コバギボウシ(小葉擬宝珠)が、あちこちで咲くようになりました。この花を見ると、いつも立原道造の詩を思い出します。「甘たるく感傷的な歌」という詩に、「まつむし草 桔梗 ぎぼうしゅ をみなへし」と、彼の好きな花をならべて、歌っているのですが、この「ぎぼうしゅ」とは、コバギボウシのことだと思います。
「あなたが自分のまはりに孤独をおいた日々はどんなに美しかったか、僕はそれを羨むことでいまを築いてゐるといったっていいくらゐです・・・・」75pからの引用
立原道造が一人旅をしたという盛岡をわたしも訪ねたことがあるのですが、郊外の愛宕山で見た歌碑に刻まれた「アダジオ」という彼の詩があったのを思い出しました。「盛岡ノート」という盛岡の本屋さんで買った本に歌碑の拓本がはさんであったのを見つけましたので、引用してみます。
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アダジオ
光あれと ねがふとき
光はここにあった!
鳥はふたたび私の空にかへり
花はふたたび野にみちる
私はなほこの気層にとどまることを好む
空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ
立原道造 「愛宕山の歌碑」より
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堀辰雄は、立原道造という詩人に、とても影響を与えていたようです。恋人ができた立原道造が恋人を残して、ひとりで盛岡に旅をするなどというのは、リルケイアンとしての立原を見る思いだったと、堀辰雄は書いていますが、恋する人とあえて離れ耐えることを当時はリルケイアンと言っていたのだと知り思わず苦笑してしまったのですが・・。
この「木の十字架」という題は、堀辰雄の結婚のお祝いにと立原道造が贈った教会の少年聖歌隊の歌のレコードの題名とのこと。堀辰雄の詩人立原道造への思い出の随想は、堀辰雄の結婚のころの思い出の随想でもあるようにも読めました。
フローラの作家の堀辰雄のまわりには、やはり花を愛した立原道造のようなフローラの詩人がいたというのは、すてきなことだったと思いました。
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