2023年5月31日水曜日

植物・ハーブのヘンルーダの香りとは・・

 

 先日、友人からハーブのヘンルーダが、レターパックで送られてきました。須賀敦子さんの本で読んだハーブです。この植物のことは、「トリエステの坂道」という須賀敦子さんの本の中の「セネレッラの咲くころ」に出ています。


 須賀さんは、ヘンルーダの香りのことを、「つよい臭気を放っていて、ちょっと手が触れただけで、吐き気をもよおすような臭み」と、表現なさっていたのですが、どのような匂いなのか嗅いでみてと、友人が庭に咲いているものを、送ってくださったのでした。

 興味深々でビニール袋を開けてみると、ドクダミをもっと強烈に青臭くしたような強い香りがしてきました。わたしにはそれほど嫌というような香りではなかったのですが、須賀さんは苦手だったようです。

 ヘンルーダは、グラッパに入れるとよいとのことで、須賀さんのお姑さんは、グラッパにこのヘンルーダを一枝いれておいたものを、冬になって須賀さんご夫婦が訪ねたときに、戸棚から出してくださったそうです。

 グラッパが大好きだった夫のペッピーノさんは、ヘンルーダが入った瓶を透かして見て喜ぶのを、須賀さんはあの臭いヘンルーダなのだと、ご自分と彼の間にいやな匂いの草が割り込んできたような思いにとらわれたと書かれています。

 そして、お姑さんに素直な気持ちになれなかったときなど、彼女からヘンルーダの匂いを嗅いだような気がすることがあったとか・・。香りではなく、匂いと書かれています。

 イタリアという異国で暮らしていた須賀さんの、ヘンルーダの香りの思い出は、その時の感情の機微にまでふれていらっしゃるのでした。

 わたしの持っている英語の本「The Illuminated LANGUAGE OF FLOWERS」によれば、ヘンルーダは「Rue」で、花言葉は「Disdain」と出ていますので、後悔や悲嘆・ひどく悔やむ・悔恨などの意味になるのかなと思います。

 ヘンルーダは、独特の香りと共に忘れがたい名前になりました。いただいてからもう数日たつのですが、まだ香りは、健在です。 


2023年5月21日日曜日

読書・「式子内親王」馬場あき子著 講談社文庫

 

 今年も青もみじの季節になってきました。青もみじという言葉を知ったのは、2015年の5月に京都の北野天満宮の境内に残されている御土居(おどい)の青もみじを見てからです。

 この写真は、昨日の散歩のときの青もみじですが、ちょうど雨あがりで緑のグラデーションがすてきでした。



 馬場あき子さんの書かれた「式子内親王」は、いつも手元において読んでいる本です。

 後白河院の第三皇女、式子内親王が斎院として加茂祭り(葵祭)を主催したのは、応保1年(1161年)4月16日で8,9歳ではなかったかと、馬場さんは書かれています。

 ご存じのように葵祭はいまでも引き継がれていて、2015年5月15日に開催されたのを見に行ったことがあります。輿に乗った艶やかな斎宮姿の女性を見たときに、式子内親王を偲んだのを懐かしく思い出します。(このときのことは、このブログにも載せてあります。)

 式子内親王は、わたしの好きな歌人で、好きな歌はたくさんあるのですが、その中でも、斎院であったころを思い出して詠んだこの歌は特に好きです。

    「時鳥そのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ」

 この歌のことを馬場さんはこう書かれています。

・-・-・-・-・-・引用157p

それにしても、「ほととぎすよ、その神山の旅の一夜に、お前がほのかに鳴いて過ぎた、その空の明けゆく色を、どうして忘れ得ようか」という、それだけの内容の一首に、なぜ、私はこうまで執さざるを得ないのか。一句、そして三句と、幾つにも断絶しつつ続いてゆく抒情の揺れの中に、ほのぼのと露じめりの初夏の夜明けは訪れ、短い夢はあっというまに覚めてしまって、洗われた心の色のような空色の空間が、無限の時を秘めて式子の視野にひろがってゆく。・・・・」

・-・-・-・-・-・

 わたしは、この馬場さんの歌の解説に、歌人としての感受性のすばらしさを感じます。

 「洗われた心の色のような空色の空間」という表現には、もう何もいえなくなるほどです。



 式子内親王にとって、この思い出深かった斎院を退下したあとは、祭りの果てであり、彼女のその後の長い人生は余生であったのではという馬場さんのご見解には、わたしも深く同感します。

 馬場さんは、歌人としても活躍なさっていますが、優れた芸術家はまた、優れた評論家でもあるというのは、真理のようです。わたしのような式子内親王のファンに、このような座右の書を書いてくださった馬場さんに感謝します・・。

  偶然ですが、今朝ホトトギスの初鳴きを聞きました。式子内親王が神山で聞いたのと同じあのホトトギスです。

 「時鳥そのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ」

              式子内親王  





 

2023年5月13日土曜日

読書・「石川淳随筆集 澁澤龍彦編」石川淳著・平凡社ライブラリー

 


 今年も大好きなミヤコワスレが、我が家の庭で咲き始めました。ひっそりと庭に咲くこの花を見ていると、ミヤコワスレという名前がなぜかしっくりとよく似合っているように思えてきます。



 澁澤龍彦編というタイトルに惹かれ、石川淳さんの随筆集を読んでみました。その中の「恋愛について」というところに好きな歌人の式子内親王の歌が出ていたのですが、こんな歌です。

 「生きてよも明日まで人はつらからじこの夕暮れをとはばとへかし」

 石川淳さんはこの歌を恋歌の絶唱であると、絶賛なさっていますので式子内親王のファンであるわたしもうれしくなってしまいました。

 彼はこの歌を、このように表現なさっています。

「夕暮れの落葉か落花か、ひそかに踏んでちかづくべき足音を、はかなくも耳がここにじっと待っている。この耳はすなわち子宮の聴覚である。絶望的に待つということが、いのちなのだろう。恋愛は根底に於て感覚から発するということの、具体的意味がここに現前する。」・・・引用41p

 


 石川さんは、恋愛を語るのに式子内親王の歌や、カミュの「ノス」の散文からというように、自在に日本の古典やフランス文学などから引用されているのですが、それもとびきりすてきな文学からの引用なのです。

 式子内親王の歌はもちろんですが、カミュの「ノス」からの引用も彼が翻訳なさったのでしょうか、すばらしい散文でした。

 澁澤龍彦さんは解説で、この集は、石川淳さんの精神のダンディズムにスポットライトを当てたものであり、そのダンディズムとは、精神の価値であると、書かれています。

 この解説を読んで、澁澤さんはかなり、石川さんのダンディズムに惚れていらっしゃると確信したのですが、お二人ともに、人生のダンディズム、つまりは精神のおしゃれを目指していらっしゃった方々なのだと納得した読書でした・・。