2023年12月13日水曜日

読書・「神々の指紋」ギリシャ神話逍遥 多田智満子著 平凡社 

 

 12月に入り、我が家の恒例のクリスマス飾りをしました。この季節は、空気が冷たく澄んでいて、朝焼けと夕焼けがとてもきれいになります。ささやかな飾り付けが終わったあと、きょうもうすいオレンジ色の空にバラ色の雲が浮かんでいる夕景にしばらく見惚れていました。



 多田智満子さんの書かれた「神々の指紋」を読みました。多田さんのお名前はユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」のすばらしい翻訳をなさった方ということで知っていたのですが、彼女自身の著作にも興味を持ち読んでみたのでした。

  この本は、「Ⅰ神々の指紋」と、「Ⅱ旅のメモから」、そして「Ⅲ神話散策」の3部で構成されていて、詩人である多田さんの詩も6つちりばめられています。

 多田さんは十代の半ばころからプルタコスやプラトンを読み始められ、ギリシャ・ローマの古典時代や神話の世界に魅せられるようになり、神話の世界を訪ね歩くのが大きな楽しみになられたということです。



 ヘレニストでもある多田さんが、長年の憧れであったギリシャを訪問なさったときのエッセイ「アルカディアの春に」は、多田さんの興奮がこちらにまで伝わってくるようでおもしろく読みました。

 アルカディアのことを多田さんはこんな風に書かれています。

 「ギリシャの田舎のおだやかな谷あいの山地にあり、オリーブの樹々が銀緑色にきらめき、アーモンドの花が咲く桃源の里で、夢を見ているように感じられた。」

  わたしにとってのアルカディアは、牧歌的な理想郷として想像するだけだったのですが、実際の場所もそういうところなのだと知り、なぜかうれしくなりました。

 多田さんの、アルカディアの詩です。

 ・-・-・-・-・-・

「アルカディアの春」

                 多田智満子

すももだろうか あんずだろうか

花ざかりの果樹の林が

丘の斜面にうすももいろの雲をうかべ

人はみな行方不明


草の上にたくさんの蜂の巣箱が

金いろのまぶしい唸りをとじこめて

この村の名はメリガラス

そう 蜜と乳の村


ゆたかにたくわえるための

(あるいは人を葬るための)

大甕の多い村


いつからか わたしの貌をした人は

澄んだ油に浸された死体のように

たっぷりと 午睡していた


目がさめてもまだ日は高く

大甕はたぶん不死の神々のために

蜂蜜からふつふつとネクタルをかもしている


永遠にむかって

ゆるやかに傾斜したひるさがり

牡牛たちはあの世からこの世へと

啼きながら伝説の川を渡ってくる

・-・-・-・-・-・       引用137p~139p

  


 アルカディアの牧歌的な風景が目に浮かぶようで、好きな詩です。

   多田さんは、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」に出てくる皇帝ハドリアヌスは最大のヘレニストだったのではと、いわれています。彼はギリシャ語を話し、ラテン語やギリシャ語でも詩を書き、「さまよえる、いとおしき、小さな魂」ではじまる辞世の詩は、有名とのこと。

 そして彼のヘレニズム的最大の傑作は、溺愛した美少年アンティノウスであり、熱烈なヘレニストにとっては、完璧な美は神そのものでもあるとも・・。

 多田智満子さんは、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」のすばらしい翻訳家として、やはり想像していたように、古代のローマやギリシャを愛するヘレニストで、詩人でもあるという下地があった方なのだと実感した読書でした。

 


 

 





 


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