12月に入り、数日暖かい日が続いていたのですが、きょうは青い空から雪がはらはらと舞う寒い一日でした。この時期になると、ノササゲの濃紺のすてきな果実を見つけるのを、いつも楽しみにしているのですが、今年も出会うことができました。さやがほんのりうすいぴんく色に染まり、すてきでした・・。
山村暮鳥の「雲」という詩集の中に、「りんご」という詩があります。りんごは、大好きな果物でもあるので、好きな詩です。
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りんご
山村暮鳥
両手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの気持ち
林檎が一つ
日あたりにころがってゐる
・-・-・-・-・ 引用76p
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「おなじく」
山村暮鳥
林檎はどこにおかれても
うれしそうにまっ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まっ赤に光りだす
それがさびしい
・-・-・-・-・ 引用78p~79p
このような暮鳥の詩を読んでいると、りんごに感情移入してしまっている感性豊かな詩人の姿が浮かび上がってくるのですが、同時に彼の人生や生活のことまで考えてしまうのは、わたしだけでしょうか・・。
暮鳥は、この詩集「雲」の序にこんなことを書いています。
・-・-・-・-・
詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。
だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。
・-・-・-・-・ 引用5p
暮鳥は、このようにいうことで、詩人として生きることのマニフェストを宣言したかったのかなと思えてきます。
芸術のない生活はたえられず、生活のない芸術もたえられないとも言っていますので、彼にとって詩を書くことは、生きることでもあり、人生のすべてだったのかもしれません・・。
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