2018年1月29日月曜日

「プルーストによる人生改善法」アラン・ド・ボトン著




 「プルーストによる人生改善法」アラン・ド・ボトン著 畔柳和代訳 白水社を読みました。




 この本の著者のアラン・ド・ボトンは、1969年スイスのチューリッヒ生まれ、イギリスのハロー校、ケンブリッジ大学などで教育を受け、現在はロンドンとワシントンで暮らしているということです。

 かなり面白かったので2日で読んでしまい、著者はどんな人なのかとPCで調べてみましたら、YouTubeで彼の講演の様子を2つ見ることができました。

 アラン・ド・ボトンの講演は、さすがハロー校やケンブリッジ大学で教育を受けたという感じで、クイーンズイングリッシュを早口で話し、知的でユーモアも感じられる内容でした。

 この本は、プルーストの人生と彼の著書の「失われた時を求めて」を題材にして、人生をどう改善していくかを、ボトン流に分析しています。

 アラン・ド・ボトンは、YouTubeの講演の内容と同じに、少し知的でユーモアやパロディに満ちた書き方で、読者を楽しませてくれるのですが、それが多分彼のオリジナリティなのかもしれません。

 私の場合、プルーストは、井上究一郎訳全巻と、鈴木道彦訳全巻、そしていま、吉川一義訳で11巻まで読んだのですが、本を読むというのはどういうことなのかを考える、楽しい寄り道のような読書でした。

 1997年にこの本は英米でベストセラーになったということです。


 





2018年1月23日火曜日

冬本番!



 今朝の那須高原は、34cmの積雪ということでした。
 我が家のベランダの積雪は、軽く40cmは越えていましたが。
 庭にある壺は、こんな感じになっていたので、びっくりでした。

 


 ヤマユリのドライフラワーは、ソフトクリームのような感じ。
     



 ヤマツツジです。


 
 わたしのいつもの散歩コースは、長靴が埋まりそうな積雪でした。
 

冬の冷気は、すがすがしく、長靴が埋まってしまうので少しの散歩でしたが、とても良い気分になることができました。


 午前中は2時間以上、午後も1時間ぐらいの雪かきをしたのですが、昼前に除雪車に来ていただいたので、助かりました。
 冬本番です!

2018年1月20日土曜日

猫の詩を二つ・・・。




  きょうの散歩のときに、出会った猫です。まだ幼いようで、冬の陽ざしを浴びて物憂げに
こちらを見ていました。


 猫の詩と言えば、萩原朔太郎の「猫」が、すぐにあたまに浮かんできます。
・-・-・-・-・-・-・-・
 「猫」
            萩原朔太郎

 まつくろけの猫が二疋、
 なやましいよるの家根のうへで、
 ぴんとたてた尻尾のさきから、
 糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
 『おわあ、こんばんは』
 『おわあ、こんばんは』
 『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』  
 『おわああ、ここの家の主人は病気です』
・-・-・-・-・-・-・-・
           引用 萩原朔太郎詩集「青猫」集英社文庫35p

 真っ黒な猫が二匹、そしてその尻尾の先には、ほそ~い三日月、シュールな世界ですが、病的なほどの感受性だなあといつも思います。




 萩原朔太郎は、室生犀星と友人だったのですが、室生犀星も猫の詩をいくつか書いていますので、引用させていただきます。

・-・-・-・-・-・-・-・
   猫のうた

 猫は時計のかはりになりますか。
 それだのに
 どこの家にも猫がゐて
 ぶらぶらあしをよごしてあそんでゐる。
 猫の性質は
 人間の性質をみることがうまくて
 やさしい人についてまはる、
 きびしい人にはつかない、
 いつもねむつてゐながら
 はんぶん眼《め》をひらいて人を見てゐる。
 どこの家にも一ぴきゐるが、
 猫は時計のかはりになりますか。
・-・-・-・-・-・-・-・
                                   引用 「動物詩集」室生犀星 



 室生犀星の家で飼われていた猫のジーノの写真を見たことがあるのですが、火鉢の縁に両手をかけて暖をとっているかわいい姿でした。室生犀星のこの詩も、とても彼らしく現実的で人間観察も彼独特のものがあり、ユーモアさえ感じられる詩だと思います。

 朔太郎と犀星、彼らの猫の詩は、二人の個性の違いがはっきりと感じられ、比較してみると、とてもおもしろく思いました。





2018年1月15日月曜日

きょうの一枚



 ここ数日、冬晴れのすばらしい天気が続いています。

 まだ、雪の残る庭の野鳥のエサ台に、毎日来ているのがこの「アトリ」です。




 憂いを帯びたようなまなざしが何とも言えませんでした・・・。













小正月の頃・・・




 きょうは、1月15日、小正月です。
 
 お昼過ぎに、ドスンという大きな音がしたので、びっくりして窓を開けてみると、南側の屋根に残っていた雪が、気温が少し上がったので、落ちたようでした。




 小正月の頃は、いつも手作りのまゆ玉を出して飾るのですが、今年は、お正月に飲んだワインの瓶に入れてみました。



 俳人の久保田万太郎さんは、まゆ玉の句をたくさん作っていらっしゃるのですが、こんな句もありました。

       繭玉や 人のこゝろの うつくしく
                           久保田万太郎



久保田万太郎さんの句は、「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」という句が一番好きなのですが、この繭玉の句も二番目に好きになりそうです。












2018年1月13日土曜日

「ヘンリ・ライクロフトの私記」ギッシング作 



 作家の北方謙三さんは、この本(ヘンリ・ライクロフトの私記・ギッシング作・平井正穂訳)のことを学生時代から何度読み返したかわからないと、インタビュー記事の中でおっしゃっていました。

 わたしは、北方さんほどではないのですが、時々読んでみる本です。
 


 主人公のヘンリ・ライクロフトは、ブックレビューなども書くような文筆家なのですが、貧乏で不遇な生活をずっとしていました。50歳のときに、幸運にも知人から終身年金を遺贈され田舎の小さな家に家政婦さんを頼んで住むことができるようになり、ようやく貧乏から解放されたのでした。

 ヘンリ・ライクロフトは、田舎の質朴な小さな家で、お金のことも心配しなくともよい生活になり、好きな読書をし、散歩をしては季節や自然を楽しむという毎日になったのです。

 彼の住んでいたのは、藁屋根のこんなコテッジだったのかもしれません。


このハンドメイドで手描きのかわいらしい家は、イギリス人の友人だったジェニファーにいただいたのですが、イギリス人は田舎でこんな家に住むのが、あこがれなのかもしれません。

 ライクロフトは、イギリス人はけち臭さを嫌い、おうように生活することを望むので貧乏を憎み軽蔑すると言っています。そしてイギリス人の美点は、おおまかな心のあたたかい金持ちのそれであるので、貴族階級はそれを実践できる代表者であり、庶民との間に結ばれてきたお互いのよしみは意義深いと、書いています。



 生活に困らない程度のお金があり、質素だけれどおいしい食事とあたたかい部屋、そして好きな読書と散歩と思索の日々、ライクロフトの晩年の生活は、作者のジョージ・ギッシングの理想の日々だったのだと思います。

 ギッシングは、この本で、春・夏・秋・冬とそれぞれの章にわけて書いているのですが、夏のところでこんな風に書いていますので引用してみます。

・-・-・-・-・-・-・-・
 日曜の朝だ。地上の美しいあらゆるものの上に、この夏になって、まだかってないほどのすがすがしい、柔らかい空が輝いている。窓は開け放たれ、庭の木の葉や花の上に太陽の光が輝いているのが見える。わたしのためにうたってくれている鳥の声もいつものように聞こえる。時折、軒端に巣をつくっている岩ツバメがさえずりもせずにすっと飛んでいく。教会の鐘はもう鳴りはじめた。遠近で鳴る鐘の音色を私はすっかり覚えている。
・-・-・-・-・-・-・-・
「ヘンリ・ライクロフトの私記」ギッシング作・平井正穂訳・ワイド版岩波文庫 
                                 引用89p

 ヘンリ・ライクロフトが過ごしている平和で自然が美しい、イギリスの夏の田舎での生活が、目に浮かぶようです。

 この本が出版されたのは、1903年でその後、数か月で著者のジョージ・ギッシングは南フランスで亡くなっています。ギッシングは異国で、イギリスの田舎の景色を、夢見ながら天国に行ったのだろうなあと思います。

 翻訳者の平井正穂さんは、この本のことを解説で「貴重な人生記録の「小さな傑作」としてイギリス文学史上に残ることは明らかである」と書かれていますが、これからも愛されていく本だと思います。














2018年1月9日火曜日

きょうの散歩




 きょうは、久し振りに10度というあたたかい天気になりました。でも、いつもの散歩道には、まだまだ雪が残っていました。



 このような雪景色を見ていると、先日見たアカデミー賞をとった映画「レヴェナント」を思い出しました。この映画は西部開拓時代に過酷なサバイバルの旅をした罠猟師ヒュー・グラスの半生を描いたものですが、グラス役のレオナルド・デカプリオは、主演男優賞ををとっています。




 その映画の中で、主人公は焚火をするとき、枯草を集めたものに火をつけるというシーンがあったのですが、この散歩道にもよく見るとありました。改めてそのような目で見ると、見つかるものなのですね。こんな枯草でした。




 雪の中にふわふわの羽毛が落ちていたのも見つけたのですが、この羽毛は多分去年の冬にわたしが見たフクロウかなと思いました。


目がついているように見える木のかけらも、おもしろく思わずパチリ・・。



 ウサギの足跡も無数にあり、この小さな森のなかでも、いろいろな興味深いものに出あえる散歩でした。













「ドロシー・ワーズワースの日記」ドロシー・ワーズワース著



 久しぶりにドロシー・ワーズワースの日記「The Grasmere Journal」
を読んでみました。


  ドロシー・ワーズワースは、英国の詩人ウイリアム・ワーズワースの妹で、湖水地方の家に詩人の兄といっしょに住んでいたときに書いた日記です。

 わたしは、ワーズワースの詩が好きで、彼等の住んでいた湖水地方の家を訪ねたことが
あるのですが、この日記にはそこに住んでいた日々の生活が語られていて、いつも興味深く読んでいます。


 1802年1月1日は、兄のウイリアム・ワーズワースと、マーチンデールまで歩き、
   1月2日は、雪が1日中降っていて、兄と雪の中をダレメインまで歩いたと書いてありますので、散歩が日課のような日々だったようです。

 1802年1月3日のところに、バックギャモン(backgammon)というゲームが出てき
たのでうれしくなったのですが、彼女の知人でとてもこのゲームが好きな人がいたということです。


 このバックギャモンというゲームは、二人でするゲームですが、冬の夜には、ぴったりのように思います。うちにも2つあり、ロンドンに住んでいたころの夜長に、よくこのゲームをしました。

 この3日の日記には、寒いなか、ウイリアムと散歩に出かけていて、凍えて家に戻ったときのことも書かれていました。濡れた服を着替えて、暖かい暖炉のそばで過ごすのは何としあわせなことかと・・・。

 ワーズワースの水仙の詩は、湖水地方の春さきに多分散歩で見つけた景色を詠ったのでしょうが、この日記を書いたドロシーの影響もきっとあったのだろうと思います。




 わたしの住んでいるところの気候も何となく湖水地方と似ている感じがして、そういうところも多分、わたしがこの日記に惹かれるところかしらと感じています。

 こんばんは、久し振りにバックギャモンをパートナーとしてみようかな。


 





2018年1月7日日曜日

あめつちの初は 今日より始まる!



 「あめつちの初は 今日より始まる」
                   北畠親房



 
 これは、北畠親房の言葉ですが、我が家のお寺のご住職からいただいた新年のご挨拶で紹介されていました。

 ご住職はこの北畠親房の言葉を、「一大決心をした、その時から新しい人生が始まる。」と、解釈なさっていました。

 「 あめつちの初は 今日より始まる。」

 2018年は、英語をブラッシュアップ!
 わたしもささやかな決心をしてみました。