2023年2月23日木曜日

2023年の雛飾り・・・

 

   もうすぐ3月です。まだまだ寒い日もあるのですが、散歩道の斜面に残っている雪の中に、フキノトウが顔を覗かせているのを見つけました。この季節のフキノトウは、春を告げているようで愛しくなります。   

  

 

 先日近くのホテルでつるし雛が飾られているのを見て、我が家でも早速飾ってみました。

 いつものように日本人形とわたしの手作りのつるし雛、うさぎの内裏雛などですが、重箱の中には、ほおづきのお手玉や、大きな2枚の貝の上に乗っている椿の花などが入っています。


 





 年を重ねると、雛飾りをするというこんなささやかなことがとてもうれしく思われるのですが、世界ではウクライナが戦争に巻き込まれ、先日はトルコやシリアの地震で大勢の人が亡くなられています。もちろん子供たちも・・・。

  世界中の子供たちが、安心して幸せに暮らしていける世の中になりますようにと願いながら雛飾りをしました・・。


 


2023年2月20日月曜日

読書・「ゲーテさん こんばんは」池内紀著・集英社文庫

 


  冬晴れのまぶしい青空をバックに、裸木が黒いシルエットを作っているこんな光景は、いつ見ても、こころが洗われるようで大好きです。



 先日、友人から池内紀さんが書かれた「カント先生の散歩」という本をいただいて読んだのですが、「ゲーテさんこんばんは」という本もあることを知り、読んでみました。

 カントの哲学書はまったく読んだことがないのですが、ゲーテは詩集や格言集、小説などを読んでいて、馴染みがあったからです。 

 ゲーテは16歳でライプツィヒ大学に入学していますが、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、イタリア語、英語はもとより、地理、歴史、博物学にくわしく、ピアノも弾け、絵、ダンス、乗馬、そして見事な筆跡と、何でもオールマイティによくできたとのこと。それらは、幼いころからの父親の教育のたまものであったということですから、恵まれた環境で育ったようです。

 


  ゲーテが25歳のときに書いた「若きウェルテルの悩み」は、いまでも古典として残っていますが、当時のベストセラーだったとか。先日偶然に、この映画を観たばかりでしたので、タイムリーでした。

 池内さんはこの手紙だけで書かれている物語は、いまのパソコン小説といったもので、不幸な恋というものは愛し合うふたりにとっては楽しく思い出せるという点で幸せであると考察なさっているのですが、わたしも同感でした。ゲーテ自身のようなウェルテルは、ロッテとの不幸な恋の結果、物語の中では自殺するのですが、ゲーテは83歳まで生きていました。

 ゲーテは、詩や小説などから「文豪」というイメージが強いのですが、文学だけではなく「色彩の研究」とか地質学、鉱山学、植物、骨の研究など、また文芸一般、ギリシャやローマの古典に造詣が深く、スケッチなども残していてマルチな才能を持っていたようです。

 そのかたわら、ワイマール公国の行政官や宰相もして活躍し、若いころは恋愛もいろいろとあり、40過ぎてからようやく結婚し、妻の死後は、70代で10代の女性に求婚して断られたというエピソードの持ち主でもあったとのこと。

 


 池内さんは、ゲーテはこのような4行詩を人生のモットーにしていたと文庫本あとがきで紹介なさっているので、引用してみます。

・-・-・-・-・-・                

       いかなるときも

       口論は禁物

       バカと争うと

       バカをみる 


       花が咲いたら

       頭にかざせ

       木の実は食べろ

       草木は欺さない


       「バラは詩にして リンゴはかじれ!」

・-・-・-・-・-・                  引用270pより

 一見、平易でユーモアさえ感じられるのですが、ゲーテらしい含蓄のある言葉だと思いました。

 池内さんは、「ファウスト」の翻訳を3年かけてなさったそうですが、ゲーテを知るためについにこのような伝記まで書かれてしまったとのこと・・。池内さんのお人柄も感じられ、ゲーテに少し親しみを感じることができた読書でした。

 



   

  ※池内さんは「すごいトシヨリBOOK」という本の最後に、「僕は、風のようにいなくなるといいな。」と書かれていますが、2019年に風のように去っていかれたようです・・。


2023年2月4日土曜日

読書・「エーゲ 永遠回帰の海」立花隆 「写真」須田慎太郎 ちくま文庫

 

  きょうは立春です。今年は1月20日の大寒の後に来た寒波の影響で寒い日が続いていたのですが、我が家の庭はずっと雪に埋もれたままで、まだこんな感じになっています。

 


 たしか、昨年末だったと思います。立花隆さんのNHKスペシャルの番組「見えた 何が 永遠が」~立花隆最後の旅完全版~を見て彼に興味を持ち、ちくま文庫版の「エーゲ 永遠回帰の海」を読みました。

 この本は立花隆さんが、ご自分で書かれた本の中でいちばん気に入っていらした本とのことですが、わたしは、この本から彼の詩情や哲学が感じられ、彼はロマンチストだったのかもと思ったのでした・・。

 立花さんがそもそも遺跡と衝撃的な出会いをなさったのは、30歳の時イタリアのシチリア島のセリヌンテにおいてとのこと。歴史書に書かれていない圧倒的な存在として残存している神殿の遺跡に出会われたとき、知識としての歴史は、フェイクであると思われたとのことです。




 そして、そこに遺跡として残っている神殿は、4世紀にコンスタンティヌス大帝がキリスト教に改宗したあと、異教の神殿として破壊された跡で、千年単位の時間が見えてくるとも・・。

 立花さんは、このように圧倒的な時の経過を感じる遺跡をご覧になられ、ニーチェの哲学のあの永遠回帰の思想にまで思索をめぐらされています。

 「万物は永遠に回帰し、われわれ自身もそれとともに回帰する。」・・・・・・

 このニーチェの思想が、人気のない海岸にある遺跡で、黙って海を見つめていると、納得できるような「気がすることがある」と、書かれているのですが、わたしにも何となくわかるような気がしました。



 海はさらに、彼にこんなポエチックな言葉をいわせるのです。

                「見えた 何が 永遠が」

 これは、たしかにランボーの詩の言葉ですが、立花さんはその境地にまで思いをめぐらされているところにも共感できました。

   遺跡・海・哲学と詩、どれからも、彼のロマンが感じられたのは、わたしだけだったのでしょうか・・・。




 わたしも、30代のころにギリシャのコリントの遺跡で忘れられない経験をしたことがあるのを思い出します。 

 それは、コリントの遺跡の廃墟のあとの地面に、這うようにして咲いていた小さな黄色の花を見つけたときのこと。

 こんなに小さくてかれんな黄色の花が、ず~っと遠い昔からこの場所で、自分の種を守って、咲き続けているのだと思うと、愛しくて胸がきゅんとしてしまったのでした。

 その花の名前を調べてみようと、ホテルにもどってから植物の本を買ったのですが、名前を特定することはできませんでした。でもその本は、あの時の大事な思い出の本として大切にいまでも本箱にあります。

  わたしにとって、あのコリントで見た小さな黄色の花は、永遠を感じさせてくれた花でした。

 立花さんのこの本は、忘れてしまっていたコリントでのささやかな思い出をよみがえらせてくれた読書でもありました・・。