2025年1月6日月曜日

読書・「移動祝祭日」ヘミングウェイ著 高見浩訳 新潮文庫

 


 今の季節に散歩していると、ヤマユリの実のドライフラワーをあちこちで見ることができます。雪の野をバックに写すと、造形がとてもすてきで、斬新なオブジェのようです・・。




 ヘミングウェイの「移動祝祭日」を読みました。先日ある本を読んでいましたら、ジェイムズ・ジョイスのことが「移動祝祭日」に書いてあるというので、改めて読んでみたのでした。

 この本は、ヘミングウェイの遺作ですが、最初の妻ハドリーと結婚し、パリで過ごした若いころのなつかしい日々のことが、回想として書かれています。

 1920年代のそのころのパリは、新しい芸術の波が来ていたようで、ヘミングウェイがパリにわたって1か月後ぐらいには、あのジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」が、シェイクスピア書店のシルヴィア・ビーチの手で刊行されていたと、高見浩さんの解説に書いてありました。 

 


 「移動祝祭日」の中には、やはりジョイス一家がミショーというレストランでよく食事をとり、家族はイタリア語で語りあっていたということや、のちにはヘミングウェイが、偶然にジョイスと街で出会ったときには、ドウー・マゴでいっしょにお酒を飲むまでの友達になっていたとも書かれていました。

 ジョイスについての記述はこれだけでしたが、ヘミングウェイは、ジェイムズ・ジョイスを、尊敬していたことが、行間から感じられました。

 


 ところで、この本のタイトルにもなっている「移動祝祭日」についてですが、最初の見開きのページに、友への言葉としてこんな風に書かれています。

・-・-・-・-・

「もし幸運にも、若者のころ、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」

・-・-・-・-・  引用 最初の見開きのページより


 1921年、ヘミングウェイは22歳のときに、ハドリーと結婚してパリに住み始めたのですが、この言葉のように、ヘミングウェイにとってパリは、その後の彼の人生に、いつもついてくる「移動祝祭日」だったのだと思います。

 そして、彼が老いてから、パリの思い出を回想したときに、そこにはいつも最初の妻だった最愛のハドリーがいたのだと実感したのでした。



 本の最後の言葉を読んだときに、彼のその後の人生の最後の結末を思い、胸がきゅんとしてきたのは、わたしだけだったのでしょうか・・・。

 こんな言葉で、終わっているのです。

・-・-・-・-・

・・・私たちはいつもパリに帰った。パリは常にそれに値する街だったし、こちらが何をそこにもたらそうとも、必ずその見返りを与えてくれた。が、ともかくもこれが、その昔、私たちがごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である。

・-・-・-・-・ 引用 300p


 上の文にも書かれているように、わたしたちというのは、ヘミングウェイと、最初の妻のハドリーのことで、この本は彼のハドリーに対するオマージュとして書かれたのだと、思ったのでした・・。







 

2025年1月5日日曜日

雪の降った翌日の散歩・・。同じ穴の狢(むじな)とは・・・


  新年になりました。今年の冬は例年よりも寒さが厳しく感じられます。雪の降る量は少ないのですが、年末や年始にかけ、一日おきぐらいに降っています。公園のいつもの散歩道は、こんな感じになっていました。




 雪道を散歩していると、いろいろな小動物や野鳥の足跡に出会うのですが、いちばんわかりやすいのは、ウサギです。前足を2つついてから、後ろ足をそろえたこんな足跡です。でも、ウサギは冬に雪の上の足跡は見るのですが、姿はほとんど見たことがありません。


              ウサギの足跡

  昨年の秋には、この林でアナグマ3頭を見たのですが、冬は冬眠中なのかまったく見かけません。多分家族だと思うのですが、3頭が連れ立ってしきりに地面に落ちているものを食べていました。雑食性ということなので、ドングリだったのではと思います。昨年の9月に写したアナグマの写真です。カメラをむけても警戒心がまるでなく、かなり近くで写せました。


             ニホンアナグマ

 そういえば、同じ時期にタヌキも2頭見たのですが、調べてみるとタヌキもアナグマと同じ巣穴を使うことがあるということです。アナグマはニホンアナグマといい、日本固有の在来種で絶滅危惧種とのこと。

 昔はタヌキもアナグマもいっしょに、貉(むじな)と言われていたようで、「同じ穴の狢」というのは、タヌキもアナグマも同じ巣穴を使うことからそういわれたとか・・・。おもしろい発見でした!

 そんなことを考えながらのきょうの雪道の散歩は、楽しかったです・・・。





2024年12月25日水曜日

読書・「ヘルマン・ヘッセ 人は成熟するにつれて若くなる」Ⅴ・ミヒェルス篇 岡田朝雄訳 草思社

 

 

 きょうは、寒い一日でした。寒いこんな日には、いつも決めている散歩コースを、ショートカットしての散歩でした。散歩の途中で見つけたガマズミの実です。冬の日差しの中で、もう葉もすっかり落ち、こんな感じになっていたのですが、まだ、最後の輝きを見せてくれていました・・。




 本箱にあった「ヘルマン・ヘッセ 人は成熟するにつれて若くなる」を、読みなおしてみました。この本はずっと以前に、古本屋さんで購入したもので、以前にも読んでいるのですが、内容はすっかり忘れていた本でした。

 老年と死をテーマとしたヘルマン・ヘッセのエッセイと詩を、ドイツのヘッセ研究者が集めて、本にしたものですが、彼の写真家の息子が写したモノクロの写真も、いっぱい載せられています。

 ヘッセは1946年にノーベル文学賞を受賞していますが、彼の本は、「車輪の下」と「シッダールタ」などを読んだのみで、晩年にこのようなエッセイと詩を書いていたというのは、知りませんでした。



 この本の中では、「秋の体験」という若いころの友人がたずねてくるエッセイが好きです。

 彼の名前はオットーといい、ヘッセの少年時代からの友人で、弁護士や市長なども務めた温厚な人柄でもあり、久しぶりにヘッセを訪ねて二人でしあわせな時間を過ごされたとのこと・・。

 友人は、帰宅後すぐに75歳で亡くなられていますので、お二人にとって人生での貴重な時間であったと、思います。  

 少年時代にお二人は、同じ神学校の生徒として過ごされ、そのころのことは、「車輪の下」に書かれているとのことでした。




 「人は成熟するにつれて若くなる」には、いくつか詩も載せられているのですが、その中ではこの詩「老いてゆく中で」がいちばん好きです。最初の4行を引用してみます。

・-・-・-・-・

老いてゆく中で

            ヘルマン・ヘッセ

若さを保つことや善をなすことはやさしい

すべての卑劣なことから遠ざかっていることも

だが心臓の鼓動が衰えてもなお微笑むこと

それは学ばれなくてははならない


・-・-・-・-・ 引用56p


 「微笑むこと」を、ヘッセは老いてもなお人生では学ばなくてはならない大事なことといっていますが、わたしも本当にそう思います。

 わたしは、ふと宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出したのですが、賢治は、「雨ニモマケズ」の中で、たしか、こんなことを言っていました。

 「イツモシズカニワラッテイル」「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と・・・。

 「微笑むこと」と「イツモシズカニワラッテイル」は、どちらも人生の穏やかな究極の境地を示しているように感じたのでした・・。

 



2024年12月13日金曜日

読書・「雲」山村暮鳥  暮鳥のりんご・・・。 

 

 12月に入り、数日暖かい日が続いていたのですが、きょうは青い空から雪がはらはらと舞う寒い一日でした。この時期になると、ノササゲの濃紺のすてきな果実を見つけるのを、いつも楽しみにしているのですが、今年も出会うことができました。さやがほんのりうすいぴんく色に染まり、すてきでした・・。      



 

 山村暮鳥の「雲」という詩集の中に、「りんご」という詩があります。りんごは、大好きな果物でもあるので、好きな詩です。

・-・-・-・-・

りんご

             山村暮鳥

両手をどんなに

大きく大きく

ひろげても

かかへきれないこの気持ち

林檎が一つ

日あたりにころがってゐる

・-・-・-・-・           引用76p




 日あたりにころがっているりんごを見たときの気持ちを歌っているのですが、読むたびについ深読みしてしまう不思議な詩です。

 暮鳥は、詩集の中でこの詩に続きりんごが出てくる詩を、いくつか書いているのですが、わたしは「おなじく」というこの詩も好きです。

・-・-・-・-・

「おなじく」

                  山村暮鳥

林檎はどこにおかれても

うれしそうにまっ赤で

ころころと

ころがされても

怒りもせず

うれしさに

いよいよ

まっ赤に光りだす

それがさびしい

・-・-・-・-・         引用78p~79p




 このような暮鳥の詩を読んでいると、りんごに感情移入してしまっている感性豊かな詩人の姿が浮かび上がってくるのですが、同時に彼の人生や生活のことまで考えてしまうのは、わたしだけでしょうか・・。

 暮鳥は、この詩集「雲」の序にこんなことを書いています。

・-・-・-・-・

詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。

だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。

・-・-・-・-・              引用5p


 暮鳥は、このようにいうことで、詩人として生きることのマニフェストを宣言したかったのかなと思えてきます。

 芸術のない生活はたえられず、生活のない芸術もたえられないとも言っていますので、彼にとって詩を書くことは、生きることでもあり、人生のすべてだったのかもしれません・・。




2024年11月30日土曜日

読書・「空の青さをみつめていると」谷川俊太郎・角川文庫


 今年の秋は庭の栗が、豊作でした。拾い集めておきましたら、翌日の朝には、小動物が食べたのでしょうか、食べかすが残っているだけでした。いまはもう11月も下旬、栗の季節は終わり、枯れ葉の季節になってしまいました。



  

 11月13日に詩人の谷川俊太郎さんが、92歳で旅立たれました。わたしが谷川さんの詩集を最初に手にしたのは、文庫本の「空の青さをみつめていると」でした。

 「空の青さをみつめていると」というタイトルに惹かれたからです。

 谷川さんは、「詩は、理由がなく胸がいっぱいになることがある。」と言われているのを、先日、TVの追悼番組の映像で見たのですが、わたしも同感でした。わたしの場合は、胸がきゅんとしてくるという表現がぴったりなのですが・・。

 また、谷川さんは「詩とは、キャッチコピーかもしれない。」とも言われていて、この言葉にも100%共感でした。



 以前にもこのブログで、谷川俊太郎さんの詩・六十二のソネットの中の「空の青さをみつめていると」ではじまる41を紹介させていただいているのですが、これは彼の詩の中で一番好きな詩です。

・-・-・-・-・

    41

空の青さをみつめていると

私に帰るところがあるような気がする

だが雲を通ってきた明るさは

もはや空へは帰ってゆかない


陽は絶えず豪華に捨てている

夜になっても私達は拾うのに忙しい

人はすべていやしい生まれなので

樹のように豊かに休むことがない


窓があふれたものを切りとっている

私は宇宙以外の部屋を欲しない

そのため私は人と不和になる


在(あ)ることは空間や時間を傷つけることだ

そして痛みがむしろ私を責める

私が去ると私の健康が戻ってくるだろう

・-・-・-・-・        引用66p~67p

  


 また、わたしが谷川さんの詩で、好きなところは、平易な言葉で書かれていて、ご自分の考えをおしつけないところです。

 たとえば「はる」というタイトルのこのような詩。

・-・-・-・-・

「はる」

                   谷川俊太郎

はなをこえて

しろいくもが

くもをこえて

ふかいそらが


はなをこえ

くもをこえ

そらをこえ

わたしはいつまでものぼってゆける


はるのひととき

わたしはかみさまと

しずかなはなしをした

・-・-・-・-・      引用26p



                                       初雪 11月30日


 読んでいると、こころが穏やかになってくるような気がしてきます・・。
 

 「空の青さをみつめていると 私に帰るところがありそうな気がしてくる・・・・」

   これからも青い空を見ると、いつもこのフレーズが浮かんできそうです・・。










2024年11月22日金曜日

読書・「あらし」シェイクスピア作 大場建治訳 シェイクスピア・コレクション研究社

 

 今年の秋は、ウリハダカエデの紅葉がすてきでした。みどりの葉から次第に黄色になり、赤やむらさきにまで、さまざまで微妙な色合いに染まっていくのを見ると、いつも自然のすばらしさを感じてしまいます。 



 先日、ギッシングの書いた「ヘンリ・ライクロフトの私記」を、再読していましたら、シェイクスピアの「あらし」のことが出ていました。

 主人公はシェイクスピアの作品の中で「あらし」ほど好きなものはなく、シェイクスピアを母国語で読めることがイギリスに生まれたことを感謝する理由のひとつにもなっている。そして、シェイクスピアとイギリスは、ただひとつのものにほかならないとまで、いっているのですが、これは作者のギッシングの本音なのだろうなあと、想像できました。

 ギッシングがこれほどまでに心酔しているシェイクスピアですが、私の場合「ロミオとジュリエット」など5,6冊読んだだけで、「あらし」はまだ未読でしたので、今回は研究社のシェイクスピア・コレクションの大場建治訳で読んでみたのでした。



 「あらし」は、シェイクスピアの最後の作品と言われており、この後、シェイクスピアは、ロンドンを引き払って故郷のストラットフォード・アポン・エイボンに帰ったとのこと。ストラットフォード・アポン・エイボンは、わたしにとっても二度訪ねたことがある懐かしい街です。シェクスピアの生家や、近所にある妻の実家も訪ねたことがあり、チューダー様式の木でできたがっしりとした建物には、独特のガラスの窓がはめ込まれていて、室内はチューダー様式の家具とともにきれいに保存されていたのを、思い出します。

  翻訳者の大場さんによれば、シェイクスピアの劇は、詩劇であるといわれており、セリフの大部分が詩になっているのだとか・・。

 ギッシングも「ヘンリ・ライクロフトの私記」の中で、「あらし」はシェイクスピアの劇作品の中でも「最も気高い瞑想的な言葉や、最後に到達した人生観、哲学の教訓の言葉、優雅な抒情詩、優艶な愛の言葉」は、彼の詩人としてのすばらしさを表していると、絶賛していました。



 「あらし」を読んでみてわたしは、シェイクスピアが登場人物のひとりキャリバンに言わせているこの三行のセリフにとても惹かれましたので、引用してみます。

・-・-・-・-・  

夢ん中で雲がぽっかと二つに割れて宝物が

落ちてきそうになって、だから目が覚めてから、

夢の続きが見たいって泣いたんだ。

・-・-・-・-・           引用 109p

 何度読んでみても、名セリフだと、感動します。

 翻訳者の大場さんも、この三行を訳しながら、涙をながされたとか・・。このセリフはやはり、あのキャリバンがいっているので、特に心にしみるのだと思います。

 やはりシェイクスピアは、ギッシングがいっていたように、偉大な詩人だったのだと再認識した読書でした。



 

 

  



2024年10月29日火曜日

読書・「子規の宇宙」長谷川櫂著・角川選書

 

  散歩道のあちこちで、ガマズミの真っ赤な実を見かけるようになりました。この実が色付くと、もうすっかり秋になったといつも感じます。



 俳人の長谷川櫂さんが、書かれた「子規の宇宙」を、読みました。この本は、丸谷才一さんの「別れの挨拶」という本の中の書評に、「よみごたへがあって、じつにいい気持ち」と、書かれていたので、読んでみたのでした。

 正岡子規に関する本は、ドナルド・キーンさんの「正岡子規」をはじめ、数冊読んでいるのですが、この本は、俳人としての長谷川櫂さんらしいユニークな視点で子規をとらえて書かれていると思いました。 




 特に、子規が24歳のころから、十二万句という膨大な数の「俳句分類」をはじめたことにふれ、そのことが子規の俳句を見る目を養い、俳句革新へと進んでいったという著者のお考えには納得でした。伝統を学ぶことから、革新が生まれるのですよね・・。

 巻末に子規の俳句を、286句、長谷川櫂さんが選んで載せてくださっているのも、丸谷才一さんが言われていたように、読みごたえがありました。




 その中で、わたしが特に好きな子規の句は、

                 「六月を奇麗な風の吹くことよ」  正岡子規

                「いくたびも雪の深さを尋ねけり」  正岡子規

 そして、自虐的なユーモアさえ感じられる

                「人問ハヾマダ生キテ居ル秋の風」  正岡子規

絶筆の

                「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」   正岡子規

などでした・・・・。


 子規は、29歳のときにカリエス(結核)になり、35歳で亡くなっているのですが、身動きのできないような寝たきりの身でありながら、「人問ハヾマダ生キテ居ル秋の風」や、「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」 のように自分を客観的にユーモアもまじえて詠うことのできた子規は、やはり魅力的な芸術家だったのだと、改めて感じたのでした・・。