2024年12月25日水曜日

読書・「ヘルマン・ヘッセ 人は成熟するにつれて若くなる」Ⅴ・ミヒェルス篇 岡田朝雄訳 草思社

 

 

 きょうは、寒い一日でした。寒いこんな日には、いつも決めている散歩コースを、ショートカットしての散歩でした。散歩の途中で見つけたガマズミの実です。冬の日差しの中で、もう葉もすっかり落ち、こんな感じになっていたのですが、まだ、最後の輝きを見せてくれていました・・。




 本箱にあった「ヘルマン・ヘッセ 人は成熟するにつれて若くなる」を、読みなおしてみました。この本はずっと以前に、古本屋さんで購入したもので、以前にも読んでいるのですが、内容はすっかり忘れていた本でした。

 老年と死をテーマとしたヘルマン・ヘッセのエッセイと詩を、ドイツのヘッセ研究者が集めて、本にしたものですが、彼の写真家の息子が写したモノクロの写真も、いっぱい載せられています。

 ヘッセは1946年にノーベル文学賞を受賞していますが、彼の本は、「車輪の下」と「シッダールタ」などを読んだのみで、晩年にこのようなエッセイと詩を書いていたというのは、知りませんでした。



 この本の中では、「秋の体験」という若いころの友人がたずねてくるエッセイが好きです。

 彼の名前はオットーといい、ヘッセの少年時代からの友人で、弁護士や市長なども務めた温厚な人柄でもあり、久しぶりにヘッセを訪ねて二人でしあわせな時間を過ごされたとのこと・・。

 友人は、帰宅後すぐに75歳で亡くなられていますので、お二人にとって人生での貴重な時間であったと、思います。  

 少年時代にお二人は、同じ神学校の生徒として過ごされ、そのころのことは、「車輪の下」に書かれているとのことでした。




 「人は成熟するにつれて若くなる」には、いくつか詩も載せられているのですが、その中ではこの詩「老いてゆく中で」がいちばん好きです。最初の4行を引用してみます。

・-・-・-・-・

老いてゆく中で

            ヘルマン・ヘッセ

若さを保つことや善をなすことはやさしい

すべての卑劣なことから遠ざかっていることも

だが心臓の鼓動が衰えてもなお微笑むこと

それは学ばれなくてははならない


・-・-・-・-・ 引用56p


 「微笑むこと」を、ヘッセは老いてもなお人生では学ばなくてはならない大事なことといっていますが、わたしも本当にそう思います。

 わたしは、ふと宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出したのですが、賢治は、「雨ニモマケズ」の中で、たしか、こんなことを言っていました。

 「イツモシズカニワラッテイル」「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と・・・。

 「微笑むこと」と「イツモシズカニワラッテイル」は、どちらも人生の穏やかな究極の境地を示しているように感じたのでした・・。

 



2024年12月13日金曜日

読書・「雲」山村暮鳥  暮鳥のりんご・・・。 

 

 12月に入り、数日暖かい日が続いていたのですが、きょうは青い空から雪がはらはらと舞う寒い一日でした。この時期になると、ノササゲの濃紺のすてきな果実を見つけるのを、いつも楽しみにしているのですが、今年も出会うことができました。さやがほんのりうすいぴんく色に染まり、すてきでした・・。      



 

 山村暮鳥の「雲」という詩集の中に、「りんご」という詩があります。りんごは、大好きな果物でもあるので、好きな詩です。

・-・-・-・-・

りんご

             山村暮鳥

両手をどんなに

大きく大きく

ひろげても

かかへきれないこの気持ち

林檎が一つ

日あたりにころがってゐる

・-・-・-・-・           引用76p




 日あたりにころがっているりんごを見たときの気持ちを歌っているのですが、読むたびについ深読みしてしまう不思議な詩です。

 暮鳥は、詩集の中でこの詩に続きりんごが出てくる詩を、いくつか書いているのですが、わたしは「おなじく」というこの詩も好きです。

・-・-・-・-・

「おなじく」

                  山村暮鳥

林檎はどこにおかれても

うれしそうにまっ赤で

ころころと

ころがされても

怒りもせず

うれしさに

いよいよ

まっ赤に光りだす

それがさびしい

・-・-・-・-・         引用78p~79p




 このような暮鳥の詩を読んでいると、りんごに感情移入してしまっている感性豊かな詩人の姿が浮かび上がってくるのですが、同時に彼の人生や生活のことまで考えてしまうのは、わたしだけでしょうか・・。

 暮鳥は、この詩集「雲」の序にこんなことを書いています。

・-・-・-・-・

詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。

だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。

・-・-・-・-・              引用5p


 暮鳥は、このようにいうことで、詩人として生きることのマニフェストを宣言したかったのかなと思えてきます。

 芸術のない生活はたえられず、生活のない芸術もたえられないとも言っていますので、彼にとって詩を書くことは、生きることでもあり、人生のすべてだったのかもしれません・・。