雨の日が多いこの季節になりますと、コアジサイのさわやかな香りが漂ってくるようになりました。 コアジサイに香りがあるのを知ったのは数年前ですが、梅雨の季節のうれしい発見でした。 花の色も薄水色でさわやか・・。 まるで、サイダーの泡がプチプチと、はじけたようで見ていると気分も明るくなりそうです・・。
アラン・ド・ボトンさんが書かれた「プルーストによる人生改善法」を、再読しました。 最初に読んだのは、2018年の1月29日で、このブログにも感想をアップしています。
今回、おもしろいと思ったのは、第六章の「よき友になる方法」で、その中の「プルーストする」という動詞についての著者の考察がユニークなのでした。
著者によれば、「プルーストする」とは、プルーストの友人たちが、仲間内で創造した言葉とのことで、プルーストは良き友人を得るために、相手に高価なプレゼントや、お世辞の誉め言葉を浴びせていたことを、ひやかして言っていたようです。
その典型的な例として、ロール・エイマンという有名な高級娼婦、そしてもうひとりは、詩人で小説家のアンナ・ド・ノアイユをあげているのですが、もちろん彼女たちは「プルーストにプルーストされ」、プルーストの友人になったのでした。
わたしは、このプルーストするという行為の裏には、彼女たちとの交流を通じてあたたかさや愛情、そして親切や誠実という人間としての「ぬくもり」が欲しかったというプルーストの切実な気持ちがよく表れているように思ったのですが・・。
アランさんは、この行為を分析し、プルーストはあまりにも「プルーストした人生」を生きたので、その解毒剤として、「失われた時を求めて」を、書いたのではとの結論で、パロディとしてしめくくっていることに、クスリとしたのでした。
そもそも、「失われた時を求めて」のような小説を書くプルーストが、人間観察や心理分析に長けていたのは自明て、「友情をあざ笑う人々は・・・・世界で一番立派な友人になりうる」。 と、言ったとか。
わたしは、ラ・ロシュフコーの書いた「箴言集」を、思い出してしまったのですが、フランス文学とは、このようなものだという白眉のような「失われた時を求めて」は、アランさんのような現代の哲学者にとっても、料理するのには、おもしろい素材がいっぱいある作品なのだと実感した読書でした・・。