今年も大好きなミヤコワスレが、我が家の庭で咲き始めました。ひっそりと庭に咲くこの花を見ていると、ミヤコワスレという名前がなぜかしっくりとよく似合っているように思えてきます。
澁澤龍彦編というタイトルに惹かれ、石川淳さんの随筆集を読んでみました。その中の「恋愛について」というところに好きな歌人の式子内親王の歌が出ていたのですが、こんな歌です。
「生きてよも明日まで人はつらからじこの夕暮れをとはばとへかし」
石川淳さんはこの歌を恋歌の絶唱であると、絶賛なさっていますので式子内親王のファンであるわたしもうれしくなってしまいました。
彼はこの歌を、このように表現なさっています。
「夕暮れの落葉か落花か、ひそかに踏んでちかづくべき足音を、はかなくも耳がここにじっと待っている。この耳はすなわち子宮の聴覚である。絶望的に待つということが、いのちなのだろう。恋愛は根底に於て感覚から発するということの、具体的意味がここに現前する。」・・・引用41p
石川さんは、恋愛を語るのに式子内親王の歌や、カミュの「ノス」の散文からというように、自在に日本の古典やフランス文学などから引用されているのですが、それもとびきりすてきな文学からの引用なのです。
式子内親王の歌はもちろんですが、カミュの「ノス」からの引用も彼が翻訳なさったのでしょうか、すばらしい散文でした。
澁澤龍彦さんは解説で、この集は、石川淳さんの精神のダンディズムにスポットライトを当てたものであり、そのダンディズムとは、精神の価値であると、書かれています。
この解説を読んで、澁澤さんはかなり、石川さんのダンディズムに惚れていらっしゃると確信したのですが、お二人ともに、人生のダンディズム、つまりは精神のおしゃれを目指していらっしゃった方々なのだと納得した読書でした・・。
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