記憶と、意志的記憶の区別に貫かれているが、意志的記憶は、知性と目の記憶であって、真実を欠いた面しか与えてくれない。それに比べて匂いや味というようなものが、われわれのこころによびさましてくれるものは、意志的記憶とはどんなに違っているかと、感じる・・。

 鈴木さんはこのことから、

「要するに、無意志的記憶の合図によって始まるのは、死んだ過去を語る自伝とは異なって、蘇った過去の魂の物語なのである。」と、書かれています。

 「過去の魂の物語」という彼の表現がとてもすてきだなと思いました・・。






2026年3月15日日曜日

読書・「二十世紀の十大小説」篠田一士著・新潮文庫 (すべての小説の中での一冊は、プルースト・・)

 

 3月に入り、2度も雪が積もりました。そんな中で、「フキノトウ」は、元気に春を告げています。このブログで雪の中のフキノトウの蕾の写真をアップしたのは、2月8日でしたが、それから、もう一か月近く過ぎ、きょうの散歩道の「フキノトウ」は、すっかり蕾が開き、花が咲き始めていました・・。



 「すべての小説の中での一冊はプルースト」とおっしゃる評論家の篠田一士(はじめ)さんの著書、「二十世紀の十大小説」を読みました。

 手持ちの本の再読ですが、調べてみましたら、1980年代に「新潮」に連載されていたものを、1988年に新潮社から単行本化され、さらに2000年に文庫化されたものが、この本とのこと・・。

 ということは、わたしが20年以上も前に読んだ本で、内容はほとんど忘れていたのですが、「すべての小説の中での一冊はプルースト」と書かれていたのだけは、覚えていました。多分彼のプルースト論の部分を読みたくて、本屋さんで購入したのだと思います。

 当時、篠田さんはプルーストを読むのに、井上究一郎さんの訳を未訳の二篇まで残して読み、残りは鈴木道彦訳で中央公論社版「世界の文学」から、そして「逃げ去る女」は、保刈瑞穂訳で講談社版「世界文学全集」からだったということでした。

 1980年代のプルーストを読む環境は、現在の3人もの個人全訳で読むことができるという恵まれた環境とは、だいぶ違っていたようです。

 篠田さんは、井上究一郎さんの訳を、絶賛なさっているのですが、わたしも井上さんの訳で初めてプルーストを読んだ当時をなつかしく思い出しました。



 篠田さんの本文の中で、当時わたしが気に入っていた部分にマークがしてあったのですが、こんな文でした。

・-・-・-・

ママへのあこがれの思いは、ちょうどヴァーグナーの「指輪」(リング)の変ホの和音の響きが、いくつものライトモチーフをつくりだし、ついには、あの巨大な楽劇全体を構築してゆくのと同じように、この「失われた時を求めて」の、かずかずの愛と幻滅のドラマを導きだし、それらを一体化しながら、二十世紀現代の、まさしく、われわれの「神曲」ともいうべき、この言語の大伽藍の、最初の礎石定置に当るもので、その批評的意味合いは、きわめて重、かつ大である。

・-・-・-・      引用75~76p

 篠田さんの気合のこもったプルーストの「失われた時を求めて」論ですが、「二十世紀現代のわれわれの言語の大伽藍のライトモチーフ」が、「ママへのあこがれの思い」というのは、とても頷けました。(井上究一郎さんは、「失われた時を求めて」の中で、フランス語のママンを、ママと訳していらしたので、篠田さんもそのまま、ママになさっていたようです。)



 また、プルーストを楽しんで読むだけの(わたしのような読者)にとっては、プルーストのユーモア感覚は十分味わっているので知っていることでもあると思うが、彼(篠田さん)のような評論家にとっては、批評の論題としては、説明するのがかなり至難の業なのであると、吐露なさっています。

 そして、やはりこれは、訳文ではなくフランス語の原文で読むのがよく、日本語では伝えるのが難しいと、書かれていますが、わたしにもこの部分のさわりは、彼の趣旨がよくわかるような気がしました。母とフロラ叔母、セリーヌ叔母、祖父などの会話のところですが、篠田さんは、

「みな口調が少しずつ変化させられていて、それらがまた、いささか調子外れのプチット・サンフォニーを奏でているのが、何ともおかしいのである。」

と、書かれています。プチット・サンフォニーとは、おしゃれな言い方ですが、「小さな交響曲」とでもいうような意味でしょうか・・。

 そういえば、たしか吉田秀和さんも、このようなユーモアにあふれたフランス語の会話を、楽しまれていたというのを、彼のエッセイで読んだことがあったのを思い出しました・・。

  篠田さんは、文学はもちろん、詩歌や音楽など多方面の卓越な評論もなさっていたということですが、多面的な教養をお持ちの方だったことがよくわかる本でした・・。

 



2026年3月9日月曜日

読書・「楽しみと日々」プルースト 窪田般彌訳 福武文庫 プルースト23歳のときの最初の作品・・

 

 枯れ葉を掃除していましたら、下からツルリンドウの赤い実を、見つけました。ツルリンドウは秋にうすむらさきのかわいい花を咲かせるのですが、晩秋には赤い果実をつけます。

  赤い実は、とても目立つので、ほとんどは野鳥に食べられてしま ったり、しおれてしまったりたりするので、この季節まで残っているのは、かなりめずらしく、何か宝物を見つけたような気分でした!

 厳しい冬の間、枯れ葉の下でひっそりと冬を過ごしていた愛しい赤い実です・・。




 プルーストの記念すべき第一作、「楽しみと日々」を、久しぶりに読んでみました。この本は、もうだいぶ昔から本箱にあり、セピア色に変色しています。

 プルースト23歳のときの若書きの最初の著作ですが、今回はあたらしい発見がありました。

 プルーストは記念すべきこの本を、ウィリー・ヒースという友人にささげているので興味を持ち、ウィリー・ヒースとはどんな人だったのか、調べてみました。

 すると、ウイリー・ヒースの母親の旧姓が、何と「スワン」ということが、最近の研究(2021年)でわかったということを知ったのです!

 スワンといえば、「失われた時を求めて」に出てくるあのスワンですので、ウィリー・ヒースは、「スワンのモデルのひとり」なのかもしれないと考えると、わくわくしてきます。

 また、この本にはヒースは、英国人と書いてあるのですが、実は、ニューヨーク生まれで、プルーストと出会ってからわずか数か月後の1893年の10月3日に腸チフスで、パリで亡くなっており、お墓はブルックリンにあるとのこと・・。

  


 若き日のプルーストは、ウィリー・ヒースのことをこんな風に書いています。

 朝、ブローニュの森の木陰の下でプルーストを待っていたウィリー・ヒースの姿は、まるでファン・ダイクが描いた貴族たちの一人のようで、精神の優雅さがあったと・・。

 このような文を読むと、もしかしたらプルーストは、ウィリー・ヒースに、友人以上のものも感じていたのかもしれないと想像してしまうのは、わたしだけでしょうか。

 この本は、アナトール・フランスの序文をはじめ、初版本には、プルーストの恋人でもあり、その後、生涯の友人となった音楽家のレーナルド・アーンのピアノ曲の楽譜や、マドレーヌ・ルメールの花々の挿絵まで入っている豪華で高価な本だったということで、プルーストの初版本にかける意気込みのようなものが感じられます。

 わたしはこの本の中の「二十六 森の下草」という章の文が好きです。彼はノルマンディの奥地に生える山ぶなの木のすてきな描写を描いているのですが、最後はこんな文で終わっているのです。
・-・-・-・
微風が一瞬、きらめく、黒ずんだ不動の姿を乱しにくる。すると、樹木たちはその梢の先に光をゆらし、その根もとに影を動かしながら、弱弱しくかすかなふるえをみせつける。
・-・-・-・
                       引用255p

 「失われた時を求めて」の自然描写を思わせるような詩的で、すてきな文だと思います!

 ジットは、この本のことを、「大輪の花々の新鮮な蕾」と言ったそうですが、もちろん大輪の花々とは、「失われた時を求めて」のこと・・。

 本箱のすみに、ずっとあったこの本ですが、久しぶりにプルーストの青春の息吹を感じることができた読書でした!





 
 

2026年2月25日水曜日

読書・「英国に就いて」吉田健一著 ちくま文庫 

 

 2月も半ばを過ぎ、庭のバードバスは、ようやく氷がとけて野鳥たちも水がらくに飲めるようになりました。エサ台にはひまわりの種を入れてあるのですが、数日前から冬鳥の「アトリ」がひまわりの種を食べにやってきました。

 このあたりでは、いつも2月に見かけるのですが、胸がオレンジ色のアトリが庭に来るようになると、うれしくなります。アトリはシベリアやカムチャッカ半島、スカンンジナビアで繁殖し、日本へは10月頃に群れを作ってはるばると、日本海を渡って飛来してくるとのこと。3月頃に北の国へ帰ってしまうのですが、長い旅を思うと愛おしく思えてくる野鳥です・・。




 吉田健一さんの書かれた「英国に就いて」は、繰り返し読んでいるわたしの好きな本です。  わたしも、英国には2度にわたり10年ぐらい住んだことのある懐かしい場所でもあるので、読み返すたびに新しい発見もあり、楽しんで読んでいる本になっています。

 解説で小野寺健さんが、この本についての名エッセイを書かれていて読み応えがあります。

 小野寺さんは、英文学者で翻訳家でしたが、吉田さんの本の「英国の文学」を名著と断定なさり、フォースターの勘所を、吉田さんは独特の文体でからめとり上手に書かれていることに感嘆なさっているのでした。

 わたしは今回、この本の「英国の四季」という章のところで、吉田さんは英国の春の詩を、一篇挙げるとすれば、エリオットの「荒地」だと書かれているところに注目したのですが、なるほどと納得でした。

 「四月は残酷な月だ」で始まるあの有名なT・S・エリオットの詩です。英国の冬は長くて暗く、4月はまだ冬で、ひとたび雨や雪が降れば、大地はぬかるんでまさに、どろだらけになるのです。この詩が書かれたヨーロッパの1920年代は、一種の時代の過渡期でもあり不安定だったということでは、「英国の春」に似ており、やはり英国の春の詩は、エリオットの「荒地」だとの結論でした。

 吉田さんはケンブリッジで、文学を学ばれたので、文学にからめての英国論は、説得力があるようにいつも思います。

 また、夏の期限があまりにも短いのを、シェイクスピアの詩を引用してその感想をこんな風に書かれています。

・-・-・-・

この詩を読む時、西に傾いた太陽の、いつかは終るとも見えない絢爛な光線が大気に金粉を舞わせている英国の夏の黄昏を思わざるを得ない。我々東洋人はこういう濃厚で、そしてそれでいて生のままの美しさを持った現実を、西洋の詩や音楽、或いは絵画を通してしか知らない。それは英国の冬がどの位陰惨かを知らないのと同じである。例えば、英国の秋は木が紅葉すると言っても、その色は赤と黄に限られているのではなくて、紫、茶、黄、赤などの色がまだ紅葉していない緑と混じって何れがより鮮明であるかを秋空の下に競うのであり、英国の夏の緑もそれに劣らず、何か現実とは思えない光沢を持っている。

・-・-・-・-・ 引用 107p~108p


「いつかは終わるとも見えない絢爛な光線が大気に金粉を舞わせている英国の夏の黄昏・・・」

うっとりするほどすてきな散文です・・。

 𠮷田さんは、詩人でもあったのだと再認識した読書でした。