散歩していますと、栗があちこちに落ちています。お天気の良い日ですと、栗の実はぴかぴかと光って、見て見てと自己主張しているようです。
室生犀星の栗の俳句です。
「栗のつや落ちしばかりの光なる」 室生犀星
栗のつやが、特別の大事な光となって見えたのだと思いますが、わたしもじっと栗を見ていると、そのように思えてくるのは、不思議でした。
斎藤茂吉は、こんな栗の短歌を作っています。
秋晴れの光となりて楽しくも実りに入らむ栗も胡桃も 斎藤茂吉
この短歌は齋藤茂吉が生まれ故郷の山形県に疎開していたときに、作ったとのことですが、疎開先で迎えた戦後初めての秋だったようです。背景には、茂吉は戦争を奨励した歌を書いたというので、一人で生まれ故郷に疎開していたという特別な事情もあったとのことです。
そのようなときに、栗や胡桃が秋晴れの陽をあびて光っているのを見たときに、いつもの自然のいとなみがまるで特別なもののように見えたのだと思います。彼の複雑な心境が「光」という言葉に込められているように感じました。
以前に、わたしが上山にある齋藤茂吉記念館を訪ねたのは、12月3日でしたが自然の豊かなところだなあというのが、印象に残っています。栗も胡桃も、たくさん実るところのようでした。
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