きょうは、一日中くもりでした。いつもの散歩道も午前中は、霧がかかり、こんな感じになっていました。
こんな霧の風景を見ると、須賀敦子さんの書かれた本「ミラノ 霧の風景」をいつも思い出してしまいます。ミラノでは11月になると、灰色に濡れた、なつかしい霧がやってくると、書かれていますが、やはりここ那須でも冬にこんな霧になる日があります。
須賀さんは、この本を13年間のミラノ生活の後、日本にもどられてから、回想として書かれています。須賀さんの記憶の中のミラノにはいつも、あの霧が静かにながれているようです。
須賀さんはミラノに住んで2年目にペッピーノさんと結婚なさるのですが、この本のところどころに、いまは亡きペッピーノさんへの回想が控えめに語られているのが、こころに染みました。「きらめく海のトリエステ」の章も、そうでした。
トリエステの詩人サバの詩を須賀さんとペッピーノさんは、こよなく愛されていたようです。ペッピーノさんは大のサバ好きだったそうで、サバの詩をつぎつぎに須賀さんに読むようにとわたしてくれ、トリエステはサバの住む街として須賀さんの中でよいワインのように熟(う)れていったと、表現なさっています。
ペッピーノさんが亡くなられた後、須賀さんはそのサバのトリエステに、彫刻家のマルチェッロ・マスケリーニさんに会う日本人を案内し、訪ねる機会に恵まれます。
マスケリーニさんは、生前のサバと親交があったので、サバのことを聞き出そうとする須賀さんに、彼はサバの詩のことは他の国の人にはわからないと、かたくなな態度で、受け付けなく、悔しい思いをなさったとのこと。
須賀さんの「思い」を本文から引用してみます。
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「わたしと夫が、貧しい暮らしの中で、宝石かなんぞのように、ページのうえに追い求め、築きあげていったサバの詩は、その夜、マスケリーニのうつくしいリヴィングルームには、まったく不在だった。こっちのサバがほんとうのサバだ。寝床に入ってからも、私は自分に向かってそう言いつづけた。
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(引用 161p)
と書かれているのですが、わたしには須賀さんの無念の気持ちが痛いほど感じられました。
須賀さんはまた、サバの詩のことを
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サバは、詩において「パンや葡萄酒のように」、真摯かつ本質的でありたいという希求あるいは決意をまるで持病のように担いつづけて、それを一生つらぬいた詩人である。
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(引用 158p)
と、書かれていますが、サバの詩の本質まで見抜いていらした須賀さんは、やはりペッピーノさんのように、無類のサバ好きになられたように思います。
この「きらめく海のトリエステ」の章を最初に読んだとき、わたしもトリエステに行ったことがあるのを思い出しました。ヴェネチァに行く途中の短い滞在だったのですが、鉄道のストライキのために、トリエステからバスでヴェネチィアに向かったのでした。
そのときのバス乗り場から見た街の様子は、なぜかモノトーンで、殺風景な印象だけが残っています。この本を読んだあとでしたら、もう少し時間をとってトリエステの街を歩きたかったと、残念に思います。
須賀さんは、その後、もう一度今度はひとりでトリエステを訪ねられるのですが、そのことは、「トリエステの坂道」という本に書かれています。
トリエステは、冬、ボーラという強い北風が吹く街、アドリア海に面した国境の街なのですが、でも何よりも
須賀さんとペッピーノさんが熱愛した詩人サバの住んだ特別な街なのですね。
「ミラノ 霧の風景」は、須賀さんが須賀敦子さんになった始まりの本だと思います。
彼女の本からは、どこを読んでも、ヨーロッパの真髄のようなものが伝わってきて、いつも読み返すたびに共感や啓発されるところが多く、わたしの大事な1冊となった本です。