8月も最後になり、もう夏が終わろうとしています。
ツリガネニンジンが咲き始めました。
花はうすむらさきで小さなかわいいベルの形をしているのですが、
風に揺れるとりんりんと鳴る鈴の音が聞こえてきそうです。
翻訳者の高遠弘美さんは、現在「失われた時を求めて」の翻訳をなさっている途中ですが、訳者あとがきでこの本を、プルースト論として再読に耐える4冊の本の中の1冊にあげられています。
ちなみにその4冊とは、「プルーストによる人生改善法」「プルーストと過ごす夏」「収容所のプルースト」そしてこの「プルーストへの扉」とのこと。
わたしはこれで「収容所のプルースト」以外の3冊を読んだことになりますが、3冊それぞれ独自のユニークな視点からプルーストを語っていて、どの本もおもしろく読みました。
この本「プルーストへの扉」は、ピションが、プルーストを読みたいと思っている読者のために、わかりやすいアプローチの仕方で書いたということですが、すでに読んでいる読者にも、さらにプルーストをなぜ読むのかということに、真摯に答えてくれる本でもありました。
ピションは、「なぜプルーストを読むのでしょうか」という問いにこう答えています。
それは、「失われた時を求めて」は、単なる書物ではなく、読者にとっては人生における経験と呼ぶべきものであるから・・。
そして人生の経験としてこの本を愛し、読了した読者は、自分のことを、プルースト派(プルースティアン)であると認めるようになるとか。
プルーストの研究をしている専門の学術書とは違い、このように平易に読めて、しかもプルーストの小説の深いところまで読者に思索させてくれるのは、やはりピションのプルーストへの愛と誇りのたまものなのかもしれないと思いました。
読者にとって人生の経験となるような書物であるこの「失われた時を求めて」をぜひ読んでほしいというピションの声が聞こえてくるようでした。
高遠弘美さんがこの本を見つけて翻訳してくださったことに感謝して、本を閉じました。
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