立春は、2月4日でした。今年の冬は長い間、寒気が居座り、寒い冬になっていますが、立春の日は、風もなく、気持ちの良い冬晴れの一日でした。
公園や道路のわきには、まだ、雪が残っているのですが、フキノトウが出ているのを見つけました。さみどり色の春の使者です・・。
プルーストの「失われた時を求めて」を、井上究一郎訳全巻から始まり、鈴木道彦訳全巻、吉川一義訳全巻、高遠弘美訳6冊までと、30年近くかけて楽しんで読んでいるプルーストファンです。
立春は、2月4日でした。今年の冬は長い間、寒気が居座り、寒い冬になっていますが、立春の日は、風もなく、気持ちの良い冬晴れの一日でした。
公園や道路のわきには、まだ、雪が残っているのですが、フキノトウが出ているのを見つけました。さみどり色の春の使者です・・。
ドライフラワーになってしまったヤマユリの実に、こんもりと雪が積もっています。わたしにとっては、いつも見慣れている冬の風物詩ですが、もう少し気温が高くなれば、融けてしまいそうです。
ヤマユリの実のドライフラワーは、空に向かって口を広げ、冬の寒さにもめげず、凛として立っている姿には、いつも元気をもらっています!
「ムッシュー・プルースト」を、読みました。この本は、以前から読みたいと思っていたのですが、古本で見つけて購入したものです。
1922年11月18日にプルーストが亡くなるまでの8年間、昼夜を逆にして献身的に尽くした家政婦兼秘書、そして、後には大事な話し相手にまでなったセレスト・アルバレ。
そのセレスト・アルバレが、プルーストの没後50年に沈黙を破り、「ムッシュー・プルースト」のことを、聞き書きとして残してくれたのが、この本ですが、とてもおもしろく3日で読んでしまいました。
彼女がプルーストに初めて会ったのは、1913年、プルーストの運転手だったオディロン・アルバレと結婚して田舎からパリに出てきたばかりの頃、プルーストの家の台所だったとのことです。
その時のセレストのプルーストの印象は、
「偉大な殿様」
だったとのことで、彼女にとっては、忘れられないほどの強烈な印象だったようです。
(この本の翻訳者の三輪秀彦さんは、「偉大な殿様」と、訳されていますが、わたしの想像では、原文は「grand monsieur」?かなと思ったのですが・・。)
プルーストも、セレストの人間性を見抜いて気に入っていたのではと、思います。
その後、第一次世界大戦がはじまって、セレストの夫のオディロンが戦争に行ったこともあり、家政婦として、住み込むことになったとのこと・・。
セレストは、昼夜を逆にして、小説を書く病人プルーストの世話を献身的にするようになったのですが、それはプルーストのやさしい人柄と知性、そして彼が自身の命を削ってまで小説を書く芸術家としての真摯な姿に深く共感し、「尊敬」していたからなのだと納得したのでした。
プルーストもそのようなセレストにいつも感謝しており、次第に二人での深夜の会話を楽しむまでになったことなどからも、この二人の間には深い絆があったのだということがよく理解できました。
また、あたらしい発見として、プルーストは、社交界に出入りしていた若いころ、上着の襟元にはいつも「椿の花」を飾っていたそうですが、それは喘息の病があった彼が、匂いのない花を選んだからということ。
それから「失われた時を求めて」に出てくる「パリの街の物売りの声」は、プルーストがオデュロンにパリの街の中にでかけて、声を聞いて採集してくるようにといって、その声を本の中に取り入れたということなどは、興味深く読みました。
プルーストが、セレストとの会話を楽しむようになったときには、彼自身の初恋の話や家族の話もあったとのこと。そして、その話に対するセレストからの素朴で率直な反応は、プルーストの作品の中にもいかされていたようです。
この本は、8年間もプルーストの身近で献身的に支えたセレストが、彼の魅力的な人間像をわたしたちに残してくれた稀有な本だと思いました・・。
1月20日は、大寒でした。今年の冬は例年になく寒波が続いていて、寒い冬になっています。きょうは久しぶりの冬ばれの朝で、青空が目にしみるようでした。
庭のうさぎの置物もまだまだ雪の帽子をかぶったままです。公園に行ってみると、ウサギの足跡があちこちにあり、エサをさがしているようでした。
エドマンド・ホワイトの書いたプルーストの評伝「マルセル・プルースト」を、読みました。この本は、池袋のジュンク堂で購入した記憶があるのですが、岩波書店の「ペンギン評伝双書」で2002年に第一刷発行と、書いてありますので、20年前ぐらいから本箱にあったもので再読です。
エドマンド・ホワイトは、アメリカで著名なゲイの作家と、紹介されていますが、いままでに読んだプルースト研究者の本とはとても違っていて、小説家の視点で非常におもしろく書かれていて数日で一気に読んでしまいました。
エドマンド・ホワイトは、自身のゲイとしての苦悩なさった人生経験からだと思うのですが、ゲイとしてのプルーストを見る視線がとてもやさしく人間愛に満ちていて、しかも彼の小説家としての見識や彼自身の知性の深さも感じられる評伝になっていると思いました。
・-・-・
プルーストのどのページを開いても、精神の働きが転写されているーーーそれは、特異な語彙と個人の枠組に限定された偏見を備えた登場人物であるモリー・ブルームやスティーブン・ディーダラスのものである意識の乱雑な流れとは異なり、一つの精神、一つの声によってすみずみまで調整されて、つねに統制のとれている内省なのである。至高なる知性がそこにはある。
・-・-・
引用 164~165p
エドマンド・ホワイトの見識がうかがえる箇所だと思いますが、20世紀文学のプルーストと並んで、双璧といわれているジェイムズ・ジョイスをこのように比べて論じているのは、わたしのようなプルーストファンとしては、うれしくなってしまうような見解でした・・。
(ジェイムズ・ジョイスのユリシーズは、長年、積読本だったのですが、ようやく昨年読み終えたばかりでしたので、エドマンド・ホワイトの考えに共感したのでした。)
プルーストの「失われた時を求めて」を、エドマンド・ホワイトが自身のゲイとしての立場から、プルーストのゲイとしての核心にふれているこの本は、とても読みやすく、プルーストの初心者にも読み返しているファンにとっても、おもしろい評伝になっていると思いました・・。
凝った表紙の本で、上表紙が丸く切り取られていて、本体の
プルーストの写真の顔が見えるようになっています。
雑木林を散歩していると、落ち葉の中に、あざやかな若草色の「ウスタビガのまゆ」を、見つけました。最近はめったに見つけることができないので、超ラッキー!!と、うれしくなってしまいました。
それにしても、若草色は、春の贈り物のようで、イヤリングにしてもかわいいかもしれません。
プルーストの評論選を前回の文学篇に続き、芸術篇を読みました。この本も、ずっと本箱にある本で、久しぶりの再読でした。
本の帯には、「「卓越した美術批評家でもあったプルースト。渾身の雄篇「ジョン・ラスキン」「読書について」、絵画論などを収める。」」と、書いてあるように、読み応えのあるプルーストの評論本です。
特に「読書について」は、プルーストが翻訳したラスキンの「胡麻と百合」の翻訳本の序文ということもあり、おもしろく読みました。プルーストは、ラスキンのというよりも、ほとんど自分の読書論を書いているのですが、出だしの文などは、まるで「失われた時を求めて」を、読んでいるのかなと思ってしまうほどで、こんなはじまりなのです。
・-・-・
もしかしたら、私たちの少年時代の日々のなかで、生きずに過ごしてしまったと思い込んでいた日々、好きな本を読みながら過ごした日々ほど十全に生きた日はないのかもしれない。
・-・-・引用「読書について」78p
・-・-・
そしてパンジーは、あまりにも美しく色とりどりな空、時おり村の家々の屋根のあいだに見える教会のステンドグラスを映したかのような空、夕立のまえ、あるいはあと、あまりにも遅く、一日が終わろうとしている時になってあらわれる淋しい空から摘み取られたかのようだった。・・・
・-・-・ 引用「読書について」79p~80p
視覚に訴えてくるすてきな文ですが、このようなプルーストらしい文を読むと、彼の細部にこだわる感性の表現は、このころからすでに確立されてきたのかと思えました。
プルーストの文学の美学は、ラスキンを翻訳したことから影響を受け、それがプルースト自身の文学論の確立をへて、最後には「失われた時を求めて」に、いきついたのだと確信したのでした・・。
「読書について」の最後の文は、ヴェネツィアのピアツェッタに立つ二本の花崗岩の円柱、一本は灰色、一本は薔薇色についてですが、プルーストは
・-・-・
「夢のような印象を感じる」
・-・-・
と表現し、それについてのすてきな長い文を書き、最後に
・-・-・
「その過去はじっと動かずに日を浴びている。」
・-・-・
でこの「読書について」の序文は、終わっています・・。
わたしは、ヴェネツィアにも行っているのですが、そのときにはまだ、この文を知らず、とても残念に思うのですが、ギリシャのアテネやコリントの遺跡で見た、円柱を思い出すと、このプルーストの文が、あまりにもぴったりとわたしの感性に訴えてきて、胸がきゅんとしてきてしまうのでした・・・。
散歩道では、サルトリイバラや、ノイバラの赤い実は、もうすっかり姿を消してしまい、もういまでは、こんなヘクソカズラの飴色の実だけが、残っています。
見慣れているヘクソカズラの実ですが、よく見ると、色もシックで茎の造形もすてきなことに気づきました・・。
2026年1月1日の初日の出です。
日の出を見ると、いつも思い出すことがあります。だいぶ前の話ですが、アメリカに住んでいたメル友が帰国なさった折に、うちにも訪ねてきてくださったことがありました。
みんなでワインを飲んで話がはずんで徹夜をしたのですが、朝方にパバロッティのオペラのアリアを聴きながら、日の出を見たのでした。
その時以来、パバロッティのはりのあるすばらしい声量で歌い上げるアリアは、日の出の風景といっしょに、忘れられない思い出になっています。
もういまでは、徹夜もしなくなりましたが、お正月になるとなぜかいつも、その時のことが思い出されて、パバロッティのアリア集を、聴いてしまうようになったのでした・・。
それと、もうひとつ新年になると思い出すのは、プルーストの「失われた時を求めて」の中で、スワンが主人公の家に、新年になるとマロングラッセを「てみやげ」としてもってくるという場面です。
マロングラッセは、わたしの大好物でしたので、そのせいかもしれませんが、その場面は、「新年のスワンのマロングラッセ」として、印象に残っているのです。
高遠弘美さんの訳を引用させていただきます。
・-・-・-・
スワンの気まぐれは他の人達にも興味深いだろうと考えていた大叔母は、パリにいるとき、スワンが元日にはいつもそうするようにマロングラッセを一袋持ってきたりすると、・・・・」
・-・-・-・ 引用「失われた時を求めて①第一篇「スワン家のほうへⅠ」55p
「失われた時を求めて」は、そういう細部の風俗や習慣なども楽しむことができ、わたしのような読者にとっては、うれしいことです・・・。
(これは、太陽がのぼる直前に写した写真ですが、朝焼け雲が、
ピンクの中にオレンジがかった黄色が入り、クロード・モネという名前の
薔薇の花のようでした・・・。)
毎年この季節に見かけるノササゲの実です。
濃紺の色がシックですが、
ほかの実は、もう干しブドウのようになってしまいました・・。
この本には、マルセル・プルーストが、16歳の頃から、母との永遠の別れの時の34歳まで、二人の間で交わした手紙149通が載っています。
最初の手紙の冒頭には「ぼくのすてきなお母さま」二通目は、「ぼくの大好きなお母さまへ」
そして、母からプルーストへは、「可哀そうな狼さん」「坊や」「わたしのかわいい坊や」などから、「わが子へ」と次第にかわっています。
これらのお互いへの呼びかけの言葉からも、ふたりのあいだでの愛情の深さは感じられるのですが、深いからこそプルーストが、精神的、経済的にも自立できていなかったことや、ぜんそくなどの虚弱体質のことなどに関する母の心配は、とても大きかったのではと思います。
そして、プルーストは、母の亡きあとにこのことに気づき、自分がどれだけ母に心配をかけていたかを、痛切に反省し涙したのではと想像しました。事実、プルーストはしばらくの間は立ち直れなかったほどだったということでした。
母は愛情深く、教養もある女性で、プルーストにとっては、まさに何でも話せる「ぼくのすてきで、大好きなお母さま」だったことは、この書簡集から読み取れました。
ところで、プルーストの「失われた時を求めて」の4人の翻訳者の方々はそれぞれ、本の中での母親や祖母の呼び方を、
井上究一郎さんは、「ママ」 「お祖母さま」
鈴木道彦さんは、「ママン」 「お祖母(ばあ)ちゃま」
吉川一義さんは「お母さん」 「おばあちゃま」
高遠弘美さんは「お母さん」 「お祖母さま」
と訳していらっしゃいますので、それぞれ引用してみます。
(主人公がまだ子供だったころ、大好きな母親が来客のためにお休みのキスをしに来れなくなったことで、がっかりして感情が高ぶっていたところ、父の特別な口添えもあり、母親が自分のベットに来てくれることになった場面です。)
引用
・-・-・-・-・-・
井上究一郎さんの訳
「あら、私の小さなおたからさん、私のかわいいカナリヤさん、もうすこしでこのママもいっしょにおばかさんになるところね。さあさあ、あなたもねむくはないし、ママもねむくはないのだから、いらいらしていないで、何かしましょう、あなたのご本を一冊とりましょうね。」
「失われた時を求めて」Ⅰ第一篇 スワン家のほうへ ちくま文庫 65p
・-・-・
鈴木道彦さんの訳
「まあまあ、この可愛いおいたさんたら、もうちょっとで、ママンまで、お前と同(おんな)じおばかさんになるとこね。さあ、お前もママンも眠くないんだから、いらいらするのはやめて、なんかしましょうよ。なにかご本を読んだらどうお?」
「失われた時を求めて」Ⅰ第一篇スワン家のほうへ 集英社文庫 97p
・-・-・
吉川一義さんの訳
「あらあら、こんなことをしていると、かわいいお馬鹿さんになっちゃいそう。さあ、あなたは眠くないんだし、お母さんも眠くないんだから、いらいらしないで、なにかしましょう。ご本でも読みましょう。」
「失われた時を求めて」1 スワン家のほうへⅠ 96p
・-・-・
高遠弘美さんの訳
「わたしのかわいい金貨(ジョネ)さん、ちょっぴりおばかなカナリヤ(スラン)さん、こんなふうだとお母さんまであなたみたいにばかになっちゃうわ。ねえ、お母さんもそうだけど、あなたも眠くないんだったら、気を落ち着けなきゃだめね。何かしましょう。あなたの本を読む?」
「失われた時を求めて」①第一篇「スワン家のほうへⅠ」 103p
・-・-・
翻訳者の方々はそれぞれのお考えで、熟考なさった結果だと思うのですが、わたしは鈴木道彦さんの「ママン」という翻訳が、好きです。
プルーストの場合、父は高名な医師、母は裕福で教養のある女性ということで、恵まれていたブルジョア階級という家庭環境でしたので、世紀末という時代背景も入れて考慮しますと、わたしは手紙でも権寧さんが訳されているように、母親のことは尊敬と親しみを込めて「お母さま」と呼ぶのも自然かなと思ったのですが・・。
失礼させていただき、井上究一郎さんの翻訳の「ママ」を、「お母さま」に置き換えてみますと、こんな感じになりました。
・-・-・
「あら、私の小さなおたからさん、私のかわいいカナリヤさん、もうすこしでお母さまもいっしょにおばかさんになるところね。さあさあ、あなたもねむくはないし、お母さまもねむくはないのだから、いらいらしていないで、何かしましょう、あなたのご本を一冊とりましょうね。」
フランス語では、母は「mère」と「maman」のふたつですが、それにしても日本語での母の呼び方は、多様性にあふれていて驚きます。
この本「プルースト・母との書簡」の場合、権寧さんが訳された「お母さま」は、ぴったりで、手紙から感じられるプルーストの母への愛情と尊敬が、より深く感じられたのでした。