2025年10月29日水曜日

読書・「ガリマールの家 ある物語風のクロニクル」井上究一郎著 ちくま文庫

 

 先日の散歩で見たイワガラミの紅葉です。アカマツにからみついているのですが、黄色やピンク、オレンジ、赤やむらさきなど様々に色付いた葉っぱが、それぞれにキュートで、毎年この季節にはいつも見るのを楽しみにしている自然からのすてきなプレゼントです・・。



 この本の著者の井上究一郎さんは、日本ではじめてプルーストの「失われた時を求めて」の個人全訳をなさった方ということで、とても尊敬している翻訳者のおひとりですが、このようにすてきな本を書き残していてくださったのだということを、改めて再認識させていただいた読書でした。

 物語は、井上さんが新聞のコラムで、ガリマール書店主のガストン・ガリマール氏の死亡記事を読まれたことから始まります。

 わたしにとってガリマールという言葉は、フランスの作家のサガンや、サルトル、ボーヴォワールなどの本の出版社という認識だったのですが、井上さんはフランスに留学中に、何とこのガリマールの家に一年間住んでいらしたことがあるとのことで少し驚いたのでした。

 井上さんがその家に移られたのは、ちょうどガリマール社がパトロンになっているアルベール・カミュのノーベル賞受賞が決まった直後の1957年で、井上さんは当時47歳、この本は、それから19年後の日本で、彼自身の体験を回想の物語風にして書かれているのです。

 「ガリマールの家」というタイトルの「家」は、フランス語では、「La Maison Gallimard」で、井上さんは「館」と翻訳なさっていますが、この館は、とても広くて大きく社屋と住まいがいっしょだったとのこと。井上さんは、ご縁があって、この大きな館のひとすみにひっそりとパリでの孤独を味わって住んでいらしたようです。

 彼は当時パリに留学中で、プルーストの研究をなさっており、プルーストが影響を受けたといわれる「ジェラール・ド・ネルヴァル」の母の郷里モルトフォンテーヌを訪ねられたときのことを、小説風に抒情的に書かれていて、詩的な世界に浸ることができました。

 このモルトフォンテーヌは、あのワットーの最高傑作といわれる「シテールへの船出」の現実の舞台にもなっていると言い伝えられており、ネルヴァルもそう信じていた場所で、彼の作品「シルヴイ」にも湖水を舟でわたる祭礼として設定されているのだとか・・。

 (早速、本箱から坂口哲啓さん訳の「シルヴィ」を開いてみるとそういう場面がたしかにあり、シテールの船出のことも書かれていました。)

 井上さんはプルースト研究のため、そこにある貴族の城館に公爵を訪ね、プルーストの署名やエピソードを聞くのですが、その後、あまりの上天気につられて森の中を歩いていたときに、突然の驟雨に出会い困っていると、走っていた車に乗せていただき、ホテルまで無事にもどることができたのでした。

 書いていても気づくのですが、井上さんが留学なさっていた当時は、プルーストはまだそんなには過去の人ではなく、プルーストのエピソードなども知っている方がいらっしゃり、階級社会でもある当時のフランスでそのような方と知り合いになることができた彼も、幸運だったように思いました。

 井上さんは、このようなフランスでのプルースト体験を研究者としてよりもさらに進んで小説家として、わたしたちに、書き残してくださったと感想を持ったのですが、本の解説でも蓮實重彦さんが、同じことを書かれていました。

 後半に井上さんの訳で、「モルトフォンテーヌ -ネルヴァル組曲」というフランシス・カルコの長い詩が載っていて、井上さんからの読者への贈り物のようにも思えました。