ハルジオンがあちこちで咲いています。やさしい風情のある花ですが、大正時代に観賞用として、日本に持ち込まれた北米原産の帰化植物とのこと・・。花のまわりにうつむいて付いているつぼみも、つぎつぎに咲いてにぎやかになります。
堀田善衛さんが書かれた「定家明月記 私抄」を読みました。堀田善衛さんの本を読むのは、「方丈記私記」についで2冊目でしたが、久しぶりにとてもおもしろい読書でした。多分、わたしのベスト10に入る本になりそうです。
明月記は、定家が漢文で書いた日記ですが、この難解な本を堀田さんがはじめて手にとられたのは戦時中のことで、定家のこのような文に驚かれたのが、きっかけだったとのことです。それは、
「紅旗征戎(コウキセイジュウ)吾ガ事ニ非ズ」
堀田さんは、定家のこの和歌をこんなふうに語られているので引用してみます。
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「よくもかくまでに、雲さえて、峯の初雪、有明の、月と、白色、あるいは蒼白の色を重ねあわせて、あるいは重ねあわせるだけで一首の歌を構成しえたものと感歎せざるをえず、薄墨の朦朧たる背景に音階、あるいは音程を半音程度にしか違わぬ白の色を組み合わせて配し、音の無い、しかもなお一つのはじめもおわりもない音楽を構えて出していること、それは実におどろくべき才能であり、かつそれ自体で一つの文化をさえ呈出しえているのである。」
・-・-・-・-・-・ 引用017p
わたしも堀田さんの和歌の解釈には、全く共感したのですが、それ自体で文化になっているという彼の達観はさすがで、このように和歌を評価できる堀田さんの見識はやはり定家と並ぶ、一流の教養人というべき人なのかもしれないと思いました。
この本には、定家の18歳のころから48歳までのことが書かれているのですが、平安末期から鎌倉初期までの乱世を、俊成の息子の職業歌人として生きた彼の現実の生活は、経済的不如意や病気、家族の心配など苦痛に満ちたものだったというのをこの本で知ることができました。
わたしは、定家と西行との出会いも心に残ったのですが、堀田さんは、定家自身の養いになったのではと分析なさっています。「人は出会いによって育つ」と・・。
続編も楽しみです・・。
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