今年も青もみじの季節になってきました。青もみじという言葉を知ったのは、2015年の5月に京都の北野天満宮の境内に残されている御土居(おどい)の青もみじを見てからです。
この写真は、昨日の散歩のときの青もみじですが、ちょうど雨あがりで緑のグラデーションがすてきでした。
馬場あき子さんの書かれた「式子内親王」は、いつも手元において読んでいる本です。
後白河院の第三皇女、式子内親王が斎院として加茂祭り(葵祭)を主催したのは、応保1年(1161年)4月16日で8,9歳ではなかったかと、馬場さんは書かれています。
ご存じのように葵祭はいまでも引き継がれていて、2015年5月15日に開催されたのを見に行ったことがあります。輿に乗った艶やかな斎宮姿の女性を見たときに、式子内親王を偲んだのを懐かしく思い出します。(このときのことは、このブログにも載せてあります。)
式子内親王は、わたしの好きな歌人で、好きな歌はたくさんあるのですが、その中でも、斎院であったころを思い出して詠んだこの歌は特に好きです。
「時鳥そのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ」
この歌のことを馬場さんはこう書かれています。
・-・-・-・-・-・引用157p
それにしても、「ほととぎすよ、その神山の旅の一夜に、お前がほのかに鳴いて過ぎた、その空の明けゆく色を、どうして忘れ得ようか」という、それだけの内容の一首に、なぜ、私はこうまで執さざるを得ないのか。一句、そして三句と、幾つにも断絶しつつ続いてゆく抒情の揺れの中に、ほのぼのと露じめりの初夏の夜明けは訪れ、短い夢はあっというまに覚めてしまって、洗われた心の色のような空色の空間が、無限の時を秘めて式子の視野にひろがってゆく。・・・・」
・-・-・-・-・-・
わたしは、この馬場さんの歌の解説に、歌人としての感受性のすばらしさを感じます。
「洗われた心の色のような空色の空間」という表現には、もう何もいえなくなるほどです。
式子内親王にとって、この思い出深かった斎院を退下したあとは、祭りの果てであり、彼女のその後の長い人生は余生であったのではという馬場さんのご見解には、わたしも深く同感します。
馬場さんは、歌人としても活躍なさっていますが、優れた芸術家はまた、優れた評論家でもあるというのは、真理のようです。わたしのような式子内親王のファンに、このような座右の書を書いてくださった馬場さんに感謝します・・。
偶然ですが、今朝ホトトギスの初鳴きを聞きました。式子内親王が神山で聞いたのと同じあのホトトギスです。
「時鳥そのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ」
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