2021年3月26日金曜日

読書・「私自身のための優しい回想」フランソワーズ・サガン著・朝吹三吉訳・新潮社  (サガンが読んだプルースト・・)

 

  お月見広場と呼んでいるわたしの大好きな場所です!ひろびろとした青い空には、物語を語っているように雲が流れ、早春の陽の光りは、まだ裸のままの木々を通して、牧草地にあたたかく差し込んで影を落としており、いつまで見ていても飽きないようなすてきな光景なのでした・・。

  


 フランソワーズ・サガンが自身を語ったこの本「私自身のための優しい回想」を、久しぶりに再読しました。この本は1984年にフランスのガリマール社から、日本では2年後の1986年に新潮社から朝吹三吉訳で、出版されており、日本で出版された直後に本屋さんで見て、購入した記憶があります。

 わたしは当時この本を読んだとき、サガンがサルトルの最晩年の1年の間に、10日に一度ぐらいの割合でレストランで夕食を共にするような関係だったことや、サガンとサルトルの誕生日が同じ6月21日だったこと、そして、「頭のいい人は必ず親切なものなんだ。」というサルトルの言葉と共に、おふたりの関係が、とてもあたたかく感じられたことが、印象に残っています。



 今回は、「愛読書」という章を面白く読みました。サガンは自身の10代のころからの読書の遍歴を書いているのですが、13歳でジッドの「地上の糧」、14歳でカミュの「反抗的人間」、16歳で詩人のランボーの「イリュミナシオン」に出会い、それらの読書から大きな影響を受けたとのこと・・。

 特にランボーの「イリュミナシオン」の あの「ぼくは夏の曙を抱いた。」で始まる詩をサガンは言葉をつくして、受けた衝撃を語っています・・。この部分は、わたしもこの詩には同じように感銘を受けたことがあるので、共感を持って読んだのでした。

 そして、サガンはついに、この特別な3冊の本の後、プルーストの「失われた時を求めて」に、出会ったとのことです。

 それは夏休みで、祖母の古い家の屋根裏部屋だったとのこと。




  「失われた時を求めて」の14巻のうちの「消え去ったアルベルチーヌ」の巻で、後に彼女は多くの人が読み進むことができなかったというのを聞くにつけて、この巻に最初に出会っ
たことを、幸運に思うとのこと・・。

 サガンはプルーストのこの本から、文学の作品の材料は、人間を対象とするものである限り、無限であることなど、「プルーストからすべてを学んだ」と、言い切っています・・・。

 その後、サガンは「悲しみよこんにちは」で衝撃的なデビューをすることになるのですが、やはりプルーストが彼女の作家人生に大きな影響を与えていたのだと、再確認した読書でした。

 「サガン」というペンネームは、「失われた時を求めて」に出てくる「Princesse de Sagan」からとっているとのことです・・。





2021年3月7日日曜日

植物・今年もここにフキノトウ・・・

 

 「蕗のとうことしもここに蕗のとう」山頭火

 3月に入ってもまだまだ風が冷たいのですが、散歩していますと、フキノトウがあちこちに顔を出しているのを、見つけました。



 この「ほのかなさみどり色の春の妖精」が、枯れ葉の間から顔を出しているのを見ると、山にも本格的な春が来るのだと、いつもうれしくなります。

 フキノトウは、じつはもう1月ころから雪の中に、こんな風にかわいい蕾を出しているのですが・・。



 フキノトウとは、フキの花芽のことで、雌雄があり、フキは英語では、「Japanese Butterbur」というそうです。平安時代にもすでに食べられていたということなので、やはり早春のほろ苦い味として、人気があったのでしょうね。

 花言葉は「愛嬌」・「仲間」・「待望」の3つで、待望は春を待つということだとすぐにわかるのですが、「愛嬌」と「仲間」は、花を見るとすぐにうなずけました。こんなかわいい「愛嬌」のある「仲間」がいっぱいの花なのです。



 「蕗のとうことしもここに蕗のとう」 山頭火

山頭火もフキノトウが出る春を、きっと楽しみに待っていたのだろうと思いました。