もう8月も終わろうとしています。庭では背の高いシラヤマギクが、風に揺れて涼し気に咲いています。夏の終わりに咲くシラヤマギクは、秋の風情を感じる好きな花です・・。
今年の夏は、昨年よりもだいぶしのぎやすいと感じていたのですが、数日前には暑い真夏日が続き、きょうはまた雨で、涼しい一日になっています。先日、天気予報の方が、7月下旬に一度だけ、オホーツク海から吹いてくる冷たい風の山背(やませ)が吹いたと言われていました。
久しぶりに山背という言葉を聞いたのですが、あの宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の中の「サムサノナツハオロオロアルキ」を、すぐに思い出してしまいました。賢治のころの東北地方は、冷夏というのは、作物の不作という厳しい現実を意味したのだと思いますから・・。
宮沢賢治を再読しました。宝島社から出版されている「もう一度読みたい宮沢賢治」ですが、彼の主な作品が出ていて読みやすく気にいっている本です!
わたしは、宮沢賢治の童話も好きなのですが、特に詩が大好きで、「永訣の朝」については、このブログで、2024年1月6日に、感想を書いています。
賢治のふるさとの花巻市にある宮沢賢治記念館やイーハトーブ館を訪ねたこともあり、賢治が青春を過ごした盛岡の街はとくに好きで、2016年、2017年、2018年と、3回、訪ねています。
賢治が住んでいた岩手の空は、空気や光の加減なのか、いつもさわやかなパウダーブルーに広がっており、北国に来たのだと、しみじみと空を見上げてしまったのを思い出します。
賢治の童話は、「よだかの星」が、いちばん好きですが、哀しすぎる話なので、今回は、「どんぐりと山猫」という童話について書いてみます。
主人公は、かねた一郎という少年です。土曜日の夕方に、山ねこから、おかしな招待状が届き、翌日、一郎はでかけるのですが、そこで待っていたのは、黄色な陣羽織のようなものを着た山猫でした。山猫は、三百ものどんぐりたちのあらそいに困っており、一郎の考えを聞きたいというのです。そのどんぐりたちのあらそいというのは、誰がいちばんえらいのかということでした。
それぞれ「頭のとがっているのがえらい」「まるいのがえらい」「大きいのがえらい」というのです。
このあらそいをどうしたらよいかと考えを聞かれた一郎は、こんなふうに答えるのでした。
「いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらい。」
一郎のこの答えをを山猫がどんぐりに話すと、どんぐりは、しんとしてかたまってしまったのでした・・。
一郎は山猫からお礼にと、黄金のどんぐりを一升もらって帰るのですが、家にもどってみると、黄金のどんぐりは、ただのどんぐりにかわっていたというお話です。
この童話に出てくる山猫は、「黄色な陣羽織」のようなものを着ており、一郎が途中であった白いきのこは、「どってこどってこと変な楽隊をやっていて」、「どんぐりは赤いずぼんをはいており」、馬車別当は、せいのひくいおかしな形の男で「皮のむちをひゅうぱちっ、ひゅうぱちっとならす」というのです。
この童話に出てくる山猫やきのこ、どんぐりや馬車別当のキャラクターも特異なのですが、手紙の文言や、しぐさ、方言の言葉や擬音にまで、ユーモアにあふれておもしろく、まさに賢治ワールドを作っているといつも思います。
賢治の宗教観からくる人生哲学からは、少しユーモアもある真摯な賢治の人柄が、しのばれて、わたしにとっては、詩人としても童話作家としても稀有な特別な存在なのです。
そして、宮沢賢治のふるさとの花巻や盛岡には、いつもなつかしい、こころのふるさとのような旅情を感じるのです・・。