つい先日まで雪が残っていた我が家の庭も、ようやく春めいてきました。庭の隅に自生しているキクザキイチゲが、今年もようやく咲いてくれました。春の妖精、スプリングエフェメラルです。
吉田健一さんの書かれた「交遊録」を読みました。吉田さんの本は好きで数冊持っているのですが、これは「英国について」と同じぐらい好きな本です。
60歳を過ぎたころに、いままでの人生で出会われた友人との交遊を書かれているのですが、人物描写がすばらしく、ユニークな自叙伝にもなっていると思いました。
吉田健一さんがケンブリッジで学ばれていたときの、キングス・コレッジのfellowだったデッィキンソンさん、そして直接に指導を受けられたキングス・コレッジのsupervisorのルカスさんのお二人の話は、ケンブリッジの教育とはこのようなものなのだという事が納得でき、興味深く読むことができました。
吉田さんが留学なさっていた1930年代の英国の知識階級の方々の日本の認識度は、ウェエレイ(Waley)訳の「源氏物語」により、文明国とみるのが常識となっていたということですが、「源氏物語」がこのように認識されていたというのは、うれしい驚きでした。
また、ルカスさんの影響で吉田さんが、ほかの数冊の本といっしょにプルーストを読もうと思われたというのも興味のあるお話でした。吉田さんの年譜を見ますと、帰国後にアテネフランセで、フランス語を勉強なさっていますし、ボードレールやヴェレリイもお好きだったようです。
わたしがこの本で好きなところは、吉田さんがお茶にルカスさんをお呼びしたときのエピソードです。
吉田さんが、凝った瀬戸物などを陳列しているお店で買われたという紺碧の紅茶茶碗でお茶をお出ししたところ、ルカスさんが「ウェエルスの山麓の矢車草と同じ色だ」とほめてくださったとのこと。
そういうエピソードは、プルーストの「失われた時を求めて」にもたくさん出てきます。女性の目の色を、矢車草にたとえたりとか・・。そういえば、吉田健一さんの長い文体もどこかプルーストに似ているのかもしれないと、密かに思ったのですが・・。
この本にはまた、わたしの好きなドナルド・キインさんのことも、書かれています。キインさんが最初に日本で住んでいらした京都時代の頃からの古いお知り合いのようで、キインさんが東京に来られたときには、いつもいっしょに飲みに行かれたり、家がご近所だった軽井沢でもごいっしょに飲んでいらしたとか・・。
キインさんのご専門の日本文学についての本を読んで驚かれたことが最初のきっかけだったそうです。吉田さんは、こういう奇跡的な本をキインさんが書かれたというのは、「愛があるからだ」と説明なさっているのですが、この「愛」という言葉がまたすてきで、吉田さんらしい表現だとうれしくなりました。
池内紀さんは解説でこの本のことを、「日本語で書かれた人物エッセイのなかで、とびきり個性的で、そしてもっとも優れたものだろう。」と、書かれていますが、私もまったく同感でした。
「交遊録」吉田健一著・講談社文芸文庫
※ 3月12日にプルーストの「失われた時を求めて」の翻訳者の高遠弘美さんの「最終講義」「読むことと書くことそれに訳すこと」をリモートでお聴きしたのですが、高遠さんも若い頃にお好きだった作家として、吉田健一さんのお名前を挙げていらっしゃいました。
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