これは、昨年の秋に咲いていたノハラアザミのドライフラワーです。雪をバックにすると羽毛のようになった花が、ふわふわでおしゃれです。
「バベットの晩餐会」は、映画を観てから原作に興味を持ち、読んでみた本です。映画は2度観たのですが、清楚で静謐な雰囲気に満ちていて、心地よい余韻が残るすてきな映画でした。
作者はデンマーク人のカレン・ブリクセンで、イサク・ディーネセンは、英語で出版する時の筆名とのことですので、以下カレン・ブリクセンと書かせていただきます。
カレン・ブリクセンは、「アフリカの日々」という本も書いていますが、この本も「愛と哀しみの果て」という題名で映画化されている自叙伝のような物語です。この映画も数回観ていますが、アフリカの自然や動物たちが記憶に残る、美しい物語でした。
この映画は、カレンが結婚してアフリカでコーヒー農園を経営していたときの話ですが、映画の中に、千夜一夜物語のように彼女がお客に、一晩中、物語を話し聞かせるという場面が出てきます。多分その頃からカレンは、物語を作って話すのが上手だったのだと思います。
カレンが本を書き始めたのは、農園経営に失敗してアフリカから帰国した48歳頃ということですから、作家としては、遅いデビューかもしれません。
「バベットの晩餐会」の解説で田中優子さんは、これは小説ではなく物語だと書かれていますが、わたしもそう思います。ストーリーが巧みで、千夜一夜物語のように、興味深く物語が進んでいきます。
物語の舞台は、ノルウェイのフィヨルドの山麓にある小さな町、ベアレヴォー。その町の黄色の家に住む中年の心優しい姉妹、マチーヌとフィリパ、そしてその家の家政婦のベネットのお話です。
姉妹の父はその地区の信者たちの監督牧師だったのですが、彼の死後は、姉妹がその役を引き受けているのでした。
この姉妹は若い頃、たぐいまれな美人だったそうで、そんな二人には、むかし、ロマンスがありました。
姉のマチーヌには、ロレンス・レーヴェンイェルムという青年将校が熱烈に恋をし、声も美しい妹のフィリパには、パリからきたフランス人の名歌手アシーユ・パパンが恋をしたのでした。
バベットもそこでの生活に慣れ、14年が過ぎたころ、彼女は、フランスの富くじの一万フランをあてるのです。
姉妹は父の監督牧師生誕百年の記念日の祝宴を開きたいと、バベットに告げますと、彼女はたったひとつの願いとして、祝宴の晩餐会の食事を任せてほしいといい、準備のために2週間の暇をとります。
バベットが食材の大きな海亀などの荷物を用意して戻った時、それを見た姉妹はなぜか不安になり悪夢まで見てしまい、この晩餐会での食事のことは一切話さないようにと、教区の招待者に懇願するのです。
姉妹は、教区の人たちのほかに、ロレンスの伯母にも晩餐会の招待状を出すのですが、伯母の家には、ちょうどあの青年将校だったロレンスが将軍になり滞在しており、いっしょに晩餐会に来ることになります。
12人がテーブルにつき、晩餐会が始まります。ディナーでまず最初に出されたワインを一口飲んだ時、将軍はすぐにこれは、「アモンティラード」ではと気づきます。しかも「極上の」・・・・・
スープは本物の海亀のスープ?!
何とこれはブリニのデミドフ風!!!
シャンペンは、1860年もののクリコ!
「うずらの石棺風パイ詰め」!!!
そしてこのうづらの石棺風パイ詰めを食べたときに、将軍はこれはむかしパリの極上のレストラン・カフェ・アングレで食べた料理長の料理と同じだと思い当たるのです。
すばらしい食事と飲み物に、テーブルの人たちは最近のささいないさかいも忘れ、なごやかで平和な気分になるのでした。将軍はむかし青年将校だったころに監督牧師に聞いた話のスピーチをします。
「慈悲と真実は共に会う。正義と幸福はお互いに口づけをする。・・・」と。
帰るときに玄関で、将軍はマチーヌに、「生きている限りいつもあなたのそばにいる。」と、永遠の愛の告白をするのですが、このセリフや、「この美しい世界ではすべてが可能なのだ」という言葉もすてきだと思いました。
ゲストが帰った後、姉妹は、すばらしいディナーを料理してくれたバベットに感謝の言葉を述べます。
その時に、当然パリに帰ってしまうのではと思っていたバベットが、自分は昔、パリのカフェ・アングレの料理長をしており、富くじで当たった一万フランは、このディナーのために全部、使ってしまったと告白するのです・・・。
姉妹はわたしたちのために全部、使ってしまうことはなかったのにというと、バベットは凛として、それは自分のためであり、「わたしはすぐれた芸術家なのだ」と答えるのでした。
この言葉は、バベットの芸術家としての料理人の矜持で、それを誇りとしてこれからも、ずっとこの村で生きていくのだという宣言だったのだと思いました・・。
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