2018年5月29日火曜日

二人静・・



 庭の片隅に、フタリシズカが咲いているのを、見つけました。



 フタリシズカという名前は、義経の恋人だった静御前に由来しているのですが、義経を恋しく思いながら舞う白拍子だった静御前とは、どんな女性だったのかなあと、いつも思ってしまいます。



 能の演目の「二人静」は、一人の女性が同じ姿の二人になって舞を舞うので、この
植物の名前は、そこから来ているのでしょうか・・・。



 花穂が、1本だけのものもあるのですが、こちらは凛とした佇まいに見えました。
 3本のものも見たことがあるのですが、やはり花穂が2本のものが多いので、「フタリシズカ」という床しい名前になったのでしょうね。


 そういえば、「二人静」という名前の干菓子をいただいたことがありました。和三盆で作られた紅白に分かれた丸い干菓子でしたが、白い和紙にキャンディのように包まれて入っていました。とても品のある味で、おしゃれな干菓子だなあと思ったのを、覚えています。

 中村汀女さんは、こんな句を作られています。
     「忘れざり花にも二人静あり」

 わたしの場合は、汀女さんのはんたいで、
      「忘れざり干菓子に二人静あり」


でした・・・。(^_-)-☆















2018年5月26日土曜日

わたしの好きな場所



 日光植物園に行ってきました。




新緑の中を流れるせせらぎを見ていると、こころが癒されるような感じがして、すてきな場所だといつも思います。
 実は、わたしの大好きな場所なのです。




  林の中にあるベンチには、ちょうど陽がさしていて、いつもと同じに私を待っていてくれました。



 ちょうど今の季節には、クリンソウが咲いているかしらと楽しみにしていたのですが、やはり咲いていました。


 クリンソウは、日本原産のサクラソウ科サクラソウ属の植物で、英語では
Japanese Primrose  学名は Primula  japonica です。




 輪生している花が、茎を伸ばしながら下から段になって次々に咲いていくのですが、それが、お寺の五重塔などの頂上にある柱の飾り「九輪」に似ているので、クリンソウという名前になったということです。


 クリンソウは、日本全国に咲くのですが、わたしはこの場所に咲くクリンソウが大好きです。
 花言葉は、「幸せを重ねる」という意味もあるそうです。

 







プルーストの花・キンポウゲ(Boutons d'or)



 いま、あちこちで、キンポウゲが、花びらを金色に輝かせて咲いています。



 プルーストの書いた「失われた時を求めて」にキンポウゲの花が出てきますが、こんな風に書かれています。

 

引用
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それが私を否応なく夢想にいざなうのは、コンブレーという名前のなかに、現在の小さな町だけでなく、それと異なる都市がつけ加わり、キンポウゲの下になかば隠れて理解不能となった昔の相貌が私の想いをとらえるからだ。このあたりにキンポウゲが非常に多かったのは、それが草のうえを遊び場として選んだからで、ひとり離れていたり、対になったり、群れになったりしている。卵の黄身のように黄色い花を見ると歓ばしい気分になるが、さりとて試食する気にはなりえず、その歓びが黄金色の表面だけに蓄えられて無用の美が生じるほど強烈なものとなるからこそ、私にはあれほど輝いて見えるのだ。幼いころの私は、フランスのおとぎ話の「王子さま」のように美しいこの名前をまだ完全に綴ることはできなかったけれど、すでに曳舟の小道からキンポウゲに両腕を差し出したものだ。もしかすると何世紀も前にアジアから渡来したもので、無国籍者として永遠に村に住みつき、つつましい眺望に満足し、太陽と水辺を愛し、つねに小さくみえる駅舎を眺め、それでもわが国の古い油彩画のように庶民的な飾り気のなさを発揮して、東方の輝かしい詩情をいまだ保ちつづけているのである。
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
 引用 「失われた時を求めて」1スワン家のほうへⅠ プルースト作 吉川一義訳
                    岩波文庫    362p




キンポウゲは、この本を翻訳なさった吉川一義さんの訳注によれば、「十字軍兵士が、まずはオリエントからオランダに持ち帰ったとされる」と書かれていますので、オリエントからオランダに持ち込まれ、その後フランスでも咲くことになったのでしょうね。




 英国でもキンポウゲを見たことがありますので、ヨーロッパ中に広まったのでしょうか。プルーストがこの花に東方の輝かしい詩情を感じたというのも頷けます。  



 それにしても、キンポウゲの花に、これほどの言葉をつくして述べることができるプルーストの感性や思い入れには、読むたびに驚かされてしまいます。




  5月の風に揺れて咲いているキンポウゲは、わたしにとっては、プルーストの花として特別の存在の花になりました。
 







2018年5月9日水曜日

スズランの思い出・・



 いま、我が家の庭では、スズランがかわいい花を咲かせています。



 わたしの持っている英語の花言葉の本「LANGUAGE OF FLOWERS」によれば、
スズラン「Lily of the Valley」は、「Return of happiness」と、書いてありました。            幸せが戻って来るという花言葉なのですね。




 フランスでは、5月1日はスズランの日「Jour de muguet」と、呼ばれていて、親しい人や家族の幸運を祈って、スズランを贈る習慣があるということです。
 そういえば、わたしも以前に、函館に住んでいた叔母から、スズランを送ってもらったことがありました。




 箱を開けてみると、濡らした新聞紙にひっそりと包まれたスズランが、顔を出したのでしたが、とてもうれしいサプライズでした。




 その叔母も、いまはもういないのですが、スズランが咲くのを見ると、やさしかった叔母の笑顔が目に浮かんできます。
 叔母は、スズランの花言葉を知っていたのでしょうか。










2018年5月6日日曜日

きょうの一枚






 きょうの散歩のときの、一枚です。新緑に映えて、ヤマツツジのピンクのグラデ-ションがすてきでした。




 新緑のやさしいきみどり色のなかで咲くヤマツツジは、あでやかなというよりも、匂うような少女の雰囲気が感じられました。
 




2018年5月5日土曜日

万葉集の植物・コナラ




 きょうの午前中の散歩は、五月晴れのすばらしい天気でした。
 空気も清々しく、ようやく芽吹きはじめたコナラの新緑がシルバーグリーンに輝いていました。



 コナラの新緑の魅力には、万葉時代の人々も惹かれていたのでしょう、万葉集の歌にも詠まれています。



 下野三毳(しもつけのみかも)の山の͡子楢(こなら)のす
      ま妙(ぐは)し児(こ)ろは誰(た)が笥(け)か持たむ

         引用 万葉集 中西進 講談社文庫(三)
              巻第十四 三四二四



  下野(しもつけ)とは、栃木県のことで、三毳山(みかもやま)は東北自動車道路からも見える佐野市にある山です。カタクリの群生地があるので人気のある山ですが、そこに
生えているコナラの木を詠っています。



下野の三毳山に生えているコナラのように美しいあの娘は、どんな男性を夫として笥(け)を持つのだろうという意味です。

 笥とは、食器のことで結婚するという意味があるのだそうです。

 

 わたしは、この万葉集の歌を三毳山に行ったときに、知ったのですが、それ以来暗記して覚えてしまった歌です。

 栃木県のコナラの新緑が、美しい娘の姿に例えられて詠われているのですから・・・。


 コナラの新緑の中を散歩していると、もうオオルリが渡ってきていて、良い声で鳴いているのが、聞こえていました。


プルースト公開セミナー・第4回「花咲く乙女たちのかげにⅡ」



 先日、プルーストの公開セミナー「新訳でプルーストを読破する4」に行ってきました。今回は第4回で「花咲く乙女たちのかげにⅡ」でした。



 立教大学の時計のある建物は、つたの新緑がみずみずしく、若葉の季節を感じさせてくれました。




 このセミナーに参加するのは2回目でしたが、今回のセミナーは前回よりも楽しめたように思います。
  ゲストは明治学院大学フランス文学科教授の湯沢英彦さん。
 彼は、プルーストに関する著書も書かれているプルースト研究の専門家で、ゆとりのある雰囲気が感じられ、すてきな時間を共有することができました。




 このセミナーでは、いつも好きなページを聞かれるのですが、わたしの今回の好きなページは、451pのこの箇所でした。
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人生の素材など、芸術家にはものの数ではなく、おのが天分をさらけ出す機会にすぎない。
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
引用 「失われた時を求めて」4花咲く乙女たちのかげにⅡ
             プルースト著 吉川一義訳 岩波文庫451p




また、189pにも、好きな箇所がありました。
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 ただ緑陰の匂いを嗅いだというだけで、馬車でヴィルパジリ夫人の向いの席に座っていたり、その夫人に自分の馬車から挨拶するリュクサンブール大公妃に出会ったり、グランドホテルに夕食に帰ったりすることが、現在からも未来からも得られない、生涯に人がたった一度しか味わえないえも言われぬ幸福のひとつとして、わたしに何度たちあらわれたことだろう!
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
引用「失われた時を求めて」4花咲く乙女たちのかげにⅡ 
        プルースト著 吉川一義訳 岩波文庫 189p





 この長いプルースト特有の文を読んでいると、フランス語の原文で読めたらどんなにいいかしらとしみじみと、思われます。

 このセミナーで今回知り合いになった方は、フランスに留学なさっていた方で、プルーストをフランス語で読まれたということですが、彼女によれば、この4の巻は、流れるようなフランス語の文を、心地よく感じながら読まれたということでした。

 そのお話しを彼女からお聞きした時、なぜかいままではあまり魅力を感じなかった4巻が
好きになりました。



 緑陰の匂いを嗅いだとき、昔の出来事がよみがえり、人が生涯でたった一度しか味わえない幸福のひとつとして、その後の人生に何度もあらわれる。

 こういうことは、わたしの人生でも同じような経験があります。

 読むたびに、人生の味わい方の深度を、深めさせてくれるプルーストのこの本に出会えたことは、幸運だったと、しみじみと思います。

 そして、わたしにプルーストの再再読をうながしてくれる機会となるこのようなセミナーにも、感謝しております。




 



 

 





2018年5月3日木曜日

万葉集の花・ヤマツツジ




 いつもの散歩道は、きょうは雨でしたが、ヤマツツジが満開に咲いていました。雨に煙る新緑の中に咲くヤマツツジは、ひときわ可憐に見えました。




  万葉集にもツツジが出てきます。

水伝(みなつた)ふ磯の浦廻(うらみ)の石上(いそ)つつじ茂(も)く開(さ)く道を
また見なむかも

                万葉集巻第二 一八五




 池のみぎわに繁って咲いているツツジを、再び見ることがあるだろうかという意味ですが、この歌は、草壁皇子が28歳の若さで亡くなったときに無名の舎人が作ったということです。

 舎人は田舎から選ばれて皇子に仕えていたのですが、皇子が亡くなられたいま、家に帰ることになり、宮殿の庭の池に沿って咲いているツツジを、もう見ることができなくなるのだろうと、詠っています。




  中西進さんの書かれた「万葉集事典」には、ツツジは「主にやまつつじ」と、書かれていますので、このツツジもヤマツツジだったのでしょうか・・。

 それにしても、雨の中で咲くヤマツツジもすてきでした。











2018年5月1日火曜日

鯉のぼり・こいのぼり・こいのぼり




 きょうから五月です。
 那須連山をバックに、さわやかな五月の風の中を泳ぐ、鯉のぼりを見てきました。



  高原に広がる一面の菜の花畑からは、菜の花の良い香りが漂っていました。
 鯉のぼりは、男の子の誕生と、成長を願って飾られるのですが、こんなにたくさんの鯉のぼりを見ると、思わず微笑みたくなります。





 先週は、東京の国立新美術館に行ったのですが、そこでも「こいのぼりなう!」という
展示があり、カウチに寝そべって泳ぐ鯉のぼりを見てきました。






 鯉のぼりは、なぜか農家の藁屋根をバックに泳いでいる姿が、とてもよく似合っていると思うのですが、これは先日訪ねた黒羽の暮らしの館の鮎のぼりとのぼり旗です。


のぼり旗には、家紋と男の子の名前が書いてあり、男の子の誕生を祝う気持ちが込められているようで、うれしさのおすそわけをいただいたような気分になりました。

 最後に、わたしのささやかな鯉のぼりの作品です。
 笑ってください。