2019年5月30日木曜日

読書・「失われた時を求めて11」本当の旅とは・・




 「失われた時を求めて」11囚われの女Ⅱ プルースト作・吉川一義訳・岩波文庫
を、読みました。




  この巻で一番印象に残ったのは、154pと、155pのプルーストの旅についての彼独特の考察です。彼は旅について、このように書いていますので引用してみます。




「ただひとつ正真正銘の旅、若返りのための唯一の水浴は、新たな風景を求めて旅立つことではなく、ほかの多くの目を持つこと、ひとりの他者の目で、いや数多くの他者の目で世界を見ること、それぞれの他者が見ている数多くの世界、その他者が構成している数多くの世界を見ることであろう。」
引用 「失われた時を求めて」11囚われの女Ⅱ プルースト作 吉川一義訳 岩波文庫         154p~155p




 プルーストのこの旅についての考察は、プルーストの名言としてもよく知られているのですが、わたしもこの考えには全く同感です。




 「ただひとつの正真正銘の旅は、新たな風景を求めて旅立つことではなく、ほかの多くの目を持つこと・・」 なのですね。




 上の風景の写真は、昨日の5月29日、散歩のときに写したものです。5月の軽やかな風にのって、大好きなカッコーの鳴き声が、高原に響いていました。いつもの見慣れた風景でしたが、なぜか、心にしみました・・・。
 




2019年5月28日火曜日

英語のチンプンカンプンとは?




 
 先日、ジョセフ・マンキウィッツ監督の映画「ジュリアス・シーザー」を、観ていたら、少しおもしろいことがありました。





 この作品は1953年製作で、少し古いのですが、原作はシェークスピアということもあり、劇を見ているようで、英国のすばらしい名優で故人となったジョン・ギールグッドの演技にも、さすがと思い見惚れていました。




 しばらくすると映画の中で、「It`s was  Greek to me」というセリフが聞き取れたところがあったのですぐに、「あれだ!」とひらめいたのですが、それは、昨年の英語の日めくりカレンダーに出ていた言葉でした。
 日本語では、「チンプンカンプンです」と訳されていました。




 そして、この言葉は、「ジュリアス・シーザー」で出てくるセリフなので、シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」の本を出して調べてみたところ、27pに出ていました。第一幕第二場のCasca(キャスカ)の言葉です。

「このおれには、文字どおり、ちんぷんかんぷんのギリシャ語だった。」
   引用 ジュリアス・シーザー シェイクスピア 福田恆存訳 新潮文庫 27p




 また、チンプンカンプンという言葉の語源を調べてみたところ、中世ラテン語の
 Graecum est; non potest legi 「それはギリシャ語で読むことができない」
だそうで、シェークスピア以前からあったようです。

 そして、これを英語の言葉として使用したのは、シェークスピアで、彼の作品の「ジュリアス・シーザー」(1599年)の中の、記のキャスカ(Casca) のセリフなのでした。

 おもしろいですね・・。

 大分以前に、ギリシャに旅したときに見たスーニオンの岬の夕焼けまで、思い出してしまったのですが、楽しい映画の効用でした・・・。





※この写真の花は、今朝の散歩の時、ご近所のお宅の庭に咲いていた大好きな花「ヤグルマソウ」です。


2019年5月20日月曜日

斎藤茂吉の歌の「をだまき」





  オダマキの花の咲く季節になりました。
 今年はヤマオダマキの花の当たり年のようで、散歩をしていますと、道路の縁などに群生して、たくさん咲いているのを見かけます。
    

 
  この写真のオダマキは、日本に自生しているヤマオダマキです。
 ヤマオダマキを見ていますと、色あいが地味で床しい花だとしみじみと思います。


ところで、斎藤茂吉の歌集「赤光」には、母への歌がいくつか歌われているのですが、その歌の中の二首に、オダマキの花が出てきます。




  こんな歌です。
  
 「山いづる太陽光を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり」 斎藤茂吉

「死に近き母が目に寄りをだまきの花咲たりといひにけるかな」 斎藤茂吉

 


 歌集「赤光」の中にある茂吉の母への歌は、この表紙の絵にあるように、ツバメの歌は覚えていたのですが、今回読み直してみて、オダマキが2首もあることに気づきました。

 この歌に歌われている「をだまき」は、ヤマオダマキではなく、薄紫のミヤマオダマキということです。




2019年5月10日金曜日

チューリップを見ながらお茶を・・




 きょうは、コピスガーデンで午後のお茶を飲んできました。
 チューリップが、すてきに咲いていて、こんなにすてきなチューリップを見たのは久しぶりだと思いました。




 チューリップは、オランダのキューケンホフ公園に見に行ったことがあるのですが、緑の木々の下にチューリップが植えられていたのが印象的でした。そのときに、チューリップの花は見ている人を幸せな気分にしてくれる不思議なオーラを持っているように感じたのを覚えています。




 チューリップは、トルコ原産ですが、16世紀にオランダに入ってきて、チューリップブームを起こしたようです。チューリップのとてもすてきな花束をいただいたことがあるのですが、チューリップは蕾の時期から、すっかり開ききってしまうまで、楽しめる花のようです。



 そういえば、先日に観た映画の最初のシーンで、真っ白のチューリップがたくさん、大きな丸いガラスの花瓶に活けられていたのを思い出しました。なかなかおしゃれな花なのですね。


 たまには、外のテラスでの午後のお茶もいいものですね。
 庭の片隅では、アヒルが水浴びをしていました・・・。





2019年5月8日水曜日

白い花が好き!




 シロヤマブキは、大好きな花です。
 この季節にはいつも、シンプルで清楚なこの花が咲くのを、楽しみにしています。



 
  室生犀星も、シロヤマブキが好きだったのでしょうか。こんな俳句を残しています。

 ふるさとや白山吹の町のうら        室生犀星






 犀星の故郷の金沢は、以前に訪ねたことがあるのですが、やはり、あの町には、シロヤマブキが似合っているように思えます。




 シロヤマブキは、秋になると真っ黒な実をつけるのですが、黒い実というのもシンプルで好感が持てます。
 黄色の花が咲くヤマブキは、いまの季節には山地の川沿いなどで普通に自生して咲いているのを見かけるのですが、シロヤマブキの自生は見たことがありません。
 手持ちの植物図鑑によれば、山地にまれに自生するということですが・・。



ハンナガーデンの菜の花畑






  ロングドレスを着た貴婦人が、日傘をさして散歩する姿が目に浮かんでくるような、明治の館です。
 


道の駅「明治の森・黒磯」にある青木子爵邸の那須別荘は、新緑の木々の葉を揺らし、さわやかな5月の風が吹き抜けていました。

 敷地内には、菜の花畑が広がっていて、ちょうど満開!!!




 菜の花畑を歩いていると、子供の頃に菜の花畑で遊んでいてお気に入りのワンピースに花粉がついてしまい困ったことがあるのを思い出しました。




 辺りには、菜の花の甘い濃厚な香りが漂っていて、うっとり。
 以前に食べた「菜の花のハチミツ」の味と香りを思い出しました。
 散歩の途中で一休みしている黒ラブくんも、しあわせそう!




 久しぶりに訪ねた明治の森の館と、ハンナガーデンでしたが、菜の花がちょうど見頃で、気持ちの良い散歩を楽しむことができました。
 菜の花畑には、青い空がとても良く似合っていました・・・。




2019年5月1日水曜日

読書・「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン・上遠恵子訳・新潮社版




 先日の雨あがりの散歩の時に写した、クロモジの若葉とかわいい花です。
 春の雨に濡れて、こわれそうなほど繊細ですてきでした!



  わたしは、こういう自然界のすてきな造形に出会うといつも、やさしい気持ちになり何か神秘的なものさえ感じることがあります。
  レイチェル・カーソンは、センス・オブ・ワンダーという本の中で、「知ることは感じることの半分も重要ではない」と、言っているのですが、わたしの好きな言葉です。



  
  自然界のものを、美しいと感じる感性は、生きる喜びにもつながっていくことにもなるのだと思います。

  

 
  レイチェル・カーソンは、また、こんなことも言っています。
 「地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。」
              センス・オブ・ワンダー 引用50p

 わたしもそうありたいものだと、思います。




 レイチェル・カーソンは、「沈黙の春」で、地球の自然を破壊する化学公害を訴え、自然保護の重要性を述べ、また、「潮風の下で」では、海辺の生き物を描き、自然文学の最高傑作とまで言われているものを、書いています。


 レイチェル・カーソンが、センス・オブ・ワンダーの本に、たどり着くまでには、このようなさなざまな本が下敷きになっていたのだと、改めて思いました。